群英の会
一
敗戦の責任を問われるものと察して、蔡瑁、張允の二人は、はや顔色もなかった。
恟々として、曹操の前へすすみ、かつ百拝して、このたびの不覚を陳謝した。
曹操は、厳として云った。
「過ぎ去った愚痴を聞いたり、また過去の不覚を咎めようとて、其方たちを呼んだのではない。――要は、将来にある。かさねて敗北の恥辱を招いたら、その時こそ、きっと、軍法に正してゆるさんが、この度だけはしばらく免じておく」
意外にも、寛大な云い渡しに、蔡瑁は感泣してこういった。
「もとより、味方敗軍の責めは、われらの指揮の至らないためにもありますが、もっとも大きな欠陥は、荊州の船手の勢が総じて調練の不足なのに比して、呉の船手は、久しく鄱陽湖を中心に、充分、錬成の実をあげていたところにあります。――加うるにお味方の北国兵は、水上の進退に馴れず、呉兵はことごとく幼少から水に馴れた者どもばかりですから、江上の戦においても、さながら平地と異ならず、ここにも多分な弱点が見出されます」
それは曹操も感じていることだった。しかし、この問題は、兵の素質と、長日月の訓練にあることなので、急場には如何ともすることができないのである。
「では、どうするか」との問いに、蔡瑁は次のような献策をもって答えた。
「攻撃を止めて、守備の態をとることです。渡口を固め、要害を擁し、水中には遠くにわたって水寨を構え、一大要塞としておもむろに、敵を誘い、敵の虚を突き、そして彼の疲れを待って、一挙に、下江を図られては如何でしょう」
「ムム、よかろう。其方両名には、すでに水軍の大都督を命じてあるのだ。よしと信じることならいちいち計るには及ばん、迅速にとり行え」
こういうことばの裏には、曹操自身にも、水上戦には深い自信のないことがうかがえるのである。両都督の責めを間わず、罪をゆるして励ましたのも、一面、それに代るべき水軍の智嚢がなかったからであるといえないこともない。
いずれにせよ蔡瑁、張允のふたりは、ほっとして、軍の再整備にかかった。まず北岸の要地に、あらゆる要塞設備を施し、水上には四十二座の水門と、蜿蜒たる寨柵を結いまわし、小船はすべて内において交通、連絡の便りとし、大船は寨外に船列を布かせて、一大船陣を常備に張った。
その規模の大なることは、さすがに魏の現勢力を遺憾なく誇示するものだったが、夜に入ればなおさら壮観であった。約三百余里にわたる要塞の水陸には篝、煙火、幾万幾千燈が燃えかがやいて、一天の星斗を焦がし、ここに兵糧軍需を運送する車馬の響きも絡繹と絶えなかった。
「近頃、上流にあたる北方の天が、夜な夜な真赤に見えるが、あれは抑、何のせいか」
南岸の陣にある呉の周瑜は、怪しんで或る時、魯粛にたずねた。
「あれは、曹操が急に構築させた北岸の要塞で、毎夜、旺に焚いている篝や燈火が雲に映じているのでしょう」
魯粛が、さらに、くわしく説明すると、周瑜はこのところ甘寧の大捷に甘んじて、曹軍怖るるに足らずと、大いに驕っていたところであったが、急に不安を抱いて、いちど要塞の規模を自身探ってみようと云いだした。
「敵を知るは、戦に勝つ第一要諦だ」
と称して、一夜、周瑜はひそかに一船に乗りこみ、魯粛、黄蓋など八名の大将をつれて、曹軍の本拠を偵察に行った。
もちろん危険な敵地へ入るわけなので、船楼には、二十張の弩弓を張って、それぞれ弩弓手を配しておき、姿は、幔幕をめぐらしておおい隠し、周瑜や魯粛などの大将たちは、わざと鼓楽を奏して、敵の眼をくらましながら、徐々、北岸の水寨へ近づいて行った。
