朝の月
一
七日にわたる婚儀の盛典やら祝賀の催しに、呉宮の内外から国中まで、
「めでたい。めでたい」
と、千載万歳を謳歌している中で、独りひそかに、
「何たることだ」と、予想の逆転と、計の齟齬に、鬱憤のやりばもなく、仮病をとなえて、一室のなかに耳をふさぎ眼を閉じていたのは呉侯孫権だった。
すると、柴桑の周瑜から、たちまち早馬をもって、一書を送ってきた。
うわさを聞いて、周瑜も仰天したらしい。
金瘡の病患がまだ癒えぬため、参るにも参られず、ただ歯がみをしておるばかりですが、かくてやはあると、自ら心を励まし病中筆をとって書中に一策を献ず。ねがわくは賢慮を垂れ給え――
という書き出しに始まって、縷々と今後の方策がしたためてあった。
「周瑜からこういう謀を施せといってきたが、この計はどうだろう。また失敗に終ったら何もならぬが」
張昭に相談すると、張昭は、書簡の内容を検討してから、
「さすがに都督の遠謀、感心しました。――元来、劉玄徳は、少年早くより貧賤にそだち、その青年期には、各地を流浪し、まだ人間の富貴栄耀の味は知りません。……ですから周瑜都督が示された計の如く、彼に、ほしいままなる贅沢を与え、大厦玉楼に無数の美女をあつめ、錦繍の美衣、山海の滋味と佳酒、甘やかな音楽、みだらな香料など、あらゆる悪魔の歓びそうな物をもって、彼の英気を弱めにぶらせ、荊州へ帰ることを忘れさせれば、彼の国もとにある孔明、関羽、張飛らも、あいそをつかし、怨みをふくんで、自然、離反四散してしまうにちがいありません」
と、案を打って賛同した。
孫権はよろこんで、
「では、玄徳の骨も腐るまで、贅沢の蜜漬にしてくれよう」
と、ひそかにその方針へかかり始めた。
すなわち呉の東府に一楽園を造築した。楼宮の結構は言語に絶し、園には花木を植え、池畔には宴遊船をつなぎ、廊廂には数百の玻璃燈をかけつらね、朱欄には金銀をちりばめ、歩廊はことごとく大理石や孔雀石をもって張った。
「兄君もやはり心では妹が可愛いんですね。わたくしたち二人のために、こんなにまでして下さるなんて」
呉妹――今では玄徳の妻たる新夫人は、そういって感謝した。
この若い新妻を擁して、玄徳はここに住んだ。金珠珍宝、無いものはない。綺羅錦繍、乏しいものはない。
食えば飽満の美味、飲めば強烈な薫酒、酔えば耳に猥歌甘楽、醒むれば花鳥また嬋娟の美女、――玄徳はかくて過ぎてゆく月日をわすれた。――いや世の中の貧乏とか、艱苦とか、精進とか、希望とかいうものまでをいつか心身から喪失していた。
「……ああ、困ったものだ」
それを見て、毎日、溜息ばかりついていたのは、彼の臣、趙雲子龍だった。
「そうだ……一難一難、思案にあまったら嚢をひらけと軍師にはいわれた。あの錦の嚢の第二は今開くときだろう」
孔明から餞別に送られたその内の一つを、趙雲は急に開けてみた。すると果たして孔明の秘策が今の心配によく当てはまっていた。彼はさっそく侍女を通じて、玄徳に目通りを求めた。
「たいへんです。こうしてはおられません」
いきなり告げたので、玄徳も驚かされた。
「何事が起ったのか?」
「赤壁の怨みをそそぐなりと号して、曹操みずから五十万騎を率い、荊州へ攻めこんで来たとあります」
「えっ、荊州へ……。た、たれが報らせてきた、そのようなことを」
「孔明が早舟を飛ばして、自身、呉の境まで注進に来たのです。荊州の危機、今に迫る。国もとへ君を迎えて、一刻もはやく対策を講ぜねば、荊州の滅亡は避け難し――とあって」
「それは、一大事」
「さ。すぐお帰り下さい」
二
「ううむ。そうか……」とのみで、しばらく沈思していたが、やがて玄徳は、肚を決めたもののように面をあげ、趙雲へいった。
「よし。帰ろう」
「では、直ちに?」
「いや少し待て。妻にもこのことを諮るから」
「それはいけません。ご夫人に相談遊ばせば、お引きとめあるは必定です」
「そんなことはない。予にも考えがある」
玄徳は、奥へかくれた。
そして妻の室を訪うと、夫人は良人を迎えながらすぐ云った。
「どうしても今度は荊州へお帰りにならねばなりませんか?」
「えっ……。誰にそれを聞きましたか」
「ホホホ。あなたの妻ですのに、そのくらいなことが分らないでどうしましょう」
「はや承知なれば、多くもいわぬ。玄徳はすぐ帰国せねばならん。荊州は滅亡の危うきに瀕している。そなたの愛に溺れて、国を失うたとあっては、世の物笑い、末代までの廃れ者になろう」
「もとよりです。武門の御身として、この期に、未練がましいことあっては、生涯人中に面は出せません」
「よくいうてくれた。戦場に臨むからにはいつ討死を遂げるやもしれん。そなたともまた再会は期し難い。長春数旬の和楽、それも短い一夢になった」
「なぜそのような不吉を仰せ出されますか、夫婦の契りはそのように儚いものではありますまい。また短いものとも思いません。生ける限りは――いえいえ九泉の下までも」
「さは云え、別れねばならぬ身をどうしよう」
「わたしも共に参りまする」
「えっ、荊州へ」
「当然ではございませんか」
「呉侯が許すまい。母公も決して許されまいが」
「兄に知れたら大変でしょう。けれど母には別に説く途があります。必ずお心を苦しめ給うには及びません」
