孔明・風を祈る

 よほど打ち所が悪かったとみえる。周瑜は営中の一房に安臥しても、昏々とうめき苦しんでいる。
 軍医、典薬が駈けつけて、極力、看護にあたる一方、急使は、呉の主孫権の方へこの旨を報らせに飛ぶ。
「奇禍に遭って、都督の病は重態におちいった」
 と聞え、全軍の士気は、落莫と沮喪してしまった。
 魯粛はひどく心配した。呉魏決戦の火ぶたはすでに開かれている折も折だ。早速、孔明の住んでいる船へ出かけ、
「はや、お聞き及びでしょうが、どうしたものでしょうか」と、善後策を相談した。
 孔明は、さして苦にする容子もなく、かえって彼に反問した。
「貴兄はこの出来事についてどう考えておられるか」
「どうもこうもありません。この椿事は、曹操には福音であり、呉にとっては致命的な禍いといえるでしょう」
「致命的? ……そう悲観するには当りません。周都督の病たりとも、即時に癒えればよいのでしょう」
「もとよりそんなふうに早くご全快あれば、国家の大幸というものですが」
「いざ、来給え。――これから二人してお見舞してみよう」
 孔明は先に立った。
 船を下り、驢に乗って、二人は周瑜の陣営奥ふかく訪ねた。病室へ入って見ると、周瑜はなお衣衾にふかくつつまれて横臥呻吟している。――孔明は、彼の枕辺へ寄って、小声に見舞った。
「いかがですか、ご気分は」
 すると周瑜は、瞼をひらいて、渇いた口からようやく答えた。
「オオ、亮先生か……」
「都督。しっかりして下さい」
「いかんせん、身をうごかすと、頭は昏乱し、薬を摂れば、嘔気がつきあげてくるし……」
「何がご不安なのです。わたくしの見るところでは、貴体に何の異状も見られませんが」
「不安。……不安などは、何もない」
「然らば、即時に、起てるわけです。起ってごらんなさい」
「いや、枕から頭を上げても、すぐ眼まいがする」
「それが心病というものです。ただ心理です。ごらんなさい天体を。日々曇り日々晴れ、朝夕不測の風雲をくりかえしているではありませんか。しかも風暴るるといえ、天体そのものが病み煩っているわけではない。現象です、気晴るるときはたちまち真を現すでしょう」
「……ウムム
 病人は呻きながら襟を噛み、眼をふさいでいた。孔明はわざと打ち笑って、
「こころ平らに、気順なるときは、一呼一吸のうちに、病雲は貴体を去ってゆきましょう。それ、さらに病の根を抜こうとするには、やや涼剤を用いる必要もありますが」
「良き涼剤がありますか」
「あります。一ぷく用いれば、ただちに気を順にし、たちまち快適を得ましょう」
「――先生」
 病人は、起ち直った。
「ねがわくは、周瑜のため、いや、国家のために、良方を投じたまわれ」
「む、承知しました。……しかしこの秘方は人に漏れては効きません。左右のお人を払って下さい」
 すなわち、侍臣をみな退け、魯粛をのぞくほか、房中無人となると、孔明は紙筆をとって、それへ、

欲破曹公宜用火攻
万事倶備只欠東風

 こう十六字を書いて、周瑜に示した。
「都督。――これがあなたの病の根源でありましょう」
 周瑜は愕然としたように、孔明の顔を見ていたが、やがてにっこと笑って、
「おそれ入った。神通のご眼力。……ああ、先生には何事も隠し立てはできない」
 と、いった。

