正月十五夜

 漢中の境を防ぐため、大軍を送りだした後も、曹操は何となく、安からぬものを抱いていた。
 管輅の予言に。――明春早々、都のうちに、火の災いあらん――とあるそのことだった。
「都というからには、もちろん、この鄴都ではあるまい」
 夏侯惇をよんで、兵三万を附与した。そして、
許都に入らず、許都の郊外に屯して、不慮の災いに備え、また長史王必を府内に入れて、御林の兵馬は、すべて彼の手に司どらせよ」と命じた。
 司馬仲達が、側で眉をひそめた。
「王必を御林軍の師団長に任ずるのはいかがなものでしょうか。彼は酒を好み、弛みのある男ですから、悪くすると、軍の統率を誤るかもしれません」
「いや、王必の短所は、予も知っているが、あれも長らく麾下にあって、予と艱難を共にし、まずまず忠実に勤めてきた者。今日、御林軍の師団長ぐらいに挙げてつかわしても、そう破格なこともあるまい」
 曹操には、曹操にもあるのかしらと思われるような、こういう一面の寛度と情味もあった。ここらが、彼に仕える人物が長く彼を離れないでいる一つの理由というよりはうま味というものであったろう。
 ともあれ、命をうけた夏侯惇は、兵をひきいて、許都の府外に宿営し、王必はそういうわけで、御林軍の長となって、日々、禁門や市街の警備にあたり、その営を東華門の外においていた。
 これは曹操にしてみれば災いを未然に防ぐ消極的な一工作に過ぎなかったが、皇城を中心として、彼の魏王僭称以来、とみに激化していた純粋な朝臣たちには、かなり大きな刺戟を与えた。
近衛の司令を、王必に替え、府外に三万の兵を待機させておくは、何か容易ならぬ企みがあるに違いない」
「おそらく、曹操がこの次に望んでいるものは、魏王以上のものだろう。近いうちに、不逞な実行をあえてして、おのれ漢朝の世代を継いで皇帝を名乗らんとする下心にちがいない」
 早くもこういう見解が、一派の漢朝の忠臣間にささやき伝えられた。さなきだに曹操が魏王を称して、天子にひとしい車服儀仗を用いるを眺めて、切歯扼腕していた一派の輩は、
「捨ておくべきでない」と、同志のあいだに、密々、連絡をとっていた。
 ここに、耿紀字を季行という者があった。侍中少府に奉仕し、つねに朝廷の式微を嘆き、同志の韋晃と血をすすり合って、
「いつかは」と、時節を期していたところが、この情勢なので、当然、大きな衝動をうけ、
「われら漢朝の旧臣たるもの、豈、曹操と共に大悪をなすべけんや」
 と、ひそかに友の韋晃に心中を洩らしていた。
 韋晃もいった。
「坐して、その大悪を見ているにも忍びない。むしろ、彼らの機先を制し、かねての大事をこの時に挙げるに如くはあるまい。――それには、もう一名、有力な味方も見つけておいた」
「それは頼もしいが、魏王に媚びざれば、人でないかのような今、そんな人がいるだろうか」
「漢の金日磾の末裔――あの金褘だ。実はその金褘と自分とは、友人以上の情をもって交わっている」
「そりゃあ、あてにならん」
 耿紀は失望したばかりでなく、かえって、同志のひとりがそんな者と親しいのを、非常に不安がるような顔をしていった。
「金褘といえば、王必の親友じゃないか。その王必は、曹操の股肱だ。――君ひとりが金褘にとって無二の友だなんてうぬぼれていると、大きな間違いの因になりはせんか」

「いやいや。王必の交わりと、自分との交わりとは、まったく意味がちがう」――と、韋晃は自信をもって、
「試みに、君と僕と、ふたりして金褘を訪問し、彼の心をひいてみるのが一番いい」と、いった。
