死せる孔明、生ける仲達を走らす
一
一夜、司馬懿は、天文を観て、愕然とし、また歓喜してさけんだ。
「――孔明は死んだ!」
彼はすぐ左右の将にも、ふたりの息子にも、昂奮して語った。
「いま、北斗を見るに、大なる一星は、昏々と光をかくし、七星の座は崩れている。こんどこそ間違いはない。今夕、孔明は必ず死んだろう」
人々は急に息をひそめた。敵ながらその人亡しと聞くと何か大きな空ろを抱かせられたのである。仲達もまさにその一人だったが、老来いよいよ健なるその五体に多年の目的を思い起すや、勃然と剣を叩いて、
「蜀軍に全滅を加えるは今だ。――準備を伝えろ。総攻撃を開始する」
司馬師、司馬昭の二子は、父の異常な昂奮に、却って二の足をふんだ。
「ま。お待ちなされませ」
「なぜ止めるか」
「この前の例もあります。孔明は八門遁甲の法を得て、六丁六甲の神をつかいます。或いは、天象に奇変を現わすことだってできない限りもありません」
「ばかな。愚眼を惑わして、風雨を擬し、昼夜の黒白をあやまらす術はあっても、あのあきらかな星座を変じることなどできるものではない」
「でも、いずれにしろ、孔明が死んだとすれば、蜀軍の破れは必至でしょう。慌てるには及びません。まず夏侯覇にお命じあって、五丈原の敵陣をうかがわせては如何ですか」
これは息子たちの云い分のほうが正しいように諸将にも聞えた。息子自慢の司馬懿は、息子たちにやり込められると、むしろうれしいような顔つきをした。
「む、む。……なるほど。それも大きにそうだ。では夏侯覇、敵にさとられぬように、そっと蜀軍の空気を見さだめて来い」
夏侯覇は、命を奉じて、わずか二十騎ほどを連れ、繚乱の秋暗く更けた曠野の白露を蹴って探りに行った。
蜀陣の外廓線は、魏延の守るところであったが、ここの先鋒部隊では、魏延を始めまだ誰も孔明の死を知っていなかった。
ただ魏延はゆうべ変な夢を見たので、今日は妙にそれが気になっていた。けれどちょうど午頃ぶらりと訪ねてきた友達の行軍司馬趙直が、
「それは吉夢じゃないか。気にするに当らんどころか、祝ってもいいさ」
と云ってくれたので、大いに気をよくしていた所である。
彼が見た夢というのは、自分の頭に角が生えたという奇夢であった。
それを趙直に話したところ、趙直は非常に明快に夢占を解いてくれた。
「麒麟の頭にも角がある。蒼龍の頭にも角はある。凡下の者が見るのは凶になるが、将軍のような大勇才度のある人が見るのは実に大吉夢といわねばならん。なぜならばこれを卦について観るならば、変化昇騰の象となるからだ。按ずるに将軍は今から後、かならず大飛躍なされるだろう。そして位人臣を極めるにちがいない」
ところが、この趙直は、そこから帰る途中、尚書の費褘に出会っている。そして、費褘から、
「どこへ行ったか」と、訊かれたので、ありのまま、
「いま、魏延の陣所をちょっと覗いたところ、いつになく屈託顔しているので、どうしたのかと訊くと、かくかくの夢を見たというので、夢判断をしてやって来たところだ」と答えた。
すると費褘は、重ねて訊ねた。
「足下の判断はほんとのことか」
「いやいや。実際は、はなはだ凶夢で、彼のためには憂うべきことだが、あの人間にそんな真実を話しても恨まれるだけのことだから、いい加減なこじつけを話してやったに過ぎない」
「では、どう凶いのか。その夢は」
「角という文字は、刀を用うと書く。頭に刀を用いるときは、その首が落ちるにきまっているじゃありませんか」
趙直は笑って去った。
二
立ち別れたが、費褘はあわてて、趙直のほうへ戻って、もう一度、こういった。
