檻車

 義はあっても、官爵はない。勇はあっても、官旗を持たない。そのために玄徳の軍は、どこまでも、私兵としか扱われなかった。
(よく戦ってくれた)と、恩賞の沙汰か、ねぎらいの言葉でもあるかと思いのほか、休むいとまもなく、(ここはもうよいから、広宗の地方へ転戦して、盧将軍を援けにゆけ)
 という朱雋の命令には、玄徳は素直な質なので、承知して戻ったが、関羽も、張飛も、それを聞くと、
「え。すぐにここを立てというんですか」
 と、むっとした顔色だった。ことに張飛は、
「怪しからん沙汰だ。いかに官軍の大将だからといって、そんな命令を、おうけしてくる法があるものか。昨夜から悪戦苦闘してくれた部下にだって、気の毒で、そんなことがいえるものか」と、激昂し、「長兄は、大人しいもんだから、洛陽の都会人などの眼から見るとなめられやすいのだ。拙者がかけ合ってくる」
 と、剣をつかんで、朱雋の本営へ出かけそうにしたので、玄徳よりは、同じ不快をこらえている関羽が、
「まあ待て」と、極力おさえた。
「ここで、腹を立てたら、折角、官軍へ協力した意義も武功も、みな水泡に帰してしまう。都会人て奴は、元来、わがままで思い上がっているものだ。しかし、黙ってわれわれが国事に尽していれば、いつか誠意は天聴にも達するだろう。眼前の利慾に怒るのは小人の業だ。われわれは、もっと高い理想に向って起つはずじゃないか」
「でも癪にさわる」
「感情に負けるな」
「無礼なやつだ」
「分った。分った。もうそれでいいだろう」
 ようやく宥めて、
「劉兄。お腹も立ちましょうが、戦場も世の中の一部です。広い世の中としてみればこんなことはありがちでしょう。即刻、この地を引揚げましょう」
 ついでに関羽は、玄徳の憂鬱もそういって慰めた。
 玄徳はもとより、そう腹も立っていない。こらえるとか、堪忍とか、二人はいっているが、彼自身は、生来の性質が微温的にできているのか、実際、朱雋の命令にしてもそう無礼とも無理とも思えないし、怒るほどに、気色を害されてもいなかったのである。
 兵には、一睡させて、せめて糧もゆっくりとらせて、夜半から玄徳は、そこの陣地を引払った。
 きのうは西に戦い。
 きょうは東へ。
 毎日、五百の手勢と、行軍をつづけていても、私兵のあじけなさを、しみじみ思わずにいられなかった。
 部落を通れば、土民までが馬鹿にする。――その土民らを賊の虐圧と、悪政の下から救って、安心楽土の幸福な民としてやろうというこの軍の精神であるのに――そのみすぼらしい雑軍的な装備を見て、
「なんじゃ。官軍でもなし、黄巾賊でもないのが、ぞろぞろ通りよる」
 などと、陽なたに手をかざし合って、嘲弄するような眼をあつめながら見物していた。
 けれど、先頭の玄徳、張飛関羽の三人だけは、人目をひいた。威風が道を払った。土民らの中には土下座して拝する者もあった。
 拝されても、嘲弄されても、玄徳はいずれにせよ、気にかけなかった。自分が畑に働いていた頃の気持をもって、土民の気持を理解しているからだった。

 駒を並べてくる関羽張飛とはまだ朱雋の無礼を思い出して、時々、腹が立ってくるものとみえ、官軍の風紀や、洛陽の都人士の軽薄を、しきりに声を大にして罵っていた。
「およそ嫌なものは、官爵を誇って、朝廷のご威光を、自分の偉さみたいに、思い上がっている奴だ。天下の紊るるは、天下の紊れに非ず、官の廃頽によるというが、洛陽育ちの役人や将軍のうちには、あんなのが沢山いるだろうて」
 と、関羽がいえば、
「そうさ。俺はよッぽど、朱雋の面へ、ヘドを吐きかけてやろうと思ったよ」と張飛もいう。
