鵞毛の兵

 いま漢中は掌のうちに収めたものの、曹操が本来の意慾は、多年南方に向って旺であったことはいうまでもない。
 いわんや、呉といえば、あの赤壁の恨みが勃然とわいてくるにおいてはである。
漢中の守りは、張郃、夏侯淵の両名で事足りなん。われは南下して、直ちに呉の濡須にいたらん」
 曹操は決断した。壮図なお老いずである。江を下る百帆の兵船、陸を行く千車万騎、すでに江南を呑むの概を示して、大揚子江の流れに出で、呉都秣陵の西方、濡須の堤へ迫った。
「来れ、遠路の兵馬」と、呉軍は待ち構えていた。彼が長途のつかれを討つべく。
 その先陣を希望して、われに、自分にと、争った者は、またしても、宿怨ある甘寧凌統だった。
「ふたりで行け、凌統を第一陣に、甘寧を二陣として」
 孫権も、他の諸大将と、輪陣を作って、堂々、あとから押出した。
 濡須一帯は、戦場と化した。曹操の先鋒は、泣く子も黙る張遼と見えた。功にはやった凌統は敵の見さかいもなくそれに当った。巌に砕ける浪のように、ぶつかったほうの陣形が微塵になって分離するのが、遠く、孫権の本陣からも見えた。
凌統が危ない。呂蒙呂蒙、馳せ行って、凌統を救い出せ」
「おうっ」
 と、呂蒙は一軍を率いて駈け出した。
 そのあとへ、甘寧が来て、
「案外、敵は堅固です。総勢約四十万、さすがにどの陣も、疲労を見せておりません。これに、長途の疲労あるものと、正面からかかっては、大きな誤算となりましょう。てまえに、屈強の兵百人をおさずけ下さい。今夜、曹操の本陣を脅かしてごらんに入れます」
「わずか百人で」
「仕損じたらお嘲い下すってもかまいません」
「おもしろい」と孫権は彼の希望を容れた。特に直属の精鋭中から百人を選んで与えた。
 甘寧は夕方、その百勇士を自分の陣所に招いて、一列に円くなって坐り、酒十樽、羊の肉五十斤を供え、
「これは呉侯からの拝領物だから、存分に飲ってくれ」
 と、まず自身、銀の碗で一息にほして、順々にまわした。
 肉を喰い、酒をあおり、百名は遺憾なく近来の慾をみたした。そこで甘寧は、
「もっと飲め、もっと喰え。今夜この百人で、曹操の中軍へ斬込むのだ。あとに思い残りのないようにやれ」と告げた。
 一同は顔を見あわせた。酔った眼色も急にうろたえている。こんな百人ばかりの勢でどうして? ――といわんばかりな顔つきだ。
 甘寧は、さッと、剣を抜き、起って、慨然と、叱咤した。
「呉の大将軍たる甘寧すら、国のためには、生命を惜しまぬのに、汝ら身を惜しんでわが命令にひるむかっ」
 違背する者は斬らんという前触れである。ここで死ぬよりはと、百勇士はことごとく、剣の下に坐り直して、
「ねがわくは将軍に従って死をともにしたいと思います」
 と、ぜひなく誓った。
「よし。ではめいめい、合印として、これを盔の真向へ挿してゆけ」
 と、白い鷲の羽を一本ずつ手渡した。
 夜も二更を過ぎると、この一隊は筏にのって水路を迂回し、堤にそい、野をよぎり、忍びに忍んで、ついに曹操の本陣のうしろへ出た。
「それっ、銅鑼を打て、鬨の声をあげろ」
 柵へ近づくや、立ちどころに哨兵を斬り捨て、わっと一斉に、陣中へ入った。
 たちまち、諸所に火の手があがる。
 暗さは暗し、曹操旗本は、右往左往、到る所で、同士討ちばかり演じた。
 甘寧は、思う存分、あばれ廻った。時分はよしと、百人を一ヵ所にあつめ、一兵も損ぜず、風のごとく引返してきた。
「将軍の胆は、さだめし曹操の魂を挫いだであろう。痛快、痛快」
 孫権は、刀百口、絹千匹を贈って、彼を賞した。甘寧はそれをみな百人に頒けた。
 魏に張遼あるも、呉に甘寧あり――と、呉の士気は、ために大いに振るった。

