短髪壮士

 奪取した二ヵ所の陣地に、黄忠と魏延の二軍を入れて、涪水の線を守らせ、玄徳はひとまず涪城へかえった。
 折からまた、遠くへ行った細作が帰ってきて、蜀外の異変をもたらした。
「呉の孫権が、漢中張魯へ、謀略の密使をさし向けました。呉は満腔の同情をもって、貴国へ対し、兵力軍需の援助を惜しまぬものであると。――煽てに乗って張魯はたちまち力を得、かねての野望を達せんと、漢中軍をもって葭萌関へ攻めかかりました」
 玄徳は驚倒せんばかり顔いろを変えた。すぐ龐統をよび、
「もし葭萌関を張魯に扼されてしまったら、蜀と荊州の連絡は断たれ、退くも進むもできなくなる。誰を防ぎにやったらよかろう」
孟達がよいでしょう」
 すぐ孟達は呼ばれた。けれど彼はこう献策して、もう一人の大将を求めた。
「もと荊州にいて、劉表の中郎将だった霍峻というものが、ご陣中に従っております。地味な人物で、これまでも余り華やかな軍功はありませんが、この人と共に行くなら、万全を期せられるかと思います」
「望みにまかせる」
 ゆるされて、霍峻にも同様の命が下り、即日ふたりは葭萌関の守備に急いだ。
 その出立を励まして、龐統が仮の自邸へ帰ってきた日である。居室に落着いていると、門衛の者が、あわてて、
「変なお客が見えましたが」と、主人の意を伺いにきた。
「変な客? ……いったいどんな風采をした男かね」
「身長七尺もありそうです。おかしいのは、髪を短く切って、襟の辺に垂らしていることで、容貌はまず、雄偉とでもいいましょうか。まあ、壮士でございますよ、ひと口にいえば」
「どれ、どれ」
 無造作な主は、ずかずか自分で出て行ってみた。
 見ると、玄関を上がって、そこの床の上に、仰向けに寝ている男がある。浪人生活は自分も長年体験している龐統も、この不作法な壮士には、あきれ顔に、眼をみはった。
「おい。先生」
「やあ、君が主人か」
「主人かもないもんだ。いったい足下は、どこの何者だ」
「汝は客を敬うことを知らんか。まず礼を尽せ。その後に天下の大事を語ろう」
「おどろいたな」
「何を愕く。龐統ともあろうものが」
「はははは。まず起き給え」
「まず酒の支度をさきにしろ」
「もうできている」
「では通ろう。どこだ」
「こちらへ来給え」
 室へ導いて、上座を与え、酒をすすめると、遠慮などはしない。実によく喰う。また痛飲する。
 だが、天下の大事はなかなか云いださない。そのうちに、飲むだけ飲むと、ごろりと横になって寝てしまった。
「ひどい奴もあるものだ」
 その不敵さに、舌を巻いていると、法正が急ぎ足にやって来た。法正なら蜀の事情にも人物にも通じているにちがいないから、客の飲んでいるあいだに、使いを走らせて、招いたのである。
「やあ、ご足労をわずらわして申しわけない。実は、そこに大酔して眠っている人間だが、いったいこれは何者ですかな」
 法正は、その寝顔をのぞきこむと、手を打って、
「永年だ。これは、永年という愉快な男ですよ」と、いった。
 その声に眼をさまして、永年はむくむくと起き出した。
 そして顔を見合うと、
「なんだ、法正か」と、おたがいにまた、手をたたいて笑った。
 龐統は、呆っ気にとられて、
「親友か、おふたりは」と、たずねた。
「そうです」と、法正は誇るように肯定して、かつ紹介した。
「この人は、彭義、字を永年といい、蜀中の名士です。ところが、主君劉璋に直言を呈し、あまり強く諫めたため、官職を剥がれた上に、髪を短く切られ、奴の仲間へ落されてしまったのですよ。あはははは」
「わははは」
 他人事みたいに、永年も一緒になって笑っている。

 蜀に入る前は、蜀は弱しと聞いていた。国に人物なしという評も信じていた。ところが、案外である。士卒は強く、人材は多い。
 真の国力は、その国に事が起ってみないと分らない。
 龐統はふとそんなことを感じながら、客の永年にあらためて礼をほどこし、また法正をも誘って、
「せっかく先生の来臨。劉皇叔にもおひき合せしたいが」
 と、いうと、法正は、
「どうだね永年。涪城まで行ってくれるか」と、友に訊く。
 永年はきっぱりと、
「行くとも、云いにきたのだ。玄徳に会えるならなお張り合いがある」と、いう。
 三名は連れ立って、早速、涪城へ上った。玄徳に会うと、永年はたちまち胸をひらいて云った。
「この眼で小生がみるところでは、涪水の線にあるお味方は、実に、危ない死地に曝されてある。あれはご承知の上のことか」
黄忠、魏延の二陣をさして仰せあるか」
「もちろん」
「危ないとは、何故ですか」
「あの辺一帯の平地は、広袤として、一目にちょっと気づかれぬが、仔細に地勢を察するなら、湖の底にいるも同じだということがわかるはずだ」
「え。湖の底に」
「されば、涪江の流れは、数十里の長堤に防がれておるが、ひとたび堤を切らんか、水は低きに従って、あの辺り一円深さ一丈余の湖底と化し、一人も助かるものはあるまい」
 玄徳は驚いた。龐統もさすがにすぐ覚った。
「よくぞご忠言下された」
 敬って、彼を幕賓となし、すぐ早馬をやって、魏延、黄忠の陣へ、
「堤防に心せよ」
 と警報した。
 こういう注意があったため、魏延の陣地でも、黄忠のほうでも、連絡を密にして、昼夜巡見を怠らずにいた。
 そのため、雒城の鋤鍬部隊は、毎夜のように堤防をうかがうが、どうしてもこれの決潰に手を下すことができない。
 とかくするうち一夜、雨風が烈しく吹きすさんだ。
「こよいこそは」と、五千の鋤鍬部隊は、墨のような夜をひそかに出て、涪江の堤に接近し、無二無三堤を決って、濁水を地にみなぎらせんと働いた。
 ところが、思いもよらず、うしろのほうから、突如として伏兵が起った。暗さは暗し、敵の行動も人数もわからずで、鋤鍬部隊の五千は、同士討ちを起すやら、方角をちがえて後戻りしてくるやら、大混乱の中に、この夜の大将であった冷苞も見失ってしまった。
 冷苞は、逃げ走る途中、魏延に待たれて、またまた彼の手に生捕られてしまったのだった。
 蜀の呉蘭、雷同の二将は、それと知って、彼を奪り返すべく、雒城を出て追いかけたが、道に黄忠の待つものあって、これまた散々に追い退けられてしまった。
 で、冷苞は、翌る日ふたたび捕虜として、涪城へ送られた。
 玄徳は、彼の不信を責めて、
「予は、足下に武人として礼を与え、また足下に仁義をもって宥した。しかるに、汝はその反対なものをもって予に酬いた。いまは汝の首を斬るも、一匹の蠅をたたくほどな憐愍も感じ得ない」
 云い渡すと、すぐ将士に渡して城外で、首を刎ねさせた。
 魏延、黄忠へは、賞状を送り、幕賓の永年には、結果を告げて、
「実に、あなたの一言は、わが軍に幸いした」
 と、あつく礼遇した。
 この前後、荊州から馬良が使いに来た。馬良は、荊州の留守をまもる孔明の命をうけ、その書簡を肌深く秘めて遥々もたらして来たのであった。

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