「はははは。貴公のヘドをかけられたら、朱雋も驚いたろうな。しかし彼一人が官僚臭の鼻もちならぬ人間というわけではない。漢室の廟堂そのものが腐敗しているのだ。彼は、その中に棲息している時代人だから、その悪弊を持っているに過ぎない」
「それゃあ分っているが、とにかく俺は、目前の事実を憎むよ」
「いくら黄匪を討伐しても、中央の悪風を粛正しなければ、ほんとのよい時代はやって来まいな」
「黄巾の賊はなお討つに易し。廟堂の鼠臣はついに趁うも難し――か」
「その通りだ」
「考えれば考えるほど、俺たちの理想は遠い――」
 道をながめ、空を仰ぎ、両雄は嘆じ合っていた。
 少し前へ立って、馬を進めていた玄徳は、二人の声高なはなしを先刻から後ろ耳で聞いていたが、その時、振りかえって、
「いやいや両人、そう一概にいってしまったものではない。洛陽の将軍のうちにも、立派な人物は乏しくない」と、いった。
 玄徳は、言葉をつづけて、
「たとえば先頃、野火の戦野で出会って挨拶を交わした――赤備えの一軍の大将、孟徳曹操などという人物は、まだ若いが、人品といい、言語態度といい、まことに見あげたものだった。叡智の才を、洛陽の文化と、武勇とに磨いて、一個の人格に飽和させているところ、彼など真に官軍の将軍といって恥かしからぬ者であろう。ああいう武将というものは、やはり郷軍や地方の草莽のなかには見当らないと思うな」と、賞めたたえた。
 それには、張飛関羽も、同感であったが、浪人の通有性として官軍とか官僚とかいうと、まずその人物の真価をみるより先に、その色や臭いを嫌悪してかかるので、玄徳にそういわれるまでは、特に、曹操に対しても、感服する気にはなれなかったのである。
「ヤ。旗が見える」
 そのうちに、彼らの部下は、こういって指さし合った。玄徳は、馬を止めて、
「なにが来るのだろうか」と、関羽をかえりみた。
 関羽は、手をかざして、道の前方数十町の先を、眺めていた。そこは山陰になって、山と山の間へ道がうねっているので、太陽の光もかげり、何やら一団の人間と旗とが、こっちへさして来るのは分るが官軍やら黄巾賊の兵やら――また、地方を浮浪している雑軍やら、見当がつかなかった。
 だが、次第に近づくに従って、ようやく旗幟がはっきり分った。関羽が、それと答えた時には、従う兵らも口々に云い交わしていた。
「朝旗をたてている」
「アア。官軍だ」
「三百人ばかりの官軍の隊」
「だが、おかしいぞ、熊でも捕まえて入れてくるのか、檻車をひいて来るじゃないか」

 大きな鉄格子の檻である。車がついているので驢にひかせることができる。まわりには、槍や棒を持った官兵が、怖い目をしながら警固してくる。
 その前に百名。
 その後ろに約百名。
 檻車を真ん中にして、七旒の朝旗は山風にひるがえっていた。そして、檻車の中に、揺られてくるのは、熊でも豹でもなかった。膝を抱いて、天日に面を俯せている、あわれなる人間であった。
 ばらばらっと、先頭から、一名の隊将と、一隊の兵が、馳け抜けてきて、玄徳の一行を、頭から咎めた。
「こらっ、待てっ」というふうにである。
 張飛も、ぱっと、玄徳の前へ駒を躍らせて、万一をかばいながら、
「なんだっ、虫けら」と、いい返した。
 いわずともよい言葉であったが、潁川以来、とかく官兵の空威ばりに、業腹の煮えていたところなので、つい口をついて出てしまったのである。
 を打って、火を発した。
「なんだと、官旗に対して、虫けらといったな」
「礼を知るをもって人倫の始まりという。礼儀をわきまえん奴は、虫けらも同然だ」
「だまれ、われわれは、洛陽の勅使、左豊卿の直属の軍だ。旗を見よ。朝旗が見えんか」
