敗将

 張飛の軍勢はすさまじい勢いで進撃した。魏延、雷同を両翼とした態勢もよかったのだ。逃げ足立った敵を追いまくり、切りふせ、蹴ちらして、凱歌は到るところにあがった。
 張郃が自信満々に構えた三ヵ所の陣は、またたく間に打ち破られ、三万余騎の兵力も、遂に二万余人を失って、張郃自身、かろうじて瓦口関(四川省)にまで落ちのびて行った。
 痛快極まる勝ち戦は、張飛の鬱積を吹きとばして、なおあまりがあった。早速に早馬を仕立てさせ、使者を成都の玄徳に送った。
 玄徳の喜悦もまたひとしおで、
孔明の明や深遠、清澄。閬中の勝報、わが想外にあり。善い哉、善い哉」と、膝をうった。
 瓦口関にまで逃げた張郃は、悲鳴をあげ、曹洪に救援をもとめた。
 曹洪はこの報らせをうけると、烈火の如く怒って、
「張郃わが命を用いず、なまじ自信をもった戦をして、要害を奪われたのだ。今はわれに救援に送る兵なし、すべからく逆襲して、もとの本陣を奪取すべし」
 と、峻烈な命を返してよこした。
 曹洪の怒りを聞いて、張郃の驚き、怕れはひと通りでなく、新たに計をたてて、まず残兵を集めて二手に分け、瓦口関の前に伏せ、本陣はなおも退却と見せかければ、張飛必ず追いくるに違いなし、そのとき一せいに打って出で、敵の退路を遮断すれば、挽回の端緒を得べしとなした。
「ものども、ぬかるなッ」と、厳命して、自ら一隊を率い、敵前に進み出た。
 これを見た蜀の大将雷同、馬を飛ばして来て張郃にうってかかった。
 御参なれ、と二、三合うち合った上、予定の如く張郃は逃げにかかった。雷同は猛って、逃がさじと追ってくる様子に、張郃ひそかに喜び、ころもよしと合図をすると、魏の伏勢一度に起って、雷同の退路を断った。
「図られたかっ」と、気づいて、馬をかえそうとするところを、張郃はにわかに追いかかって雷同を斬ってしまった。
 このさまを見ていた張飛は、怒髪天をつき、馬を走らせて張郃に迫った。張郃は味をしめ、張飛としばしわたり合っては、逃げて誘おうとしたが、今度はこの計略もきかず、追ってこない。やむなく、張郃は戻りかえって刃を合わせては、一間でも二間でも引込もうと骨を折ったが、張飛は限度をこえて深追いせず、そのうち馬首をめぐらして本陣に帰ってしまった。
 引上げた張飛は、早速魏延を呼びよせ、
「張郃め、まんまと計りおって、雷同の勢い立って深入りしたを、伏兵をもってあざむき殺してしまった。いま一戦を交えて、雷同の仇を討とうとしたが、敵に計のあるを見て引返した。敵の計には計を以てせねばならぬと考えるが」
「して、そのお考えは」
 魏延は友将を失って、気色ばんで訊ねた。
「うむ、われは一軍を率いて、明日、また正面より張郃にいどむ、汝は精兵をすぐり、敵の伏兵が、われの深入りを機会に、わが退路を断たんとするとき、山間に伏せて急に兵を二手に分け、敵の伏兵にあたり、一手は車輛に乾し草を山と積んで小路をふさぎ、これに火をつけよ。張郃を擒にして必ず雷同が仇を討ってみせる」
 魏延は喜び勇み、配下の精鋭をすぐって、配備についた。
 翌日。
 張飛堂々と軍を進めて魏軍の正面を攻めた。
 張郃はこれを見て、こりずにまたやって来おったかとばかり、みずから馬を進め、交戦十合ほどにして、きょうも、逃げの手をつかった。しかるに、来まいと思った張飛は、兵と一緒になって追ってくる様子である。張郃はひそかに喜んで、伏兵の配陣よろしき地勢まで逃げた。
 ここは山の腰のあたり、路は一筋、退路を断てば、敵の首筋を握ったと同然の地の利である。
