桑の家
一
涿県の楼桑村は、戸数二、三百の小駅であったが、春秋は北から南へ、南から北へと流れる旅人の多くが、この宿場で驢をつなぐので、酒を売る旗亭もあれば、胡弓を弾くひなびた妓などもいて相当に賑わっていた。
この地はまた、太守劉焉の領内で、校尉鄒靖という代官が役所をおいて支配していたが、なにぶん、近年の物情騒然たる黄匪の跳梁に脅かされているので、楼桑村も例にもれず、夕方になると明るいうちから村はずれの城門をかたく閉めて、旅人も居住者も、いっさいの往来は止めてしまった。
城門の鉄扉が閉まる時刻は、大陸の西厓にまっ赤な太陽が沈みかける頃で、望楼の役人が、六つの鼓を叩くのが合図だった。
だからこの辺の住民は、そこの門のことを、六鼓門と呼んでいたが、今日もまた、赤い夕陽が鉄の扉にさしかける頃、望楼の鼓が、もう二つ三つ四つ……と鳴りかけていた。
「待って下さい。待って下さいっ」
彼方から驢を飛ばしてきたひとりの旅人は、危うく一足ちがいで、一夜を城門の外に明かさなければならない間ぎわだったので、手をあげながら馳けてきた。
最後の鼓の一つが鳴ろうとした時、からくも旅人は、城門へ着いて、
「おねがい致します。通行をおゆるし下さいまし」
と、驢をそこで降りて、型のごとく関門調べを受けた。
役人は、旅人の顔を見ると、「やあ、お前は劉備じゃないか」と、いった。
劉備は、ここ楼桑村の住民なので、誰とも顔見知りだった。
「そうです。今、旅先から帰って参ったところです」
「お前なら、顔が手形だ、何も調べはいらないが、いったい何処へ行ったのだ。こんどの旅はまた、ばかに長かったじゃないか」
「はい、いつもの商用ですが、なにぶん、どこへ行っても近頃は、黄匪の横行で、思うように商いもできなかったものですから」
「そうだろう。関門を通る旅人も、毎日へるばかりだ。さあ、早く通れ」
「ありがとう存じます」
再び驢にのりかけると、
「そうそう、お前の母親だろう、よく関門まで来ては、きょうもまだ息子は帰りませぬか、今日も劉備は通りませぬかと、夕方になると訊ねにきたのが、この頃すがたが見えぬと思ったらわずらって寝ているのだぞ。はやく帰って顔を見せてやるがよい」
「えっ。では母は、留守中に、病気で寝ておりますか」
劉備はにわかに胸さわぎを覚え、驢を急がせて、関門から城内へ馳けた。
久しく見ない町の暮色にも、眼もくれないで彼は驢を家路へ向けた。道幅の狭い、そして短い宿場町はすぐとぎれて、道はふたたび悠長な田園へかかる。
ゆるい小川がある。水田がある。秋なのでもう村の人々は刈入れにかかっていた。そして所々に見える農家のほうへと、田の人影も水牛の影も戻って行く。
「ああ、わが家が見える」
劉備は、驢の上から手をかざした。舂く陽のなかに黒くぽつんと見える一つの屋根と、そして遠方から見ると、まるで大きな車蓋のように見える桑の木。劉備の生れた家なのである。
「どんなに自分をお待ちなされておることやら。……思えば、わしは孝養を励むつもりで、実は不孝ばかり重ねているようなもの。母上、済みません」
彼の心を知るか、驢も足を早めて、やがて懐かしい桑の大樹の下までたどりついた。
二
この桑の大木は、何百年を経たものか、村の古老でも知る者はない。
沓や蓆をつくる劉備の家――と訊けば、あああの桑の樹の家さと指さすほど、それは村の何処からでも見えた。
古老がいうには、
「楼桑村という地名も、この桑の木が茂る時は、まるで緑の楼台のように見えるから、この樹から起った村の名かもしれない」とのことであった。
それはともかく、劉備は今、ようやく帰り着いたわが家の裏に驢をつなぐとすぐ、
「おっ母さん、今帰りました。玄徳です。玄徳ですよ」
と、広い家の中へ馳けこむようにはいって行った。