「さらば、金褘の志を、試したうえで」と、二人は早速、その邸へ出向いた。家園は郊外に近い閑静なところにあり、主の風雅と、清楚な生活ぶりがうかがわれる。
「これはおめずらしい。せっかくのお越しでも、何もないが、ゆるりと茶でも煮て語りましょう」
「いやご主人。きょうは友人の耿紀と一緒に、ちと俗なお頼みで来たので。詩画の談はあとにして下さい」
「わしに、お頼みとは?」
「余の儀でもありませんが、近いうちに、魏王曹操には、いよいよ漢朝の大統をみずからお継ぎになろうとするのではありませんか。――何となく情勢から推してそんな気がするのですが」
「ふむ。……そうかの」
「――と、なれば、きっと、尊台にも、ご栄職につかれ、いよいよ官位もお進みになりましょう。その折には、ぜひわれら両名にも、何か役儀を仰せつけ下すって、日頃のよしみにお引立てくださるよう。今からお願い申しに来たわけです」
 ふたりが揃って頭を下げると、金褘はその間に、黙って席を立ってしまった。そして、ちょうどそこへ、召使いが茶を運んでくると、
「こんな客に茶など出さなくてもよい」
 と、盆ぐるみとり上げて、庭園へほうり捨てた。
 むっとした色を見せて、韋晃も立ち上がり、耿紀も席を蹴った。
「こんな客とは何だっ、こんな客とは!」
「客というもけがらわしい。疾く帰り給え。人なりと思えばこそ、客として室に迎えたものの、君らは人間ですらない」
「怪しからぬ暴言を。――ははあ読めた。やがて自分の出世も約束されているので、もう高位顕官を気どり込み、われわれ如き末輩とは同席もならんというわけか。はてさて日頃の誼みなどというものは頼りにならんものだ。おい耿紀、こんな所へ引立てを頼みに来たのが誤りだ、帰ろう」
 すると今度は、主の金褘が、扉の口に立ちふさがって通さなかった。
「待てっ、虫けらどもっ」
「虫けらとは、聞き捨てならん。汝こそ、常日頃の友達がいも知らぬ犬畜生。いてくれといっても、もういてやるものか。そこを退け」
「たれが、引止めるものか。しかし一言いって聞かせることがある。よく聞け。そもそも、汝の如き若輩でも心の友よと、ひそかにわしがゆるしていたのは、ただただ互いに漢朝の旧臣たり、また、年久しき帝の御悩みやら、朝儀の御式微を相嘆いて、いつかはこの浅ましき世を建て直し、ふたたび回天の日を仰ぎ見んものという志を同じゅうする者と思えばこそであった。――しかるに何ぞや、いま黙って聞いていれば、魏王がやがて漢朝の代を奪ることも近いであろうから、そのときには、よき官職に取立ててくれと? ……よくそんなことが漢朝の臣としていえたものだ。実に聞くだに胸がむかついてくる。卿らの祖先はいったい、曹操の下僕だったのか。いやしくも歴代朝門に仕えてきた人々の末裔ではないか。泉下の祖先たちはおそらく慟哭しているだろう。――そしてこの金褘がかく罵ることばを、よくいってくれたと、せめて慰めているにちがいない。ああ、いうだけのことをいって胸がすうっとした。もう用はない。絶交だ。とっとと裏口からでも何処からでも出て行くがいい」
「…………」
 耿紀、韋晃のふたりは、思わず眼を見あわせた。
 そして、うなずきあうと、
「今のおことばはご本心ですか」
 と、左右からすり寄った。
 金褘は、なお怒りを醒まさず、
「あたりまえだ。本心でなくてこんなことがいえるか。さあ、文句をいわずに出て行き給え」
 と、身をひらいて、扉口を指さした。

「先刻からの無礼はおゆるし下さい。実は、あなたのお心を試したのです。鉄の如き忠胆、いつに変らぬ義心、よく見とどけました」