「今のこと、誰にも云い給うな。たのむぞ」
「え。今のこととは」
「足下の語った魏延の夢のはなしをだ」
「ああ、よいとも」
趙直に途中で会った顔はどこにも見せず、その夜、費褘は魏延の陣所へ来て、彼と対談していた。
「今夕参ったのは、ほかでもない、昨夜ついにわが丞相は薨ぜられました。そのご報告に来たわけです」
「えっ、ほんとか」
日頃孔明を目の上の瘤としていた魏延も、さすがに驚愕してしばし茫然の態だった。
――が、たちまち云い出した。
「いつ喪を発するかね」
「喪はしばらく発するなかれとご遺言でありました」
「丞相に代って、軍権を執るものは誰となっておるな」
「楊儀に命ぜられました。また、兵法密書口伝は、生前ことごとく姜維に授けられたようで」
「あんな黄口児にか。……ま、それはいいが、楊儀はむしろ文官向きな人物ではないか。孔明亡しといえども、なお魏延がおる。楊儀はただ柩を守って国へ帰り、地を選んで葬りをなせばそれでいい。――五丈原頭の蜀軍は、かくいう魏延が統べて、魏を打ち破ってみせよう。孔明ひとりがいなくなったからといって国家の大事を止むべきでない」
たいへんな気焔である。費褘は少しも逆らわなかった。で、彼はいよいよ調子に乗って大言した。
「元来、初めから此方の献策を孔明が用いていれば、蜀軍は今頃はとうに長安を占領しているのさ。だが孔明は、由来俺が煙たくてならなかったのだ。葫芦谷ではあやうく焼き殺される所だったからな。――しかしその彼が先に死んでしまった以上、恨みはいうまい。ただ、楊儀の下に従うことなどは魏延はいさぎよしとする所ではない。彼の如きは一長史ではないか。俺の官は、前軍征西大将軍南鄭侯であった」
「ごもっともです。お気持はよくわかります」
「ご辺は俺を扶けるか」
「大いにお力になりましょう」
「百万の味方に勝る。では、誓書も書くな」
「もちろん書きましょう」
欣然と、彼は盟書をかいて、魏延に渡した。
「一献祝そう」
魏延は、酒を出した。費褘は態よく杯をうけて、
「――が、お互いに、妄動は慎みましょう。司馬懿につけ込まれるおそれがありますから」
「それはもとより重要だ。しかし楊儀が不服を鳴らすだろうな」
「それは私から説きつけます」
「うまくやってくれ」
「お信じ下さい。首尾はいずれ後刻お沙汰します」
費褘は本陣へ帰った。そしてなお悲愁の裡にある諸将を寄せて、
「丞相のおことばに違いなく、魏延は叛気満々で、むしろこの時をよろこんでおるふうだ。この上は、ご遺言どおり姜維を後陣として、われらもまた、制法に従って退陣にかかろうではないか」
と、相談した。
予定のことである。異議なくきまった。そこで極密のうちに諸陣の兵を収め、万端ととのえおわって、翌夜しずかに総引揚げを開始した。
一方の魏延は、首を長くして、費褘の吉報を待っていたが、いっこう沙汰がないので、
「何としたことだ? あの長袖は」と、その悠長にいらいらしていた。
ふと、馬岱の顔を見たので、彼はその腹蔵のものを、馬岱に打ち明けた。すると馬岱は、
「いや、それは眉唾ですぞ。昨朝彼の帰るとき見ていたが、陣門から馬に飛びのるや否、ひどく大あわてに鞭をあてて行きましたからな」
「そんな挙動が見えたか」
「おそらく詐りでしょう」
ところへ、物見の者から、昨夜来、味方の本軍は総引揚げにかかって、すでに大半は退き、後陣の姜維もはや退軍にかかっていると告げて来たので、魏延はいよいよ慌て出した。
三
もしこのままなお知らずにいれば彼は五丈原の前線に置き去りを喰うところであった。愕きもし、憤りもして、魏延は拳を振った。
