落鳳坡

「あら、なつかしの文字」
 玄徳は、孔明の書簡をひらくと、まずその墨の香、文字の姿に、眸を吸われてから、読み入った。
 龐統はその側にいた。
 側に人のいるのも忘れて、玄徳は繰り返し繰り返し、孔明の書簡に心をとられている。
 その真情の濃さ。遠く離れているせいもあろうが、何たる君臣の仲の美しさか。
「…………」
 龐統は胸のうちでため息をおぼえた。ふしぎなため息ではある。彼自身でさえ、自分のうちにこんな性格があったろうかと怪しまれるような気持が抑えきれなかった。それは嫉妬に似た感情だった。
「先生。孔明は留守にあっても絶えず予の身の上を案じているらしい。荊州は至極無事とは書いてあるが、近頃、天文を按じてみると、西方になお恒星かがやき、客星の光芒弱く、今年はなお征軍に利あらず、大将の身には凶事の兆しすらあり、くれぐれ身命をつつしみ給えと認めてある」
「ほ。そうですかな」
 龐統は気のない返辞をした。
「――で、つらつら思うに、大事は急を思ってはならない。ひとまず使いの馬良は先に返し、予も荊州へ一度立ち還って、孔明と会った上よく協議してみたいと思う。それが万全と思うがどうだろう」
「さあ……?」
 龐統はしばらく答えない。
 彼は彼自身と胸のなかで闘っていた。抑えようもなく心の底にむらむら起ってくるふしぎな嫉み心を自ら辱じて、打ち払おうと努めていたが、結果は、われにもなくその理性と反対なことを口にだしていた。
「これは意外な御意。命は天にあり、豈、人にありましょうや。いま征馬をここまですすめながら、孔明の一片の書簡にお心を惑わされ給うなどとは、何たることですか」
 ここまでいうと、龐統はもう真っ向に孔明の説に反対を唱える者になっていた。おそらく孔明は蜀において、この龐統が大功を納めてしまいそうな形勢をみて、ひそかにそれをそねんでいるにちがいない。で、何のかのと、意見を提出して、留守にいても玄徳の心をつかみ、西蜀征伐の功の一半を逸すまいという心があるにきまっている。
 龐統は、こう取っていた。いつになく彼は舌にねばりをもって、なお玄徳へいった。
「不肖、それがしもまた、少しは天文を心得ています。暦数を考えるに、必ずしも今年は皇叔にとって大吉ではありませんが、さりとて悪年では決してない。また恒星西方にあることも知っていますが、それはやがて皇叔成都に入るの兆しです。むしろ速やかに、兵をおすすめあれ。いつまで魏延、黄忠を涪水の線に立たせておくは下策です」
 励まされて、玄徳は、次の日涪城を発し、前線へ赴いた。
雒城の要害はまさに蜀第一の嶮。いかにせばこの不落の誇りを破り得ようか」
 以前、張松から彼に贈った西蜀四十一州図をひろげて、玄徳はそれと睨みあっていた。
 法正がまた一本の絵図を携えてきて、
「雒山の北に、一すじの秘密路があります。それを踏み越えれば、雒城の東門に達すということです。――またあの山脈の南にも一道の間道があって、それを進めば同じく雒城の西門に出るという。――この絵図と、張松の絵図とを、照し合せてごらん下さい」
 仔細に見くらべると、まさにその通りであった。
 玄徳は、信念を得て、
「軍を二つに分ち、統先生には北方の道をすすむがいい。予は一手をひきいて南から山を越えてゆき、目ざす雒城で落ち会おう」と、いった。
 龐統は不足な顔した。なぜなら北山の道は広くて越えやすいが、南山の道は狭く甚だしく嶮岨であるからだ。彼の顔いろを見て玄徳はこう云い足した。
「ゆうべ、夢に怪神があらわれて、予の右の臂を、鉄の如意で打った。今朝までも痛む気がした。故に、軍師の身が気づかわれるのだ。いっそのこと、涪城へかえって、御身はあとを守っておらぬか」
