梅酸・夏の陣

 年明けて、建安三年。
 曹操もはや四十を幾つかこえ、威容人品ふたつながら備わって、覇気熱情も日頃は温雅典麗な貴人の風につつまれている。時には閑を愛して独り書を読み、詩作にふけり、終日、春闌の室を出ることもなかった。また或る日は家庭の良き父となりきって、幼い子女らと他愛なく遊び戯れ、家門は栄え、身は丞相の顕職にあり、今や彼も、功成り名遂げて、弓馬剣槍のこともその念頭を去っているのであるまいかと思われた。
 正月、朝にのぼって彼は天子に謁し、賀をのべた後で、
「ことしもまた、西へ征旅に赴かねばなりますまい」
 と、いった。
 南の淮南は、去年、一年たたきに叩いて、やや小康を保っている。
 西といえば、さし当って、近ごろ南陽河南省・南陽)から荊州地方に蠢動している張繍がすぐ思い出される。
 果たせるかな。その年、初夏四月。
 丞相府の大令が発せられるや、一夜にして、大軍は西方へ行動を起した。
 討伐張繍
 土気は新鮮だった。軍紀は凜々とふるった。
 天子は、みずから鑾駕をうながして、曹操外門の大路まで見送られた。
 ちょうど夏の初めなので、麦はよく熟している。大軍が許都郊外から田舎道へ流れてゆくと、麦畑に働いていた百姓たちは、恐れて、われがちに逃げかくれた。
 曹操は、それを眺めて、「地頭や村老をよべ」と命じ、やがて、恐る恐る揃って出た村長や百姓たちに向って、こう諭した。
「せっかくお前たちの汗と丹精によって、このように麦の熟した頃、兵馬を出すのも、またやむを得ない国策によるのである。――だが案じるな。ここを通るわが諸大将の部隊に限っては、断じて、田畑を踏みあらすことのないように軍令を発してある。また、村々において、寸財の物でも掠め取る兵があれば、すぐ訴え出ろ。われわれ麾下の大将は、立ちどころに犯した兵を斬り捨ててしまうであろう」
 このことを伝え聞いて、村老野娘も、畑にありながら、安心して、軍隊を見送った。
 軍律はよく行き渡っている。兵も馬も、狭い麦のほとりを通る時は、馬の手綱をしめ、手をもって麦を分けながら行った。
 ところが。
 曹操の乗っていた馬が、どうしたのか、ふと、野鳩の羽音におどろいて、急にはねあがり、麦畑へ狂いこんで、麦を害ねた。
 曹操は、何思ったか、
「全軍、止れ!」
 と、急に命じ、行軍主簿を呼んでいうには、
「今、不覚にも自分は、みずから法令を出して、その法を犯してしまった。すでに、統率者自身、統率をやぶったのだ。何をもって、人を律し、人を正し、人を服させよう。――予は、自害して、法を明らかにするのが、予の任務であると信じる。諸軍よ、予の死を悲しまず、さらに軍紀を振起し、一意、天下の為に奉ぜよ」
 云い終ると、剣を抜いて、あわや自刃しようとした。
「滅相もない!」
 諸将は、愕然として、彼の左右から押しとどめた。
「お待ち下さい。春秋の語にも、法は尊きに加えず――とあります。丞相は大軍を統べ給う身、丞相の生死は、軍全体の死活です。われわれが可愛いと思ったら、ご自害はお止まりください」
ムム、そうか。春秋の時すでにそういう古例があったか。しからば、父の賜ものたる髪を切って、断罪の義に代え法に服した証となそう」
 と、わが髪をつかみ、片手の短剣をもって、根元からぶすりときって、主簿に渡した。
 秋霜厳烈!
 それを目に見、耳につたえて、悚然、自分を誡めない兵はなかった。