旧家なので、家は大きいが、何一つあるではなく、中庭は、沓を編んだり蓆を織る仕事場になっており、そこも劉備の留守中は職人も通っていないので、荒れたままになっていた。
「オヤ、どうしたのだろう。燈火もついていないじゃないか」
彼は召使いの老婆と、下僕の名を呼びたてた。
ふたりとも、返辞もない。
劉備は、舌打ちしながら、
「おっ母さん」
母の部屋をたたいた。
阿備か――と飛びつくように迎えてくれるであろうと思っていた母の姿も見えなかった。いや母の部屋だけにたった一つあった箪笥も寝台も見えなかった。
「や? ……どうしたのだろう」
茫然、胸さわぎを抱いて、たたずんでいると、暗い中庭のほうで、かたん、かたん――と蓆を織る音がするのであった。
「おや」
廊へ出てみると、そこの仕事場にだけ、うす暗い灯影がたった一つかかげてあった。その灯の下に、白髪の母の影が後ろ向きに腰かけていた。ただ一人で、星の下に、蓆を織っているのだった。
母は、彼が帰ってきたのも気がついていないらしかった。劉備がすがりつかんばかり馳け寄って、
「今、帰りました」
と顔を見せると、母は、びっくりしたように起ってよろめきながら、
「おお、阿備か、阿備か」
乳呑み児でも抱きしめるようにして、何を問うよりも先に、うれし涙を眼にいっぱいためたまま、しばしは、母は子の肌を、子は母親のふところを、相擁して温め合うのみであった。
「城門の番人に、おまえの母親は病気らしいぞといわれて、気もそぞろに帰ってきたのですが、おっ母さん、どうしてこんな夜露の冷える外で、今頃、蓆など織っていらっしゃるのですか」
「病気? ……ああ城門の番人さんは、そういったかも知れないね。毎日のように関門までおまえの帰りを見に行っていたわたしが、この十日ばかりは行かないでいたから」
「では、ご病気ではないんですか」
「病気などはしていられないよ、おまえ」と、母はいった。
「寝台も箪笥もありませんが……」
劉備が問うと、
「税吏が来て、持って行ってしまった。黄匪を討伐するために、年々軍費がかさむというので、ことしはとほうもなく税が上がり、おまえが用意しておいただけでは間に合わない程になったんだよ」
「婆やが見えませんが、婆やはどうしましたか」
「息子が、黄匪の仲間にはいっているという疑いで、縛られて行った」
「若い下僕は」
「兵隊にとられて行ったよ」
「――ああ! すみませんでしたおっ母さん」
劉備は、母の足もとに、ひれ伏して詫びた。
三
詫びても詫びても詫び足らないほど、劉備は母に対して済まない心地であった。けれども母は、久しぶりに旅から帰ってきた我が子が、そんな自責に泣きかなしむことは、かえって不愍やら気の毒やらで、自分の胸も傷むらしく、
「阿備や、泣いておくれでない。何を詫びることがあるものかね。お前のせいではありはしない。世の中が悪いのだよ。……どれ粟でも煮て、久しぶりに、ふたりして晩のお膳をかこもうね。さだめし疲れているだろうに、今、湯を沸かしてあげるから、汗でも拭いたがよい」
と、蓆機の前から立ちかけた。
子の機嫌をとって、子の罪を責めない母のあまりなやさしさに、劉備はなおさら大愛の姿にぬかずいて、
「もったいない。私が戻りましたからには、そんなことは、玄徳がいたします。もうご不自由はさせません」
「いいえお前はまた、あしたから働いておくれ。稼ぎ人だからね、婆やも下僕もいなくなったのだから、台所のことぐらいは、わたしがしましょうよ」
「留守中、そんなことがあろうとは、少しも知らず、つい旅先で長くなって、思わぬご苦労をかけました。さあ、こんな大きな息子がいるんですから、おっ母さんは部屋へはいって、安楽に寝台で寝ていて下さい」と、いって劉備はむりに母の手を誘ったが、考えて見ると、その寝台も税吏に税の代わりに持って行かれてしまったので、母の部屋には、身を横たえる物もなかった。
