荊州変貌

 呉は大きな宿望の一つをここに遂げた。荊州を版図に加えることは実に劉表が亡んで以来の積年の望みだった。孫権の満悦、呉軍全体の得意、思うべしである。
 陸口の陸遜も、やがて祝賀をのべにこれへ来た。その折、列座の中で呂蒙は、
荊州の中府はすでに占領したが、これで荊州の版図がわが掌に帰したとはいえない。公安地方にはなお傅士仁があり、南郡には糜芳の一軍がうごかずにいる。貴兄にそれを討つ良計はないか」
 と、陸遜に問うた。
 すると傍らの人がたちまち立って、
「その儀なれば、弓を張り、矢をつがえるにも及びません」
 と、豪語した。誰かと見れば、会稽余姚の人虞翻である。孫権は、莞爾と見て、
虞翻、いかなる計やある。遠慮なくいえ」と、いった。
 虞翻は一礼して、
「さればそれがしと傅士仁とは、幼少からの友だちです。かならずそれがしの説く利害には彼も耳をかしましょう。故に、公安の無血占領は信じて疑いません」
「おもしろい。行って説いてみろ」
 孫権は彼に五百騎をさずけた。虞翻は自信にみちて公安へ赴いた。事実、彼は胸中にこの使いの成功を信じている。なぜならば傅士仁の日頃の人間をよく知っていたから。
 しかし一方の傅士仁たるや、このところ戦々兢々たるものがあった。壕を深め城門を閉じ、物見を放って鋭敏になっていた。
 ところへ友人の虞翻が五百騎ほど連れてくると聞いたが、なお疑心にとらわれて城中に鳴りをしずめていた。虞翻は近々と城門の下へ寄り、書簡を矢にはさんで城中へ射こんだ。
「何、矢文が落ちたと。……どれ、どう云ってきたか?」
 傅士仁はそれをひらいて、虞翻の文言を読み下した。幾たびもくり返して、蚤を見るように文字を見ていたが、彼の猜疑もついに怪しむ辞句を見出せなかった。
「そうだ、たとえここを守り通しても、いずれ関羽が帰れば、戦前の罪を問われ、罪と功が棒引きになるぐらいが上の部だ。もし呉軍に囲まれて、関羽の来援が間に合わなかったら、完全にここで自滅だ。虞翻の説くところは心から俺を思ってくれることばに違いない」
 彼は駈け出して、卒に門をひらかせた。そして虞翻を迎え入れると、
「会いたかった」と、まず旧情を訴え、
「よろしく頼む」と、次に一切を委した。
「自分が来たからには、諸事安心し給え」
 虞翻は彼を伴って、さっそく荊州へ帰った。孫権はもちろんこの結果を上機嫌でうけ容れた。虞翻には大賞を与え、また傅士仁に告げては、
「汝の心底を見たからには決して旧臣とわけへだてはせぬ。立ち帰った上は、よく部下を諭し、呉に以後の忠誠を誓わせろ。そして前の通り公安の守将たることをゆるす」と寛度を示した。
 恩を謝して傅士仁が退城しようとすると、呂蒙が呉侯の袖をひいた。
「あれをあのまま、お帰しになるつもりですか」
「今さら、殺すわけにもゆかんではないか」
「手ぶらで帰してしまうことこそ、折角の人間をころしているというものです。なぜ、彼にこういう使命を背負わせておやりにならないので……」
 呂蒙に何かささやかれると、孫権は急に侍臣を走らせて、傅士仁をよび戻した。
 そしてたちまち一問を発し、また命令した。
南郡糜芳とは親交があるだろう。当然、きのうまでの味方だから」
「はっ……。交わりがありますが」
「では、友情をもって、糜芳を説くことは、汝の義務だともいえるな。もし彼を説いて、予の面前へつれてきたら、糜芳は厚く用い、汝にはさらに恩賞を加えるだろう。どうだ」
「さっそく南都へ赴きましょう」
 傅士仁は倉皇と帰ってゆく。孫権呂蒙をかえりみてにやりと笑った。

