琴を弾く高士
一
澄み暮れてゆく夕空の無辺は、天地の大と悠久を思わせる。白い星、淡い夕月――玄徳は黙々と広い野をひとりさまよってゆく。
「ああ、自分も早、四十七歳となるのに、この孤影、いつまで無為飄々たるのか」
ふと、駒を止めた。
茫乎として、野末の夕霧を見まわした。そして過去と未来をつなぐ一すじの道に、果てなき迷いと嘆息を抱いた。
すると、彼方から笛の音が聞えた。やがて夕霧の裡から近づいてきたのは、牛の背にまたがった一童子である。玄徳はすれちがいながら童子の境遇をうらやましく思った。
――と、童子はふり返って、
「将軍将軍。もしやあなたは、そのむかし黄巾の賊を平げ、近頃は荊州にいるという噂の劉予州様とちがいますか」と、いきなり訊ねた。
玄徳は驚きの目をみはって、
「はて、かく草深い里の童が、どうしてわが名を存じておるのか。いかにも自分は劉備玄徳であるが……」
「あっ、やはりそうでしたか。私の仕えている師父が、常に客と話すのを聞いていたので、劉予州とは、どんな人かと、日頃、胸に描いていましたところ、いまあなたの耳をみると、人並み優れて大きいので、さては、大耳子と綽名のある玄徳様ではないかと思いついたんです」
「して、そちの師父とは、如何なる人か」
「――司馬徽、字は徳操。また道号を水鏡先生と申されます。生れは潁川ですから黄巾の乱なども、よく見聞しておいでになります」
「平常、交わる友には、どんな人々があるか」
「襄陽の名士はみな往来しております。就中、襄陽の龐徳公、龐統子などは特別親しくして、よくあれなる林の中に訪うて参ります」
童子の指さす方へ、玄徳も眼を放ちながら、
「――では、あれに見える一叢の林中に、そちの仕える師父の庵があるとみえるな」
「はい」
「龐徳公、龐統子とは、よく知らぬが、どういう人物か」
「この二人は、叔父甥の間がらで、龐徳公は字を山民といい、師父よりも十歳ほど年上です。また龐統子は士元と称し、この人は、私の師父よりまだ五歳ほど若く、この間もふたりして、先生の庵にやって来ました。――ちょうど師父は裏へ出て柴を採っていましたが、その柴を焚いて、茶を煎、酒をあたためて、終日、世間の盛衰を語り、英雄を論じ、朝から晩まで倦むことがありませんでした。よほど、話し好きな人とみえます」
「そうか。……そちの言葉を聞いて、儂もどうやら先生の庵を訪うてみたくなった。童子、わしを案内して参らぬか」
「おやすいこと。師父もきっと思わぬ珍客とお歓びになるでしょう」
童子は牛をすすめて行く。導かれて、およそ二里ほど行くと、ちらと、林間の燈が見えた。幽雅な草堂の屋根が奥のほうに望まれ、潺湲たる水音に耳を洗われながら小径の柴門を入ると、内に琴を弾く音がもれ聞えた。
牛屋へ牛をつないで、
「大人。あなたの駒も、奥へつないでおきましたよ。さあ、こちらへおすすみ下さい」
「童子。まずその前に、先生にわしのきたことを取次いでくれ。無断で入っては悪しかろう」
草堂の前にたたずんで、彼が遠慮していると、はたと、琴の音がやんで、たちまちひとりの老人が、内から扉を排して外へとがめた。
「たれじゃ、それへ参ったのは。……いま琴を弾じておるに、幽玄清澄の音いろ、にわかに乱れて、殺伐な韻律となった。かならず、窓外へきたものは、血なまぐさい戦場からさまようてきた落武者かなんぞであろう。……名を申せ。たれじゃ、何者じゃ……」
玄徳はおどろいて、ひそかにその人をうかがうに、年は五十余りとおぼしく、松姿鶴骨、見るからに清々しい高士の風を備えている。
二
ああさては――これが司馬徽、道号を水鏡先生という人か。
玄徳は身をすすめて、
「お召仕えの童子の案内に従い、はからずご尊顔を拝す。私としては、歓びこの上もありませんが、ご静居をさわがせた罪は、どうぞおゆるし下さい」と、慇懃、礼をほどこして詫びた。
すると、童子が傍らから、
「先生、この方が、いつも先生やお友達がよく噂しておいでになる劉玄徳というお人ですよ」
と、告げた。
司馬徽は非常におどろいた態である。うやうやしく礼を返して、草堂の内に迎え入れ、改めて賓主の席をわかち、さて、
「ふしぎなご対面ではある」と、こよいの縁をかこち合った。
