七盞燈
一
呉は、たちまち出て、たちまち退いた。呉の総退却は、呉の弱さではなく、呉の国策であったといってよい。
なぜならば、呉は、自国が積極的に戦争へ突入する意志をもともと持っていないのである。蜀をして魏の頸を咬ませ、魏をして蜀の喉に爪を立たせ、両方の疲れを見くらべていた。
しかも、蜀呉条約というものがあるので、蜀から要請されると無礙に出兵を拒むこともできない。――で、出兵はするが、魏へ当ってみて、
「これはまだ侮れぬ余力がある――」と観たので、陸遜は、巣湖へ捨てた損害の如きはなお安価なものであるとして、さっさと引揚げてしまったものであった。
それにひきかえて蜀の立場は絶対的である。小安をむさぼって守るを国是となさんか、たちまち、魏呉両国は慾望を相結んで、この好餌を二分して頒たんと攻めかかって来るや必せりである。
坐して亡ぶを俟たんよりはと、出でて蜀の活路を求めんとせんか、それは孔明の唱える大義名分と現下の作戦以外には、絶対にほかに道はないのだった。
かくて祁山、渭水の対陣は、蜀の存亡にとっても、孔明一身にとっても今は宿命的な決戦場となった。ここを退いて蜀の生きる道はない生命線であったのである。
近頃、魏の陣営は、洛陽の厳命に依って、まったく守備一方に傾き――、みだりに敵を刺戟し、令なく戦線を越ゆる者は斬らん。
という厳戒まで諸陣地へ布令ていた。
うごかざるを討つは至難である。孔明も計のほどこしようがなかった。
しかし彼は無為にとどまっていなかった。その間に、食糧問題の解決と、占領地の宣撫にかかった。
屯田兵制度をつくり、兵をして田を作らせ、放牧に努めさせた。けれどその屯田兵は、すべて魏の百姓に立ちまじって、百姓の援けをなすものということを原則として、収穫は、百姓がまず三分の二を取り、軍はその一を取るという規則であった。
一、法規以上を追求して、百姓に苛酷なる者。
一、私権を振舞い、百姓の怨嗟をかい、田に怠りの雑草をはやす者。
一、総じて、軍農のあいだに、不和を醸す者はこれを斬る。
この三章の下に、魏農と蜀兵の協和共営が土に生れだした。ひとつ田に、兵と百姓とは脛を埋めて苗を植えた。働く蜀兵の背中に負われている嬰ン坊を見ると、それは魏の百姓の子であった。畦や畑や開墾地で、共に糧を喰い湯を沸かして兵農一家の如く、睦み合っている団欒も見られた。随処にこうしたほほ笑ましい風景が稲や麦の穂と共に成長してきた。
「近頃、祁山のあたりでは、みな業を楽しんでいるそうだよ」
各地へ逃散していた百姓は、孔明の徳を伝え聞いて、続々、この地方へ帰ってきた。
こういう状況をつぶさに見てきた司馬懿の長男の司馬師は、或る日、父の籠居している営中の一房をのぞいて、
「おいでですか」と、入ってきた。
仲達は、読みかけていた書物を几に置いて、息子の顔を仰いだ。
「おう師か。四、五日見えなかったが、風邪でもひいたか」
「父上。ここは戦場でしょう」
「そうじゃったな」
「風邪ぐらいで寝込んでいられる今日でもなし場所でもありません。――土民に変装して、敵地の状況を視察して来たのです」
「それはよいことをした。どうだな、蜀勢の情況は」
「孔明は長久の策をたてています。魏の百姓はみな家に帰り、蜀兵と睦み合うて、共に田を作っております。要するに、渭水から向うの地方は日々、蜀の国土となりつつある実状。父上もそれはご存じでしょう。一体、なぜ魏軍はこれ程の大軍を擁しながら、空しく戦わずにいるのですか。私には解せません。……きょうはそれをお伺いにきたわけです」