二
星は暗く、夜は更けている。
船は、石の碇をおろし、ひそかに魏の要塞を、偵察していた。
水軍の法にくわしい周瑜も、四十二座の水門から寨柵、大小の船列、くまなく見わたして、
「いったい、こんな構想と布陣は、誰が考察したのか」
と、舌を巻いて驚いた。
魯粛は、その迂遠を嘲って、
「もちろん荊州降参の大将、蔡瑁、張允の二人です。彼らの智嚢は、決して見くびったものではありません」と、いった。
周瑜は、舌打ちして、
「不覚不覚。今日まで、曹操のほうには、水軍の妙に通じた者はないと思っていたが、これはおれの誤認だった。蔡瑁、張允を殺してしまわないうちは、水上の戦いだからといって、滅多に安心はできないぞ」
語りながら、なお船楼の幕のうちで、酒を酌み、また碇を移し、彼方此方、夜明けまではと、探っていた。
――と、早くも、魏の監視船から、このことは、曹操の耳に急達されていた。何の猶予やあらんである。それ捕擒にせよとばかり、水寨の内から一陣の船手が追いかけてきた。
けれど、周瑜の船は、いち早く逃げてしまった。水流にまかせて下るので船脚はいちじるしく早い。遂に、取逃がしたと聞いて、翌朝、曹操はひどく鋭気を削がれていた。
「敵に、陣中を見すかされては、またこの構想を一変せねばならん。こんな虚があるようなことで、いつの日か、呉を破ることができるものぞ」
すると、侍列の中から、
「丞相、嗟嘆には及びません。てまえが周瑜を説いて、お味方に加えてみせます」
と、いった者がある。
人々は、その大言に驚いて、誰かとみると、帳下の幕賓、蒋幹、字は子翼というものだった。
「おう、幹公か。足下は周瑜と親交でもあるのか」
「それがしは九江の生れなので、周瑜とは郷里も近く、少年時代から学窓の友でした」
「それはよい手がかりだな。もし呉から周瑜をはずせば、呉軍は骨抜きになる。大いに足下の労に嘱すが、行くとすれば、何を携えてゆくか」
「何もいりません。ただ一童子と一舟を賜わらば充分です」
「説客の意気、そうなくてはならん、では、早速に」
と、彼のため一夕、旺なる壮行会を設けて、江に送った。
蒋幹は、わざと、綸巾をいただき、道服をまとい、一壺の酒と、一人の童子をのせただけで、扁舟飄々、波と風にまかせて、呉の陣へ下って行った。
「われは周都督の旧友である。なつかしさのあまり訪れて来た。――と称する高士風のお人が今、岸へ上がってきましたが?」
と、聞いて、周瑜は、からからと笑った。
「ははあ、やって来たな、曹操の幕賓になっているとか聞いていた蒋幹だろう。よしよしこれへ通せ」
彼は、その間に、諸大将へ計りごとをささやいて、
「さて、どんな顔をして来るか」と、蒋幹を待っていた。
やがて蒋幹は、それへ案内されてきて、眼をみはった。いや面喰らったといったほうが実際に近い。華やかな錦衣をまとい、花帽をいただいた四、五百人の軍隊が、まずうやうやしく轅門に彼を出迎え、さて営中に入ると、同じように綺羅な粧いをした大将が、周瑜の座を中心に、星の如く居流れている。
「やあ、幹公か。めずらしいご対面、おつつがないか」
「周都督にもご機嫌よう、慶祝にたえません」
蒋幹は、拝を終ると、特に、親しみを示そうとした。
周瑜も、意識的にくだけた調子で、
「途中、よく矢にも弾にも狙われず来られたな。こんな戦時下、はるばる、江を渡って、何しに来られたのだ。……曹操から頼まれてお越しになったのじゃないかな。あはははは、いや冗談冗談」