塵外の住居とはこういうものかと、玄徳はそのあたりを見廻してそぞろ司馬徽の生活を床しく思った。架上には万巻の詩書経書を積み、窓外には松竹を植え、一方の石床には一鉢の秋蘭が薫り、また一面の琴がおいてある。
司馬徽は、玄徳の衣服が濡れているのを見て、やがて訊ねた。
「今日はまた、どうしたご災難にお遭いなされたのじゃ。おさしつかえなくば聞かせて下さい」
「実は檀渓を跳んで、九死のうちにのがれて来ましたので、衣服もこんなに湿うてしまいました」
「あの檀渓を越えられたとすれば、よほどな危険に追いつめられたものでしょう。うわさ通り、今日の襄陽の会は、やはり単なる慶祝の意味ではなかったとみえますな」
「あなたのお耳にも、すでにそんな風説が入っておりましたか……実はこういう次第でした」
玄徳がつつまず物語ると、司馬徽は幾度かうなずいて――さもあらんといわぬばかりの面持であったが、
「ときに、将軍にはただ今、どういう官職におありですかな」
「左将軍宜城亭侯、予州の牧を兼ねておりますが」
「さすれば、すでに立派な朝廷の藩屏たる一人ではおざらぬか。しかるに、なんで区々たる他人の領に奔命し、つまらぬ小人の好言に追われていたずらに心身を疲らせ、空しく大事なお年頃を過したもうか」
しみじみ、司馬徽はいって、
「……惜しいかな」と、あとは口うちで呟いた。
玄徳は、面目なげに、
「――時の運は如何ともいたし難い。事志と違うために」と、答えた。
すると司馬徽は、顔を振って打ち笑いながら、
「否々、運命のせいにしてはいけない。よくかえりみ給え。わしをして忌憚なくいわしめるなら、将軍の左右に、良い人がいないためだと思う」
「こは意外な仰せです。玄徳は不肖の主ながら、生死を一つに誓う輩には、文に孫乾、糜竺、簡雍あり、武には関羽、張飛、趙雲あり。決して人なしとは思われません」
「あなたは元来、家来思いなご主君じゃ。故に、家臣に人なしといわれると、すぐその通り家臣をかばう。君臣の情においてはまことにうるわしゅう見ゆるが、主君として、それのみで足るものではない。――箇々その文事や勇気の長を愛でるに止まらず、自分自身も加えて、一団体としてよく自己をご覧ぜられよ。なお何らか、不足している力はないか」と、問いつめて、さらに、
「関羽、張飛、趙雲の輩は、一騎当千の勇ではあるが、権変の才はない。孫乾、糜竺、簡雍たちも、いわば白面の書生で、世を救う経綸の士ではない。かかる人々を擁して、豈王覇の大業が成ろうか」と、極言した。
三
玄徳は、黙考していた。司馬徽の言に、服する如く、服せざるが如く、しばしさし俯向いていたが、やがて面をあげて、
「先生の言は至極ごもっともではありますが、要するに、あまりに先生の理想であって、現実を離れているきらいがありはしないでしょうか。不肖わたくしも、身を屈して、山野に賢人を求めること多年ですが、今の世に、張良、蕭何、韓信のような人物を望むほうが無理だと思います。そんな俊傑が隠れているはずはありませんから」と、真摯な態度で酬いた。
すると、司馬徽は、聞きもあえず、面を振って、
「否々。いつの時代でも、決して人物が皆無ではない、ただそれを真に用うる具眼者がいないのじゃ。孔子もいっているではないか。――十室ノ邑ニハ必ズ忠信ノ人アリ――と。何でこの広い諸国に俊傑がいないといえよう」
「不肖、愚昧のせいか、それを識る眼がありません。ねがわくば、ご教示を垂れたまえ」
「ちかごろ諸方でうたう小児の歌をお聞きにならぬか。童歌はこういっている……
八九年間ハジメテ衰エント欲ス
十三年ニ至ッテ孑遺無ケン
到頭天命帰ス所アリ
泥中ノ蟠龍天ニ向ッテ飛ブ
これをあなたはどう判じられるか? ……」
「さあ、分りませんが」
「建安の八年、太守劉表は、前の夫人を亡くされた。荊州の亡兆ここに起り、家はじめて乱れだしたのです。十三年に至って孑遺無けん――とあるのは、劉表の死去を予言しているものでしょう。そして天命帰する所ありです。――天命帰するところあり!」
司馬徽はくりかえして、玄徳の面を正視し、かさねて云った。
「――帰するところ何処? すなわちあなたしかない。将軍、あなたは天命に選ばれた身であることを、自身、自覚されておいでかの?」
玄徳は大きな眼をしてさも驚いたように、
「滅相もない仰せ。いかでか私のような者が、そんな大事に当ることができましょう」
「そうでない。そうでない」
司馬徽はおだやかに否定して、