「たいへんな難役を背負ってしまった」
 傅士仁は浮かない顔で、友の虞翻のところへ相談に行った。そして愚痴まじりに、
「どうも今になってみると、貴公のいうことをきいたのは、大きな過ちだったような気がする。呉侯の命に対して、――ご難題です。糜芳を説きつけるなんて無理です。ご免こうむりましょう、といったら、たちまち俺は二心ありと首にされ、公安の城はただ取りにされてしまうだろう。……といって、何しろ糜芳は、蜀のうちでも余人とちがい、玄徳が微賤をもって旗上げした頃からの宿将だ。俺の舌三寸でおめおめ降るわけはないし」
 と、困惑を訴えると、虞翻はその小心を笑って、彼の背を一つ打った。
「おいっ、しっかりせい。自己の浮沈の岐れ目じゃないか。いかに糜芳でも仏ではあるまい。いや彼の一族は元来、湖北の豪商で大金持であった。たまたまその退屈な財産家が、玄徳という風雲児の事業に興味をもち、そっと裏面から軍資金を貢いでやったのが因で、いつか糜竺糜芳の兄弟とも、玄徳の帷幕に加わってしまった。――というのが彼の経歴ではないか。それをもって察すれば、糜芳の胸は、今とてかならず数字算用ははっきりと持っているに違いない。名も生命もいらんという人間では手におえぬが、利害の明瞭な人物ほど説きよいものだ。……まあ信念をもって、ひとつこう出て見たまえ」
「こう出てみろとは?」
「すなわち、こう出るのだ」
 有合う紙片のうえに、虞翻は何か筆を走らせる。傅士仁は首を寄せて黙読していたが、急に悟ったような顔をして、
「あっ、そうか。なるほど」と、ひどく感心したかと思うと、たちまち勇気づいた様子で、
「では、行ってくる」と、立ち去った。
 十騎ばかりを従えて、彼は南都へ立った。糜芳は城を出て、友を出迎え、まず関羽の消息を問い、荊州の落城を嘆じて、悲涙を押し拭う。
「いや……実はその、そのことで今日は、あなたへも相談に来たわけだが」
「相談とは、軍議について?」
「なに、それがしとて、忠義は知らぬわけではない、荊州が敗れては、もはや万事休すだ。いたずらに士卒を死なせ、百姓に苦しみをかけるよりはと深思して、実はすでに、呉へ降伏を誓った」
「えっ。降参したと」
「足下も旗を巻いて、それがしと共に、孫権に謁し給え。呉侯はまだ若くて将来があるし、しかもなかなか名君らしい」
「傅士仁。人を見てものをいえ。この糜芳漢中王との君臣の契りを何と見ているか」
「……だが」
「だまれ。多年、厚恩をうけた漢中王をこの期になって裏切るごとき自分ではない」
 ところへあわただしく、糜芳の臣が告げにきた。戦場の関羽から早馬打っての使者だとある。
「通せ」
 糜芳は云った。使者はそこへ来て、火急の事ゆえ、口上をもって述べますと断り、次のような関羽の要求を伝えた。
樊川地方の大洪水のため、戦況は有利にすすんだなれど、兵粮の欠乏は言語に絶しており、全軍疲弊の極に達しておる。ついては、南都公安の両地方から至急、粮米十万を調達され、関羽の陣まで輸送していただきたい。もし怠りあらば、成都に上申し、厳罰に処すべしとの令でござる」
 糜芳と傅士仁は顔見合わせた。まったく無理な注文である。粮米十万も困難だし、荊州の陥ちた今、輸送方法もありはしない。
「どうしたものであろう」
 糜芳は腕拱いて面を埋めてしまった。変心した傅士仁はもう相談あいてにならないし、関羽の命にそむけば、後々いかなる禍いになるか測り知れない。
「――ぎゃッ!」
 突然、血しぶきの下に、使者が仆れた。糜芳も驚いて跳び上がった。剣を抜いて、いきなり使者を斬ったのは傅士仁であった。その血刀を提げたまま、彼はさらに糜芳へ迫ってきた。