いや、寝台や箪笥だけではない。それから彼が灯りを持って、台所へ行って見ると、鍋もなかった。四、五羽の鶏と一匹の牛もいたのであるが、そうした家畜類まで、すべて領主の軍需と税に徴発されて、目ぼしい物は何も残っていなかった。
「こんなにまで、領主の軍費も詰まってきたのか」
劉備は、身の生活を考えるよりも、もっと大きな意味で、暗澹となった。
そして直ぐ、
「これも、黄匪の害の一つのあらわれだ。ああどうなるのだろう?」
世の行く末を思いやると、彼はいよいよ暗い心にとざされた。
物置をあけて、彼は夕餉にする粟や豆の俵を見まわした。驚いたことには、多少その中に蓄えておいた穀物も干し肉も、天井につるしておいた乾菜まできれいに失くなっているのだった。――もう母に訊くまでもないことと、彼はまた、そこで茫失していた。
すると、むりに部屋へ入れて休ませておいた母が部屋の中で、何か小さい物音をさせていた。行って見ると、床板を上げて、土中の瓶の中から、わずかな粟と食物を取出している。
「……ア。そんな所に」
劉備の声に、彼女はふり向いて、浅ましい自分を笑うように、
「すこし隠しておいたのだよ。生きてゆくだけの物はないと困るからね」
「…………」
世の中は急転しているのだ。これはもうただ事ではない。何億の人間が、生きながら餓鬼となりかけているのだ。反対に、一部の黄巾賊が、その血をすすり肉をくらって、不当な富貴と悪辣な栄華をほしいままにしているのだ。
「阿備や……。灯りを持っておいで、粟が煮えたよ。何もないけれど、二人して喰べれば、おいしかろう」
やがて、老いたる母は、貧しい卓から子を呼んでいた。
四
貧しいながら、母子は久しぶりで共にする晩の食事を楽しんだ。
「おっ母さん、あしたの朝は、きっと歓んでいただけると思います。こんどの旅から、私はすばらしいお土産を持って帰ってきましたから」
「お土産を」
「ええ。おっ母さんの、大好きな物です」
「ま。何だろうね?」
「生きているうちに、もいちど味わってみたいと、いつか仰っしゃったことがありましたろう。それですよ」
母を楽しませるために、劉備も、それが洛陽の銘茶であるということを、しばらく明かさなかった。
母は、わが子のその気持だけでも、もう眼を細くして歓んでいるのである。焦らされていると知りながら、
「織物かえ」と訊いた。
「いいえ。今もいったとおり、味わう物ですよ」
「じゃあ、食べ物?」
「――に、近いものです」
「何じゃろ。わからないよ、阿備や。わたしにそんな好物があるかしら」
「望んでも、望めない物と、諦めの中に忘れておしまいになったんでしょう。一生に一度は、とおっ母さんが何年か前に云ったことがあるので、私も、一生に一度はと、おっ母さんにその望みをかなえてあげたいと、今日まで願望に抱いておりました」
「まあ、そんなに長年、心にかけてかえ? ……なおさら、分らなくなってしもうたよ阿備。……いったいなんだねそれは」
「おっ母さん、実は、これですよ」
錫の小さい茶壺を取出して、劉備は、卓の上に置いた。
「洛陽の銘茶です。……おっ母さんの大好きなお茶です。……あしたの朝は、うんと早起きしましょう。そしておっ母さんは、裏の桃園に莚をお敷きなさい。私は驢に乗って、ここから四里ほど先の鶏村まで行くと、とてもいい清水の湧いている所がありますから、番人に頼んでひと桶清水を汲んできます」
「…………」
母は眼をまるくしたまま錫の小壺を見つめて、物もいえなかった。ややしばらくしてから怖い物でもさわるように、そっと掌に乗せて、壺の横に貼ってある詩箋のような文字などを見ていた。そして大きな溜息をつきながら、眼を息子の顔へあげて、
「阿備や。……お前、いったいこれは、どうしたのだえ」
声までひそめて訊ねるのだった。