と、相手の顔色が変ったのを見ながら、すぐ自分で自分のことばを打消した。
三
蒋幹は内心、どきとしたが、さあらぬ態で、
「これはどうも、迷惑なお疑いですな。近頃、閣下のご高名が呉に振うにつけても、よそながら慶祝にたえず、竹馬の友たりし頃の昔語りでもせんものと、お訪ねしてきたのに。――曹操の説客ならんとは、心外千万じゃ」
と、わざと面ふくらせて見せると、周瑜は笑って、その肩を撫で、かつなだめて、
「まあ、そう怒りたもうな。へだてなき旧友なればこそ、つい冗談も出るというもの。……何しろ、よく来てくれた。陣中、歓待しもできないが、今夜は大いに久濶をのべて楽しもう」
と、共に臂を組んで、酒宴の席へ誘った。
堂上堂下に集まった諸将はみな錦繍の袖をかさね、卓上には金銀の器、瑠璃の杯、漢銅の花器など、陣中とも思われない豪華な設けであった。
主客、席につくと、喨々、得勝楽という軍楽が奏された。周瑜は起って、幕下の人々へむかい、
「この蒋幹は、自分とは同窓の友で、今日、江北から訪ねてくれたが、決して、曹操の説客ではないから、心おきのないように」
と、客を紹介したはいいが、変な云いまわしをして、いよいよ蒋幹の心を寒からしめた。
のみならず、諸大将の中から、太史慈を呼び出して、自分の剣を渡し、
「こよいは懐かしい旧友と共に、夜を徹して、楽しもうと思うが、もし遠来の客に非礼があってはならぬ。お客が第一の迷惑とされることは、曹操の説客ならずやと、白眼視されることである。だからもしこの席上で、曹操とわが国との合戦のことなど、かりそめにも口にする者があったら、即座に、この剣をもって斬って捨てい」と、命じた。
太史慈は、剣をうけて、席の一方に立っていた。蒋幹はまるで針の莚に坐っているような心地だった。
周瑜は、杯をとって、
「出陣以来、酒をつつしんで、陣中では一滴も飲まなかったが、今夜は、旧友幹兄のために、心ゆくまで飲むつもりだ。諸将も客にすすめて、共に鬱気をはらすがいい」
と、快飲し始めた。
満座、酒に沸いて、興もようやくたけなわであった。佳肴杯盤はめぐり、人々はこもごも立って舞い謡い、また囃した。
「長夜の歓はまだ宵のうち、すこし外気に酔をさまして、また飲み直そう」
周瑜は、蒋幹と臂を組んで、帳外へ拉して行った。そして陣中を逍遥しながら、武器兵糧の豊富にある所を見せたり、営中の士気の旺なる有様をそれとなく見せて歩いた。
そして、以前の席へ、戻って来たが、その途々にも、
「貴公とおれとは、同窓に書を読み、幼時から共に将来のことを語ったこともあるが、今日、呉の三軍をひきい、身は大都督の高きに在り、呉君は自分を重用して、自分の言なら用いてくれないことはない。こんなにまで、立身しようとは、あの頃も思わなかったよ。ゆえに今、古の蘇秦、張儀のような者が来て、いかに懸河の弁をふるってこの周瑜を説かんとしても、この心は金鉄のようなものさ。いわんやひと腐れ儒者などが、常套的な理論をもって、周瑜の心を変えようなんて考えてくる者があるとすれば、これほど滑稽なことはない」と、大笑した。
蒋幹の体はあきらかにふるえていた。酔もさめて顔は土気いろになっている。周瑜はまた、宴の帳内へ彼を拉して、
「やあ幹兄。すっかり酒気が醒めたようじゃないか。さあ、大杯でほし給え」
と、杯を強い、さらに諸大将にも促して、後から後からと杯をすすめさせた。
