白帝城
一
敵を誘うに、漫罵愚弄して彼の怒りを駆ろうとするのは、もう兵法として古すぎる。
で、蜀軍はわざと虚陣の油断を見せたり、弱兵を前に立てたり、日々工夫して、釣りだしを策してみたが、呉は土龍のように、依然として陣地から一歩も出てこなかった。
一木の日陰もない曠野だった。夜はともかく昼の炎暑は草も枯れ土も燃えるようだった。それに水は遠くに求めなければならないし、病人は続出するし、士気はだれて、どうにも収拾がつかなくなった。
「いかん。一応、ほかへ陣を移そう。どこか涼しい山陰か水のある谷間へ」
帝玄徳も、ついにこの布令をなさずにはいられなくなった。
すると馬良が注意して、
「いちどにこれだけの軍を退いては大変です。かならず陸遜の追撃を喰いましょう」と、いった。
「案じるなかれ、弱々しい老兵を殿軍にのこし、いつわり負けて逃ぐるをば、敵がもし図に乗って追ってきたら、朕みずから精鋭を伏せて、これを討つ。敵に計ありと覚れば、うかと長追いはして来ないだろう」
諸将は、それこそ帝の神機妙算なりとたたえた。けれど、こう説明を聞いてもまだ馬良は不安そうに、
「この頃、諸葛孔明はお留守のいとまに、折々、漢中まで出てきて、諸所の要害を、いよいよ大事と固めている由です。漢中といえば遠くもありませんから、大急ぎでこの辺りの地形布陣を図に写して使いにもたせ、軍師の意見をご下問になられてみた上、然るべしとあれば、その後で陣をお移し遊ばしても遅くはないかと思われますが」
と、なお止めたい顔をしていた。玄徳は微笑して、
「朕も兵法を知らない者ではない。遠征の途に臨んで、何でいちいち孔明に問合わせを出しておられよう。しかし折よく孔明が漢中まで来ておる時であるから、汝が行って、朕の近況を伝え、また戦の模様を語っておくのもよかろう。そして何か意見あらば聞いてまいれ」
と、馬良にその使いをいいつけた。
馬良は承って、敵味方の布陣から地形など、克明に写して行った。こう紙の上に描き取ってみると、それは四至八道という対陣になっていた。
次の日である。
呉の物見は、ひとつの山の上から鞠の転がるように駈け下りて、
「蜀の大軍が、次々と、遠い山林の方へ、陣を移しだしました」
と、韓当、周泰の前に急報した。
「やっ。そうか」
と、ふたりはまた、大都督陸遜の陣まで馬を飛ばして、
「只今、かくかくの報らせがあった」と、告げた。
このときの陸遜の顔はちょうど旱天に雨雲を見たように、何ともいえぬ歓びを明るい眉にあらわしていた。
「オオ。そうか!」
「大都督。すぐ全軍へ。追撃の令を発して下さい」
「いや、待った。――来給え我輩と一緒に」
馬を並べて、高地へ馳けた。
報告だけでは、まだうかつに行動できないとするもののように、彼はその目で、曠野を一眸に見た。
「……なるほど鮮やか」
陸遜は、感嘆の声を放った。兵を退くのは進む以上の技術を要するという。今見れば蜀の大軍は掃いたようにもうあらかた引き揚げていた。そして、呉の陣線の前には、殿軍の一隊が、一万たらず、残っていた。
「しまった。兵機は一瞬に過ぎるというに、大都督の悠長さが、またしても、絶好なときを逸してしまったではないか。この上は、韓当とそれがしとで、あの一万だけでも、殲滅してくれねば気がすまん」
周泰が地だんだ踏んでいうと、陸遜はそれすら抑えて、
「いや、もう三日待ち給え」
と、鞭をあげて、あらぬ方角を指しながら、あえて、逸り立つふたりの言は、耳にもいれなかった。
二
周泰は、憤然として、
「一刻を過ったために、この勝機を逸したのに、三日も待っていたら、一体どうなるのだ」