 行軍は、五月から六月にかかった。六月、まさに大暑である。
 わけて河南の伏牛山脈をこえる山路の難行はひと通りでない。
 大列のすぎる後、汗は地をぬらし、草はほこりをかぶり、山道の岩砂は焼け切って、一滴の水だに見あたらない。兵は多く仆れた。
「水がのみたい」
「水はないか」
 斃れた兵も呻く。なお、進む兵もいう。
 すると、曹操が、突然、馬上から鞭をさして叫んだ。
「もうすこしだ! この山を越えると、梅の林がある。――疾く参って梅林の木陰に憩い、思うさま梅の実をとれ。――梅の実をたたき落して喰え」
 聞くと、奄々と渇にくるしんでいた兵も、
「梅でもいい!」
「梅ばやしまで頑張れ」と、にわかに勇気づいた。
 そして無意識のうちに、梅の酸い味を想像し、口中に唾をわかせて、渇を忘れてしまっていた。
 ――梅酸渇を医す。
 曹操は、日頃の閑に、何かの書物で見ていたことを、臨機に用いたのであろうが、後世の兵学家は、それを曹操の兵法の一として、暑熱甲冑を焦く日ともなれば、渇を消す秘訣のことばとして、思い出したものである。
 伏牛山脈をこえてくる黄塵は、早くも南陽の宛城から望まれた。
 張繍は、うろたえた。
「はや、後詰したまえ」
 と、荊州劉表へ、援助をたのむ早打ちをたて、軍師の賈詡を城にとどめて、
「つかれ果てた敵の兵馬、大軍とて何ほどかあろう」と、自身防ぎに出た。
 だが、配下の勇士張先が、まっ先に曹操の部下許褚に討たれたのを始めとして、一敗地にまみれてしまい、口ほどもなくまたたちまちみだれ合って、宛城のうちへ逃げこんでしまった。
 曹操の大軍は、ひた寄せに城下にせまって、四門を完全に封鎖した。
 攻城と籠城の形態に入った。
 籠城側は新手の戦術に出て、城壁にたかる寄手の兵に沸えたぎった熔鉄をふりまいた。
 金屎か人間かわからない死骸が、蚊のごとく、ばらばら落ちては壁下の空壕を埋めた。
 が、そんなことにひるむ曹操の部下ではない。曹操もまた、みずから、
「ここを突破してみせん」
 と、西門に向って、兵力の大半を集注し、三日三晩、息もつかずに攻めた。
 なんといっても、主将の指揮するところが主力となる。
 雲の梯にもまごう櫓を組み、土嚢を積み、壕をうずめ、弩弓の乱射、ときの声、油の投げ柴、炎の投げ松明など――あらゆる方法をもって攻めた。
 張繍は防ぐ力も尽きて、
「――賈詡荊州の援軍は、いつ頃着くだろう。もう城の余命も少ないが。……間にあうか、どうか」とたずねた。
 軍師たる賈詡の顔いろが、今はただ一つのたのみだった。賈詡は落着いて答えた。
「だいじょうぶです」
「まだ大丈夫か」
「まだ? ……いやいや、頑としてなお、この城は支えられます。のみならず、曹操を生擒りにするのも、さして難かしいことではありません」
「えっ。曹操を」
「大言と疑って、わたくしの言を疑うことがなければ、必ず、曹操の一命は、あなたの掌の物としてご覧にいれます」
「どういう計りごとで?」
 張繍はつめ寄った。