 韋晃も、また耿紀も、そういって、彼の足もとへひざまずいた。
 金褘は茫然としていた。
 そこで初めて、二人は意中を打明けた。今にして日頃の素志を貫かなければ、ついに曹操大野望は、難なくここに実現を見ることになろうと、近時の形勢から推論して、
「まず、彼に先んじて、王必を刺し殺し、御林の兵権をわれわれの手に収めてから、天子を擁して、急使を蜀へはしらせ、蜀の玄徳に天子を扶けよと、綸旨を伝えるならば、この際、曹操を伐つことは決して難事ではないと考えられます。どうか、あなたはわれわれの上に立って、禁門方を指揮して下さい」と、涙をたれて赤心を吐いた。
 金褘はもとよりそれにも勝る憂いを抱いていたので、互いに手を取って朝廷のために哭き、
「誓って国賊を除かん」
 と、恨気天を衝くものがあった。
 以来、日々夜々、同志は人目をしのんでは、金褘の家に会していたが、ある折、金褘が二人に諮った。
「卿らも、或いはご承知だろうが、亡き太医吉平に二人の遺子がある。兄を吉邈といい、弟を吉穆という。父の吉平は、知ってのとおり、国舅の董承と計って、曹操をのぞかんとし、かえって事あらわれて、曹操に斬られた者だ。――いま、その兄弟をよんで、われらの企みを話してやれば、おそらく、彼らは、勇躍して、父の仇を報ぜんというであろう。そしてかならず味方の一翼となること疑いないが、卿らはどう思われるか」
「それはぜひ呼んで下さい」
「異存なければ」と、金褘はすぐ使いを出した。
 若い凛々しい男が二人、夜に入ってやってきた。太医吉平の子である。父を曹操に殺され、世にも出ず、人の情けで育てられてきたこの多感な若者たちが、金褘、韋晃などから大事を打明けられて、「時こそ来れり」と、感奮したことはいうまでもない。
 かかるうちにその年も暮れた。そして正月十五日の夜は、毎歳、上元の佳節として、洛中の全戸は、紅い燈籠や青い燈を張りつらね、老人も童児も遊び楽しむのが例になっている。
 一同は、この夜を、大事決行の時と、手ぬかりなく、諜しあわせていた。
 その手筈は。
 東華門の王必の営中に、火がかかるのを合図に、内外から起って、先ず彼を伐ち、すぐ一手になって、禁裡へ馳せつけ、帝に奏して、五鳳楼へ出御を仰ぎ、そこへ百官を召し集めて、劃期的な宣言をする。同時に、帝の綸旨を、請う。
 一面、吉邈兄弟は、城外に火を放って、声々に、
(天子の勅命によって、こよい国賊を伐つ。民は安んじて、ただ朝廷をお護りし奉れ。若き者は、錦旗のもとに馳せつけ、一かたまりとなって、鄴都へすすめ、鄴都には悪逆無道、多年、天子を悩まし奉り、汝らを苦しめたる曹操があるぞ。蜀の玄徳も、すでに曹操を討つべく、西より大軍をさし向けつつあるぞ。行けや、行けや、時を移すな)
 と呼ばわらせ、御林軍のほかに、民兵も大いに集めて、気勢を昂げようというのであった。
 各〻、秘密をちかい、天地に祈って、血をすすり、待つほどに、その日は来た。正月十五日の黄昏どき。
 耿紀、韋晃たちは、前の日から休暇を賜わって、各〻の邸にいた。手飼いの郎党から召使いの奴までを加えると四百余人はいる。また吉邈兄弟も、親類一族をかりあつめ、約三百余人の同勢を作って、
「郊外へ狩猟に行く」
 と称し、ひそかに武具を揃え、馬をひきだし、物見を放って、街の空気をうかがわせていた。
 さて、もう一名の同志金褘は、王必と交わりがあるので、夕方から彼の招待をうけて、東華門の営へ出かけていた。

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