 季節はいま北東の風ばかり吹く時である。北岸の魏軍へ対して、火攻めの計を行なおうとすれば、かえって味方の南岸に飛火し、船も陣地も自ら火をかぶるおそれがある。
 孔明は、周瑜の胸の憂悶が、そこにあるものと、図ぼしをさしたのである。周瑜としては、その秘策はまだ孔明に打ち明けないことなので、一時は驚倒せんばかり愕いたが、こういう達眼の士に隠しだてしても無益だとさとって、
「事は急なり、天象はままならず、一体、如何すべきでしょうか」
 と、かえって、彼の垂教を仰いだのであった。
 孔明は、それに対して、こういうことをいっている。
「むかし、若年の頃、異人に会うて、八門遁甲の天書で伝授されました。それには風伯雨師を祈る秘法が書いてある。もしいま都督が東南の風をおのぞみならば、わたくしが畢生の心血をそそいで、その天書に依って風を祈ってみますが――」と。
 だが、これは孔明の心中に、べつな自信のあることだった。毎年冬十一月ともなれば、潮流と南国の気温の関係から、季節はずれな南風が吹いて、一日二日のあいだ冬を忘れることがある。その変調を後世の天文学語で貿易風という。
 ところが、今年に限って、まだその貿易風がやってこない。孔明は長らく隆中に住んでいたので年々つぶさに気象に細心な注意を払っていた。一年といえどもまだそれのなかった年はなかった。――で、どうしても今年もやがて間近にその現象があるものと確信していたのである。
「十一月二十日は甲子にあたる。この日にかけて祭すれば、三日三夜のうちに東風が吹き起りましょう。南屏山の上に七星壇を築かせて下さい。孔明の一心をもって、かならず天より風を借らん」
 と、彼は云った。
 周瑜は、病を忘れ、たちまち陣中を出て、その指図をした。魯粛孔明も馬を早めて南屏山にいたり、地形を見さだめて、工事の督励にかかる。
 士卒五百人は壇を築き、祭官百二十人は古式にのっとって準備をすすめる。東南の方には赤土を盛って方円二十四丈とし、高さ三尺、三重の壇をめぐらし、下の一重には二十八宿の青旗を立て、また二重目には六十四面の黄色の旗に、六十四卦の印を書き、なお三重目には、束髪の冠をいただいて、身に羅衣をまとい、鳳衣博帯、朱履方裙した者を四人立て、左のひとりは長い竿に鶏の羽を挟んだのを持って風を招き、右のひとりは七星の竿を掲げ、後のふたりは宝剣と香炉とを捧げて立つ。
 こうした祭壇の下にはまた、旌旗、宝蓋、大戟、長槍、白旄、黄鉞、朱旛などを持った兵士二十四人が、魔を寄せつけじと護衛に立つなど――何にしてもこれは途方もない大形な行事であった。
 時、十一月二十日。
 孔明は前日から斎戒沐浴して身を浄め、身には白の道服を着、素足のまま壇へのぼって、いよいよ三日三夜の祈りにかかるべく立った。
 ――が、その一瞬のまえに、
魯粛は、あるや」と、呼ばわった。
 壇の下からただちに、
「これにあり」と、いう声がした。
 孔明はさしまねいて、
「近く寄りたまえ」と、いい、そして厳かに、
「いまより、それがしは、祈りにかかるが、幸いに、天が孔明の心をあわれみ給うて、三日のうちに風を吹き起すことあらば、時を移さず、かねての計をもって、敵へ攻め襲せられるように――ご辺はこの由を周都督に報じ、お手ぬかりのないように万端待機せられよ」と、念を押した。
「心得て候う」とばかり、魯粛はたちまち駒をとばして、南屏山から駈けおりて行った。

 魯粛の去ったあとで、孔明はまた壇下の将士に戒めて云いわたした。
「われ、風を祈るあいだ、各〻も方位を離れ、或いは私語など、一切これを禁ず。また、いかなる怪しき事ありとも、愕き騒ぐべからず。行をみだし、法に反く者は立ちどころに斬って捨てん」
 彼は――そう云い終ると、踵をめぐらし、緩歩して、南面した。
 香を焚き、水を注ぎ、天を祭ることやや二刻。
 口のうちで、祝文を唱え、詛を切ること三度。なお黙祷やや久しゅうして、神気ようやくあたりにたちこめ、壇上壇下人声なく、天地万象また寂たるものであった。
 夕星の光が白く空にけむる。いつか夜は更けかけていた。孔明はひとたび壇を降りて、油幕のうちに休息し、そのあいだに、祭官、護衛の士卒などにも、
「かわるがわる飯を喫し、しばし休め」と、ゆるした。
 初更からふたたび壇にのぼり、夜を徹して孔明は「行」にかかった。けれど深夜の空は冷々と死せるが如く、何の兆もあらわれて来ない。
 一方、魯粛周瑜に報じて、万端の手筈をうながし、呉主孫権にも、事の次第を早馬で告げ、もし今にも、孔明の祈りの験しがあらわれて、望むところの東南の風が吹いてきたら、直ちに、総攻撃へ移ろうと待機していた。
 また、そうした表面的なうごきの陰には、例の黄蓋が、かねての計画どおり、二十余艘の兵船快舟を用意して、内に乾し草枯れ柴を満載し、硫黄、焔硝を下にかくし、それを青布の幕ですっかり蔽って、水上の進退に馴れた精兵三百余を各船にわかち載せ、
「大都督の命令一下に」
 と、ひそやかに待ち構えていた。
 もちろんこの一船隊は、初めから秘密に計を抱いているので、そこでは黄蓋と同心の甘寧、闞沢などが、敵の諜者たる蔡和蔡仲を巧みにとらえて、わざと酒を酌み、遊惰の風を見せ、そしていかにもまことしやかに、
(どうしたら首尾よく味方を脱して、曹操の陣へ無事に渡り得るか)
 と、降伏行の相談ばかりしていたのである。
 次の日もはや暮れて、日没の冬雲は赤く長江を染めていた。
 ところへ、呉主孫権のほうからも、伝令があって、
「呉侯の御旗下、その余の本軍は、すでに舳艫をそろえて溯江の途中にあり、ここ前線をへだつこと、すでに八十里ほどです」と、告げてきた。
 その本陣も、ここ最前線の先鋒も中軍も、いまはただ周瑜大都督の下知を待つばかりであった。
 自然、陣々の諸大将もその兵も、固唾をのみ、拳をにぎり、何とはなく、身の毛をよだてて、
「今か。今か」の心地だった。
 夜は深まるほど穏やかである。星は澄み、雲もうごかない。三江の水は眠れるごとく、魚鱗のような小波をたてている。
 周瑜は、あやしんで、
「どうしたということだ? ……いっこう祈りの験は見えてこないじゃないか。――思うにこれは、孔明の詐り事だろう。さもなければ、つい広言のてまえ、自信もなくやり出したことで、今頃は、南屏山の七星壇に、立ち往生のかたちで、後悔しているのではないかな」
 呟くと、魯粛は、側にあって、
「いやいや、孔明のことですから、そんな軽々しいことをして、自ら禍いを求めるはずはありません。もうしばらく見ていてご覧なさい」
「……けれど、魯粛。この冬の末にも近くなって、東南の風が吹くわけはないじゃないか」
 ああ、その言葉を、彼が口に洩らしてから、実に、二刻とて経たないうちであった。一天の星色次第にあらたまり、水颯々、雲※々、ようやく風が立ち始めてきた。しかもそれは東南に特有な生暖かい風であった。