相手にするもばかばかしいといわんばかり横を向いて地に唾した。
しかし陸遜は、なお鞭をあげたまま彼方を指して、
「そこの谷間、先の山陰などに、陰々たる殺気がある。思うに蜀の伏兵であろう。さるを殿軍に、弱体の老兵ばかり一万も残して、敵が遠く退いたのは、われを誘わんとする、見えすいた謀にちがいない」と説明した。そしてかたく一同の出撃を禁じ、本陣へ帰ってしまった。
「何たる懦弱さ」
「書生論の兵学だ。いやはや……」
人々は陸遜の怯懦を嘲って、もう成るようにしかならない戦と――匙投げ気味に部署についていた。
その足もとをつけ込んでか、蜀の老兵は、呉の陣前で、わざと甲を解いて昼寝したり、大あくびをしてみせたり、またさんざんに悪口を放ったりして、
「出てこい。来られまい」
と、揶揄しつづけた。
「もう我慢ができない」
と周泰、韓当などの諸将は、三日目にまた陸遜のところへ詰めかけてきた――が、陸遜は依然としてゆるさず、
「匹夫の勇に逸るなどは、各〻の任ではあるまい」と、ほろ苦い顔して圧えた。
周泰は喰ってかかるように、
「もし蜀勢がことごとく、遠く退陣してしまったら何となさる?」
と、たたみかけた。陸遜は一言の下に、
「それこそ我輩のねがう所で、大慶この上もない」と、いった。
人々は大いに笑った。なるほど、それを唯一の願いとしているのでは無理もない。呆れ果てた大都督よと、その人の目の前で手を叩くという有様であった。
するとここへまた、物見隊の一将が来て、
「今朝がた、霜ふかきうちに、敵の老兵ども一万も、いつのまにか殿軍の地を退いて消え失せ、間もなくまた、谷間の底地から、約七、八千の蜀勢があらわれ、黄羅の傘蓋を囲んで、悠々、遠くへ退いてゆくのが見えました」と、報告した。
「ああ、それこそ玄徳だ。討ち洩らしたり」
と諸将はまた口惜しがったが、陸遜は、次のような解釈を下してなだめた。
「玄徳は一世の英雄。いかに各〻が切歯したところで、彼が正陣を布いているうちは、打ち破ることはできない。ただ長陣となっては、この炎暑と病人の続出と、士気の惰することは、如何ともすることができず、ために、水辺へ陣を移したのだが、それにも入念に計を設け、わざと弱々しい老兵軍をのこして我を誘い、自身は精鋭をそろえて、谷間にかくれていたものだろう。しかし、三日を待つといえども、わが呉軍がうごかないので、ついにしびれを切らして立ち去ってしまった。――順風徐々と我に利あり、見給え諸君、もう十日も出ないうちに、こんどこそ蜀軍は四分五裂の滅亡を遂げるから」
諸人は、またかという顔して、鼻先で聞いていた。ことに韓当はいまいましげに、
「なるほど。わが大都督は、立派な理論家でいらっしゃる」と、嘲言を弄した。
それらの者を目にも入れず、陸遜は即座に一書簡をしたためた。呉王孫権へ上すものであった。その書中にも彼は、
(蜀軍の全滅は近きにあります。大王以下、建業城中の諸公も、もはや枕を高うして可なりと信じます)と、書いていた。
蜀軍のほうでは、その主力を水軍に移し始めていた。陸路には猇亭の要害があり、陸遜の重厚な陣線がある。いずれも粘りづよく頑張るのでいたずらに日を費やすのみと、玄徳はやや急を求め始めたのだった。そして呉国の本土へ深く攻め入り、有無なく、呉王孫権との決戦を心に期していたものと思われる。
それかあらぬかここ数日間、蜀の軍船は続々と長江を下り、江岸いたるところの敵を追ってはすぐそのあとに基地とする水寨を築いていた。
三
