柳眉剣簪

 その後、玄徳の身辺に、一つの異変が生じた。それは、劉琦君の死であった。
 故劉表の嫡子として、玄徳はあくまで琦君を立ててきたが、生来多病の劉琦は、ついに襄陽城中でまだ若いのに長逝した。
 孔明はその葬儀委員長の任を済まして、荊州へ帰ってくると、すぐ玄徳へ求めた。
「琦君の代りに、誰か、直ちに彼処の守りにおつかわし下さい」
「誰がよいか」
「やはり関羽でしょうな」
 孔明も心では、何といっても、関羽の人物を認めていた。
 劉琦の死後、玄徳の胸には、一つの不安が醸されていた。呉の孫権が待っていたとばかりに、荊州を返せといってくるにちがいないことである。
「それはやがて必ずいってくることでしょうな。琦君が死んだら荊州を返すと先に約束したことですから……が、ご心配には及びません。そのときは孔明がよろしきように応対します」
 孔明がそう慰めていると、それから二十日ばかり後、果たして、
「琦君の喪を弔うため、呉侯孫権のご名代に――」と称して、魯粛が使いに来た。
 魯粛は、城中の祭堂に、呉侯からの礼物を供え、悔みを述べた後、玄徳が設けの酒宴に迎えられて、四方山のはなしに時を移していたが、やがてこう切り出した。
「赤壁の大戦の後、わが呉侯から荊州の地を接収に参ったとき、劉皇叔には、琦君の世にあるかぎりは荊州は故劉表の遺子のものであると仰せられた。いまはその琦君も世を去ったことゆえ、もうこの荊州は、呉へお返しあるべきでしょう。――実は、弔慰をかねて、そのことも取りきめて参れと、主君から申しつけられて来たわけですが」
「いや、そのことは、いずれまたあらためて、談合しましょう」
「またとは、いつですか」
「まあ、ここは宴席ですから、国事は」
「後でもおよろしいが、かならず前約を違え給わぬように」
 そう魯粛がしつこく念を押していると、突如、孔明がかたわらから言葉に気概をこめて云った。
粛公、あなただけは、呉の群臣の中でも、物の分ったお人かと思っていたら、今の仰せでは、あまりにも世の本義と事理に没常識すぎるではないか。主君玄徳は、貴方を弔問の賓客として、懇ろにもてなそうとしているのに、露にいうを避けておいで遊ばすゆえ、私が代って一応の道理を申しのべよう。心をしずめてよく聞き給え」
 面色をあらためて孔明がそう云い出したので、魯粛は、気をのまれたのか、茫然、その顔を見まもっていた。
「天下は一人の天下にあらず、すなわち天下の人の天下である。高祖、三尺の剣をひっさげて、義を宇内に唱え、仁を布き、四百余年の基を建てられしも、末世現代にいたり、中央は逆臣の府、地方は乱賊の巣と化し、紊れに紊れ、百姓の塗炭は連年歇まざる状態にある。時に、わが君劉玄徳には、その血液に漢室の正脈をつたえ、その義においては、救世の実を天地に誓う。すなわち中山靖王の後裔におわし、現皇帝の皇叔にあたられる。いわんや、荊州の故主劉表とは、血縁の間柄にて、わが君の義兄たり、いまその血統絶え、荊州に主なきにあたって、義弟とし義兄の業を承け継ぐに、何の不義、何の不可とする理由があろう。――ひるがえって、呉侯孫権の素姓をたずぬれば、もとこれ銭塘の小吏の子たるに過ぎず、なんら朝廷に功もなく、ただ呉祖の暴勇に依って、江東六郡八十一州を横奪し得たるにとどまる――。今、孫権その遺産をうけて、何の能もなきに、さらに、慾心を驕り、荊州をも呑まんとするは、身のほど知らずも甚だしい。思え、君臣の統を論ずるなら、わが君の姓は劉、汝の主人の姓は孫、大漢は劉氏の天下たるを知らないか。よろしく百歩の田地をわが君に乞うて、身を農夫と卑下るのが孫権の安全な途というものである。――さらに、赤壁の大捷が誰の功によるか、という問題になれば、なお大いに議論があるが、それはいわぬことにする。敢て、ここではいわぬことにしておく」