劉備は、母が疑いの余り案じてはならないと考えて、自分の気持や、それを手に入れたことなど、噛んでふくめるようにして話して聞かせた。民間ではほとんど手に入れがたい品にはちがいないが、自分が求めたのは、正当な手続きで購ったのだから少しも懸念をする必要はありません――とつけ加えていった。
「ああ、お前は! ……なんてやさしい子だろう」
母は、茶壺を置いて、わが子の劉備に掌をあわせた。
劉備は、あわてて、
「おっ母さん、滅相もない。そんなもったいない真似はよして下さい。ただ歓んでさえいただければ」
と、手を取った。そうして相擁したまま、劉備は自分の気もちの酬いられたうれしさに泣き、母は子の孝心に感動の余り涙にくれていた。
翌る朝――
まだ夜も白まぬうちに起きて、劉備は驢の背に水桶を結いつけ、自分ものって、鶏村まで水を汲みに行った。
五
もちろん劉備が出かけた頃、彼の母も夙く起きていた。
母はその間に、竈の下に豆莢がらを焚いて、朝の炊ぎをしておき、やがて家の裏のほうへ出て行った。
桑の大木の下を通って、裏へ出ると、牛のいない牛小屋があり、鶏のいない鶏小屋があり、何もかも荒れ果てて、いちめんに秋草がのびている。
だが、そこから百歩ほど歩くと這うような姿をした果樹が、背を並べて、何千坪かいちめんに揃っていた。それはみんな桃の樹であった。秋は葉も落ちて淋しいが、春の花のさかりには、この先の蟠桃河が落花で紅くなるほどだったし、桃の実は市に売り出して、村の家何軒かで分け合って、それが一年の生計の重要なものになった。
「……オオ」
彼女は、ひとりでに出たような声をもらした。桃園の彼方から陽が昇りかけたのだ。金色の日輪は、密雲を噛み破るように、端だけ見えていた。今や何か尊いものがこの世に生れかけているような感銘を彼女もうけた。
「…………」
彼女は、ひざまずいて、三礼を施した。子どものことを祷っているらしかった。
それから、箒を持った。
たくさんの落葉がちらかっている。桃園は村の共有なので、日ごろ誰も掃除などはしない。彼女も一部を掃いただけであった。
新しい莚をそこへ敷いた。そして一箇の土炉と茶碗など運んだ。彼女はもともと氏素性の賤しくない人の娘であったし、劉家も元来正しい家柄なので、そういう品もどこかに何十年も使用せずにしまってあった。
清掃した桃園に坐って、彼女は水を汲みに行った息子が、やがて鶏村から帰るのを、心静かに待っていた。
桃園の梢の湖を、秋の小禽が来てさまざまな音いろを転ばした。陽はうらうらと雲を越えて、朝霧はまだ紫ばんだまま大陸によどんでいた。
「わしは倖せ者よ」
彼女は、この一朝の満足をもって、死んでもいいような気がした。いやいや、そうでないとも思う。独り強くそう思う。
「あの子の将来を見とどけねば……」
ふと彼方を見ると、その劉備の姿が近づいてきた。水を汲んで帰ってきたのである。驢にのって、驢の鞍に小さい桶を結いつけて。
「おお。おっ母さん」
桃園の小道をぬって、劉備は間もなくそこへきた。そして水桶をおろした。
「鶏村の水は、とてもいい水ですね。さだめし、これで茶を煮たらおいしいでしょう」
「ま。ご苦労だったね。鶏村の水のことはよく聞いているけれど、あそこはとても恐い谷間だというじゃないか。後でわたしはそれを心配していたよ」
「なあに、道なんかいくら嶮しくても何でもありませんがね、清水には水番がいまして、なかなかただはくれません。少しばかり金をやってもらって来ました」
「黄金の水、洛陽のお茶、それにお前の孝心。王侯の母に生れてもこんないい思いにはめぐり会えないだろうよ」
「おっ母さん、お茶はどこへ置きましたか」
「そうそう、私だけがいただいてはすまないと思い、ご先祖のお仏壇へ上げておいたが」
「そうですか、盗まれたらたいへんです。すぐ取って参りましょう」
劉備は、家のほうへ馳けて、宝珠を抱くように、茶壺を捧げてきた。