「王城の直軍とあれば、なおさらのことである。俺たちも、武勇奉公を任じる軍人だ。私軍といえど、この旗に対し、こらっ待てとはなんだ。礼をもって問えば、こちらも礼をもって答えてやる。出直してこい」
 丈八の蛇矛を斜に構えて、かっとにらみつけた。
 官兵はちぢみ上がったものの、虚勢を張ったてまえ、退きもならず、生唾をのんでいた。玄徳は、眼じらせで、関羽にこの場を扱うように促した。
 関羽は、心得て、
「あいや、これは潁川の朱雋・皇甫嵩の両軍に参加して、これより広宗へ引っ返して参る涿県の劉玄徳の手勢でござる。ことばの行きちがい、この漢の短慮はゆるし給え。――ついてはまた、貴下の軍は、これより何処へ参らるるか。そして、あれなる檻車にある人間は、賊将の張角でも生擒ってこられたのであるか」
 詫びるところは詫び、糺すところは筋目をただして、質問した。
 官兵の隊将は、それに、ほっとした顔つきを見せた。張飛の暴言も薬になったとみえ、今度は丁寧に、
「いやいや、あれなる檻車に押しこめてきた罪人は、先頃まで、広宗の征野にあって、官軍一方の将として、洛陽より派遣せられていた中郎将盧植でござる。」
「えっ、盧植将軍ですって」
 玄徳は、思わず、驚きの声を放った。
「されば、吾々には詳しいことも分らぬが、今度勅命にて下られた左豊卿が、各地の軍状を視察中、盧植の軍務ぶりに不届きありと奏されたため、急に盧植の官職を褫奪され、これよりその身がらを、一囚人として、都へ差し立てて行く途中なので――」
 と語った。
 玄徳も、関羽も、張飛も、
「嘘のような……」と、茫然たる面を見あわせたまま、しばしいうことばを知らなかった。
 玄徳はやがて、
「実は、盧植将軍は、自分の旧師にあたるお人なので、ぜひともひと目、お別れをお告げ申したいが、なんとか許してもらえまいか」と切に頼んだ。

「ははあ。では、罪人盧植は、貴公の旧師にあたる者か。それは定めし、ひと目でも会いたかろうな」
 守護の隊将は、玄徳の切な願いを、肯くともなく、肯かぬともなく、すこぶるあいまいに口を濁して、「許してもよいが、公の役目のてまえもあるしな」と、意味ありげに呟いた。
 関羽は、玄徳の袖をひいて、彼は賄賂を求めているにちがいない。貧しい軍費ではあるが、幾分かをさいて、彼に与えるしかありますまいといった。
 張飛は、それを小耳にはさむと、怪しからぬことである。そんなことをしては癖になる。もしきかなければ、武力に訴えて、盧将軍の檻車へ迫り、ご対面なさるがよい。自分が引受けて、警固の奴らは近寄せぬからといったが、玄徳は、
「いやいや、かりそめにも、朝廷の旗を奉じている兵や役人へ向って、さような暴行はなすべきでない。といって、師弟の情、このまま盧将軍と相見ずに別れるにも忍びないから――」
 といって、なにがしかの銀を、軍費のうちから出させて、関羽の手からそっと、守護の隊将へ手渡し、
「ひとつ、あなたのお力で」
 と、折入っていうと、賄賂の効き目は、手のひらを返したようにきいて、隊将は立ち戻って、檻車を停め、
「しばらく、休め」 と、自分の率いている官兵に号令した。
 そしてわざと、彼らは見て見ぬふりして、路傍に槍を組んで休憩していた。
 玄徳は、騎をおりて、その間に、檻車のそばへ馳け寄り、がんじょうな鉄格子へすがりついて、
「先生っ。先生っ。玄徳でございます。いったい、このお姿は、どうなされたことでござりますぞ」
 と、嘆いた。
 膝を曲げて、暗澹と、顔を埋めたまま、檻車の中に背をまるくしていた盧植は、その声に、はっと眼を向けたが、