「よし」と、思わず息をはずませ、馬首をめぐらし、追い寄せきた張飛の軍めがけて、一度に逆襲の形をとった。

 雷同を討って、全軍気をよくしている矢先である。きょう目ざすは張飛だ。張郃の下知は、水ももらさず行きわたって、見事にみえる。
 本軍と意気を合わせ、伏兵もたちまち左右から起って、張飛の後ろをさえぎろうとしたが、なんぞはからん、目の前に立ちふさがったのは蜀の兵であった。逆に虚をつかれた張郃の兵は、たちまち乱れ、さんざんに打ち破られ潰え、谷の中に追い込まれてしまった。
 その上に、柴の車をもって細道をふさぎ、一斉にこれに火をかけたので、火焔は天に冲し、草木に燃えうつって、黒煙は土をおおい、張郃の兵は山中を逃げまどったが、森林地帯ではあり、思うに任せず、遂に一人も残らず焼死してしまった。
 この一戦は、終始張飛の圧倒的な優勢裡にすすめられて、残り少ない敗残の手兵をあつめ、張郃は、命からがら瓦口関にのがれ、よじ登って、あたふたと門を閉じて、ここを死守すべく厳重に守った。
 魏延を率いて、ここまで追いつめた張飛は、一気にこの関も破るべく、数日にわたって攻めたが、さすが、名ある瓦口関である。要害は堅固で、また地勢嶮岨を極めて、揺ぎもしない。
 張飛は正面攻撃をあきらめ、二十里後方に退いて、陣を構え、みずから手兵数十騎を選び伴い、山路の偵察を行った。
 ある日。
 山道からふと見ると、百姓らしい男や女が幾人か、背に荷を負い、藤蔓にしがみつき、あるいは葛にとびついたりして、山を越えてゆく姿が張飛の眼にとまった。
 張飛はこれを見て、魏延を側に招き、馬上に鞭をあげて、
「魏延、あれを見たか。瓦口関を破る策は、あの百姓たちが訓えてくれるに違いない。それよりほかに破り得ることは不可能だ」と、確信にあふれた言葉。
 魏延は直ぐには、この意味が解し得ない様子で、
「…………」
 遥かに山上に姿を消してゆく人影を見送るばかりであった。
「誰か、直ちにあの百姓を追いかけ、驚かさぬようにして、ここへ連れてこい」と張飛は命じた。
 間もなく、兵は六名ほどの百姓を連れてきた。若い者も、老人もまじっていて、いずれも何かおびえた顔を土につけた。
 張飛は、静かに、つとめて優しく、
「お前たちは、どうして、こんな嶮しい山路をたどって、この山を越えようとしているのか」
 と、訊ねた。
 年のいった百姓は、代表の格で幾分たじろぎながら、
「はい、わたくしたちは、みんな漢中のものでございますが、いま、故郷へ帰ろうと此処まで参りますと、なんでも、本道には激しい合戦があると聞きましたために、蒼渓をすぎて、梓潼山の檜釿川から漢中へ出ようと相談致しまして、この山へかかった訳でございます」と答えた。
「うむ」
 大きくうなずきながら、張飛は再び質問を発した。
「この路は、瓦口関とよほど離れているか」
「いや、それ程ではございません。梓潼山の小路は、瓦口関の背後に通じております」
 老人の答えは、思ったよりはっきりしていた。この答えに、張飛はいかばかり喜んだか知れなかった。百姓たちを本陣に連れて帰り、それぞれ褒美を与え、酒をふるまってねぎらった。
 張飛は魏延を呼び寄せ、
「早速に兵を率い、瓦口関正面に攻めかかれ、われは、あの百姓を案内とし、精兵五百あまりをひきつれ、小路を走って敵が背後に廻り、一気に張郃の軍の残余を潰滅せしめよう」
 と、全軍に下知し、張飛はすぐりの兵をつれ、魏延と瓦口関に勝利の再会を約して、左右に別れて発足した。