「どうしてこの呉城の門を出るか」
「もう今年も暮れます。元日の晨までお待ち遊ばせ。わたくしはその前に老母の許へ行って告げましょう。元日の朝、朝賀のため、江のほとりに出て、先祖をお祀りして参りますと――。母は信心家ですからそういうことをするのは大変歓びます」
「なるほど、それは名案だが、そなたはなお、それから先の途上の艱苦や、戦乱の他国へ行っても、後に呉を離れたことを悔いたり悲しんだりしないでいられるだろうか」
「お別れして、ひとり呉に残っていたとて、なんの楽しみがありましょう。良人の側にさえいるなら、炎の裡、水の中、どこにでも生き甲斐があると信じます」
玄徳は嬉しさに涙を催した。彼はまたひそかに趙雲を人なき所へよんで、妻の真情を語り、また策をささやいて、
「元日の朝、人目に立たぬよう、長江の岸へ出て待っておれ」と、打合わせた。
趙雲は、念を押して、
「昔日の事をお忘れなく。必ずとも、孔明の計と齟齬遊ばさぬように」といって去った。
明くれば、建安十五年となる。その元旦は、まだ暁闇深く、朝の月を残していたが、東天の雲には早、旭日の光がさし昇りかけていた。
吉例通り、呉宮の正殿には、除夜の万燈がともされたまま、堂には文武の百官がいならび、呉侯孫権に拝賀をなし、万歳を唱え、それから日の出とともに、酒を賜わることになっている。
折もよし、人目は少ない。
玄徳は夫人呉氏とともに、母公の宮房をそっと訪うて、
「では、これから江の畔へ行って、先祖の祀りをして参ります」と告げた。
玄徳の父母祖先の墳墓は、すべて涿郡にあるので、母公は、婿の孝心を嘉し、それに従うのはまた、妻の道であると、機嫌よく夫婦を出してやった。
三
宮門を出るには、女房車の備えがある。夫人はそれに乗った。玄徳は美しい鞍をおいた駒にまたがる。
中門を出る。城楼門を出る。
誰も怪しまない。
番卒たちは、
「ほ、婿様と呉夫人が、おそろいで、どこへお出ましか」
と、羨望の眼を送るだけであった。
元旦の朝まだきである。人はみな酔っていた。まだ明けきらぬ暁闇の空には、白い朝の月があった。
外城門まで出ると、玄徳は、車を押す者や、供の武士たちをかえりみ、
「あの森の中に新泉がある。そち達はみな垢を浄めて来い。きょうは江の畔、先祖の祀りに行く。不浄は忌む」
と、いってそこへ追い払った。
かねてしめし合わせていたことなので、彼女はすでに車の中で身支度していた。平常でも腰に小剣を離さない夫人である。小さい弓を軽装に吊るし、頭から半身は被衣のような布で隠していた。
車を降りると、彼女は、従者の置いて行った一頭の駒へ、ひらと蝶のようにすがりついた。玄徳もすぐ鞭を当てる。
「うまく行きましたね」
「いや、これからだよ、運のわかれ目は」
しかし玄徳はニコと笑った。
呉夫人も微笑んだ。朝の月を避けた被衣の陰でもその顔は梨の花より白かった。
またたく間に、長江の埠頭まで来た。この頃、日はすでに登って揚子江の水はまばゆいばかり元朝の紅波を打っていた。
「あっ、わが君、オオ、ご夫人にも」
「趙雲か。とうとう来た。ここまでは上首尾だったが、すぐ追手が来ようぞ、急ごう」
「もとより覚悟のこと、趙雲がお供仕るからにはご心配には及びません」
かねて五百の手勢は、趙雲と共にここに待ち受けていたので、玄徳と夫人を警固し、まっしぐらに陸路をとって国外へ急いだ。
幸いにも、このことが、呉侯の耳に入るまでには、それから半日以上もひまがかかった。原因は、外城門まで、夫人の車を押して出た士卒や供の武士が、
「どこまでお出でになったのか」と、かかる出来事とも知らず、江辺を捜し廻ったり、後難をおそれていたずらに上訴の時を移していたためである。
いよいよそれと真相が判明したのはすでに夕方に迫っていた。終日の宴に呉侯は大酔して眠っていたところであったが、聞くや否、冲天の怒気をなして、
「おのれ履売りめ、恩を仇で返すばかりか、わが妹を奪って逃げるとは」
と、傍らの几にあった玉硯をつかんで床に砕いたという。
それからのあわただしい評議。間もなく宵の城門を、五百余りの精兵が、元日の夜というのに、剣槍閃々と駈けだしてゆく。
呉侯孫権の怒りはしずまらず、彼の罵る声が、夜になっても呉城の灯をおののかせていた。急を聞いて登城した程普が、おそるおそる彼にたずねた。
「追手の将には、誰と誰をおつかわしになりましたか」
「陳武と潘璋をやった」
「ご人数は」
「五百」
「ああ、それではだめです」
「なぜだ」
「すでに呉妹君には、一たん良人と契られた玄徳に深く同意あそばして、このご脱出とぞんじます。さすれば、女性ながら、日頃より尚武のご気質、あの男まさりな御剛気は、呉の将士とはいえ、みな深く怖れているところです。いわんや陳武、潘璋のごときでは」
孫権はそう聞くと、いよいよ憤って、たちまち、蒋欽、周泰の二将をよび立て、
「汝ら、この剣を持って、玄徳を追いかけ、必ず彼奴を両断し、また予の代りに、妹の首をも打って持ってこい。もし命に違うときは、きっと、其方どもを罪に問うぞ」
と、身に佩いたる剣を取りはずし、手ずから二将に授けて、早く行けと急きたてた。