兇門脱出
一
幾日かをおいて、玄徳は、きょうは先日の青梅の招きのお礼に相府へ参る、車のしたくをせよと命じた。
関羽、張飛は口をそろえて、
「曹操の心根には、なにがひそんでいるか知れたものではない。才長けた奸雄の兇門へは、こっちから求めて近づかぬほうが賢明でしょう」と、不敵な二人も、曹操だけには警戒を怠らない――というよりは、むしろ切に玄徳の自重をうながした。
玄徳は、うなずき、かつほほ笑んでいうには、
「だからわしも、努めて菜園に肥桶を担ったり、雷鳴に耳をふさいだり、箸を取落したりして見せている次第だ。しかし、聡明敏感な彼のことだから、避けて近づかなければ、また、猜疑するだろう。むしろいよいよ保命の鼻毛をのばして、時々、彼の嘲笑をうけに行ったほうが無事かと思う」
初めて玄徳の口から菜園に鍬をとるの深慮を聞かされ、霹靂に耳をふさぐの遠謀を説き明かされて、ふたりも周到な用意に今さら舌をまき、家兄にそこまでの心構えある以上、何をか曹操に近づくを恐れんや――とばかり供に従って車のあとに歩いた。
曹操は、玄徳を見ると、きょうも至極機嫌よく、
「皇叔。今日はこのあいだと違って、無風晴穏、かみなりも鳴るまいから、ゆるゆる、興を共にしたまえ」
と、いつぞやの清雅淡味と趣をかえて、その日は、贅美濃厚な盞肴をもって、卓をみたした。
ところへ、侍臣が、
「河北の情勢をうかがいに行った満寵が、手先の密偵の諜報を悉皆あつめて、ただいま立ち帰ってまいりましたが」
と、席へ告げた。
曹操は眼の隅からちろと玄徳の面を見たが、
「オ。満寵が帰ったか。すぐここへ通せ」と、いいつけた。
やがて満寵は、侍臣にともなわれて、席の一隅に起立した。曹操は、
「河北の情勢はどうか。袁紹が虚実をよく視てきたか」と、その報告を求めた。
満寵は答えて、
「河北には、別して変った事態も起っておりませんが、北平の公孫瓚は、袁紹のために亡ぼされました」
聞いて驚いたのは座にあった玄徳である。
「えっ、公孫瓚が亡ぼされましたと。あれほどな勢力地盤を有し、徳も備えた人が、どうして一朝に滅亡を遂げたものか……ああ」
儚げに嘆息して、手の杯も忘れている様を見て、曹操は、怪しみながら、
「君は、何故そのように、公孫瓚の死を嘆じるのかね。わからんな予には――興亡は兵家の常じゃないか」
「それはそうですが、公孫瓚は年来親しくしているわたくしの恩友です。かつて、黄巾の乱のはじめ、貧しき中に志をたて、まだろくな武備も人数も持たない私は、関羽、張飛のふたりと共に、乱におもむく公孫瓚の列に加えてもらい、またその陣を借りて戦いなどいたし、何かとお世話になったお方であります。――あいや、満寵どの、どうかもう少しくわしくお語り下さるまいか」
そう聞いて、曹操も、
「なるほど、君と彼とは、君が無名の頃から浅くない仲だったな。これ、満寵満寵。貴賓もあのように求めらるる。公孫瓚が滅亡の仔細、なおつまびらかに、それにて語れ」と、いった。
さればその次第は――と、満寵はつぶさに語りだした。
二
もとより満寵は、それらの見聞をあつめに行って帰ってきた者、その語るところはつぶさだし、信もおける。
彼の言によれば。
北平の公孫瓚は、近年、冀州の要地に、易京楼と名づける大城郭を興し、工も完く成ったので、一族そこへ移っていた。
易京楼の規模はおそろしく宏大で、一見、彼の勢威いよいよ旺なりとも思えるが、事実は左にあらずで、年ごとに領境を隣国の袁紹に蚕食され、旧来の城池では不安をおぼえてきたための大土木であり、そこへ移ったのは、すでに後退を示した衰兆の一歩であった。
公孫瓚はそこに粮米三十万石と大兵とを貯え、以後、数度の戦にも、まず一応強国の面目をたもっていたが、或る折、味方の一部隊を、敵のなかに捨てごろしにしたことから、彼の信望はうすれ、士気は荒び出してきた。
その日城外へ出て、乱軍となったあげく、敗退して、われがちに引きあげ、易京楼の城門をかたく閉じてから、気づいたのである。
(敵のなかに、まだ味方の兵五百余りが退路をたたれて残っている。捨ててはおけまい。援軍を組織して、助けに行け)
またすぐ城門をひらいて、救助に出ようとすると、公孫瓚は、
(それには及ばん。五百の兵を救うため、千の兵を失い、城門の虚を衝かれて、敵になだれ込まれたら、大損害をうけよう)と、許さなかった。
すると、その後。
袁紹の軍が、城のそばまでおしよせて来たところ、城中の不平分子は、不意にどやどやと城を出て、千人以上も、一かたまりとなって、敵へ降伏してしまった。
降人に出た兵は敵の取調べに対して、
(公孫瓚は、われわれどもを、貨幣か物のようにしか考えぬ。損得勘定で、五百の生命を見ごろしに敵の中へ捨てた。だから、われわれは彼に、千の損失をかけてやろうと、相談したわけなんで……)と、述べてはばからなかった。
敵へ投降した千だけに止まらず、残った諸軍の士気もその後はどうも冴えない。そこで、公孫瓚は、黒山の張燕に協力をもとめ、袁紹を挟み討ちする策をたてたが、密計のうらをかかれて、これまた惨敗に終ってしまった。