蜀と呉の開戦は、魏をよろこばせていた。いまや魏の諜報機関は最高な活躍を示している。
大魏皇帝曹丕は、或るとき、天を仰いで笑った。
「蜀は水軍に力を入れて、毎日百里以上も呉へ前進しているというが、いよいよ玄徳の死際が近づいてきた」
側臣は怪しんで訊ねた。
「そのおことばは如何なる御意によるものですか」
「わからんか、お前たちには。すでに蜀軍は陸に四十余ヵ所の陣屋をむすび、今また数百里を水路に進む。この蜿蜒八百里にわたる陣線に、その大軍を配すときは、蜀七十五万の兵力も、極めて薄いものとなってしまう。加うるに、陸遜の陣を措いて、水路から突き出したのは、玄徳が運の極まるものというべきだ。古語にもいう――叢原ヲ包ンデ屯スルハ兵家ノ忌――と。彼はまさにその忌を犯したものだ。見よ、近いうちに蜀は大敗を招くから」
だが、群臣はなお信じきれず、かえって蜀の勢いを怖れ、
「国境の備えこそ肝要ではありませんか」
と云ったが、曹丕は否と断言して――
「呉が蜀に勝てば、その勢いで、呉が蜀へ雪崩れこむだろう。この時こそ、わが兵馬が、呉を取るときだ」と、掌を指すごとく情勢を説き、やがて曹仁に一軍をさずけて濡須へ向わせ、曹休に一軍を付けて洞口方面へ急がせ、曹真に一軍を与えて南郡へやった。かくて三路から呉をうかがって、ひたすら待機させていたのは、さすがに彼も曹操の血をうけた者であった。
× × ×
蜀の馬良は、漢中に着いた。ときに孔明は漢中に来ていた。
「ご意見もあらば伺ってこいとの帝の仰せでありました。わが軍は、八百余里のあいだ、江に添い、山に拠り、いまや四十数ヵ所の陣地をむすび、その先陣は舟行続々呉へ攻め下っている勢いにあります」
自分で写してきた例の絵図をも取り出して、つぶさに戦況を伝えた。
しまったといわぬばかりに、孔明ははたと膝を打って嘆じた。
「ああいけない! 誰がそんな作戦をおすすめしたのか」
「他人の容喙ではありません。帝御自ら遊ばした布陣です」
「ううむ……漢朝の命数すでに尽きたか」
「なぜさように落胆なされますか」
「水流にまかせて攻め下るは易く、水を溯って退くは難い。これ一つ。また叢原をつつんで陣屋をむすぶは兵家の忌、これ二つ。陣線長きに失して力の重厚を欠く、これ三つ。……そうだ、馬良、足下はすぐ大急ぎで戦場へ帰れ。そして孔明の言を奏して、禍いを避け給えと、極力お諫め申しあげてくれ」
「もしその間に、陸遜の軍にお敗れ遊ばしたときは?」
「否々。陸遜は深くは追ってこない。何となれば、彼は魏が機会を狙っていることを、知らないでいるはずはない。――もし事急に迫った場合は、帝を白帝城に入れ奉るがよい。先年、自分が蜀に入るとき、後日のため、そこの魚腹浦に、十万の兵を伏せておいた。もし陸遜がうかうか追ってくれば、彼は生捕られるばかりだろう」
「魚腹浦なら何度も往来していますが、ついぞ一兵も見たことはありません。嘘でしょう、今のおことばは」
「いや、今に分る」
一章をしたためて、孔明は成都へ帰り、馬良はふたたび呉の戦場へ馬をとばした。
× × ×
呉の陸遜はすでに行動を開始していた。――機到れりと、諸軍をわけて、まず江南第四の蜀軍を捕捉にかかったのである。
そこは蜀の一将傅彤が守っていた。これへの夜襲に、呉の凌統、周泰、韓当などが、われこそと挙って先鋒を志願したが、陸遜は何か思う旨があるらしく、
「淳于丹に命じる」
と、特に指名して五千騎をさずけ、徐盛、丁奉を後詰にさし向けた。
四