杯攻めに会っている蒋幹の困り顔をながめながら、周瑜はまた、
「今夜、ここにいるのは、みな呉の英傑ばかりで、群英の会とわれわれは称している。この会の吉例として、それがしの舞いを一曲ご覧に入れよう。――方々、歌えや」
そういうと、彼は剣を抜いて、珠と散る燭の光を、一閃また一閃、打ち振りながら舞い出した。
四
大丈夫処世兮立功名
功名既立兮王業成
王業成兮四海清輝
四海清兮天下泰平
天下泰平兮吾将酔
吾将酔兮舞霜鉾
周瑜は剣を振ってかつ歌いかつ舞い、諸将は唱和して、また拍手歓呼し、夜は更けるとも、興の尽くるを知らなかった。
「ああ、愉快だった。幹公、今夜はご辺と同じ床に寝て、語り明かそう」
蹌踉として、周瑜は蒋幹の首にかじりつき、ともに寝所へ転びこんだ。
――と同時に、周瑜は、衣も脱がず帯も解かず、泥酔狼藉、牀をよそに、床の上へ仆れて寝てしまった。
「都督、都督。……そんなところへ寝てしまわれてはいけません。お体の毒です。風邪でもひいては」と、蒋幹は幾度かゆり起してみたが、覚めればこそ、いびきを増すばかりで、房中もたちまち酒蔵のような匂いに蒸れた。
ただただ胆を奪われて、宵のうちから酔えもせず、ただ恟々としていた蒋幹は、もちろんここへ入っても容易に眠りつくことができなかった。
夜はすでに四更に近い。陣中を巡邏する警板の響きがする。……周瑜はとみればなお前後不覚の態たらくだ。残燈の光淡く、浅ましい寝すがたに明滅している。
「……おや?」
蒋幹はむくと身を起した。卓上に多くの書類や書簡が取り散らかっている。下にこぼれ落ちている五、六通を拾ってそっと見ると、みな陣中往来の機密文書である。
「……?」
怪しく手がふるえた。――蒋幹の眼は細かに動いて、幾たびも、周瑜の寝顔にそそがれ、また、書簡の幾通かを、次々に、迅い眼で読んで行った。
愕然、彼の顔色を変えさせた一片の文字がある。見おぼえのあるような手蹟と思って、ひらいてみると、果たして、それは曹操の幕下で日常顔を見ている張允の手簡ではないか。
蔡瑁、張允啓白。
それがしら、一旦、曹に降るは、仕禄を図るに非ず、みな時の勢いに迫らるるのみ。今すでに北軍を賺めて寨中に籠めしむ。みな生らが復仇の意謀にもとづいてかく牽制するところの現われなり。
今し、南風に託し、一便の牒状をもたらしたまわば、即ち、内に乱を発し、曹操の首を火中に挙げて呉陣に献ぜん。是れ、故国亡主の怨をすすぐ所にして、また天下の為なり。早晩人到り、回報疾風のごとくあらんことを。敬覆、深く照察を乞い仰ぐ。
「う、う。……うーむ」
ふいに周瑜が寝返りを打った。蒋幹はあわてて燈火をふき消した。そしてしばらく様子を見ていたが、また大いびきをかいて寝入ったらしいので、自分もそっと、衾を打ちかついで牀のうえに横たわっていた。
――すると、帳外の扉を、誰かコツコツと叩く者がある。蒋幹は息をころしていた。やがて佩剣の音が入ってきた。周瑜の腹心の大将らしい。しきりにゆり起して、何かささやいている声がする。
周瑜は、やっと起き上がった。そして蒋幹のほうを見て、
「この寝所へ、自分と共に寝こんだやつは、一体どこの何者だ」
などと訊ねている。
腹心の大将が、それは閣下のご友人とかいう蒋幹です、と答えると、非常に愕いた様子で、
「なに、蒋幹だと。それはいかん。……なぜもっと静かにものをいわんか」
と、急に、相手の声をたしなめながら、帳の外へ出て行った。