 昨夜の雪辱を期してであろう。夜が明けるとともに、張遼は一軍を引いて、呉の陣へ驀然、攻勢に出てきた。
「きょうこそは、華々と」
 呉の凌統も、手に唾してそれをむかえた。甘寧が昨夜すばらしい奇功を立てて、君前のお覚えもめでたいことは、もう耳にしている。で、勃然、(彼如きに負けてなろうか)という日頃の面目も、今日の彼には、充分意中にある。漠々とけむる戦塵の真先に、張遼のすがた、その左右に、李典楽進など、呉の兵を蹴ちらし蹴ちらし馳け進んできた。
 凌統は、馬上、刀をひっさげて、疾風のように斜行し、
「来れるは、張遼か」
 と、斬りつけた。
「おれは、楽進だ」
 とその者は、槍をひねって、直ちに応戦してきた。
 人違いか――と、舌打ちしたが、もうほかを顧みるいとまもない。楽進を相手に、五十余合も戦った。
 すると、彼方の張遼のうしろから、曹操の御曹司曹丕が、鉄弓を張って、ぶんと矢を放った。
 凌統を狙ったのだが、すこし外れて、その馬にあたった。
「しめたっ」
 と楽進は、槍を逆しまにして、地上へ向けた。凌統が勢いよく落馬していたからである。
 ところが、その時また、どこからか一本の矢がひょうッと飛んできた。楽進の真眉間に立ったので、楽進は、槍を投げて、鞍上からもんどり打った。
 呉の将も倒れ、魏の将も傷ついたので、両軍同時にわっと混み合って、互いに味方を助けて退いた。
「またしても、不覚をとりました。残念でなりません」
 孫権の前に出て、凌統が面目なげに詫びると、孫権は、
「兵家のつねだ」と慰めて、「きょう汝を救った者は誰ぞと思うか」といった。
 凌統は、座の左右を見まわした。甘寧が黙ってひかえている。はっと思うと、孫権はかさねて、「楽進の眉間を射たものはそこにいる甘寧だ。日頃の友誼をさらに篤く思うだろう」といった。
 凌統は、涙をたれて、甘寧の前に手をつかえた。以来ふたりは、まったく旧怨をわすれ、生死の交わりをむすんだという。
 次の日、魏の軍は、前日に倍加した勢いで、水陸から、呉陣へ迫った。
「さては曹操も、焦躁立って、総攻撃にかかって来たな」
 呉陣も、それに応ずる大軍を展列して、濡須に兵船の墻を作った。
 この日、目ざましかったのは、徐盛、董襲などの呉軍だった。そのため、魏陣の一角――李典の兵は馳けくずされ、そのまま、曹操の中軍まで、すでに危険に陥るかとすら思われたが、たちまち、大風が吹き起って、白浪天を搏ち、岸辺の砂礫は飛んで面を打ち、陽もまだ高いうちなのに、天地も晦くなってしまった。
 しかも董襲の兵船は、河の中で沈没し、そのほかの兵船も、帆を裂かれ、彼方此方の岸にぶつけられ、さんざんな目に遭ったところへ、新手の魏軍が、徐盛の兵を包囲して、その半ばを、殲滅してしまった。
「あれ、救え」
 と孫権の指揮をうけて、陳武が呉陣から馳け出して来ると、魏の一軍が、堤の蔭からつと起って、
「ひとりも余すな」と、またまた、ここに小鉄環を作って、みなごろしを計った。この手の大将は、漢中から従ってきた魏軍の中では新参の龐徳だ。
 かくて、この荒天の下、呉の旗色は、急に悪くなって、今は、総敗軍のほかなきに至ったが、若い孫権は、
「何事かあらん」
 と、自身、中軍を引いて、濡須の岸へ、繰りだしてきた。ところがここには、張遼徐晃の二手が待ちかまえていた。

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