母は、土炉へ、火をおこしていた。その前にひざまずいて劉備が茶壺を差出すと、その時、何が母の眼に映ったのであろうか、母は手を出そうともしないで、劉備の身のまわりを改まった眸でじっと見つめた。
六
劉備は、母がにわかに改まって自分の身なりを見ているので、
「どうしたのですかおっ母さん」
いぶかしげに訊いた。
母は、いつになく厳粛な容子をつくって、
「阿備」と、声まで、常とはちがって呼んだ。
「はい。何ですか」
「お前の佩いている剣は、それは誰の剣ですか」
「わたくしのですが」
「嘘をおいい。旅に出る前の物とはちがっている。お前の剣は、お父さんから遺物にいただいた――ご先祖から伝わっている剣のはずです。それを、何処へやってしまったのです?」
「……はい」
「はいではありません。片時でも肌身から離してはなりませぬぞと、わしからもくれぐれいってあるはずです。どうしたのだえ、あの大事な剣は」
「実は、その……」
劉備はさしうつ向いてしまった。
母の顔は、いよいよ峻厳に変っていた。劉備が口ごもっていると、なお追及して、
「まさか手放してしまったのではあるまいね」と念を押した。
劉備は、両手をつかえて、
「申しわけありません。実は旅から帰る途中、ある者に礼として与えてしまいましたので」
いうと、母は、「えっ、人に与えてしまったッて。――ま! あの剣を」と、顔いろを変えた。
劉備はそこで、黄巾賊の一群につかまって、人質になったことや、茶壺も剣も奪り上げられてしまったことや、それからようやく救われて、賊の群れから脱出してきたが、再び追いつかれて黄匪の重囲に陥ち、すでに斬り死しようとした時、卒の張飛という者が、一命を助けてくれたので、うれしさの余り、何か礼を与えようと思ったが、身に持っている物は、剣と茶壺しかなかったので、やむなく、剣を彼に与えたのです――とつぶさに話して、
「賊に捕まった時も、張卒に助けられた時も、その折はもう何も要らないという気持になっていたんです。……けれど、この銘茶だけは、生命がけでも持って帰って、おっ母さんに上げたいと思っていました。剣を手放したのは申しわけありませんが、そんなわけで、この銘茶を、生命から二番目の物として、持ち帰ったのでございます」
「…………」
「剣は、先祖伝来の物で、大事な物には違いありませんが、沓や蓆をつくって生活しているあいだは、張卒から貰ったこれでも決して間にあわないこともありませんから……」
母の惜しがる気持をなだめるつもりで彼がそういうと、何思ったか劉備の母は、
「ああ――わしは、お前のお父様に申しわけがない。亡き良人に顔向けがなりません。――わたしは、子の育て方を過った!」と、慟哭して叫んだ。
「何を仰っしゃるんです。おっ母さん! どうしてそんなことを」
母の心を酌みかねて、劉備がおろおろというと、母はやにわに、眼の前にあった錫の小さい茶壺を取上げ、
「阿備、おいで!」と、きつい顔して、彼の腕を片手で引っ張った。
「何処へです。おっ母さん。……ど、どこへいらっしゃろうというんですか」
「…………」
彼の母は、答えもせず、劉備の腕くびを固くつかんだまま、桃園の果てへ馳けだして行った。そしてそこの蟠桃河の岸までくると、持っていた錫の茶壺を、河の中ほど目がけてほうり捨ててしまった。
七
「あッ。何で?」
びっくりした劉備は、われを忘れて、母の手頸をとらえたが、母の手から投げられた茶の壺は、小さいしぶきを見せて、もう河の底に沈んでいた。
「おっ母さん! ……おっ母さん! ……一体、なにがお気にさわったのですか。なんで折角の茶を、河へ捨てておしまいになったんですか」
劉備の声は、ふるえていた。母によろこばれたいばかりに、百難の中を、生命がけで持ってきた茶であった。
母は、歓びの余りに、気が狂れたのではあるまいか?