二人は、かなり長い間、何か立ち話をしているようであったが、時々、張允とか、蔡瑁とかいう名が、会話のうちに聞えてきた。
五
そのうちにまた、べつな声で、北国訛りの男が何かしゃべりだした。呉の陣中に北兵がいるのはいぶかしいと蒋幹はいよいよ聞き耳をそばだてていた。
男はこの陣中の者ではない。江北から来た密使と見える。蔡大人とか、張都督とか、蔡瑁、張允のことを尊称していることばつきから見ても、彼の部下か、或いはそれに頼まれてきた人間ということは想像がつく。
「……さては何か諜し合わせに」と、先刻、拾った書簡を思いあわせて、蒋幹は身の毛をよだてた。さても、油断のならぬことよ、心もおどおどして、もう空寝入りしているのも気が気ではない。
やがてのこと――密使の男と、ひとりの大将は、用談がすんだとみえて、跫音ひそかに立ち去った。周瑜もすぐ寝室へもどってきた。そして今度は、帳を引いて、寝床の中へ深々ともぐりこんだ。――夜明けの待ち遠しさ。蒋幹は薄目をあいて窓外ばかり気にしていた。いい按配に、周瑜は再び大きな寝息をかき始めている。そして、窓の辺りが、ほのかに明るくなりかけた。
「……うーむ。ああ、よく眠った」
蒋幹はわざと大きく伸びをしながらそう呟いてみた。周瑜は眼を覚まさない。しめたと、厠へ立つふりをして、内房から飛び出した。外はまだ暁闇、わずかに東天の空が紅い。
陣屋の轅門まで来ると、
「誰だっ?」
番兵に見咎められて、一喝を浴びた。蒋幹はぎょっとしたが、強いて横柄に構えながら、
「周都督の客にむかって、誰だとは何事だ。わしは都督の友人蒋幹じゃが」
と、肩を高くして振向いた。
番兵らはあわてて敬礼した。蒋幹は悠々と背を向けたが、番兵たちの眼から離れると、風の如く駈け出して、江岸の小舟へ飛び乗った。
曹操は彼の帰りを待ちかねていた。周瑜の降伏を深く期待していたのである。だが、立ち帰ってきた蒋幹は、
「どうもその事はうまく行きませんでした」と、まず復命した。
あきらかに、曹操の面は失望の色におおわれた。しかし――と、蒋幹は唇を舐めてそれに云い足し、
「より以上な大事を、呉の陣中から拾ってきました。これをもって、いささかお慰めください」
と、周瑜の寝室から奪ってきた書簡の一つを差し出した。
味方の水軍都督蔡瑁、張允のふたりが、敵へ通謀して、しかも曹操の首を打つことは、逆意でも裏切りでもなく、故主劉表の復讐であると、それには揚言しているではないか。
「すぐ、二人を呼べ」
彼の忿怒は、尋常でなかった。武士の群れはたちまち走って、二人を捕えて来た。――犬畜生でも見るように、曹操は、はッたと両名を睨めつけて、
「出しぬけに、先手を喰って貴様たちは、さぞ度胆をつぶしたろう。身のほどわきまえぬ悪計を企むと、運命というやつは、たいがい逆に転んでくるものだ。――誰でもよしっ、この剣をもって、そいつらの細首を打ち落せ」と、佩剣を武士に授けた。
蔡瑁、張允は仰天して、
「何をご立腹なのか、それがしどもには考えもつきません。理由を仰せ聞かせ下さい」
と、蒼白になっていった。
曹操は耳をかさず、
「ふてぶてしい下司ども、これを見ろ。これは誰の書簡だ」
と、例の一通を、二人の眼の前に投げつけた。張允は見るやいなや、
「あっ、偽書だ。こんな、敵の謀略にのって」
と、跳び上がったが、その叫びも終らないうちに、後ろにまわっていた武士の手から、戛然、大剣は鳴って、その首すじへ振り落された。つづいて、逃げようとした蔡瑁の首も、一刀両断のもとに転がっていた。