立春大吉

 年はついに暮れてしまった。
 あくれば建安十三年。
 新野の居城に、歳暮や歳旦を迎えているまも、一日とて孔明を思わぬ日のない玄徳は、立春の祭事がすむと、卜者に命じて吉日をえらばせ、三日の潔斎をして身をきよめた。
 そして、関羽張飛をよび、
「三度、孔明を訪れん」と、触れだした。
 ふたりとも歓ばない顔をした。口を揃えて諫めるのである。
「すでに両度まで、駕を枉げたまい、このうえまた、君よりお訪ねあるなどは、あまりに礼の過ぎたるもの。それがしどもの思うには、孔明はいたずらに虚名を売り、実は内容のない似非学徒に相違なく、それ故、わが君に会うのをおそれ、とやかく、逃げのがれているものかと存じられます。――そんな人物に惑わされて、無用なお心をつかうなど、巷の嘲笑も思いやらるるではございませぬか」
「否!」
 玄徳の信はかたかった。
関羽は春秋も読んでいよう。斉の景公は、諸侯の身で、東郭の野人に会うため、五度も尋ねているではないか」
 関羽は、長嘆して、
「あなたが賢人を慕うことは、ちょうど太公望のところへ通った文王のようです。ご熱意にはほとほと感じいるほかありません」
 すると張飛は、横口をさし入れて、こう大言した。
「いやいや、文王が何だ。太公望が何者だ。われら三人が、武を論ぜんに、誰か天下に肩をならべる者やある。それを、たった一人の農夫に対して、三顧の礼を尽すなど、実に、愚の至りというべきだ。孔明を招くには、一条の麻縄があれば足りる。それがしにお命じあれば、立ちどころに縛しあげてきて、家兄のご覧に入れるものを!」
張飛は、近頃また、持ち前の狂躁病が起っておるらしいな」と、玄徳は、叱って、
「むかし、周の文王が、渭水に行って、太公望をたずねたとき、太公望は釣糸を垂れていて、かえりみもしなかった。文王はそのうしろにたったまま、釣を邪げず、日の暮れるまで待っていたという。――太公望もその志に感じ、ついに文王を佐ける気になって、その功はやがて、周代八百年の基を開いたのである。――古人の賢人を敬うことは、みなこのようであった。思い見よ、汝自身の天性と学問を。――もし先方へ参って、今のような無礼を放言したら、玄徳の礼も、空しきものとなる。関羽一名を供にして行くから、汝は留守をしておるがいい」
 云い捨てて、玄徳は早、城中から馬をすすめていた。
 ひどく叱られて、張飛は、一時ふくれていたが、関羽も供についてゆくのを見ると、
「一日たりとも、家兄のそばを離れているのは、一日の不幸だ。おれも行く」
 と、後から追いかけて、供のうちに加わった。
 春は浅く、残んの雪に、まだ風は冷たかったが、清朗の空の下、道は快くはかどった。
 やがて、臥龍の岡につく。
 駒をおりて、玄徳は、歩行してすすむこと百歩、
臥龍先生はご在宅か」と、慇懃、叩門して、内へ云った。
 飄として、ひとりの書生が、奥から馳けてきて、門をひらいた。
「おお……」
 相見れば、それはいつぞやの若者――諸葛均であった。
「ようこそ、お越しなされました」
「きょうは、お兄上には?」
「はい。昨日の暮れ方、家に帰って参りました」
「おお。おいでですか!」
「どうか、お通りあって、ご随意にお会いくださいまし」
 均は、そういうと、ただ長揖して、立ち去ってしまった。
 張飛は見送って、
「案内にも立たず、勝手に会えとは、何たる非礼。小面の憎い青二才め」
 と、何かにつけて、腹ばかり立てていた。

 柴門を入って、園を少しすすむと、また、かたわらに風雅な内門が見える。
 いつもは開いているそこの木戸が、今日のみは閉まっていた。ほとほと訪れて叩くと、墻の梅が繽紛とこぼれ落ちてくる。
「どなたですか」
 内から開けて、顔をだしたのは、いつも取次に出る童子だった。
 玄徳は、笑顔をたたえ、
「おお仙童。たびたび労をわずらわして、大儀ながら、先生に報じくれぬか。新野の玄徳が参ったと」
 すると童子も、きょうは日頃とちがって、ことばつきまで丁寧に、
「はい。先生は家においでなさいますが、いま草堂で午睡していらっしゃいます。まだお眼ざめになりませんが」
「お午睡中か。……では、そのままにしておいて下さい」
 そして関羽張飛に、
「そち達は、内門の外に控えておれ。――お眼ざめになるまでしばしお待ちしよう」
 と、独り静かに入って行った。
 草堂の周りは早春の光なごやかに幽雅な風色につつまれている。ふと、堂上を見れば、几席のうえにのびのびと安臥している一箇の人がある。
 これなん、孔明その人ならんと、玄徳は階下に立ち、叉手して、彼が午睡のさめるのを待っていた。
 白い、小蝶が、牀のあたりにとまっていたが、やがて書斎の窓の下へ舞ってゆく。
 中天にあった陽は、書堂の壁を、一寸二寸とかげってきた。――玄徳は倦まず動かず、なお凝然と、さめる人を待っていた。
「あーっ。眠くなった。家兄はいったいどうしたんだい」
 こう大あくびを放って、無作法にいう声が、墻の外で聞えた。あまり長いので退屈してきた張飛らしい。
「……おや。家兄は、階下にたったままじゃないか」
 張飛は、墻の破れ目から、中をのぞきこんでいたが、たちまち、面に朱をそそいで、関羽へ喰ってかかるように云った。
「ふざけた真似をしていやがる。まあ、中をうかがってみろ。われわれの主君を、一刻余りも階下に立たせておいたまま、孔明は牀の上で、ゆうゆうと午睡していやがる。……なんたる無礼、傲慢、もう勘弁相ならぬ」
「しっ。しっ……」
 関羽は、また彼の虎髯が、逆立ちかけてきたのを見て、眼で抑えた。
「墻の内へ聞えるではないか。静かに、もうしばらく、容子を見ていろ」
「いや、聞えたってかまわん。あの似非君子が、起きるか起きないか、試しに、この家へ火をつけてみるんだ」
「ばかな真似をするな」
「いいよ。離せ」
「また悪い癖を出すか。さような無茶をすると、貴様の髯に火をつけるぞ」
 ようやくなだめているうちにも、書窓の廂に、陽は遅々と傾きかけながら、堂上の人の眠りは、いつさめるとも見えなかった。
「…………」
 ふと、孔明は寝がえりをうった。
 起きるかと見ていると、また、そのまま、壁のほうへ向って、昏々と眠ってしまう。
 童子がそばへ寄って、呼び起そうとするのを、玄徳は階下から、黙って、首を振ってみせた。
 そしてまた、半刻ほど経った。
 すると、寝ていた人は、ようやく眼をさまし、身を起しながら、低声微吟して曰うらく、