 弁は水の流るる如く、理は炎の烈々たるに似ている。
 その真理と雄弁のまえには、魯粛もさしうつ向いてしまうしかなかった。
 ――が、彼は恨むがごとく、孔明に答えた。
「公論明白、そう仰っしゃられては、何の抗弁もありません。しかし、それでは先生も、あまりに利己主義だといわれても仕方がありますまい」
「なぜ、私が、利己主義か」
「思い給え」と、こんどは魯粛が攻勢になって――「その以前、劉皇叔曹操のため大敗をこうむって、当陽にやぶれ果てた後、先生を一帆に乗せて呉の国へともない、切に、わが主孫権を説き、周瑜をうごかして、当時まだ保守的であった呉をして遂に全面的な出兵を見るに至らしめたのはいったい誰でしたろうか」
「それは云うまでもなくあなただ」
「その魯粛は、今日、ここに至って、主君には面目を失い、軍部には不信を問われ、おめおめ国へ帰ることもできぬ窮地におちています。先生には、私の立場には、何の同情もお持ちにならないとみえる」
「…………」
 魯粛の温厚なる抗議には、孔明もやや気の毒を覚えたらしい。しばらく考えこんでいたが、やがて新たにこう提議した。
「では、あなたの面目をたてて、荊州はしばらくわが劉皇叔がお預りしているということにしよう。後日、どこか適当な領地を攻略したら、その時、荊州は呉へ開け渡すということにして、証書を入れたら、あなたも主君にお顔が立つであろう」
「どこの国を取って荊州をお返し下さるというのですか」
「中国はすでに、どこへ向っても、魏か呉かに接触する。ひそかに図るに、長江千里の流れ起るところ、西北の奥域、蜀の天地は、まだ時代の外におかれているといっていい」
「では、蜀の国を取らんとお望みになっておられるので」
「然り。蜀を得たあかつきには、荊州をお返しするであろう」
 孔明は、紙筆を取寄せて、玄徳にそれを進め促した。玄徳は黙々、呉侯への国際証書をしたためて、印章を加え、
「これでよいのか」と、孔明へ内示した。
 孔明もまた筆をとって、保証人として連署した。だが、君臣一家の連帯では、公約にならないから、あなたもこれに名字をのせたがいいと求められて、魯粛も遂に妥協するほかなかった。
 魯粛は、この一札を持って、呉へ帰った。途中、柴桑へ寄って、周瑜の病状を見舞いがてら、逐一物語ると、
「ああ、また貴公は、孔明に出し抜かれたのか、何たるお人好しだ。孔明は狡猾の徒、玄徳は奸雄。こんな証文が何になろう。おそらくそのまま呉侯に復命されたら、たちどころに、貴公の首はあるまい。いや、罪九族にも及ぶだろう」と、痛嘆した。
 そういわれてみると、呉侯孫権の怒り方が眼に見えてくる。魯粛もその点は甚だ心許なかったのである。――が、今となっては、どうしようもない。途方に暮れるばかりだった。
 周瑜も、腹を立てたが、心では魯粛のお人好しに、充分、同情を抱いた。それに彼は、むかし困窮していた頃、魯粛の田舎の家から糧米三千を借りて助けられたことがある。――それを思い出したので、共に、腕をこまぬいて、
(どうしたらいいか?)と、懸命に思案した。
 ふと、周瑜のあたまに浮んだのは、主君孫権の妹にあたる弓腰姫であった。――佳人年はまだ十六、七。
 弓腰姫というのは、臣下がつけた綽名である。深窓の姫君でありながら、この呉妹は、生れつき剛毅で、武芸をこのみ、脂粉霓裳の粧いも凛々として、剣の簪をむすび、腰にはつねに小弓を佩き、その腰元たちもみな薙刀を持って室に侍しているというまことに一風変った女性であった。

