雁のみだれ

 大暑七月、蜀七十五万の軍は、すでに成都を離れて、蜿蜒と行軍をつづけていた。
 孔明は、帝に侍して、百里の外まで送ってきたが、
「ただ太子の身をたのむ。さらばぞ」
 と玄徳に促されて、心なしか愁然と、成都へ帰った。
 すると次の日。
 野営を張って、途中に陣していると、張飛の部下、呉班という者が、馬も人も汗にぬれて、追いついてきた。
「ごらん下さい。これを」
 息を喘って、ただ一通の表をさし出した。侍側の手から受取って、玄徳は一読するや否や、
「あっ? 張飛が!」
 ぐらぐらと眩いを覚えたらしく、あやうく昏絶しそうになった額を抑えて、その後、
「ううむ……」
 と、ただ唸いていた。
 手脚はおののき、顔色は真っ蒼に変り、額から冷たい汗をながしていたが、やがて、
「むしの知らせか、昨夜は、二度も夜半に眼がさめて、何となく、魂が愕いてならなかったが……」
 と、つぶやき、やがてさんさんと涙して、
「ぜひもない宿命。せめてこよいは祭をせん。壇を設けよ」
 と、白い唇から力なく言った。
 翌朝。この地を立とうとすると、ひとりの若い大将が、白い戦袍をつけ、白銀の盔甲を着て、一隊の軍馬をひきいて、これへ急いで来た。
張飛の嫡子、張苞です」
 と名乗ったので、直ちに、玄徳の前へ導くと、玄徳は見て、
「オオ、父に似て、勇ましい若者。呉班とともに、朕の先陣に立つか」
 と、悲しみのうちにも一つの歓びと、大いに気をとり直した様子であった。
 張苞は答えていう。
「どうぞ先手の端にお加え下さい。そして父に代って、父に勝るてがらを立てなければ、父も九泉の下で浮かばれまいと思われます」
 ところが同じ日に、関羽の次男関興も、一手の兵をつれて、この軍に会した。
 玄徳は、関羽の子を見て、また涙を新たにした。
 この大戦の門出に、余りに涙することばかり多いので、近側の大将は、
「――龍涙地に落つるは亢旱三年、という古言もあります。陛下、社稷の重きを思い給わば、何とぞ玉体をお損ね遊ばさぬように。そして努めて、士気の昂揚をご宸念あそばして下さい」
 と、奏した。
「――いかにも」
 玄徳もすぐ悟った。
 年六旬をこえた身で、千里の境外に、七十余万の大軍をひきいて、今やその征途にあるのである。まだ戦いに入らぬうちに、心をいため、身をそこねてどうして呉に勝つことができよう。――そう彼自身も思い直すのであった。
 また彼の一喜一憂がすぐ全軍の士気に大きく影響することももちろんで、将士のあいだには何となく、前途の吉凶にたいして、天文や地変をしきりと気にする声もあった。
 陳震が或るとき、玄徳にこう告げた。
「この附近に、青城山という霊峰があります。そこに棲む李意という一仙士は、天文地利をくわしく占い、当世の神仙と世人にいわれております。勅をもって、彼を招き、このたびの事の吉凶をいちど占わせてみては如何でしょうか」
 玄徳はあまり気のすすまない態であったが、他の諸将にもすすめる者が多かったので、さらばと陳震を使いにして、李意を陣中へ招いてみることにした。
 陳震はさっそく青城山へ上って行った。やがて山路へさしかかると、なるほど世人のうわさの如く、清雲縹緲として、まことに神仙の住居はこんな所にこそあるであろうと思われた。

 行くほどに、登るほどに、道はいよいよせばみ、水は渓をなし滝をなし、木々には瑞気の霧がゆるやかに渦巻いて、嶺のあらし、禽の声、耳も心も洗われて、陳震は自分の使命も忘れてしまった。
 すると彼方からひとりの童子が歩いてきて、彼の前へくると足を止めてにこりと笑った。
「あなたは陳震先生でしょう」
 いきなりいわれたので、彼は大いに愕いて、
「どうしてわしの名を知っているのか」と目をまるくした。
「きのう私の師が仰っしゃっていました。あしたあたり蜀帝のお使いで陳震という人が山へ登ってくるだろうって……」
「えっ。ではお前の師というのは、李意仙士か」
「そうです。……けれど私の師は、誰が来たって、会わないよ」
「そんなことをいわずに、ぜひ案内してくれ。たのむ。……ほかならぬ天子のお使いじゃ。もし仙士がお会い下さらねば、わしは帰ることができない」
「じゃあ、お取次ぎしてみるから、来てごらん」
 童子は先に立って歩いた。
 行くこと数里、平かな一仙境があった。童子は庵へ入って、師の李意に告げた。李意はやむなく出て勅使を迎え、
「帝のお使いとは、何事ですか」と、たずねた。
 陳震は、いま南征の途上にある蜀帝の旨を仔細に語って、
「ぜひ、仙翁をわずらわして、お問いいたしたいと仰せられます。それがしがお供いたしますから、一日、下山して、蜀の陣までご足労願われますまいか」
 慇懃、礼を尽して云った。
 李意は渋っていたが、
「詔とあれば、ぜひもない」と、黙々、陳震について、山を降りて行った。
 玄徳は、やがてこの仙翁を前に、忌憚なく述懐して質問した。
「すでに存じておろうが、朕は、弱冠のときより関羽張飛と刎頸の交わりを結び、戎馬奔命の中に生きること三十余年、ようやく蜀を定めて後、諸人は、朕が中山靖王の裔であるところから帝位に推しすすめ、ここに基業を創てたが、計らずも、朕の義弟二人は害せられて、その讐たる者はことごとく呉の国に在る。ゆえに、朕は意を決し、呉を伐つため、これまで進発して来た途中であるが、前途の吉凶いかがあろうか。忌憚なく、仙翁の卜う旨を聞かせてもらいたい」
 李意は、膠もなく云った。
「それは分りません。すべて天数――すなわち天運ですから」
「翁は、その天数にくわしいと承る。ねがわくば易を垂れよ」
「山中の賤人。何ぞ、そのような大宇宙のことをよく知り得ましょうや」
「いやいや、それは翁の謙遜にちがいない。どうか、一言なりと、朕に教えてくれ」
 再三の下問に、李意もとうとう否みかねたか、
「では、紙と筆をこれへ」と求め、やがて黙然と、何か描きだした。
 見ると、児どもの画のように、兵馬武器の類を描いて、それをまた、片っぱしから破いては捨てた。画いては捨て、画いては捨て、百帖の紙をみな反古にした。
 そして、最後の一枚には、一個の人形が仰向けに臥して、そばに一人の人物が土を掘ってその人形を埋めようとしている態を図に描いた。李意は少し筆をやすめて自分の絵を見ていたが、やがてその図の上に一字「白」と書いて筆を投じ、
「どうも畏れ多いことで」と、何やら意味のわからないことを呟いて玄徳を百拝し、霧の如くすうと帰ってしまった。彼の去ったあとを眺めて、玄徳はよろこばない顔色をしていた。そして近側の大将たちへ、
「つまらぬ者を迎えて、無用な暇をつぶした。おそらくは狂人であろう。はやくこの紙屑を焼きすててしまえ」と、いいつけた。
 ときに、張飛の子張苞が、帝座の下に来て、かく告げた。
「すでに前面へ呉の軍があらわれたようです。どうか、私に先陣をお命じください」