大夢誰かまず覚む
平生我れ自ら知る
草堂に春睡足って
窓外に日は遅々たり

 吟じおわると、孔明は、身をひるがえして、几席を離れた。
童子童子
「はい」
「たれか、客が見えたのではないか。そこらに人の気はいがするが」
「お見えです、劉皇叔――新野の将軍が、もう久しいこと、階下にたって、お待ちになっておられます」
「……劉皇叔が」
 孔明は切れの長い眼を、しずかに玄徳のほうへ向けた。

「なんで早く告げなかったか」
 孔明は、童子にいうと、つと、後堂へ入って行った。口をそそぎ、髪をなで、なお、衣服や冠もあらためて、ふたたび出てくると、
「失礼しました」と、謹んで、客を迎え、なおこういって詫びた。
「一睡のうちに、かかる神雲が、茅屋の廂下に降りていようなどとは、夢にもおぼえず、まことに、無礼な態をお目にかけました。どうか、悪しからず」
 玄徳は、たえず微笑をもって、悠揚と、座につきながら、
「なんの、神雲は、この家に常にただようもの。わたくしは、漢室の鄙徒、涿郡の愚夫。まあ、そんな者でしかありません。先生の大名は、耳に久しく、先生の神韻縹渺たるおすがたには、今日、初めて接する者です。どうかこの後は、よろしくご示教を」
「ご謙遜でいたみ入る。自分こそ、南陽の一田夫。わけて、かくの如く、至って懶惰な人間です。あとで、あいそをお尽かしにならないように」
 賓主は、座をわかって、至極、打ちとけた容子である。そこへ、童子が、茶を献じる。
 孔明は、茶をすすりながら、
「旧冬、雪の日に、お遺しあったご書簡を見て、恐縮しました。――そして将軍が民を憂い国を思う情の切なるものは、充分に拝察できましたが、如何せん、私はまだ若年、しかも菲才、ご期待にこたえる力がないことを、ただただ遺憾に思うばかりです」
「…………」
 玄徳はまず彼の語韻の清々しさに気づいた。低からず、高からず、強からず、弱からず、一語一語に、何か香気のあるような響きがある。余韻がある。
 すがたは、坐していても、身長ことにすぐれて見え、身には水色の鶴氅を着、頭には綸巾をいただき、その面は玉瑛のようだった。
 たとえていえば眉に江山の秀をあつめ、胸に天地の機を蔵し、ものいえば、風ゆらぎ、袖を払えば、薫々、花のうごくか、嫋々竹そよぐか、と疑われるばかりだった。
「いやいや。あなたをよく知る司馬徽や徐庶のことばに、豈、過りがありましょうか。先生、愚夫玄徳のため、まげてお教えを示して下さい」
司馬徽や徐庶は、世の高士ですが、自分はまったく、ありのままな、一農夫でしかありません。何で、天下の政事など、談じられましょう。――将軍はおそらく玉を捨ててを採るようなお間違いをなされている」
を玉と見せようとしてもだめなように、玉をと仰せられても、信じる者はありません。いま、先生は経世の奇才、救民の天質を備えながら、深く身をかくし、若年におわしながら、早くも山林に隠操をお求めになるなどとは――失礼ながら、忠孝の道に背きましょう。玄徳は惜しまずにいられません」
「それは、どういうわけですか」
「国みだれ、民安からぬ日は、孔子でさえも民衆の中に立ちまじり、諸国を教化して歩いたではありませんか。今日は、孔子の時代よりも、もっと痛切な国患の秋です。ひとり廬にこもって、一身の安きを計っていていいでしょうか。――なるほど、こんな時代に、世の中へ出てゆけば、たちまち、俗衆と同視せられ、毀誉褒貶の口の端にかかって、身も名も汚されることは知れきっていますが――それをしも、忍んでするのが、真に国事に尽すということではありませんか。忠義も孝道も、山林幽谷のものではありますまい。――先生、どうか胸をひらいて、ご本心を語ってください」
 再拝、慇懃、態度は礼をきわめているが、玄徳の眼には、相手へつめ寄るような情熱と、吐いて怯まない信念の語気とをもっていた。
「…………」
 孔明は、細くふさいでいた睫毛を、こころもち開いて、静かな眸で、その人の容子を、ながめていた。

底本:「三国志(四)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1989(平成元)年4月11日第1刷発行
   2008(平成20)年12月1日第54刷発行
※副題には底本では、「孔明の巻」とルビがついています
※「審配」と「審配」の混在は底本通りです。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2013年7月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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