 もとより龐統は一笑に附して出発にかかった。ところが陣払いして立つ朝、彼の馬が妙に狂って、右の前脚を折った。そのため不吉にも彼は落馬の憂き目をみた。

 龐統が落馬したのを見て、玄徳は馬から降りて、彼を扶け起した。
「軍師、なぜこんな癖の悪い馬に乗られるのか。馬をかえては如何」
 龐統は腰をなでて起きあがりながら、
「年久しく乗り馴れている馬で、かつてこんな悪癖を出したことはないのですが」
 と、首を傾けた。
 玄徳はふと眉を曇らせた。出陣に臨んでこんなことのあるのは決して吉兆ではない。自身の乗用していた素直な白馬の手綱をひいて、
「軍師。これへ乗ってゆくがいい。これなら過ちはない」と、彼に贈った。
 君恩のありがたさに、龐統もこの時ばかりは眼のうちに涙をためていた。拝謝して、白馬に乗換え、ここで玄徳と別れて道を北の大路へとった。
 後に思いあわせれば、進撃にやさしい大路へ向ったのが、かえって龐統一代の大禍の道を選んでいたのであった。
 蜀軍随一の名将張任、蜀中の勇将呉懿、劉※などの将軍たちは、さきに味方の冷苞を討たれて、遺恨やるかたなく、雒城の内に額をあつめて、一意報復を議していたが、折から前衛の斥候隊から、玄徳の大軍が南北二道にわかれて前進してくると伝えてきたので、
「御座んなれ。この時」と、ばかり、張任は各将軍と手筈をさだめ、自身は何か思うところあるか、屈強な射手三千人を選りすぐって、山道の嶮岨に伏せ、斥候の第二報を待ちかまえていた。
「見えました。確かに」
 やがて、斥候頭が喘ぎ喘ぎ、ここへ来て張任へ告げた。
「ご推察にたがわず、これへ向ってくる敵軍の大将らしき者は、まさしく鮮やかな月毛の白馬に乗っています。今しも、その大将の指揮の下に、敵全軍は、炎熱をおかして、えいやえいやとこれへ攀じ登ってくる様子で――」
 聞くと、張任は、
「さてこそ!」
 膝を打って歓んだ。
「その白き馬に乗りたる者こそまぎれもなき劉玄徳。これへかからば、白馬を目じるしに狙いをあつめ、矢数弾のあるかぎりあびせかけろ」と、三千の射手に命じた。
 射手は、心得たりと、弩弓を懸つらね、鉄弓の満を持し、敵の来るも遅しとばかり待っていた。
 ――時は、夏の末。
 草も木も猛暑に萎えて、虻や蜂のうなりに肌を刺されながら、龐統の軍隊は、燃ゆるが如き顔を並べて、十歩攀じては一息つき、二十歩しては汗をぬぐい、喘ぎ喘ぎ踏み登ってきた。
 そのうちに、ふと前方を仰ぐと、両側の絶壁は迫り合って、樹木の枝は相交叉し、天もかくれるばかり鬱蒼たる嶮隘な道へさしかかった。
 陽かげに入って、龐統は、ほっと肌に汗の冷えをおぼえながら、
「おそらく、こんな嶮しい山道は、蜀のほかにはあるまい。ここはそも、何という地名の所か」
 と、途中で捕虜にした敵の兵にたずねた。
 降参の兵は、言下に、
落鳳坡とよび申し候」と、答えた。
「なに、落鳳坡?」
 龐統は、なぜか、さっと面色を変えて、急に馬をとめた。
「わが道号は鳳雛という。落鳳坡とは、あら忌わし」
 彼は馬を向け直した。そしてにわかに全軍へ向って、
「もどれ。もどれっ。道をかえて、ほかから越えろ」
 と、鞭をさしあげて振った。
 その鞭こそ、彼自身、死を呼ぶ合図となってしまった。
 突然、峰谷も崩るるばかり砲や火箭の轟きがこだました。
「あっ」
 身をかくす隙もあらばこそ、矢風の中にいなないた彼の白馬はたちまち紅に染まり、雨よりしげき乱箭の下に、あわれむべし鳳雛先生――龐統は、稀世の雄才をむなしく抱いて、白馬とともに斃れ死んだ。時、年まだ三十六歳の若さだった。