「いま天下の英才は、ことごとくこの地に集まっておる。襄陽の名士また、ひそかに卿の将来に期待しておる。この機運に処し、この人を用い、よろしく大業の基礎を計られたがよい」
「いかなる人がおりましょうか。その名を、お聞かせ下さい」
「臥龍か、鳳雛か。そのうちの一人を得給えば、おそらく、天下は掌にあろう」
「臥龍、鳳雛とは?」
思わず、身を前にのり出すと、司馬徽はふいに手を打って、
「好々、好々」と、いいながら笑った。
玄徳は、彼の唐突な奇言には、とまどいしたが、これはこの高士の癖であることを後で知った。
日常、善悪何事にかかわらず司馬徽は、きまって(好々)と、いうのが癖だった。
或る時、知人が来て、悲しげに、自分の子の死んだ由を告げると、司馬徽は相変らず、好々とのみ答えていた。知人の帰ったあとで、彼の妻が、
(いくらあなたのお癖とはいえ、お子さんを亡くした人にまで、好々とは、余りではございませんか)
と、たしなめた。すると司馬徽も、われながらおかしくなったとみえ、好々、おまえの意見も、大いに好々。
といったそうである。
四
童子がきて、質素な酒食を玄徳に供えた。司馬徽も、食事をともにし、やがて、
「お疲れであろう。まあ、こよいは臥房へ入っておやすみなさい」と、すすめた。
「では、おことばに甘えて」
と、玄徳は、別の部屋へはいったが、枕に頭をつけても、なかなか寝つかれなかった。
そのうちに、深夜の静寂を破って、馬のいななきが聞え、屋の後ろのほうで人の気はいや戸の音がする。
「……はてな?」
風の音にも心をおく身である。思わず耳をすましていた。
屋は手ぜまなので、裏口から主の部屋へ入って行く沓音までよく聞える。
「やあ、徐元直ではないか。いま頃、どうして来たのか」
主の司馬徽が声であった。
それに答えたのは、壮年らしいさびのある声色の持ち主で、
「いや先生。実は荊州へ行っていました。荊州の劉表は近頃の名主なりと、或る者から聞いたので、行って仕えていましたが、聞くとみるとは、大きな違い、から駄目な太守です。すぐ嫌気がさしてきましたから、邸へ遺書をのこして逃げてきたわけです。あははは。夜逃げですな」
磊落に笑ったが、しばらく間をおいて、また司馬徽の声がした。その壮気の持ち主を、厳格な語気で叱っているのである。
「なに、荊州へ参ったとか。さてさて、汝にも似げない浅慮な。――いまのような時代には、賢愚混乱して、瓦が珠と化けて仕え、珠は瓦礫の下にかくされ、掌にのするも、人に識別なく、脚に踏むも、世はこれを見ないのが通例じゃ。――汝、王佐の才をいだきながら、深く今日の時流も認識せず、自然に出づべき時も待たず、劉表ごときへ身を売り込んで、かえって己れを辱め、仕官を途中にして逃げ去るなどとは何事だ。どう贔屓目に見ても褒められたことではない。もう少し自分を大事にせねばいかん」
「恐れ入りました。重々拙者の軽率に相違ございません」
「古人子貢の言葉にもある――ココニ美玉アリ、匱ニオサメテ蔵セリ、善価ヲ求メテ沽ラン哉――と」
「大事にします。これからは」
間もなく、客は帰ったらしい。
玄徳は夜の明けるのを待って、司馬徽にたずねた。
「昨夜の客は、何処の者ですか」
「むむ、あれか。――あれは多分、良い主君を求めるため、もう他国へ出かけたろう」
「そうですか。……時に、昨日先生の仰せられた臥龍鳳雛とは一体どこの誰のことですか」
「いや、好々」
玄徳は、やにわに彼の脚下へひざまずいて、再拝しながら、
「玄徳、不才ではありますが、望むらくは、先生を請じ、新野へ伴い参らせて、共に、漢室を興し、万民を扶け、今日の禍乱を鎮めんと存じますが……」
云いもあえず、司馬徽はからからと笑って、
「愚叟は山野の閑人に過ぎん。わしに十倍百倍もするような人物が、いまに必ず将軍を、お扶けするじゃろう。いや、そういう人物をばせいぜい尋ねられたがよい」
「では、天下の臥龍を?」
「好々」
「それとも鳳雛をですか?」
「好々」
玄徳は必死になって、その人の名と所在を訊きただそうとしたが、そのとき童子が馳けこんできて、
「数百人の兵をつれた大将が、家の外を取り囲みましたよ!」と、大声して告げた。
玄徳が出てみるとそれは趙雲の一隊だった。ようやく、主君玄徳の行方を知って、これへ迎えにきたものであった。