「おうっ」
 と、それこそ、さながら野獣のように、鉄格子のそばへ、跳びついてきて、
「玄徳か……」と、舌をつらせて顫いた。
「いい所で会った。玄徳、聞いてくれ」
 盧植は、無念な涙に、眼も顔もいっぱいに曇らせながらいう。
「実は、こうだ。――先頃、貴公がわしの陣を去って、潁川のほうへ立ってから間もなく、勅使左豊という者が、軍監として戦況の検分に来たが、世事に疎いわしは、陣中であるし、天子の使いとして、彼を迎えるに、あまりに真面目すぎて、他の将軍連のように、左豊に献物を贈らなかった。……するとあつかましい左豊は、我に賄賂をあたえよと、自分の口から求めてきたが、陣中にある金銀は、みなこれ官の公金にして、兵器戦備の費えにする物、ほかに私財とてはなし。ことに、軍中なれば、吏に贈る財物など、何であろうかと、わしはまた、真っ正直に断った」
「……なるほど」
「すると、左豊は、盧植はわれを恥かしめたりと、ひどく恨んで帰ったそうだが、間もなく、身に覚えない罪名のもとに、軍職を褫奪されてこんな浅ましい姿をさらして、都へ差立てられる身とはなってしもうた。……今思えば、わしもあまり一徹であったが、洛陽の顕官どもが、私利私腹のみ肥やして、君も思わず、民をかえりみず、ただ一身の栄利に汲々としておる状は、想像のほかだ。実に嘆かわしい。こんなことでは、後漢霊帝の御世も、おそらく長くはあるまい。……ああどうなりゆく世の中やら」
 と、盧植は、身の不幸を悲しむよりも、さすがに、より以上、上下乱脈の世相の果てを、痛哭するのであった。

 慰めようにも慰めることばもなく、鉄格子をへだてた盧植の手を握りしめて、玄徳も共にただ悲嘆の涙にくれていたが、
「いや先生、ご胸中はお察しいたしますが、いかに世が末になっても、罪なき者が罰せられて、悪人や奸吏がほしいままに、栄耀を全うすることはありません。日月も雲におおわれ、山容も、烟霧に真の象を現さない時もあります。そのうちに、ご冤罪は拭われて、また聖代に祝しあう日もありましょう。どうか、時節をお待ちください。お体を大切に、恥をしのんで、じっとここは、ご辛抱ください」
 と励ました。
「ありがとう」と、盧植もわれにかえって、「思わぬ所で、思わぬ人に会ったため、つい心もゆるみ、不覚な涙を見せてしもうた。……わしなどはすでに老朽の身だが、頼むのは、貴公たち将来のある青年へだ。……どうか億生の民草のために、頼むぞ劉備
「やります。先生」
「ああしかし」
「何ですか」
「わしの如き、老年になっても、まだ佞人の策におち、檻車に生き恥をさらされるような不覚をするのだ。汝らはことに年も若いし、世の経験に浅い身だ。くれぐれも、平時の処世に細心でなければ危ないぞ。戦を覚悟の戦場よりも、心をゆるめがちの平時のほうが、どれほど危険が多いか知れない」
「ご訓誡、肝に銘じておきます」
「では、あまり長くなっても、また迷惑がかかるといけないから――」
 と、盧植が、早く立去れかしと、玄徳を眼で急き立てていると、それまで、檻車の横にたたずんでいた張飛が、突然、
「やあ長兄。罪もなき恩師が、獄府へ引かれて行くのを、このまま見過すという法があろうか。今のはなしを聞くにつけ、また先頃からの鬱憤もかさんでおる。もはや張飛の堪忍の緒はきれた。――守護の官兵どもを、みなごろしにして、檻車を奪い盧植様をお助けしようではないか」
 と、大声でいい放ち、一方の関羽をかえりみて、
「兄貴、どうだ」と、相談した。
 耳こすりや、眼まぜでしめし合わすのではない。天地へ向って呶鳴るのである。いくら背中を向けて見ぬ振りをしている官兵でも、それには総立ちになって、色めかざるをえない。しかし、張飛の眼中には、蠅が舞いだした程にもなく、