 賈詡が胸中の計とは何?
 彼は、張繍に説いた。
「こんどの戦闘中、ひそかに、それがしが矢倉のうえから見ていると、曹操は、城攻めにかかる前に、三度、この城を巡って、四門のかためを視察していました。――そして彼がもっとも注意したらしい所は、東南の巽の門です。――なぜ注意したといえば、あそこは逆茂木の柵も古く、城壁も修理したばかりで、磚は古いのと新しいのと不揃いに積み畳まれている。……要するに、防塁の弱点が見えるのです」
ムム、なるほど」
「――で、烱眼な曹操はすぐ、この城を陥す攻め口はここと、肚のうちでは決めているに違いないのです。――そこで彼は次の日から、西門に主力をそそぎ、自分もそこに立って、躍起と攻め始めたものでしょう」
「東南門の巽の口を、攻め口ときめておりながら、なぜ西門へ、あんな急激にかかってきたのか」
「偽撃転殺の計です。――つまり西門に防戦の力をそそがせておいて、突然巽の門をやぶり、一殺に、宛城を葬らんとする支度です」
 張繍は聞いて、慄然、肌に粟を生じた。
「それがしにお任せください」
 賈詡は、直ちに、それに備える手筈にかかった。
 この城中に、賈詡のあることは、曹操も疾く知っている。また賈詡の人物も、知りぬいているはずである。
 ――にもかかわらず、
 曹操ほどな智者も、自分の智には墜ちいりやすいものとみえる。
 彼は、その夜、西門へ総攻撃するようにみせかけて、ひそかによりすぐった強兵を巽にまわし、自身まッ先に進んで、鹿垣、逆茂木を打越え、城壁へ迫って行ったが、ひそとして迎え戦う敵もない。
 曹操は、快笑して、
「笑止や。わが計にのって、城兵はみな西門の防ぎに当り、かくとも知らぬ様子だぞ」
 一挙に、そこを打破って、壁門の内部へ突入した。
 ――と、こはいかに、内部も暗々黒々として篝の火一つみえない。あまりの静けさに、
「はてな?」
 駒脚を止めて見廻したとたんに、ぐわあん! ――と一声の狼火がとどろいた。
「しまった」
 曹操は、つづく手勢を振向いて、絶叫した。
「――虚誘掩殺の計りごとだっ。――退却っ、退却っ!」
 しかし、もう遅かった。
 地をゆるがす鬨の声と共に、十方の闇はすべて敵の兵となって、
曹操を生捕れ」とばかり圧縮してきた。
 曹操は単騎、鞭打って逃げ走ったが、その夜、巽の口で討たれた部下の数は、何千か何万か知れなかった。
 ここばかりでなく、偽攻の計を見やぶられたので、西門のほうでも、さんざんに張繍のために破られ、全線にわたって、破綻を来したため、五更の頃まで、追撃をうけ、夜も明けて陽を仰いだ頃、城下二十里の外に退いて、損害を調べると、一夜のうちに味方の死者五万余人を生じていたことが分かった。折からまた、
荊州劉表、にわかに兵をうごかし、わが退路を断って、許都を衝かんとする姿勢にうかがわれる」
 という凶報は来るし――曹操は、惨たる態で、歯がみしたが、
「今にみよ」と、恨みの一言を、敗戦場に吐きすてて、「退くも兵法」とばかり向きをかえて、許都へひっ返した。
 途中まで来ると、
劉表は一たん大兵を出そうとしたが、呉の孫策が、兵船をそろえ、江をさかのぼって、荊州を荒さん――と聞えたので、怯気づいて、出兵の可否に迷っておる」という情報が入った。

 古今の武将のうち、戦をして、彼ほど快絶な勝ち方をする大将も少ないが、また彼ほど痛烈な敗北をよく喫している大将も少ない。
 曹操の戦は、要するに、曹操の詩であった。詩を作るのと同じように彼は作戦に熱中する。
 その情熱も、その構想も、たとえば金玉の辞句をもって、胸奥の心血を奏でようとする詩人の気持と、ほとんど相似たものが、戦にそのまま駆りたてられているのが、曹操の戦ぶりである。
 だから、曹操の戦は、曹操の創作である。――非常な傑作があるかと思えば、甚だしい失敗作も出る。
 いずれにせよ、彼は、戦を楽しむ漢であった。楽しむほどだから、惨敗を喫しても、しおれないかといえばそうでもない。
 さすがの曹操も、大敗して帰る途中は、凄愴な眉と、惨たるものを顔色に沈めてゆく。

梅酸も酸味
敗戦もまた酸
不同といえども似たり
心舌を越えて甘し

 馬上、ゆられながら、彼はいつか詩など按じていた。逆境の中にも、なお人生を楽しもうとする不屈な気力はある。決して、さし迫ることはない。
 襄城をすぎて、※水の畔にかかった。
 ふと、彼は馬を止めて、
「……ああ」と、低徊しながら、頬に涙さえながした。
 怪しんで、諸将がたずねた。
「丞相、何でそのように悲しまれるのですか」
「ここは※水ではないか」
「そうです」
「去年、やはりこの地に張繍を攻めて、自分の油断から、典韋を討死させてしまった。……典韋の死を傷んで、ついその折の事どもを思い出したのだ」
 彼は、馬を降りて、水辺の楊柳につなぎ、一基のを河原の小高い土にすえて、牛を斬り、馬を屠った。そして典韋の魂魄をまねくの祀をいとなみ、その前に礼拝して、ついには声を放って哭いた。
 多くの将士もみな、曹操の情に厚い半面に心を打たれ、こもごも、拝礼した。
 次に、曹操の嫡子曹昂の霊をまつり、また甥の曹安民の供養をもなした。――楊柳の枝は長く垂れて、水はすでに秋冷の気をふくみ、黒い八哥鳥がしきりと飛び交っていた。
 ――諸軍号哭の声やまず。
 と、原書は支那流に描写している。初夏、麦を踏んで意気衝天の征途につき、涼秋八月、満身創痍の大敗に恥を噛んで国へ帰る将士の気持としては、あながち誇張のない表現かもしれない。
 顧みれば、呂虔とか于禁などの幕将まで負傷している。無数の輜重は敵地へ捨ててきた。――ああ。仰げば、暮山すでに晦く陽はかげろうとしている。
「あっ、何者か来る」
「味方の早打ちだ」
 士卒が口々にいった時、彼方から早馬一騎、鞭をあててこれへ来た。
 許都に残っている味方の荀彧から来た使いである。もちろん書簡をたずさえている。
 さっそく曹操がひらいて見ると、