「……何をいうのです。譟がしい!」
母は、劉備の手を払った。
そして亡父のような顔をした。
「…………」
劉備は、きびしい母の眉に、思わず後ろへ退がった。生れてから初めて、母にも怖い姿があることを知った。
「阿備。お坐りなさい」
「……はい」
「お前が、わしを歓ばせるつもりで、はるばる苦労して持っておいでた茶を、河へ捨ててしもうた母の心がわかりますか」
「……わかりません。おっ母さん、玄徳は愚鈍です。どこが悪い、なにが気にいらぬと、叱って下さい。仰っしゃって下さい」
「いいえ!」
母は、つよく頭を振り、
「勘ちがいをおしでない。母は自分の気ままから叱るのではありません。――大事な剣を人手に渡すようなお前を育ててきたことを、わたしは母として、ご先祖にも、死んだお父さんにも、済まなく思うたからです」
「私が悪うございました」
「お黙りっ! ……そんな簡単に聞かれては、母の叱言がおまえに分っているとはいえません。――私が怒っているのは、お前の心根がいつのまにやら萎えしぼんで、楼桑村の水呑百姓になりきってしもうたかと――それが口惜しいのです。残念でならないのです」
母は、子を叱るために励ましているわれとわが声に泣いてしまって、袍の袖を、老いの眼に当てた。
「……お忘れかえ、阿備。おまえのお父様も、お祖父様も、おまえのように沓を作り蓆を織り、土民の中に埋もれたままお果てなされてはいるけれど、もっともっと先のご先祖をたずねれば、漢の中山靖王劉勝の正しい血すじなのですよ。おまえはまぎれもなく景帝の玄孫なのです。この支那をひとたびは統一した帝王の血がおまえの体にながれているのです。あの剣は、その印綬というてもよい物です」
「…………」
「だが、こんなことは、めったに口に出すことではない。なぜならば、今の後漢の帝室は、わたし達のご先祖を亡ぼして立った帝王だからです。景帝の玄孫とわかれば、とうに私たちの家すじは断ちきられておるでしょう。……だからというて、お前までが、土民になりきってしまってよいものか」
「…………」
「わたしは、そんな教育を、お前にした覚えはない。揺籃に入れて、子守唄をうとうて聞かせた頃から――また、この母が膝に抱いて眠らせた頃から――おまえの耳へ母はご先祖のお心を血の中へおしえこんだつもりです。――時の来ぬうちはぜひもないが、時節が来たら、世のために、また、漢の正統を再興するために、剣をとって、草廬から起たねばならぬぞと」
「……はい」
「阿備。――その剣を人手に渡して、そなたは、生涯、蓆を織っている気か。剣よりも茶を大事にお思いか。……そんな性根の子が求めてきた茶などを、歓んで飲む母とお思いか。……わたしは腹が立つ。わたしはそれが悲しい」
と、母は慟哭しながら、劉備の襟をつかまえて、嬰児を懲らすように折檻した。
八
母に打ちすえられたまま、劉備は身うごきもしなかった。
打々と、母が打つたびに、母の大きな愛が、骨身にしみ、さんさんと涙がとまらなかった。
「すみません」
母の手をいたわるように、劉備はやがて、打つ手を抑えて、自分の額に、押しいただいた。
「わたくしの考え違いでございました。まったく玄徳の愚かがいたした落度でございます。仰っしゃる通り、玄徳もいつか、土民の中に貧窮しているため、心まで土民になりかけておりました」
「分かりましたか。阿備、そこへ気がつきましたか」
「ご打擲をうけて、幼少のご訓言が、骨身からよび起されて参りました。――大事な剣を失いましたことは、ご先祖へも、申しわけありませんが……ご安心下さいお母さん……玄徳の魂はまだ此身にございます」
――するとそれまで、老いの手が痺れるほど子を打っていた母の手は、やにわに阿備のからだをひしと抱きしめて、
「おお! 阿備や! ……ではお前にも、一生土民で朽ち果てまいと思う気持はおありかえ。まだ忘れないで、わたしの言葉を、魂のなかにお持ちかえ」
「なんで忘れましょう。わたくしが忘れても景帝の玄孫であるこの血液が忘れるわけはありません」
「よう云いなすった。……阿備よ。それを聞いて母は安心しました。ゆるしておくれ、……ゆるしておくれよ」
「何をなさるんです。わが子へ手をついたりして、もったいない」
「いいえ。心まで落ちぶれ果てたかと、悲しみと怒りの余り、お前を打擲したりして」