「なにを黙っておるのか。長兄らは、官兵が怖いのか。義を見て為さざるは勇なきなり。よしっ、それでは、俺ひとりでやる。なんの、こんな虫籠のような檻車一つ」
 いきなり張飛は、その鉄格子に手をかけて、猛虎のように、ゆすぶりだした。
 いつもあまり大きな声を出さないし、めったに顔いろを変えない玄徳が、それを見ると、
張飛! 何をするかッ」と、大喝して、「かりそめにも、朝命の科人へ、汝、一野夫の身として、何をなさんとするか。師弟の情は忍び難いが、なお、私情に過ぎない。いやしくも天子の命とあらば、地を噛んでも伏すべきである。世々の道に反かずということは、そもそも、われらの軍律の第一則であった。強って、乱暴を働くにおいては、天子の臣に代り、また、わが軍律に照らして、劉玄徳が、まず汝の首を刎ねん。――いかに張飛、なおさわぐや」
 と、かの名剣の柄をにぎって、眦を紅に裂き、この人にしてこの血相があるかと疑われるばかりな声で叱りつけた。

 ――檻車は遠く去った。
 叱られて、思いとどまった張飛は、後ろの山のほうを向いて、見ていなかった。
 玄徳は、立っていた。
「…………」
 黙然と、凝視して、遠くなり行く師の檻車を、暗涙の中に見送っていた。
「……さ。参りましょう」
 関羽は、促して、駒を寄せた。
 玄徳は、黙々と、騎上の人になったが、盧植の運命の急変が、よほど精神にこたえたとみえ、
「……ああ」と、なお嘆息しては、振向いていた。
 張飛は、つまらない顔していた。彼にとっては、正しい義憤としてやったことが、計らずも玄徳の怒りを買い、義盟の血をすすり合ってから初めてのような叱られ方をした。
 官兵どもは、それを見て、いい気味だというような嘲笑を浴びせた。張飛たるもの、腐らずにいられなかった。
「いけねえや、どうも家の大将は、すこし安物の孔子にかぶれている気味だて」
 舌打ちしながら、彼も黙りこんだまま、悄気かえった姿を、駒にまかせていた。
 山峡の道を過ぎて、二州のわかれ道へきた。
 関羽は、駒を止めて、
「玄徳様」と、呼びかけた。
「これから南へ行けば広宗。北へさしてゆけば、郷里涿県の方角へ近づきます。いずれを選びますか」
「もとより、盧植先生が囚われの身となって、洛陽へ送られてしまったからには、義をもってそこへ援軍にゆく意味ももうなくなった。ひとまず、涿県へ帰ろうよ」
「そうしますか」
「うム」
「それがしも、先刻からいろいろ考えていたのですが、どうも、残念ながら、一時郷里へ退くしかないであろう――と思っていたので」
転戦、また転戦。――なんの功名ももたらさず、郷家に待つ母上にも、なんとなく、会わせる顔もないここちがするが……帰ろうよ、涿県へ」
「はっ。――では」
 と、関羽は、騎首をめぐらして、後からつづいて来る五百余の手兵へ、
「北へ、北へ!」
 と、指して歩行の号令をかけ、そしてまた黙々と、歩みつづけた。
「あア――、あ、あ」
 張飛は、大あくびして、
「いったい、なんのために、俺たちは戦ったんだい。ちっともわけが分らない。――こうなると一刻もはやく、涿県の城内へ帰って、市の酒屋で久しぶりに、猪の股でもかじりながら、うまい酒でも飲みたいものだ」と、いった。
 関羽は、苦い顔して、
「おいおい、兵隊のいうようなことをいうな。一方の将として」
「だって、俺は、ほんとのことをいっているんだ。嘘ではない」
「貴様からして、そんなことをいったら、軍紀がゆるむじゃないか」