 急に、周瑜は声を落して、魯粛に教えた。
「貴公は、呉侯のお妹君に、謁したことがありはしないか」
「一、二度、お目通りしましたが」
「あの姫を、玄徳へ、嫁がすように、ひとつここで貴公は、その婚縁の媒人に、骨を折ってみられるがよい。――これは貴公の失敗を償い、また荊州を取りかえすに、絶好な妙策であり、今がそのまたなき機会だ」
「えっ。……呉侯の御妹君を玄徳へですって?」
 鸚鵡がえしに呟きながら、魯粛は、唖然たる顔つきを示した。
 周瑜は、笑って、
「いや、わしの云い方が唐突だから、貴公はびっくりしたかも知れんが、何もこれは決して、突飛な思いつきではない。きわめて合理的に相談は運んで行けると思う」
「どうしてですか。玄徳には正室の甘夫人があるのに、まさか呉侯のお妹君を、彼の側室へなどと……第一そんな縁談を呉侯のお耳へ入れることだってはばかられるではありませんか」
「いやいやそうではない。貴公はまだ知らんのだ。玄徳の正室甘夫人は、病に斃れてなくなっている。赤壁の戦やらその後の転戦で、葬儀も延ばしていたが、間者の報らせでは、荊州城には白い弔旗を掲げていたということだ」
「それは、劉琦の死を悼んでいたのではありませんか」
「ちょうど、劉琦の死とつづいたので、そう思っている者もあるらしいが、わしが聞いたのは、その以前だ。まだ劉琦も死なぬうちに、荊州の城外に新しい墳墓を築いていたというから、よもや劉琦の葬儀ではないだろう」
「それは少しも知りませんでした。では今、玄徳に正室はないわけですか、それにしてもすでに彼は五十歳です。一方、妙齢の呉妹君はお十六かお十七でしょう。……どんなものでしょうな、この花嫁花婿の縁むすびは」
「どうも貴公は、何事もすぐそのまま、真正直に考えるので融通がきかん。もとよりこの婚儀は初めから謀略にきまっている。さきに玄徳は孔明を用いて呉を謀ったから、こんどは此方から計を酬うてくれるのだ。すなわち、そういう斡旋に物馴れた人物をもって、この際、呉国との友好を、より以上親密にせんという理由を表面に立てて、同時に呉妹君との縁談を運ばせるにある」
「さあ? どうでしょうか」
「何を不安な顔して喞たるるか」
「誰よりも、呉侯がご承知にならないでしょう。非常に可愛がっているお妹ですからな」
「だから何も、婚儀は取りむすんでも、輿入れまでなさるには及ばんさ。式典は呉で挙げればいい。婚儀の挙式がすんだら荊州へおつれなさいというわけだ。玄徳に否やはあるまい。要するに、彼を呉へ招いて、花嫁の顔を見せただけで済む。いずれ挙式の前後に、機を計って、刺し殺してしまうのだから」
「ははあ。するとつまり彼を殺害するために、婚儀を行うわけですな」
「もちろん、その目的もなく、何でこんな縁談が云い出せるものか」
「それにしても、それがしから呉侯へおすすめ申すのは、どうも少しまずいと思いますが」
「よろしい。貴公はただ側面から、それとなく主君の御意をうごかし給え。仔細のことや此方の謀略は、べつに詳しくしたためて、この周瑜から呉侯へ手紙を書くから」
「いや、そう願えれば、非常に助かります」
 魯粛は、彼の書簡を預かって、それを力に呉都へ帰った。そして早速、呉侯孫権にまみえ、ありのままを復命し、また帰路、周瑜から預かって来た手紙も共に差出した。

 はじめに、玄徳の証文を見たときは、案のじょう、孫権は苦りきって、たちまち、魯粛の上へ大鉄槌でも下しそうだったが――次に周瑜からの書簡をひらいて一読し終ると、
「ウーム、なるほど、周瑜の考えは至極妙だ。これこそ天来の鬼謀というものだろう」
 と、しばらく、熟慮にふけり、やがて魯粛には、最初の気色とは打って変って、
