功なき関羽
一
難路へかかったため、全軍、まったく進退を失い、雪は吹き積もるばかりなので、曹操は焦だって、馬上から叱った。
「どうしたのだ、先鋒の隊は」
前隊の将士は、泣かんばかりな顔を揃えて、雪風の中から答えた。
「ゆうべの大雨に、諸所、崖はくずれ、道は消え失せ、それに至るところ渓川が生じてしまったものですから、馬も渡すことができません」
曹操は、癇癪を起して、
「山に会うては道を拓き、水に遭うては橋を架す。それも戦の一つである。それに対って、戦い難いなどと、泣き面をする士卒があるかっ」
そして、彼自身、下知にかかった。傷兵老兵はみな後陣へ引かせ、屈強な壮士ばかりを前に出して、附近の山林を伐って橋を架け、柴や草を刈って、道を拓き、また泥濘を埋めて行った。
「寒気に怯むな。寒かったら汗の出るまで働け。生命が惜しくば怠るな。怠ける者は、斬るぞ」
剣を抜いて、彼は、土工を督した。泥と戦い、渓流と格闘し、木材と組み合いながら、まるで田圃の水牛みたいになって働く軍卒の中には、このとき飢餓と烈寒のため、斃れ死んだ者がどれほどあったか知れない程であった。
「あわれ、矢石の中で、死ぬものならば、まだ死にがいがあるものを」と、天を恨み、また曹操の苛烈な命令に喚く声が、全軍に聞えたが、曹操は耳にもかけず、かえって怒り猛って、
「死生自ら命ありだ。なんの怨むことやある。ふたたび哭く者は立ちどころに斬るぞ」と、いった。
こうして、凄まじい努力とそれを励ます叱咤で、からくもようやく第一の難所は越えたが、残った士卒をかぞえてみるとわずか三百騎足らずとなり終っていた。
ことに、その武器と得物なども今は、携えている者すらなく、まるで土中から発掘された泥人形の武者や木偶の馬みたいになっていた。
「もうわずかだ。目的の荊州までは、難所もない」
曹操は、鞭を指して、将士のつかれた心を彼方へ向けさせ、
「あとは、ただ一息だ。はやく荊州へ行き着いて、大いに身を休めよう。頑張れ、もう一息」
と、励ました。
そして、峠を越え、約五、六里ばかり急いで来ると、曹操はまた、鞍を叩いて独り哄笑していた。
諸将は、曹操に向って、
「丞相。何をお笑いなさいますか」と、訊ねた。
曹操は、天を仰いで、なお、大笑しながら、
「周瑜の愚、孔明の鈍、いまこの所へ来てさとった。彼、偶然にも、赤壁の一戦に、我を破って、勢い大いにふるうといえども、要するに弓下手にもまぐれあたりのあるのと同じだ。――もしこの曹操をして、赤壁より一気に、敗走の将を追撃せしめるならば、この辺りには必ず埋兵潜陣の計を設けて、一挙に敵のことごとくを生捕るであろう。――さはなくて、無益な煙を諸所にあげ、われをして平坦な大道のほうに誘い、この山越えを避けしめんなど、まるで児ども騙しの浅い計といっていい」と、気焔を吐き、さらに、
「これがおかしくなくてどうするか。あははは、わははは」と、肩を揺すぶりぬいた。
ところが、その笑い声のやまないうちに、一発の鉄砲が彼方の林にとどろいた。たちまちに見る前面、後方、ふた手に分れて来る雪か人馬かと見紛うばかりな鉄甲陣。そのまっ先に進んでくるのはまぎれもなし、青龍の偃月刀をひっさげ、駿足赤兎馬に踏みまたがって来る美髯将軍――関羽であった。
二
「最期だっ。もういかん!」
一言、絶叫すると、曹操はもう観念してしまったように、茫然戦意も失っていた。
彼ですらそうだから、従う将士もみな、
「関羽だ。関羽が襲せて来る――」とばかりおののき震えて、今は殲滅されるばかりと、生きた空もない顔を揃えていたのは無理もない。――が、ひとり程昱は、
「いや何も、そう死を急ぐにはあたりません。どんな絶望の底にあろうと、最後の一瞬でも、一縷の望みをつないで、必死を賭してみるべきでしょう。――それがし、関羽が許都にありし頃、朝夕に、彼の心を見て、およそその人がらを知っている。彼は、仁侠の気に富み、傲る者には強く、弱き下の人々にはよく憐れむ。義のために身を捨て、ふかく恩を忘れず、その節義の士たることすでに天下に定評がある。――かつて玄徳の二夫人に侍して、久しく許都にとどまっていた当時、丞相には、敵人ながら深く関羽の為人を愛で給い、終始恩寵をおかけ遊ばされたことは、人もみな知り、関羽自身も忘れてはおりますまい」