「軍紀のゆるみだしたのは、俺のせいじゃない。官軍官軍と、なんでも、官軍とさえいえば、意気地なく恐がる人間のせいだろ」
 不平満々なのである。
 その不平な気もちは、玄徳にも分っていた。玄徳もまた、不平であったからだ。そしてひと頃の張り切っていた壮志のゆるみをどうしようもなかった。彼は、女々しく郷里の母を想い出し、また、思うともなくい鴻芙蓉の麗しい眉や眼などを、人知れず胸の奥所に描いたりして、なんとなく士気の沮喪した軍旅の虚無と不平をなぐさめていた。
 すると、突然、山崩れでもしたように、一方の山岳で、鬨の声が聞えた。

「何事か」
 玄徳は聞き耳たてていたが、四山にこだまする銅鑼、兵鼓の響きに、
張飛。物見せよ」と、すぐ命じた。
「心得た」
 と張飛は駒を飛ばして、山のほうへ向って行ったが、しばらくすると戻ってきて、
広宗の方面から逃げくずれて来る官軍を、黄巾の総帥張角の軍が、大賢良師と書いた旗を進め、勢いに乗って、追撃してくるのでござる」と、報告した。
 玄徳は、驚いて、
「では、広宗の官軍は、総敗北となったのか。――罪なき盧植将軍を、檻車に囚えて、洛陽へ差し立てたりなどしたために、たちまち、官軍は統制を失って、賊にその虚をつかれたのであろう」
 と、嘆じた。
 張飛は、むしろ小気味よげに、
「いや、そればかりでなく、官軍の士風そのものが、長い平和になれ、気弱にながれ、思い上がっているからだ」と、関羽へいった。
 関羽は、それに答えず、
「長兄。どうしますか」
 と玄徳へ計った。
 玄徳は、ためらいなく、
「皇室を重んじ、秩序をみだす賊子を討ち、民の安寧を護らんとは、われわれの初めからの鉄則である。官の士風や軍紀をつかさどる者に、面白からぬ人物があるからというて、官軍そのものが潰滅するのを、拱手傍観していてもよいものではない」
 と、即座に、援軍に馳せつけて、賊の追撃を、山路で中断した。そしてさんざんにこれを悩ましたり、また、奇策をめぐらして、張角大方師の本軍まで攪乱した上、勢いを挽回した官軍と合体して、五十里あまりも賊軍を追って引揚げた。
 広宗から敗走してきた官軍の大将は、董卓という将軍だった。
 からくも、総敗北を盛返して、ほっと一息つくと、将軍は、幕僚にたずねた。
「いったい、かの山嶮で、不意にわが軍へ加勢し、賊の後方を攪乱した軍隊は、いずれ味方には相違あるまいが、どこの部隊に属する将士か」
「さあ。どこの隊でしょう」
「汝らも知らんのか」
「誰もわきまえぬようです」
「しからば、その部将に会って、自身訊ねてみよう。これへ呼んでこい」
 幕僚は、直ちに、玄徳たちへ董卓の意をつたえた。
 玄徳は、左将関羽、右将張飛を従えて、董卓の面前へ進んだ。
 董卓は、椅子を与える前に、三名の姓名をたずねて、
洛陽の王軍に、卿らのごとき勇将があることは、まだ寡聞にして聞かなかったが、いったい諸君は、なんという官職に就かれておるのか」と、身分を糺した。
 玄徳は、無爵無官の身をむしろ誇るように、自分らは、正規の官軍ではなく、天下万民のために、大志を奮い起して立った一地方の義軍であると答えた。
「……ふうむ。すると、涿県楼桑村から出た私兵か。つまり雑軍というわけだな」
 董卓の応対ぶりは、言葉つきからして違ってきた。露骨な軽蔑を鼻先に見せていうのだった。しかも、
「――ああそうか。じゃあ我が軍に従いて、大いに働くがよいさ。給料や手当は、いずれ沙汰させるからな」
 と同席するさえ、自分の沽券にかかわるように、董卓はいうとすぐ帷幕のうちへ隠れてしまった。

 官軍にとっては、大功を立てたのだ。董卓にとっては、生命の親だといってもよいのだ。
 然るに!