 蜀の張任は、白馬の主を、玄徳とばかり思いこんでいたので、絶壁の上から遠く龐統の死を見とどけると、
「敵の総帥は射止めたぞ。すでに首将を失った荊州の残兵ども一兵ものこさず蹴ちらして谷を埋めよ」と、歓喜して号令した。
 山もゆるがす勝鬨をあげながら蜀兵はうろたえ惑う龐統軍へ喚きかかった。何かはたまるべき、荊州の兵は、釜中の魚みたいにただ逃げ争って蜀兵の殺戮にたいし、手向う意志も失っていた。山を攀じ、谷へのぞんで逃げ出した兵も、猿のように敏捷な蜀兵に追われ、その戈や槍から遁れることはできなかった。
 このとき、魏延は龐統の中軍に先んじて、すでに遥かな前方へ進んでいたが、
「後続部隊に戦闘が起った――」
 という伝令を受取って、
「さては、先鋒と主隊との連絡を断とうとする敵の作戦だろう」
 ぐらいに考えて、進路を後へ引っ返してきた。
 ところが、途中、聳え立つ岩山の横をくり抜いた洞門のてまえまで来ると、張任の一手が上から岩や矢をいちどに注ぎ落した。
「だめだ。伏兵がいる」
「人馬の死骸と岩のために、洞門の口も塞がってしまい、所詮、あとへ戻ることもできません」
 前隊の者が押し返してきてのことばに、魏延もいまは進退きわまってしまった。
「よし、この上は、単独で雒城まで押し通り、南路から越えてゆかれた皇叔の本軍と連絡をとろう」
 ふたたび考え直すと、魏延は馬をめぐらして、さらに予定の前進をつづけた。
 ようやく、雒山の背をこえ、西方の麓をのぞんで降りてゆくと、真下に雒城の西曲輪が見え、蛾眉門、斜月門、鉄鬼門、蕀冠門などが、さらに次の山をうしろにして鋭い反り屋根の線を宙天にならべていた。
 当然、それらの門々は、敵を見るや、警鼓戦鉦をうち鳴らし、煙のごとく軍兵を吐き出して、
「みなごろしにせよ」
 と、魏延をかこんだ。
 指揮するものは呉蘭、雷同、音に聞えた蜀の大将である。中軍をあとに残して、頭部だけで敵地に入った魏延はもとより討死を覚悟した。ただ、
「死出のみやげ」と、当るにまかせて血闘奮力の限りを尽した。
 ときに突然、背面の山から、またまた、金鼓を鳴らし、喊声をあげて、この大血河へ、さらに、剣槍の怒濤を加えてきたものがある。
「うれしや、劉皇叔か」と思えば、何ぞはからん、張任の軍隊だった。
「全滅、ぜひなし」
 魏延も、いまは観念した。
 ところへ、南路の山道から、
黄忠これに来る。魏延安んぜよ」
 と呼ばわりながら、玄徳の先鋒が駆けつけて来た。玄徳の中軍も来た。ために、双方の戦力は伯仲して、いよいよ激戦の相をあらわしたが、玄徳は、龐統が見えないのを怪しんで、
「退け。涪城へ」と、帰りには、街道の関門を突破して、引く潮のようにひきあげた。
 関平劉封などの留守隊は、涪城を出て、玄徳を迎え入れた。時早くも、
「軍師龐統は、山中の落鳳坡とよぶ所にて、無惨な討死をとげた」という事実が、逃げかえってきた残兵の口から伝えられた。
 玄徳の悲嘆はいうまでもない。
「虫の知らせであったか」
 と、後になっては、かずかずの兆らせを思い当るのだ。
 夕星白き下、祭の壇をきずいて、亡き龐統の魂魄を招き、遠征の将士みなぬかずいて袖をぬらした。
 魏延、劉封などの若武者は、
雒城をふみ潰さずには」
 と、雪辱に逸り立ったが、玄徳は愁いを共に城門を閉じて、
「決して出るな」と、ただ堅きを守った。
 そして関平荊州へ急がせ、一刻もはやく蜀に来れ、と孔明にあてた書簡を持たせてやった。

前の章 図南の巻 第6章 次の章
Last updated 1 day ago