「…………」
曹操は、ふと瞑目した。追憶はよみがえってくる。そうだ! ……と思い当ったように、その眸をくわっと見ひらいた時――すでに雪中の喊声は四囲に迫り、真先に躍って来る関羽の姿が大きくその眼に映った。
「おうっ……羽将軍か」
ふいに、曹操は、自身のほうからこう大きく呼びかけた。
そして、われから馬をすすめ、関羽の前へ寄るや否、
「やれ、久しや、懐かしや。将軍、別れて以来、つつがなきか」と、いった。
それまでの関羽は、さながら天魔の眷族を率いる阿修羅王のようだったが、はッと、偃月刀を後ろに引いて、駒の手綱を締めると、
「おう、丞相か」と、馬上に慇懃、礼をして、
「――まことに、思いがけない所で会うものかな。本来、久闊の情も叙ぶべきなれど、主君玄徳の命をうけて、今日、これにて丞相を待ちうけたる関羽は、私の関羽にあらず。――聞く、英雄の死は天地も哭くと。――いざ、いざ、いさぎよくそれがしにお首を授けたまえ」と、改めていった。
曹操は、歯を噛み合わせて、複雑な微笑をたたえながら云った。
「やよ、関羽。――英雄も時に悲敗を喫すれば惨たる姿じゃ。いま、われ戦いに敗れて、この山嶮、この雪中に、わずかな負傷のみを率いて、まったく進退ここにきわまる。一死は惜しまねど、英雄の業、なおこれに思い止るは無念至極。――もしご辺にして記憶あらば、むかしの一言を思い起し、予の危難を見のがしてくれよ」
「あいや、おことば、ご卑怯に存ずる。いかにも、むかし許都に在りし日、丞相のご恩を厚くこうむりはしたものの、従って、白馬の戦いに、いささか献身の報恩をなし、丞相の危急を救うてそれに酬う。今日はさる私情にとらわれて、私に赦すことは相成らぬ」
「いや、いや。過去の事のみ語るようだが、将軍がその主玄徳の行方をなお知らず、主君の二夫人に仕えて、敵中にそれを守護されていたことは、私の勤めではあるまい。奉公というものであろう。曹操が乏しき仁義をかけたのは、ご辺の奉公心に感動したからだった。誰かそれを私情といおうや。――将軍は春秋の書にも明るしと聞く。かの庾公が子濯を追った故事もご存じであろう。大丈夫は信義をもって重しとなす。この人生にもし信なく義もなく美というものもなかったら、実に人間とは浅ましいものではあるまいか」
諄々と説かれるうちに、関羽はいつか頭を垂れて、眼の前の曹操を斬らんか、助けんか、悶々、情念と知性とに、迷いぬいている姿だった。
三
――ふと見れば、曹操のうしろには、敗残の姿も傷ましい彼の部下が、みな馬を降り、大地にひざまずき、涙を流して関羽のほうを伏し拝んでいた。
「あわれや、主従の情。……どうしてこの者どもを討つに忍びよう」
ついに、関羽は情に負けた。
無言のまま、駒を取って返し、わざと味方の中へまじって、何か声高に命令していた。
曹操は、はっと我にかえって、
「さては、この間に逃げよとのことか」
と、士卒と共に、あわただしくここの峠から駈け降って行った。
すでに曹操らの主従が、麓のほうへ逃げ去った頃になって関羽は、
「それ、道を塞ぎ取れ」と、ことさら遠い谷間から廻り道して追って行った。
すると、途中、一軍のみじめなる軍隊に行き会った。
見れば、曹操のあとを慕って行く張遼の一隊である。武器も持たず馬も少なく、負傷していない兵はまれだった。
「ああ惨たるかな」と、関羽は、敵のために涙を催し、長嘆一声、すべてを見遁して通した。
張遼と関羽とは、旧くからの朋友である。実に、情の人関羽は、この悲境の友人を、捕捉して殺すには忍びなかったのである。――おそらく張遼もそれを知って、心のなかで関羽を伏し拝みながらこの死線を駈け抜けて行ったろうと思われる。
こうして虎口の難をのがれた張遼は、やがて曹操に追いついて合体したが、両軍合わせても五百に足らず、しかも一条の軍旗すら持たなかったので、
「ああ。かくも、悲惨な敗北を見ようとは……」と、相顧みて、しばし凋然としてしまった。