 何ぞ、遇するの、無礼。
 士を遇する道を知らぬにも程がある。
「…………」
 玄徳も、張飛関羽も、董卓のうしろ姿を見送ったまま、茫然としていた。
「うぬっ」
 憤然と、張飛は、彼のかくれた幕の奥へ、躍り入ろうとした。
 獅子のように、髪を立てて。
 そして剣を手に。
「あっ、何処へ行く」
 玄徳は、驚いて、張飛のうしろから組み止めながら、
「こらっ、また、わるい短慮を出すか」と、叱った。
「でも。でも」
 張飛は、怒りやまなかった。
「――ちッ、畜生っ。官位がなんだっ。官職がない者は、人間でないように思ってやがる。馬鹿野郎ッ。民力があっての官位だぞ。賊軍にさえ、蹴ちらされて、逃げまわって来やがったくせに」
「これッ、鎮まらんか」
「離してくれ」
「離さん。関羽関羽。なぜ見ているか、一緒に、張飛を止めてくれい」
「いや関羽、止めてくれるな。おれはもう、堪忍の緒を切った。――功を立てて恩賞もないのは、まだ我慢もするが、なんだ、あの軽蔑したあいさつは。――人を雑軍かとぬかしおった。私兵かと、鼻であしらいやがった。――離してくれ、董卓の素ッ首を、この蛇矛で一太刀にかッ飛ばして見せるから」
「待て。……まあ待て。……腹が立つのは、貴様ばかりではない。だが、小人の小人ぶりに、いちいち腹を立てていたひには、とても大事はなせぬぞ。天下、小人に満ちいる時だ」
 玄徳は、抱き止めたまま、声をしぼって諭した。
「しかし、なんであろうと、董卓は皇室の武臣である。朝臣を弑逆すれば、理非にかかわらず、叛逆の賊子といわれねばならぬ。それに、董卓には、この大軍があるのだ。われわれも共に、ここで斬り死しなければならぬ。聞きわけてくれ張飛。われわれは、犬死するために、起ったのではあるまいが」
「……ち、ち、ちく生ッ」
 張飛は、床を、大きく沓で踏み鳴らして、男泣きに、声をあげて泣いた。
「口惜しい」
 彼は、坐りこんで、まだ泣いていた。この忍耐をしなければ、世のために戦えないのか、義を唱えても、遂になすことはできないのかと考えると悲しくなってくるのだった。
「さ。外へ出よう」
 赤ン坊をあやすように、玄徳と関羽の二人して、彼を、左右から抱き起こした。
 そして、その夜、「こんな所に長居していると、いつまた、張飛が虫を起さないとも限らないから」と、董卓の陣を去って、手兵五百と共に、月下の曠野を、蕭々と、風を負って歩いた。
 わびしき雑軍。
 そして官職のない将僚。
 一軍の漂泊は、こうして再び続いた。夜ごとに、月は白く小さく、曠野は果てなくまた露が深かった。
 渡り鳥が、大陸をゆく。
 もう秋なのだ。
 いちどは郷里の涿県へ帰ろうとしたが、それも残念でならないし、あまりに無意義――という関羽の意見に、張飛も、将来は何事も我慢しようと同意したので、玄徳を先頭にしたこの渡り鳥にも似た一軍は、また、以前の潁川地方にある黄匪討伐軍本部――朱雋の陣地へと志して行ったのであった。

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