荊州劉表、奇兵を発し
ご帰途を安象附近に待って
張繍と力を協す。
ご警戒あるように。

 という報だった。

「それくらいなことはあろうと、かねての用意はある」
 曹操はさわがなかった。荀彧の使いにも、
「案じるな」と、云って返した。
 安象の堺まで来ると、果たせるかな劉表荊州兵と張繍の聯合勢とが難所をふさいでいた。
「彼に地の利あれば、われにも地の利を取らねばなるまい」
 曹操もまた、一方の山に添うて陣をしいた。そして、その行動が日没から夜にわたっていたのを幸いに、夜どおしで、道もなさそうな山に一すじの通りを坑り、全軍の八割まで山陰の盆地へ、かくしてしまった。
 夜が明けて、朝霧もはれかけてくると、小手をかざして彼方の陣地から見ていた劉表張繍の兵は、
「なんだ、あんな小勢か」と、呟いている様子だった。
「あんなものだろう」と、うなずく者はいった。
「このあいだは五万から戦死しているし、それに、難行苦行、敗け軍のひきあげだ。途中、逃亡兵も続出する。病人もすててくる。――あれだけでもよく還ってきたくらいなものだろう」
 軍の幹部たちも、その程度の見解を下したものか、やがて要害を出て、野を真っ黒に襲撃してきた。
 充分、侮らせて。
 また、近よせておいて。
 曹操は、突然山の一角に立ち現れて、
「盆地の襲兵ども、今だぞ、淵を出て雲と化れ! 野をめぐって敵を抱きこみ、みなごろしにして、血の雨を見せよ」
 と、号令を下した。
 眼に見えていた兵数の八倍もある大兵が、地から湧いて、退路をふさぎ、側面前面からおおいつつんで来たので、劉表張繍の兵はまったく度を失った。
 曠野の秋草は繚乱と、みな血ぶるいした。所々に、死骸の丘ができた。逃げ争って行った兵は、要害にいたたまらず、山向うの安象の町へ逃げこんだ。
「県城も焼きつぶせ」
 曹操の兵は、鬱憤ばらしに追撃を加えて行ったが、その時またも――実にいつも肝腎なもう一攻めという時に限って意地わるくくる――都の急変が報じられてきた。

河北袁紹、都の空虚をうかがい
大動員を発布。

 と、いうのであった。
「――袁紹が!」
 これにはよほど愕いたとみえて、曹操は何ものもかえりみず、許都へさして昼夜をわかたず急いだ。
 張繍劉表は彼のあわて方を見て、こんどは逆に追おうとした。
「追ったら必ず手痛い目にあいますぞ」
 賈詡は諫めたが、二将は追撃した。案の定、途中、屈強な伏兵にぶつかって、惨敗の上塗りをしてしまった。
 賈詡は、二将が懲りた顔をしているのを見て、
「――何をしているんです! 今こそ追撃する機会です。きっと大捷を博しましょう」
 と、励ました。
 二の足ふんだが、賈詡があまり自信をもって励ますので、再び曹操の軍に追いついて、戦を挑むと、こんどは存分に勝って、凱歌をあげて帰った。
「実に妙だな。賈詡、いったい其許には、どうしてそのように、戦いの勝敗が、戦わぬ前にわかるのか」
 後で、二将が訊くと、賈詡は笑って答えた。
「こんな程度は、兵学では初歩の初歩です。――第一回の追撃は敵も追撃されるのを予想していますから、策を授け、兵も強いのを残して、後ろに備えるのが常識の退却法です。が、――二度目となると、もう追いくる敵もあるまいと、強兵は前に立ち、弱兵は後となって、自然気もゆるみますから、その虚を追えば、必ず勝つなと信じたわけであります」

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