若い司馬師は、こうつめ寄って、戦場では父子の妥協もゆるされないというような顔いろを示した。
二
「いや、わしも思わぬことではないが……。如何せん、固く守って攻めるなかれ、という洛陽の勅命じゃ。勅に背くわけにゆかん」
司馬懿が苦しげに言い訳するのを、息子の司馬師はくすぐったいような微苦笑に受けて、
「しかし父上。麾下の将士は皆、さようには解しておりませんよ。洛陽の指令はいつでも保守的な安全主義ときまっておるのですからな」
「ではなんと解しておるか」
「やはり大都督たる父上自身が孔明に圧倒されて、手も足も出せない恰好になったものだと思っておりましょう」
「それも事実じゃ。わが智謀はとうてい、孔明に及ばん」
「智ある者は智を用い、智なき者は力を使う――とかいうではありませんか。魏軍百万は蜀軍に約三倍する兵力です。この大兵と装備と地利を擁しながら、日々呻吟籠居して、将士を倦み怒らせているのは一体如何なるお心なので――」
「勝算がない。いかに心を砕いても、孔明に勝ち得る虚が見出せんのじゃ。正直、今のところ、わしは唯、負けぬことに努めるだけで精いっぱいだ」
「ははあ。父上もすこしご疲労気味とみえますな」
司馬師もそれ以上は、父の懊悩を見る気になれない。胸中の不満は少しも減じなかったが、やむなくそのまま引きさがった。
それから数日の後である。陣前の兵が何かわいわい騒いでいる。河岸の斥候が何事か報らせて来たらしく、将士が陣を出て一方を眺めていた。
「何を見ているのか」
司馬師も行って見た。なるほど、渭水の向う岸に、一群の蜀兵が此方へ向って何事か喚いている。大勢の真ん中に、旗竿をさしあげているのだ。竿の先には、燦爛たる黄金の盔をさし懸け、それを振り廻して、児戯の如く、悪口を吐いているものもあった。
「魏の勢ども。これは何か知っておるか」
「汝らの都督、司馬仲達の盔であるぞ。先頃の敗北に、途に取り落して、命からがら逃げおったざまの悪さといったらない」
「口惜しくば、鼓を鳴らして取り返しに来い」
「いや、来られまい、腰抜け都督の手下どもでは」
曝し物の盔を打ち振り、手を打ち叩いて動揺めき笑う。
司馬師は歯がみをした。諸将も地だんだ踏んで、営中へ帰るや否、司馬懿の所へ押しかけた。そして蜀兵の悪口雑言を告げて、早々一戦を催し、敵を打ち懲らさんと口々に迫った。
司馬懿は笑っているだけだった。そして呟くようにいう。
「聖賢の言を思い出すがよい。――小サキヲ忍バザル時ハ大謀モ乱ル――とある。いまは守るを上計とするのだ。血気の勇を恃んではいけない」
かくの如く彼は動かず逸らずまた乗じられなかった。これには蜀軍もほとほとあぐねたらしく見える。慢罵挑発の策もそのうちに止めてしまった。
ここ数ヵ月、葫芦谷に入って、孔明の設計にかかる寨、木柵などの構築に当っていた馬岱は、ようやく既定工事の完了を遂げたとみえて、孔明の許へその報告に来ていた。
「おいいつけの通り、谷のうちには数条の塹壕を掘り、寨の諸所には柴を積み、硫黄煙硝を彼方此方にかくし、地雷を埋め、火を引く薬線は谷のうちから四山の上まで縦横に張りめぐらして、目には見えぬように充分注意しておきました」
「そうか。すべて予が渡しておいた設計図に違いはあるまいな」
「遺漏はございませぬ」
「よし。司馬懿を引き入れて百雷の火を馳走せん。汝は、葫芦谷のうしろの細道を切りひらいて隠れ、司馬懿が魏延を追うて、谷間へ馳け入ったとき、伏勢を廻して、前なる谷の口を封鎖せい。ひとたび、一火を投じれば、万山千谷、みな火となって震い崩れ、司馬懿全軍、地底のものとなるであろう」