「ご苦労だった。長途の旅、疲れたろう。きょうはまず休息せい」と、ねぎらった。
 数日の後、また召された。こんどは重臣呂範も同席だった。孫権を中心に、周瑜の献策が密々協議されたことはいうまでもない。
 その結果、呂範が、荊州へ使いに行くことにきまった。もちろん表面は呉の修交使節としてであるが、目的は例の呉妹君の婚縁にある。
 荊州に着いて、玄徳に会うと、呂範はまず両国友好の緊密を力説してから、おもむろに縁談をもちかけた。
「実は、皇叔の夫人甘氏には、疾く逝去られて、今ではお独りとのご事情をうけたまわり、ちと差出がましいが、媒人の労をとらしていただきたいと思うてこれへ来たわけです。どうです、子孫のため、ふたつの国家のため、若いご正室をおむかえになられては」
「ご親切は感謝します。仰せのとおり妻を亡うて、玄徳はいま家庭的には孤独ですが、さりとて、妻とわかれてから、肉まだ冷やかというほどの月日も経っていないうちに、どうして後添えなど持つ気になれましょう。正直、まだ望んでもおりません」
「それはそうでしょうが、家庭に妻のないのは、家屋に梁がないようなものです。皇叔のご前途はなお洋々たるものですのに、何故、一家の事を中道に塞して、人倫を廃さるるのです。――私がおすすめ申したいのは、わが主呉侯のお妹君で、媒人口ではありません、必ず徳操才色ふたつながら兼備した佳人とはあのお方と存じます。もし皇叔にして、娶ってもいいというお心ならば、すみやかに呉の国へお出で下さい。孫権は歓んでお迎えしましょうし、われわれ侍側の者も、挙って、両国の平和のため、この実現に対して、どんな労でも取りますから」
「…………」
 玄徳はしばらく黙考していたが、やがてこう訊ねた。
「そのことは、あなた一箇のお考えですか。それとも周瑜あたりから云い出されたことですか。もしくはまた、呉侯のご内意でもあるか……」
「内々、呉侯の御命がなくて、どうして私一箇の思案などから、かような大事をおすすめできましょう。ただ素気ないお断りでもうけると、呉妹君のお名にもさわることですから、それで実はそっと、ご意向をうかがってみるわけですが」
「……いや、そうでしたか。希うてもない良縁ではありますが、玄徳も大丈夫を以て任じてはいるものの、年すでに五十、ご覧のごとく、鬢髪にはやや白いものを呈しておる。聞説、呉侯のお妹は、なお妙齢佳春の人という。私とは余りにふさわしくない配偶ではありませんか」
「いや、いや」
 呂範は大きく手を振った。
「年の近いとか少ないとか、そんな数合わせみたいな問題ではありませんよ。これは結婚です。しかも二つの国の平和に関わる問題です。呉侯も実に大事をとっておられ、母公のお案じも、呉妹君のお望みも、一通りなものでないことは、くどくど申すまでもありません。……まげてもひとつ、皇叔のご来遊を願って、この祝い事を成功させたい所以は、誰よりも呉妹君に実はご希望があるわけなのです。……というのは、あのお妹君は、女性におわしながら、志は男子より高く、日頃より、天下の英雄にあらずんばわが夫とはせじ――と仰っしゃっている程ですから、以てお察しがつきましょう。いま、皇叔をもって、あの女性と配せば、それこそいわゆる――淑女ヲ以テ君子ニ配ス――という古語のとおりになると思うのです。ともあれ、ぜひいちど、呉の都へお遊びにお出まし下さいませんか」
 呂範はさすがこの使いに選ばれただけの才弁であった。
 この日、孔明は、そこに顔を見せず、次室の屏風の陰にいて、じっと、主客のはなしを聞いていた。彼の几の上には、いまたてた易占の算木が、吉か凶か、卦面の変爻を示していた。