 糜芳は喪心したように、蒼白になって顫いていたが、やがて、
「乱暴にも程がある。いったい貴公は、何故に、関羽の使者を斬り殺したのか……」
 傅士仁も真っ青になっていう。
「ご辺の決断を促すためだ。またわれわれの生命を保つためだ。足下には関羽の心が読めないのか。関羽はその不可能を知りながら無理難題をいいつけて、後に荊州の敗因をわれらの怠慢にありとする肚黒い考えでおるのだ。――糜芳っ。さあ呉侯のもとへ行こう。いずくんぞ手を束ねて犬死せんやだ。さあ城を出よう!」
 彼は剣を収めて、糜芳の手を引っ張った。もちろんこれは虞翻がさずけた策で、関羽の伝令も嘘だし、その使いも偽使者であることはいうまでもない。
 糜芳はなお迷っていた。多少の疑いをそれにも抱いたからである。ところがこの時、喊の声や鼓の音が地を震わすばかり聞えてきた――愕然、城壁の上に走り出て見ると、呉の大軍がはや城を囲んでいた。
「なぜ足下は、生きることを歓ばないのだ」
 と、傅士仁は、茫然自失している糜芳の腕を組んで、無理やりに城を出た。そして虞翻を介して呂蒙に会い、呂蒙はまた糜芳を伴って孫権にまみえた。
      ×     ×     ×
 魏の首府へ、呉の特使が情報を持って入った。
 特使はいう。――呉すでに荊州を破る。魏はなぜこの機会をつかんで関羽を討たないかと。
 もちろん曹操は、この形勢を無為に見ているものではない。ただ呉の態度の確然とするまで機をうかがっていたものだ。
「今はよし」と、彼はうごき出した。魏の大軍をひきいて、洛陽の南へ出た。そこからさらに南方の陽陵坡には、すでに先発していた徐晃軍五万が敵に対峙している。
「魏王御みずから出陣されて、このたびこそは敵関羽を完滅せしめんと御意遊ばされておる。不日、さらに数十里、ご前進あらん。徐晃軍にはまずその先鋒をもって、敵の先鋒陣に、一当て加えられよ」
 軍使は、徐晃の陣へ臨んで、曹操の旨をそう伝えた。
「心得て候」と、徐晃は直ちに、徐商と呂建の二隊に、自身の大将旗をかかげさせて正攻法をとらせ、彼自身は五百余騎の奇襲部隊を編制して、沔水のながれに沿い敵の中核と見られる偃城の後方へ迂廻した。
 ときに関羽の子関平は、偃城に屯しており、部下の廖化は四冢に陣していた。その間、連々と十二ヵ所の寨塁を曠野の起伏につらね、一面樊城を囲み、一面魏の増援軍に備えていた。
「陽陵坡の魏軍がにわかに活動を起しました。徐晃の大将旗をふりかざして」
 偃城の兵はどよめき告げた。関平は手具脛ひいて、その近づくを待ち、
徐晃みずから来るとあれば、敵にとって不足はない」と、精兵三千を引き具して城門を出、地の利をとって陣列を展開し、鼓をそろえて鉦を鳴らし、旌旗天を震うの概があった。
 ――が、魏の大将旗は、偽りである。その下から駈け出して来たのは、徐商であり呂建であった。ふたりは槍を揃え、
「帰さぬぞよ、小童」と、関平を挟撃した。
 けれど関平の勇は、徐商を追い、呂建を斬り立て、かえって彼らをあわてさせた。そして遂に逃げ走る二人を追いかけ追いかけ、十余里も追撃した。
 すると全く予測していなかった方面から、一彪の軍馬が旋風となって側面へかかって来た。そして一人の大将が、
「知らずや関平荊州はすでに呉の孫権に奪られておるぞ。――汝、家なき敗将の小伜。何を目あてに、なお戦場をまごまごしておるかっ」と、罵った。
 それが真の徐晃であった。

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