一 一羽の猛鷲が、翼をおさめて、山上の岩石からじっと、大地の雲霧をながめている。―― 遠方から望むと、孤将、関羽のすがたはそんなふうに見えた。 「お待たせいたしました」 張遼はふたたびそこへ息をきって登ってきた。そ...
一 いま漢中は掌のうちに収めたものの、曹操が本来の意慾は、多年南方に向って旺であったことはいうまでもない。 いわんや、呉といえば、あの赤壁の恨みが勃然とわいてくるにおいてはである。 「漢中の守りは、張郃、夏侯淵の両名で事...
一 呉の境から退いて、司馬懿が洛陽に留っているのを、時の魏人は、この時勢に閑を偸むものなりと非難していたが、ここ数日にわたってまた、 (孔明がふたたび祁山に出てきた。ために、魏の先鋒の大将は幾人も戦死した) という情報が...
一 陳大夫の息子陳登は、その後も徐州にとどまって城代の車冑を補けていたが、一日、車冑の使いをうけて、何事かと登城してみると、車冑は人を払って、 「実は、曹丞相から密書をもって玄徳を殺すべしというご秘命だが、やり損じたら一大事で...
一 このとき丞相府には、荊州方面から重大な情報が入っていた。 「荊州の玄徳は、いよいよ蜀に攻め入りそうです。目下、彼の地では活溌な準備が公然と行われている」 曹操はかく聞いて胸をいためた。もし玄徳が蜀に入ったら、淵の龍が...
一 冬十月の風とともに、 「曹操来る。曹軍来る」の声は、西平のほうから枯野を掃いて聞えてきた。 袁尚は愕いて、にわかに平原の囲みをとき、木の葉の如く鄴城へ退却しだした。 袁譚は城を出て、その後備えを追撃した。そして...
一 或る日、ぶらりと、関羽のすがたが相府に見えた。 二夫人の内院が、建築も古いせいか、雨漏りして困るので修築してもらいたいと、役人へ頼みにきたのである。 「かしこまりました。さっそく丞相に伺って、ご修理しましょう」 ...
一 八十余万と称えていた曹操の軍勢は、この一敗戦で、一夜に、三分の一以下になったという。 溺死した者、焼け死んだ者、矢にあたって斃れた者、また陸上でも、馬に踏まれ、槍に追われ、何しろ、山をなすばかりな死傷をおいて三江の要塞か...
一 玄徳の死は、影響するところ大きかった。蜀帝崩ず、と聞えて、誰よりも歓んだのは、魏帝曹丕で、 「この機会に大軍を派せば、一鼓して成都も陥すことができるのではないか」 と虎視眈々、群臣に諮ったが、賈詡は、 「孔明がお...
一 呉を興した英主孫策を失って、呉は一たん喪色の底に沈んだが、そのため却って、若い孫権を中心に輔佐の人材があつまり、国防内政ともに、いちじるしく強化された。 国策の大方針として、まず河北の袁紹とは絶縁することになった。 ...
一 関羽が、顔良を討ってから、曹操が彼を重んじることも、また昨日の比ではない。 「何としても、関羽の身をわが帷幕から離すことはできない」 いよいよ誓って、彼の勲功を帝に奏し、わざわざ朝廷の鋳工に封侯の印を鋳させた。 ...
一 槍の先に、何やら白い布をくくりつけ、それを振りながらまっしぐらに駈けてくる敵将を見、曹操の兵は、 「待てっ、何者だ」と、たちまち捕えて、姓名や目的を詰問した。 「わしは、曹丞相の旧友だ。南陽の許攸といえば、きっと覚えて...
一 いまや曹操の勢いは旭日の如きものがあった。 北は、北狄とよぶ蒙古に境し、東は、夷狄と称する熱河の山東方面に隣するまで――旧袁紹治下の全土を完全に把握してしまった。彼らしい新味ある施政と威令とは、沈澱久しかった旧態を一掃し...
一 ほどなく玄徳は、荊州へ引揚げた。 中漢九郡のうち、すでに四郡は彼の手に収められた。ここに玄徳の地盤はまだ狭小ながら初めて一礎石を据えたものといっていい。 魏の夏侯惇は、襄陽から追い落されて、樊城へ引籠った。 ...
一 数日の後。 水軍の総大将毛玠、于禁のふたりが、曹操の前へ来て、謹んで告げた。 「江湾の兵船は、すべて五十艘六十艘とことごとく鎖をもって連ね、ご命令どおり連環の排列を成し終りましたれば、いつご戦端をおひらきあるとも、万...
一 時すでに初更に近かった。 蔡和の首を供えて水神火神に祷り、血をそそいで軍旗を祭った後、周瑜は、 「それ、征け」と、最後の水軍に出航を下知した。 このときもう先発の第一船隊、第二船隊、第三船隊などは、舳艫をそろえ...
一 曹操は、侍者に起されて、暁の寒い眠りをさました。夜はまだ明けたばかりの頃である。 「何か」と、帳を払って出ると、 「城中より侯成という大将が降を乞うて出で、丞相に謁を賜りたいと陣門にひかえております」 と、侍者は...
一 魏ではこのところ、ふたりの重臣を相次いで失った。大司馬曹仁と謀士賈詡の病死である。いずれも大きな国家的損失であった。 「呉が蜀と同盟を結びました」 折も折、侍中辛毘からこう聞かされたとき、皇帝曹丕は、 「まちがい...
一 袁紹はわずか八百騎ほどの味方に守られて、辛くも黎陽まで逃げのびてきたが、味方の聯絡はズタズタに断ち切られてしまい、これから西すべきか東すべきか、その方途にさえ迷ってしまった。 黎山の麓に寝た夜の明け方ごろである。 ...
一 合淝の城をあずかって以来、張遼はここの守りを、夢寐にも怠った例はない。 ここは、魏の境、国防の第一線と、身の重責を感じていたからである。 ところが、呉軍十万の圧力のもとに、前衛の※城は一支えもなく潰えてしまった。洪...
一 玄徳が河北にいるという事実は、やがて曹操の耳にも知れてきた。 曹操は、張遼をよんで、 「ちか頃、関羽の容子は、どんなふうか」と、たずねた。張遼は、答えて、 「何か、思い事に沈んでおるらしく、酒もたしなまず、無口に...
一 そこを去って、蕭関の砦を後にすると、陳登は、暗夜に鞭をあげて、夜明け頃までにはまた、呂布の陣へ帰っていた。 待ちかねていた呂布は、 「どうだった? ……蕭関の様子は」と、すぐ糺した。 陳登はわざと眉を曇らして、...
一 「張飛。――欠伸か」 「ムム、関羽か。毎日、することもないからな」 「また、飲んだのだろう」 「いや、飲まん飲まん」 「夏が近いな、もう……」 「梅の実も大きくなってきた。しかし一体、うちの大将は、どうしたも...
一 呂布は、櫓に現れて、 「われを呼ぶは何者か」と、わざと云った。 泗水の流れを隔てて、曹操の声は水にこだまして聞えてきた。 「君を呼ぶ者は君の好き敵である許都の丞相曹操だ。――しかし、君と我と、本来なんの仇があろう...
一 難路へかかったため、全軍、まったく進退を失い、雪は吹き積もるばかりなので、曹操は焦だって、馬上から叱った。 「どうしたのだ、先鋒の隊は」 前隊の将士は、泣かんばかりな顔を揃えて、雪風の中から答えた。 「ゆうべの大...