「オオ、壮んなるかな、その志。張苞、はや行って、功を立てよ」
 玄徳は、先鋒の印綬を取って、手ずから張苞へ授けようとした。すると、階下の諸将の中からやにわにこういう者があった。
「陛下。しばしお待ち下さい。先鋒の印は、かく申す私にこそ、曲げてお授け賜わるように」
 誰かと、諸人目をそばだてて声の主を見ると、関羽の次男関興であった。
 関興は進み出て、地に拝伏し、涙をながして、なお帝に向って訴えた。
「それがしの亡き父こそ、実に今日の戦を――また私の働きをば、地下において、刮目して待っているものです。なんで、先鋒の一陣を、余人に任せてよいものですか。ぜひとも先鋒の役は、それがしに命じ賜わりますように……」
 すると張苞が、
「やよ関興。ご辺は何の能があって、あえて自ら先鋒を望むか」と、横から云いかけた。
 関興はにことして、
「我いささか箭をたしなむ」
 と答えた。張苞もまた、
「武芸なら余人におくれをとる張苞ではない。この方とて張飛の子だ」
 と、ひかない色を示した。
 玄徳はあいだにあってこの裁きには難儀な容子を示していたが、
「では、二人して、互いの武技を競うてみよ。勝れたる者へ、印綬を降さん」と、云いわたした。
「さらば、見給え」と張苞は気負って、まず三百歩の彼方に、旗を植えならべ、その旗の上に、紅の小さい的をつけて、弓を放つに、一箭一箭、紅的を砕いて、一つとして過らなかった。
「さすがは、張飛の子よ」
 と、諸人は万雷の如き喝采を送った。――と、関興もまた次に、弓をとって前に進み、
「張苞の弓勢ごときは、何も奇とするには足りない。広言に似たれど、わが箭のゆく先を見よかし」といいながら、身を半月の如くそらし、引きしぼった箭を宙天に向けた。
 折々、雁の声が、雲をかすめていた。しばらく息をこめて、空をにらんでいるうちに、一列の雁行が真上にかかるや、関興は、弦音たかく一矢を放った。
 一羽の雁は、矢うなりと共に、その矢を負って、ひらーと地に落ちてきた。余りの見事さに、文武の諸官声をそろえて、
「射たりや、射たり」
 と賞めたたえ、嘆賞のどよめきがしばし絶えなかった。
 張苞は、躍起となって、
「やい関興。弓ばかりでは戦陣の役に立たんぞ。汝は、矛をあつかう術を知っているか」
 と、呶鳴った。
 関興も負けてはいず、すぐ馬に跳び乗って、
「たくさんは知らぬが、まずこのくらい」
 と、剣を払って、張苞の頭上に擬した。
「なにを、猪口才」
 と、張苞もまた、父の遺愛たる丈八の矛を持って、あわや一戦に及ぼうとした。
「ひかえろ! 子どもら」
 玄徳は上から叱って、
「そちたちは、父の喪もまだ明けたばかりなのに、何で味方同士の喧嘩をするか。そもそもお前達の父と父とは、義を血にすすり、親を魂に結んでいた仲ではないか。もし一方に傷でも負わせたら、泉下の父は、どのように嘆くことか」
「はっ」と、ふたりは矛をすて馬をとび降りて、共に、その頭を、階下の地にすりつけた。
「これからは亡き関羽張飛も同様に、汝らも仲よくせよ。そして年上のほうを兄と定め、父に劣らぬ交わりをしてゆくがよい」
 帝のことばに、二人は再拝して違背なき旨を誓った。関興は張苞より一ツ年上なので、兄となって、兄弟のちかいを立てた。
 敵軍はすでにだいぶ近づいて来たと、警報頻々であった。すなわち先陣水陸軍のふた手に、二人を立てて、玄徳自身、すぐその後から後陣としてつづいた。その日以後、行軍はもう臨戦隊形になって、怒濤のごとく、呉の境へいそいだのであった。

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