「ご恩です。大愛です。今のご打擲は、わたくしにとって、真の勇気をふるいたたせる神軍の鼓でございました。仏陀の杖でございました。――もしきょうのお怒りを見せて下さらなければ、玄徳は何を胸に考えていても、おっ母さんが世にあるうちはと、卑怯な土民をよそおっていたかも知れません。いいえそのうちについ年月を過して、ほんとの土民になって朽ちてしまったかもしれません」
「――ではお前は、何を思っても、この母が心配するのを怖れて、母が生きているうちはただ無事に暮していることばかり願っていたのだね。……ああ、そう聞けば、なおさらわたしのほうが済まない気がします」
「もう私も、肚がきまりました。――でなくても、今度の旅で、諸州の乱れやら、黄匪の惨害やら、地上の民の苦しみを、眼の痛むほど見てきたのです。おっ母さん、玄徳が今の世に生れ出たのは、天上の諸帝から、何か使命をうけて世に出たような気がされます」
彼が、真実の心を吐くと彼の母は、天地に黙祷をささげて、いつまでも、両の腕の中に額をうめていた。
しかし、この日の朝のことは、どこまでも、母子ふたりだけの秘かごとだった。
劉備の家には、相変らず蓆機を織る音が、何事もなげに、毎日、外へもれていた。
土民の手あらの者が、職人として雇われてきて、日ごとに中庭の作業場で、沓を編み、蓆を荷造りして、それが溜ると、城内の市へ持って行って、穀物や布や、母の持薬などと交易してきた。
変ったことといえば、それくらいなもので、家の東南にある高さ五丈余の桑の大樹に、春は禽が歌い、秋は落葉して、いつかここに三、四年の星霜は過ぎた。
すると、浅春の一日。
白い山羊の背に、二箇の酒瓶を乗せて、それをひいてきた旅の老人が、桑の下に立って、独りで何やら感嘆していた。
九
誰か、のっそりと、無断で家の横から中庭へはいってきた。
劉備は、母と二人で、蓆を織っていた。無断といっても、土塀は崩れたままだし、門はないし、通り抜けられても、咎めるわけにもゆかないほどな家ではあったが――
「……おや?」
振向いた母子は目をみはった。そこに立った旅の老人よりも、酒瓶を背にのせている山羊の毛の雪白な美しさに、すぐ気をとられたのである。
「ご精が出るのう」
老人は、なれなれしい。
蓆機のそばに腰をおろし、なにか話しかけたい顔だった。
「お爺さん、どこから来なすったね。たいそう毛のいい山羊だな」
いつまでも黙っているので、かえって劉備から口を切ってやると、老人はさもさも何か感じたように、独りで首を振りながら云った。
「息子さんかの。このお方は」
「はい」と、母が答えると、
「よい子を生みなすったな、わしの山羊も自慢だが、この息子にはかなわない」
「お爺さんは、この山羊をひいて、城内の市へ売りに来なすったのかね」
「なあに、この山羊は、売れない。誰にだって、売れないさ。わしの息子だものな。わしの売物は酒じゃよ。だが道中で悪漢に脅されて、酒は呑まれてしもうたから、瓶は二つとも空っぽじゃ。何もない。はははは」
「では、せっかく遠くから来て、おかねにも換えられずに帰るんですか」
「帰ろうと思って、ここまで来たら、偉い物を見たよわしは」
「なんですか」
「お宅の桑の樹さ」
「ああ、あれですか」
「今まで、何千人、いや何万人となく、村を通る人々が、あの樹を見たろうが、誰もなんともいった者はいないかね」
「べつに……」
「そうかなあ」
「珍しい樹だ、桑でこんな大木はないとは、誰もみないいますが」
「じゃあ、わしが告げよう。あの樹は、霊木じゃ。この家から必ず貴人が生れる。重々、車蓋のような枝が皆、そういってわしへ囁いた。……遠くない、この春。桑の葉が青々とつく頃になると、いい友達が訪ねてくるよ。蛟龍が雲をえたように、それからここの主はおそろしく身の上が変ってくる」
「お爺さんは、易者かね」
「わしは、魯の李定という者さ。というて年中飄々としておるから、故郷にいたためしはない。山羊をひっぱって、酒に酔うて、時々、市へ行くので、皆が羊仙といったりする」
「羊仙さま。じゃあ世間の人は、あなたを仙人と思っているので?」
「はははは。迷惑なはなしさ。何しろきょうはよろこばしい人とはなし、珍しい霊木を見た。この子のおっ母さん」
「はい」
「この山羊を、お祝いに献上しよう」
「えっ?」
「おそらく、この子は、自分の誕生日も、祝われたことはあるまい。だが、今度は祝ってやんなさい。この瓶に酒を買い、この山羊を屠って、血は神壇に捧げ、肉は羹に煮て」
初めは、戯れであろうと、半ば笑いながら聞いていたところ、羊仙はほんとに山羊を置いて、立ち去ってしまった。
驚いて、桑の下まで馳けだし、往来を見まわしたが、もう姿は見えなかった。