三
馬岱が退出すると、次に魏延を呼び入れ、また高翔を招いて、何事か秘議し、そして命を授けては、各方面へさし向けるなど、孔明の帷幕には、ようやく、活溌な動きが見られた。
のみならず孔明の容子には、
(このたびこそ、司馬懿を必殺の地へ引き入れて、一挙に年来の中原制覇を達成しなければならぬ)とする非常な決意がその眉にもあらわれていた。
彼はようやく年は五十四。加うるにその痩身は生来決して頑健ではない。かつまた、蜀の内部にも、これ以上、勝敗の遷延を無限の対峙にまかせておけない事情もある。盤石のごとく動かない魏軍に対して、孔明がここにやや焦躁の気に駆られていたことは否めない事実であったろう。
やがて、彼自身も一軍を編制して、自ら葫芦谷方面へ向った。移動するに先だって、彼は残余の大軍にたいして、
「各位は、心を一つにして、ただよくこの祁山を守れ。そして、司馬懿の麾下が攻めてきたときは、大いに詐り敗れ、司馬懿自身が襲せてきたと見たら、力闘抗戦して、その間隙を測り、渭水の敵陣へ迂回して、かえって敵の本拠を衝け」
こう訓示したのち、仔細に作戦を指令して去った。そして彼は、その本陣を葫芦谷の近くに移したのであるが、そこで布陣を終ると、谷の後ろへ廻れと、さきに急派しておいた馬岱を再び呼んで、こういう秘命をさずけた。
「やがて戦端が開かれたら、谷を囲む南の一峰に、昼は七星旗を立て、夜は七盞の燈火を明々と掲げよ、司馬懿を引き入れる秘策ゆえ、切に怠らぬようにいたせ。汝の忠義を知ればこそ、かかる大役も申しつけるのだ。我が信を過たすなよ」
馬岱は感激して帰った。
魏軍は、これらの蜀陣のうごきを、見のがしはしなかった。
夏侯恵、夏侯和の二人は、さっそく司馬懿を説いていた。
「ぜひ、われら両名を、出撃させて下さい。今ならば、蜀陣の弱点をついて、彼の根拠を粉砕し得る自信があります」
「どうして? ……」と、相かわらず仲達は気乗り薄な顔つきである。
「しびれを切らして、蜀の陣地は、意味なき兵力の分散を行っています」
「あははは。それは計だよ」
「都督はどうしてそのように、孔明を恐れるのですか」
「怖るべき者には怖れる。わしはそれをべつに恥かしいとは思わん」
「しかし、天与の機会も見過してのべつ引き籠っておられては、そのお言葉の深さもご信念も疑わずにいられません」
「今が、それ程、絶好な機会だろうか」
「もちろんです。蜀軍が葫芦の天嶮に、久しい間、土木を起していたのは、不落の大基地を構築するためであったに違いない。また、蜀兵が祁山を中心に、広く田を耕し、撫民と農産に努めていたのは、自給自足の目的でなくて何でしょう。その自給と長久策が、今や完成しかけたので、孔明もその拠地を、徐々祁山から移し始めたものに違いないのです」
「ム。なるほど」
「人工と天嶮で固めた葫芦盆地へ移陣し、食糧にも困らなくなった後は、もう再び彼を撃とうとしても到底、不可能でしょう。祁山を以て、前衛陣地とし、葫芦を以て、鉄壁の城塞となした上は……」
「君たちは、予の側におれ。べつな者を向けてみよう」
司馬仲達は、急にそういって、夏侯覇、夏侯威の二将を呼んだ。そして兵一万を、ふた手に分け、蜀陣へ向えと、攻撃を命じた。
二将は、電撃的に、祁山へ進撃した。しかし、その途中で、蜀の高翔が率いる輸送隊にぶつかったので、戦いは、曠野の遭遇戦に始まった。そして魏軍は多くの木牛流馬と蜀兵の捨てて逃げた馬具、金鼓、旗さし物などを沢山に鹵獲したのち、凱歌賑やかに帰ってきた。