「費褘の腐れ儒者め。よくもうまうまとおれを騙して、出し抜けを喰わせたな。うぬ。かならず素っ首を引き抜くぞ」
まるで旋風でも立つように、彼はたちまち号令して陣屋を畳ませ、馬具兵糧のととのえもあわただしく、すべてを打ち捨てて本軍のあとを追った。
一面、魏陣のうごきはと見るに――さきに司馬懿の命をうけて五丈原の偵察に出ていた夏侯覇は、馬も乗りつぶすばかり、鞭を打ち続けて帰ってきた。
待ちかねていた司馬懿は、姿を見るやいなや訊ねた。
「どうであった?」
「どうも変です」
「変とは」
「蜀軍はひそかに引揚げの準備をしておるようです」
「さてこそ!」
司馬懿は手を打って叫んだ。そしてそのふたつの巨きな眼にも快哉きわまるかの如き情をらんらんと耀かしながら、帷幕の諸大将をぎょろぎょろ見まわしつつ、足をそばだててこう喚きまたこう号令を発した。
「孔明死す。孔明死せりか。――いまは速やかに残余の蜀兵を追いかけ追いくずし、鑓も刃も血に飽くまでそれを絶滅し尽す時だ。天なる哉、時なる哉、いざ行こう。いざ来い。出陣の鉦鼓鉦鼓」
と急きたてた。
銅鑼は鳴る。鼓は響く。
陣々、柵という柵、門という門から、旗もけむり、馬もいななき、あたかも堰を切って出た幾条もの奔流の如く、全魏軍、先を争って、五丈原へ馳けた。
「父上父上。壮者輩にまじって、そんなにお急ぎになっても大丈夫ですか」
ふたりの息子は、老父の余りな元気にはらはらしながら、絶えず左右に鐙を寄せて走っていた。
「何の、大丈夫じゃよ。司馬仲達はまだ老いん」
「いつもは、大事に大事をとられるお父上が、今度は何でこう急激なんですか」
「あたり前なことを問うな。魂落ちて、五臓みな損じた人間は、どんなことがあっても、再び生きてわが前に立つことはない。孔明のいない蜀軍は、これを踏みつぶすも、これを生捕るも、これを斬るも、自由自在だ。こんな痛快なことはない」
夏侯覇がまた後ろでいった。
「都督都督。余りに軽々しくお進みあるな。先鋒の大将がもっと前方に出るまでしばらく御手綱をゆるやかになし給え」
「兵法を知らぬ奴。多言を放つな」
司馬懿は振り向いて叱りつけた。そして少しも奔馬の脚をゆるめようとしなかった。
すでにして五丈原の蜀陣に近づいたので、魏の大軍は鼓躁して一時になだれ入ったが、この時もう蜀軍は一兵もいなかった。さてこそあれと司馬懿はいよいよ心を急にして、師、昭の二子に向い、
「汝らは後陣の軍をまとめて後よりつづけ。敵はまださして遠くには退いておるまい。われ自ら捕捉して退路を断たん。後より来い」
と、息もつかず追いかけて行った。
するとたちまち一方の山間から闘志溌剌たる金鼓が鳴り響いた。蜀軍あり、と叫ぶものがあったので、司馬懿が駒を止めてみると、まさしく一彪の軍馬が、蜀江の旗と、丞相旗を振りかかげ、また、一輛の四輪車を真っ先に押して馳け向ってくる。
「や、や?」
司馬懿は、仰天した。
死せりとばかり思っていた孔明は白羽扇を持ってその上に端坐している。車を護り繞っている者は、姜維以下、手に手に鉄槍を持った十数人の大将であり、士気、旗色、どこにも陰々たる喪の影は見えなかった。
「すわ、またも不覚。孔明はまだ死んでいない。――浅慮にもふたたび彼の計にかかった。それっ、還れ還れっ」
仲達は度を失って、馬に鞭打ち、にわかに後ろを見せて逃げ出した。
四
「司馬懿、何とて逃げるか。反賊仲達、その首をさずけよ」
蜀の姜維は、やにわに槍をすぐって、孔明の車の側から征矢の如く追ってきた。
突然、主将たる都督仲達が、駒をめぐらして逃げ出したのみか、先駆の諸将も口々に、
――孔明は生きている!