 呂範はひとまず客館へ退がり、玄徳の返辞を待つこととした。
 その夜。玄徳は、孔明以下腹心の諸将をあつめて、呉妹を娶ることの可否、また呉へ行くことの善悪などについて忌憚なき意見を求めた。
「それはぜひご承諾をお与えなさい。そして呉へお出でなさい」
 率直にこう勧めたのは孔明であった。玄徳が呂範と対面中に、易をたてて占ってみたところ、大吉の卦が出たというのである。
「――のみならず、ここは彼の策に乗って、かえって我が策を成すところでしょう。すみやかにご許容あって、呉の国に臨み、ご婚儀の典を挙げられるがよいかと思います」
 そういう孔明の説に対して、
「いや、これは周瑜の遠謀にちがいない」
 とか、
「求めて虎口に入るようなものだ」
 とか、それを危険なりとする議論ももとより百出したが、より以上、玄徳にも重視された問題は、折角いま克ち獲たところのこの荊州地方の地盤を、次の躍進に入る段階まで無事に持ちこらえるには、どうしても呉との衝突を避けなければならないと考えられることだった。
「万事は、私の胸に、おまかせ下さい。決して、諸将が憂えるような破滅に君を立ち到らせるような愚はしません」
 孔明のことばに信頼して、諸臣も、
「では、異議なし」と、一致した。
 玄徳はなお危ぶんでいたが、孔明はそれを力づけて、まず答礼の使いをやってみることにした。呂範と共に、その意味で、呉に下って行った者は家中の孫乾であった。
 月日を経て、その孫乾は、呉から帰ってきた。そしていうには、
「呉侯は、それがしを見ると、落胆しました。理由は、呂範と共に、わが君が、すぐにでも呉へお出でになるものと、独り決めに、予期していたらしいのです。それほどに、呉侯自身は、この縁談の成立を熱望しています。もし、この縁が結べれば、両国の平和のため、大慶この上もないことだ。ぜひ、一日も早く参られるよう劉皇叔にすすめて貰いたいと、ねんごろなご希望でした」
 とある。
 けれどなお、玄徳には、迷っているふうがあった。しかし、孔明は、着々と準備を運び、随員の大将をも、趙雲子龍に任命した。
 そして趙雲に、手ずから三つの錦嚢を授けた。呉へ行って事きわまる時は、この嚢を開けて見るがいい。あらかじめ、自分が肝胆を砕いた三ヵ条の計は、この錦の嚢に秘めておいた。これを以て、孔明も共にわが君に随員しておるものと思い、惧るることなくお供して参るがよいとくれぐれも諭した。
 建安十四年の冬の初め、華麗なる十艘の帆船は、玄徳、趙雲以下、随行の兵五百人を乗せて、荊州を離れ、長江の大河に入り、悠々千里を南下して呉へ向った。
 呉の都門へ入るに先だって、趙雲孔明から渡された錦の嚢を思い出し、その第一の嚢を開けてみた。すると中の一文には、
(まず、喬国老を訪え)と、書いてあった。
 喬家の老主といえば、隠れもない呉の名家である。かつては、曹操までが想いを寄せていたといわれる姉妹の二美人――二喬の父であるばかりでなく、その姉は、呉侯の先代孫策の室に入り、妹は現に、周瑜の夫人となっているので、今ではおのずからこの国の元老と目され、しかもそれに驕らず、彼自身の人がらは昔どおり至って正直律義なところから、なおさら上下の信望は篤く、
 喬国老、喬国老。
 と、国宝的に一般から崇敬されている人だった。
 ――まずこの人を訪え。
 という孔明が嚢中の言にしたがって、玄徳と趙雲は、相諮って、船中の佳宝や物産を掲げ、また兵士をして、羊をひかせ、酒を担わせ、都街の人目をそばだたせながら、まず喬国老の家へいきなり行った。

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