この日、夕暮に至って、また行く手の方に、猛気旺な一軍の来るのとぶつかったが、これは死地を設けていた伏勢ではなく、南郡(湖北省・江陵)の城に留守していた曹一族の曹仁が、迎えに来たものであった。
曹仁は、曹操の無事な姿を見ると、うれし泣きに泣いて、
「赤壁の敗戦を聞き、すぐにも駈けつけんかと思いましたが、南郡の城を空けては、後の守りも不安なので、ただご安泰のみを祈っていました」と、曹操が生きて帰ってくれたことだけでも、無上の歓喜として、今はかえって怨むことも知らなかった。
曹操もまた、「今度ばかりは、二度とこの世でそちに会うこともないかと思った」と、語りながら、共に南郡の城へ入って、赤壁以来、三日三夜の疲れをいやし、ようやく、生ける身心地をとり戻した。
戦塵の垢を洗い、暖かい食物をとり、大睡一快をむさぼると曹操は忽然、天を仰いで、
「……ああ。ああ」と、嗚咽せんばかり、涙を垂れて哭いた。
付添う人々は、怪しんで、彼に問うた。
「丞相、どうして、そんなにお哭きになるんです。たとえ赤壁に大敗なされても、この南郡に入るからには、人馬も武器も備わっているし、いつか再挙の日もありましょうに」
すると曹操は、かぶりを振りながら、
「夢に故人を見たのだ。――遼東の遠征に陣没した郭嘉が、もし今日生きていたらと思い出したのだ。予も愚痴をいう年齢になったかと思うと、それも悲しい。諸将よ、笑ってくれ」
と、胸を打って、
「哀しいかな郭嘉。痛ましい哉、奉考……ああ去って再びかえらず」
それから、曹仁を近く呼んで、
「予に生命のある限り、赤壁の恨みは必ず、敵国に報いずにはおかん、今は、しばらく都へ帰って、他日の再軍備にかかるしかない。汝はよく南郡を守っていてくれよ。やがて敵の襲撃に会ってもかならず守るを旨とし、城を出て戦ってはならんぞ」と、諭した。
四
この荊州の南郡から襄陽、合淝の二城をつらねた地方は、曹操にとって、今は、重要なる国防の外郭線とはなった。
で、曹操は、都に帰るに際して、ふたたび曹仁へこう云い残した。
「この一巻のうちに、こまごまと、計策を書いておいたから、もしこの城の守りがいよいよ危急に迫った時は、これを開いて、わが言となし、すべて巻中の策に従って籠城いたすがよい」
また、襄陽城の守備としては、夏侯惇をあとに留め、合淝地方は、ことに、重要な地とあって、それへは、張遼を守りに入れた。さらに楽進、李典の二名を副将としてそれに添えた。
こう万全な手配りをすまして、曹操はやがてここを去ったが、左右の大将も士卒もあらかた後の防ぎに残して行ったので、その時、曹操に従って都へかえった数は、わずか七百騎ほどに過ぎなかったという。
その頃――
夏口城の城楼には、戦捷の凱歌が沸いていた。
張飛、趙雲、そのほかの士卒は、みな戦場から立帰って、敵の首級や鹵獲品を展じて、軍功帳に登録され、その勲功を競っていた。
閣の庁上では、玄徳を中心に、孔明も立って、戦勝の賀をうけていたが、折ふしここへ、関羽もその手勢と共に戻って来て、悄然と拝礼した。
「おお、羽将軍か。君にも待ちかねておわしたぞ。曹操の首を引っさげて来たものはおそらくあなたであろう」
「…………」
「将軍。どうして、そのように不興気な顔をしてうつ向いておらるるか。いざ、功を述べて、勲功帳に記録を仰ぎたまえ」
「いや、……べつに何も……」
関羽は益〻、うな垂れているのみで、そのことばさえ、女のように低かった。
孔明は、眉をひそめながら、
「どうなされたのか。べつに何も……とは?」
「実は。……それがしのこれに来たのは、功を述べるためではなく、罪を請うためでござる。よろしく軍法に照らして罰せられたい」
「はて。……では、曹操はついに華容の道へは逃げ落ちて来なかったといわるるか」
「軍師のご先見にたがわず、華容道へかかっては来ましたが、それがしの無能なるため、討ち洩らしてござる」
「なに、討ち損じたと……あの赤壁から潰走した敗残困憊の兵でありながら、なお羽将軍の強馬精兵をも近づけぬほど、曹操はよく戦ったと申さるるか」
「……でも、ござらぬが。……つい、取り逃がしました」