――孔明なお在り!
と、驚愕狼狽して、我先に馬を返したので、魏の大軍は、その凄じい怒濤のすがたを、急激に押し戻されて、馬と馬はぶつかり合い、兵は兵を踏みつぶし、阿鼻叫喚の大混乱を現出した。
蜀の諸将と、その兵は、思うさまこれに鉄槌を加えた。わけて姜維は潰乱する敵軍深く分け入って、
「司馬懿、司馬懿。どこまで逃げる気か。せっかく、めずらしくも出て来ながら、一槍もまじえず逃げる法はあるまい」
と、鞍鐙も躍るばかり、馬上の身を浮かして、追いかけ追いかけ呼ばわっていた。
仲達はうしろも見なかった。押し合い踏み合う味方の混乱も蹄にかけて、ただ右手なる鞭を絶え間なく、馬の尻に加えていた。身を鬣へ打ち俯せ、眼は空を見ず、心に天冥の加護を念じ、ほとんど、生ける心地もなく走った。
だが、行けども行けども、誰か後ろから追ってくる気がする。そのうちおよそ五十里も駈け続けると、さしも平常名馬といわれている駿足もよろよろに脚がみだれて来た。口に白い泡ばかりふいて、鞭を加えられても、いたずらに一つ所に足掻いているように思われる。
「都督都督。我々です。もうここまで来れば大丈夫。そうおそれ遊ばすにはあたりません」
追いついてきた二人の大将を見ると、それは敵にはあらで、味方の夏侯覇、夏侯威の兄弟であった。
「ああ。汝らであったか……」
と、仲達は初めて肩で大息をついたが、なおしたたる汗に老眼晦く霞んで半刻ほどは常の面色にかえらなかったと、後々まで云い伝えられた。
実際、彼の顛倒した愕きぶりは察するに余りあるものがある。彼においてすらそうであったから魏の大軍がうけた損傷は莫大だった。このとき夏侯覇兄弟は、
「蜀の勢は急激にまた退いたようですから、この際、お味方を立て直して、さらに猛追撃を試みられてはどうです」
と、すすめたが、孔明なお在りと、一時に信じて恐怖していた司馬懿は、容易に意を決するに至らず、ついに全軍に対して引揚げを命じ自身も近道を取って、空しく渭水の陣へ帰ってしまった。
散走した諸将もやがて追々に集まり、逃散した近辺の百姓もぼつぼつ陣門に来ていろいろな説をなした。それらの者の報告を綜合してみると、大体次のような様子がようやく知れた。
すなわち、蜀軍の大部分は、疾く前日のうちに五丈原を去り、ただ姜維の一軍のみが最後の最後まで踏み止まっていたものらしい。
ことに、百姓達にいわせると、
「初めの日、蜀の軍が、夕方からたくさんに五丈原から西方の谷間に集まりました。そして白の弔旗と黒い喪旗を立てならべ、一つの蓋霊車を崇めて、人々の嘆き悲しむ声が夜明け頃まで絶えませんでした」と、目撃したその日の実情を口々に伝え、
「車の上の孔明も、青い紗をめぐらしてありましたが、どうも木像のように思われました」
とも語った。
こう聞いて初めて司馬懿は孔明の死のやはり真実であったのをさとった。急に再び兵を発して長駆追ってみたが、すでに蜀軍の通ったあとには渺として一刷の横雲が山野をひいているのみだった。
「今は、追うも益はない。如かず長安に帰って、予も久々で安臥しよう」
赤岸坡から引っ返して、帰途、孔明の旧陣を見るに、出入りの趾、諸門衙営の名残り、みな整々と法にかなっている。
司馬懿は、低徊久しゅうして、在りし日の孔明を偲びながら、独りこう呟いたという。
「真に、彼や天下の奇才。おそらくこの地上に、再びかくの如き人を見ることはあるまい」