 瓦口関に構えて一息ついていた張郃は、幾度かの敵襲も、堅固な関の救いに小揺るぎもなく、事なくすんだが、さて援軍が来なければ、此処から一歩も動きがとれない。ひたすら援軍を待つばかりであった。
 しかし、待てど、暮せど、友軍の来そうな気配が見えない。
 日の経つにつれて、追々と心細くなってくるのを、どうすることもできない。物見を四方に立て、一刻も早く援軍来るの報を得ようと焦っている矢先。
「只今、関の正面に軍馬らしきもの近づいて参りました」と、物見の報告である。
「何、友軍か?」
「しかとは分りませんが、魏延の兵とおぼえます」
「何っ!」
 張郃は顔色を変えたが、魏延の軍、いかに攻めようとも、また過日の悔いを再び味わうのみ、と努めて平然と、
「敵であれば、厳重に関を固めよ、そして、一部の兵はわれとともに来れ、堅塁を盾に、なおも一撃を加えてくれよう」
 と、魏延の兵と一戦を交えようと、みずからも関を下って攻めかえそうとした。
 その時、瓦口関の背後、八方から火の手があがり、たちまち燃えひろがる様子。
 その煙の中を使者が駆け来って張郃に報告するには、
「いずこの兵か分りませんが、突如火を放ち、背後から攻めてきて、関の兵は残念ながら乱れたっております」
 張郃は馬首をかえして、瓦口関に戻り、敵はと見れば、旗をすすめて馬上にあるは、まぎれもない張飛の姿である。
 彼は色を失った。
 闘志はとうになくなっている。逃げることだけが彼のすべてであった。
 関の横を通じている小路をめがけ、馬を走らせたが、歩いて通るのもやっとの道であり、岩が多く、馬は蹄を痛め、脚をすべらせ、思うようには動けない。もどかしくも鞭をあげて逃げる。
 そこを逃しはせじと、張飛はひたむきに追いかけてくる。
 これまで、と、馬を乗り捨て、張郃は転ぶように、木の根にすがり、岩にかじりつき、生きた心地もなく、すり傷だらけになって逃げに逃げた。
 やっと、追手をのがれてあたりを見ると、自分とともに助かったものは、情けなくも十四、五人、すごすごと南鄭にたどりついた時は、われながら、哀れな姿であった。
 曹洪は張郃の敗戦を聞き、火の如く怒って、
「われ再三、出ることなかれと命じたるに、汝は、勝手に軍令状を書いて、無用なる戦をなし、あまっさえ敗戦あまたたび、貴重なる兵三万を失い、しかもなお汝のみ生きて帰るとは言語道断である。引出して首を刎ね、この罪を謝さしめん」という。
 曹洪の怒りを聞いて、行軍司馬の官にあった太原陽興の出身で郭淮字を伯済と称していた者が曹洪を諫めて、
「三軍は得やすく、一将は求め難し、と古人のことばにもございます。張郃がこの度の罪は、まことに許しがたいものがありましょうけれど、しかし、魏王が前から愛されていた大将でございます。しばらく一命を助けられ、もう一度、ご寛大な心から、五千余騎を彼に与え、葭萌関を攻めさせられたならば、蜀の軍勢は、この重要な関を守り固めるため、ことごとく引返して参るに違いありません。さすれば、漢中はおのずから平安になるでありましょう」
 郭淮の理をつくした言葉に、曹洪の怒りも幾分かやわらいできた様子だ。彼はなおも、
「もし、この度のご命令もまた失敗するようでありましたならば、その時になってやむを得ぬことでございます。二つの罪によって、彼を誅すればよろしいでございましょう」
 曹洪はこの言を容れ、張郃の一命は特に助けとらし、五千の兵を分ち与えて、蜀の葭萌関の攻撃を命じた。

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