「やっ? 風もようだが」
「吹いて来た」
 周瑜魯粛も、思わず叫んで、轅門の外に出た。
 見まわせば、立て並べてある諸陣の千旗万旗は、ことごとく西北の方へ向ってひるがえっている。
「オオ、東南風だ」
「――東南風」
 待ちもうけていたことながら二人は唖然としてしまった。
 突然、周瑜は身ぶるいして、
孔明とは、そも、人か魔か。天地造化の変を奪い、鬼神不測の不思議をなす。かかる者を生かしておけば、かならず国に害をなし、人民のうちに禍乱を起さん。かの黄巾の乱や諸地方の邪教の害に照らし見るもあきらかである。如かず、いまのうちに!」
 と、叫んで、急に丁奉、徐盛の二将をよび、これに水陸の兵五百をさずけて、南屏山へ急がせた。
 魯粛は、いぶかって、
「都督、今のは何です?」
「あとで話す」
「まさか孔明を殺しにやったのではありますまいね。この大戦機を前にして」
「…………」
 周瑜は答えもなく、口をつぐんだ。その面を魯粛は「度し難き大将」と蔑むように睨みつけていた。その爛たる白眼にも刻々と生暖かい風はつよく吹きつのってくる。
 陸路、水路、ふた手に分れて南屏山へ迫った五百の討手のうち、丁奉の兵三百が、真っ先に山へ登って行った。
 七星壇を仰ぐと、祭具、旗など捧げたものは、方位の位置に、木像の如く立ちならんでいたが、孔明のすがたはない。
孔明はいずこにありや」と、丁奉は高声にたずねた。
 ひとりが答えた。
「油幕のうちにお休み中です」と、いう。
 ところへ、徐盛の船手勢も来て、ともに油幕を払ってみたが、
「――おらんぞ」
「はてな?」
 雲をつかむように、捜しまわった。
 不意に討手の一人が、
「逃げたのだ!」と、絶叫した。
 徐盛は足ずりして、
「しまった。まだ、よも遠くへは落ちのびまい。者ども、追いついて、孔明の首をぶち落とせ」
 と、喚いた。
 丁奉も、おくれじと、鞭打って馬を早めた。麓まで来て、一水の岸辺にかかると、ひとりの男に会った。かくかくの者は通らなかったかと質すと、男のいうには、
「髪をさばき、白き行衣を着た人なら、この一水から小舟を拾って本流へ出、そこに待っていた一艘の親船に乗って、霞のごとく、北のほうへ消えました」
 徐盛、丁奉はいよいよあわてて、
「それだ。逃がすな」
 と、相励ましながら、さらに、長江の岸まで駈けた。
 満々と帆を張った数艘が、白波を蹴って上流へ追った。
 そしてたちまち先へ行く怪しい一艘を認めることができた。
「待ち給え、待ち給え。それへ急がるる舟中の人は、諸葛先生ではないか。――周都督より一大事のお言づけあって、お後を追って参った者。使いの旨を聞きたまえ」
 と、手をあげて呶鳴った。
 すると果たして、孔明の白衣のすがたが、先にゆく帆の船尾に立った。そして呵々と笑いながら此方へ答えた。
「よう参られたり、お使い、ご苦労である。周都督のお旨は承らずとも分っておる。それよりもすぐ立ち帰って、東南の風もかく吹けり、はや敵へ攻めかからずやと、お伝えあれ。――それがしはしばらく夏口に帰る。他日、好縁もあらばまたお目にかからん」
 声――終るや否、白衣の影は船底にかくれ、飛沫は船も帆もつつんで、見る見るうちに遠くなってしまった。

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