「然らば、曹操は討たずとも、その手下の大将や士卒は、どれほど討ち取られたか」
「ひとりも生捕りません」
「挙げたる首級は」
「一箇もなし――でごさる」
「ウーム。……そうか」
孔明は、口をつぐんで、あとはただその澄んだ眸をもって、彼をながめているだけだった。
「関羽どの」
「はい」
「さてはご辺には、むかし曹操よりうけた恩を思うて、故意に、曹操の危難を見のがされたな」
「今さら、何のことばもござりませぬ。ただご推量を仰ぐのほかは……」
「だまれっ」
孔明は、その白皙な面に紅を呈して、一喝、叱るやいな、座後の武士を顧みて、命じた。
「王法は、国家の典形。私情をもって、軍令を無視した関羽の罪はゆるされん。諸君っ! 斬り捨ていッ、この柔弱漢を!」
五
孔明がこれほど心から怒ったらしい容子を見たのは、玄徳も初めてであった。
めったに怒らない優しい人が怒ったのは、ふつうの者の間でも恐ろしい気がするものである。いわんや軍師の座にあって、謹厳おのれを持していやしくもせず、日頃はあまり大きな声すら出さない孔明が、断乎、斬れ! と命じたのであるから、人々みな慄然とすくみ立って、どうなることかと思っていた。
「軍師――」と、急に彼のまえに迫って、膝を曲げないばかりに愍れみを仰いだのは、当の関羽ではなくて、玄徳であった。
「わしと、関羽とは、むかし桃園に義を結んで、生死を倶にせんと誓ってある。いわば関羽の死はわしの死を意味する。きょうの罪は赦しがたいものに違いないが、わしに免じて――いやわしにその罪科をしばし預けてくれい。後日、かならずこの罪を償うほどの大功を挙げさせるから。……軍師、大法を歪曲するのではなく、仮にしばらくその法断を待って欲しいのじゃ。たのむ」
身、主君たる位置にありながら、玄徳は、臣下の一命のために、臣下に対して、ひれ伏さないばかりであった。
何でそれまでを、孔明とて一蹴できよう。彼はわずかに面をそむけて、
「赦すことはできません。軍紀はあくまで厳然たる軍紀ですが、思し召のまま暫時、処断は猶予しましょう。関羽の罪は、おあずけしておきます」
と遂にいった。
× × ×
数万人の捕虜は、赤壁から呉へ運ばれて行った。
呉軍は、そのすべてを包有して、一躍大軍となり、また整備を増強して、江北へ押し渡って来た。
「玄徳から賀使が見えました。家臣の孫乾という者が、贈り物を献じ、戦勝のお祝いを述べるためにと――玄徳の使いで」
中軍にある周瑜のところへ、或る日、こういう取次があった。赤壁の大戦捷に、周瑜ばかりでなく、呉軍全体は、破竹の勢いを示し、士卒の端にいたるまで、無敵呉軍の誇りに燃えて、当るべからざるものがある。――この図に乗せてと、周瑜は、南郡へ攻略をすすめ、五ヵ所の寨を粉砕して、いまやそこの南郡城に肉迫して陣を取った日であった。
「ほう、玄徳からとな? ……そうか、すぐ通せ」
周瑜のことばに、使者孫乾は、直ちに案内されて来た。
四方山の話のすえに、周瑜は孫乾にこうたずねた。
「ご主君の玄徳や孔明は、目下どこにおられるか」
「されば、油江口におられます」
「えっ、油江口に?」
何か、驚いたらしい顔である。それからは、話もはずまなかったが、宴の終る頃、
「いずれ、それがし自身、ご返礼に出向くであろう。よろしく申し伝えてくれ」
と、追い帰すように、孫乾を帰した。
あくる日。――魯粛が、
「都督、きのうは、何であんな意外なお顔をなすったのですか」
「ムム。玄徳が油江口におることでか。それは聞き捨てならんではないか」
「なぜです」
「彼が油江口へ陣を移したとすれば、それは明らかに、南郡を攻め取ろうという野心があるからだ。われわれ呉軍が、莫大な軍馬銭粮を消費して、赤壁に勝っても、まだその戦果はつかんでおらぬ。――それを玄徳に先んじられては何のために戦ったか、意味をなさぬことになる」
「その儀は、疾くから私も、油断がならんと思っていました」
「さっそく、玄徳の陣を訪問したうえ、一本釘を打っておこう。――供の兵馬や贈り物の準備をしてくれい」
「承知しました。私も共に参りましょう」