特に選ばれた奇襲の任を名誉として、その夜、蜀の第四陣へ襲せた淳于丹は、思いもかけぬ南蛮勢や敵将傅彤の武勇に撃退されて、ひどい損害をうけたのみか、一命まで危ういところを、辛くも後詰の丁奉と徐盛の二軍に救われて帰ってきた。
「面目もありません。軍律に照して、敗戦の罪をお訊し下さい」
満身にうけた矢を抜きもあえず、彼は陸遜の前に出て詫び入った。
「少しもご辺の罪ではない」
陸遜はあえて科めない。むしろ自分の罪だといって、
「まこと昨夜の奇襲は、蜀の虚実を知るため、淳于丹をもって、ちょっと当らせてみただけに過ぎない。しかしそのため、我輩は蜀を破るの法を悟った」
徐盛がすかさず質問した。
「昨夜のようなことをくり返していたらいたずらに兵を損じましょう。破る法とは?」
「それは今、天下に孔明よりほか知るものはないだろう。幸いに、この戦陣に孔明はいない。これ天が我輩に成功を与えるものだ」
螺手を呼んで、彼は貝をふかせた。陣々大小の将士はそれによってたちまち彼の前に集合した。すなわち陸遜は軍令壇に立って諸大将に大号令を下した。
「われ戦わぬこと百数十日、天雨を注がぬこと月余。いまや機は熟し、天の利、地の利、人の利ことごとく我にあり矣。――まず朱然は、茅柴の類を船手に積み、江上に出て風を待て、おそらくは明日の午の刻を過ぎる頃から東南の風が波浪を捲くだろう。風起らば江北の敵陣へ寄せ、硫黄焔硝を投げて、彼の陣々を風に従って焼き払え。――また韓当は一軍を率いて、同時に江北の岸へ上陸する。周泰は江南の岸へ攻めかかれ。そのほかの手勢は臨機に我輩のさしずを待て。かくて明夜をいでず、玄徳のいのちは呉の掌のうちのものとなろう。いざ征け」
大都督の就任以来、このように積極的な命令が発せられたのは初めてであるから、朱然、韓当、周泰などもみな勇躍して準備についた。
果たせるかな、翌日午の刻の頃おいから、江上一帯に風波が立ちはじめた。その折、蜀の中軍に高々と翻っていた旗が折れた。
「そも何の兆か」
玄徳が眉をひそめると、程畿が奉答した。
「これ、夜襲の兆と古くからいわれています」
するとそこへ江岸を見張っている番の一将が来て知らせた。
「昨夜から江の上に、無数の舟が漂って、この風浪にも立ち去りませんが」
玄徳はうなずいて、
「それはもう聞いておる。擬兵の計であろう。令なきうちは、みだりに動くなと、舟手へも厳戒しておけよ」
次にまた一報があった。
「呉軍の一部が、東へ東へと、移動してゆくそうであります」
「しきりに誘いを試みておるものと思われる。まだうごく時機ではない」
やがて日没の頃、江北の陣地から煙があがった。失火だろうと眺めていると、少し下流の陣からもまた火があがった。
「この強風に心もとない。関興、見廻って来い」
宵になっても火は消えない。いや北岸ばかりでなく、南岸にも火災が起った。玄徳はすぐ張苞を走らせて、万一の救けにさし向けた。
「いぶかしい火である」
夜空はいよいよ真っ赤に焦げただれるばかりだった。波の音か、人間の叫喚か、すさまじい烈風が飛沫を捲き、砂をとばした。
「や、や。ご本陣の近くにも」
誰やらがふいに絶叫した。
乾ききッている木の葉がちりちり焼け出している。それは帝玄徳の陣坐するすぐ附近の林からであった。
「すわ」
と、彼の帷幕が狼狽を起したときは、敵か味方か、見分けもつかぬ人影が、右往左往、煙の中を馳け乱れていた。
「敵だっ。呉兵だっ」
玄徳の眼の前で、もう激しい戦闘が描きだされた。彼は、諸人に囲まれて、馬の背へ押し上げられていた。けれど、そこから味方の馮習の陣まで走るあいだに、戦袍の袖にも、馬の鞍にも、火が燃えついていた。いや走る大地の草も空の梢も火となっている。
五
――ところが、辿りついた馮習の陣も、真っ黒な混乱の最中だった。ここでは火ばかりでなく、呉の大将徐盛が襲って、猛烈な炎を味方として、攻め立てていたのである。
「こは、何事?」と、玄徳は茫然としかけた。敵の計の渦中に墜ちているときは、自身の位置が的確に分らないものだった。玄徳の心理はそれに似ていた。
「だめです。ここも危険です。この上は、白帝城へ、一刻も早く白帝城へ」
誰か、扈従のうちで叫ぶ。その声はわななき、それに答える声は、煙にむせぶ。
夢中で、彼は駒をとばした。焔の中を。煙の中を。それを見て、馮習は、
「お供せん」と、十数騎つれて、追い慕ってきたらしかったが、途中、徐盛に出合って、部下もろとも討たれてしまった。
「それ、玄徳を生捕れ」
と馮習の首をあげた徐盛は、勢いを加えて、道を急いだ。
玄徳の前にはまた、呉の丁奉が一軍を伏せて待っていた。
当然、挟撃されて、進退きわまってしまった。
もしここへ、味方の傅彤や張苞などが馳けつけて来なかったら、彼の運命は呉の大将どもに託されていただろう。しかし折よく彼を慕ってきた味方の救いが間に合ったので、だんだんと厚い囲みに守られ、馬鞍山をさして逃げ落ちた。
山の頂まで逃げ上って、玄徳は初めて人心地をよびもどした。さあれそこの高きから一方の闇を見渡せば、驚くべし、蜿蜒七十里にも連なる火焔の車輪陣が、地をやき空を焦がしている。ここに立って初めて、玄徳は陸遜の遠大な火計の全貌を知ったのであった。
「恐るべきは陸遜だ」
時すでに遅く、彼が天を仰いで痛嘆したとき、その陸遜の軍は、馬鞍山のふもとを厚く取り巻いていた。そしてこの一山も火と化してしまうつもりか、諸方の山道から火をかけた。百千の大火龍は、宙をのぞんで、攀じのぼって来る。
金鼓のあらし、声のつなみ、玄徳を囲む一団は、立往生のほかなかった。しかし血気な関興、張苞などが側にある。
「お気づかい遊ばすな」
と、火炎のうすい一道から江岸へ出る麓へ向って遮二無二かけ降って行った。
ところが、焔の見えないこの道には陸遜軍の伏兵が待っていた。突破して、危地は抜けたものの、伏兵は数を加えてどこまでも追撃してくる。
「火攻めの敵は火で防げ」
誰やらが、とっさの機智で、道芝へ火をつけた。だが急場の支えに足りない火勢なので、蜀軍はみな矢を折り、甲を投げこみ、旗竿まで焼いて、火勢の助けとした。
そのため、火は樹々の枝へのぼって、いちどに猛烈な火力をあらわし、追撃してくる呉兵をようやく喰いとめた。
しかしそうして江岸へ出るや、また新手の敵に出会った。呉の大将朱然がひかえていたのである。
引き返して、谷へ避けると、鬨の声とともに、谷の底から陸遜の旗が湧いてきた。いまは、ここに死なんと、玄徳が絶望のさけびを放ったとき、ふたたび思いがけない援軍が彼の前にあらわれた。
常山の趙雲子龍であった。
どうして、趙雲がこれへ来たかといえば、彼の任地江州は漢中よりもどこよりも最も戦場に近かったので、孔明が馬良と別れて、成都へ帰る際に、
(即刻行って、帝を助けよ)
と、一書を飛ばしておいたものと思われる。
いずれにせよ、趙雲の来援は、地獄に仏であった。が、それにしても何と変ったことだろう。かつて玄徳が初めてこの白帝城に入ったときは、七十五万の大軍が駐屯していたものなのに、今はわずか数百騎の供しか扈従していなかったという。
もっとも趙雲子龍や関興、張苞などの輩は、帝が城に入るのを見とどけると敗軍の味方を糾合すべく、すぐ城外からもとの路へ引き返していた。