それからは、易京楼の守りをたのみとし、警戒して出ないので、袁紹も攻めあぐねていた。
(易京楼を落すには、少なくも、城兵が三十万石の粮米を喰い尽すあいだだけの月日は、完全にかかるだろう)
こういう風評だった。ところが、さすが袁紹の帷幕、よほど鬼謀の軍師がいるとみえ、地の底を掘って、日夜、坑道を掘りすすめ、とうとう城中に達して、放火、攪乱、殺戮の不意討ちをかけると共に、外からも攻めて、一挙に全城を屠ってしまった。
公孫瓚は、逃げるに道なく、自ら妻子を刺して、自身も自害して果てた。
「――そういうわけで、袁紹の領土は拡大され、兵馬は増強されつつあります。のみならず、近ごろ彼の弟、淮南の袁術も一時は自ら帝位を冒していましたが、自製皇帝の位も持ちきれなくなり、兄袁紹へ例の伝国の玉璽を贈って、兄に皇帝の名を取らせ、自分は実利をせしめんものと、合体運動を起しております。こう二つのものがまた、合併されるとなると、いよいよ由々しい大勢力と化し、ほかに歯の立つ国はなくなるのではないかと存ぜられます」
満寵は報告をむすんだ。
曹操は甚だおもしろくない態である。
「丞相、折入って、願いの儀がございます。お聞き入れくださいましょうや」
畏る畏るその不興な顔へ向って、こういったのは、玄徳であった。
三
「皇叔、改まって、予に願いとは、何であるか」
「それがしに、丞相の一軍をおかし賜わりたいのであります」
「わが一軍をひきいて、君はそもどこへ赴こうとするか」
「いま満寵が語るを聞けば、淮南の袁術は自己の僭称せる皇帝の名と共に、持つところの伝国の玉璽をも、兄袁紹へ譲与して、内にはふたり力をあわせ、外には河北、淮南を一環に合体して、いよいよ中原へ羽翼を伸張しきたらんとする由。――これは丞相にとっても、捨ておきがたい兆しではありますまいか」
「もとより由々しい大事だが――それについて、君に何かの対策があるか?」
「袁術が淮南をすてて河北に行くには、かならず徐州の地を通らねばなりません。それがし今、一軍を拝借して、急に馳せむかい、彼の半途を襲えば、かならず丞相の憂いを除き、ふたつには袁紹が帝位をのぞむ僭上を懲らし、すべて彼らが企むところの野心を未然に粉砕してお目にかけまする」
「君にしては、常にない勇気であるが、どうして君はそう俄に思い立たれたか」
「袁術、袁紹を不利ならしめれば、いささか恩友公孫瓚の霊も、なぐさめ得られようかと思いまして」
「なるほど、君の信義もあるのか。袁紹は恩友のかたきでもあれば、――というわけだな。よろしい、明朝、相伴うて天子に謁し、君の望みを奏上しよう。君が赴いてくれれば予も気づよい」
翌日、朝廷に出て、曹操から右のよしを帝に達すると、帝は御涙をうかべて、玄徳を宮門まで見送られた。
玄徳は、将軍の印を腰におび、朝をさがって相府に立寄った。そして曹操から、五万の精兵と二人の大将を借りうけるや、取るものも取りあえず、許都の邸館をひき払って出発した。
「なに、劉皇叔が、許都を立ったと?」
驚いたのは、かの董承である。――董承は、十里亭まで、馬をとばして、玄徳を追いかけてきた。
玄徳は、董承にむかって、
「国舅、安んじ給え。日頃の約を忘れるわれに非ず。都を去るとも、わが心は、寸時も天子のお側を離るることなからん。ただ、かねての大事を、曹操に気どられぬよう、御身をよく慎まれよ」
と、諭して別れた。
そして彼はなお急ぎに急いで昼夜、行軍をつづけた。
関羽、張飛はあやしんで、
「いつにもない家兄の急。何故そのように、あわてふためいて、都をば出られるので?」
訊くと、玄徳は、
「今だから、いうが、われ許都にあるうちは、一日たりとも、無事に安んじていたことはない。許都にいた間の身は、籠の中の鳥、網の中の魚にもひとしい生命であった。もし、ひょッとでも曹操の気が変ったら、いつ何時彼のために死を受けようも知らなかった。……ああようやく、都門を脱して、今は魚の大海に入り、鳥の青天へ帰ったようなここちがする」と、心から述懐した。
そう聞いて関羽、張飛は、
「実にも」と今さらの如く、玄徳の心労にふかく思いを打たれた。――無事と見えた日ほど玄徳の心労はかえって多かったのである。
――一方、その後で。
諸軍の巡検から許都に帰ってきた郭嘉は相府に出て、初めて玄徳の離京と、大軍を借りうけて行った事実を知り、
「もってのほか!」と愕いて、すぐ曹操に会い、口を極めて、その無謀をなじった。
「何だって、虎に翼を貸し、あまつさえ、野に放ったのですか。一体あなたは、玄徳をすこし甘く見過ぎていませんか」とまで彼は切言した。
四
「……そうかな?」
曹操の面には動揺が見えだした。
「そうですとも」
郭嘉は、さらに痛言した。
「露骨にいえば、あなたは玄徳に一ぱい喰わされた形です」
「どうして」
「玄徳は、あなたが観ているようなお人よしの凡物ではありません」
「いや、予も初めはそう考えていたが」
「そうでしょう、その玄徳が、何でにわかに、菜園に肥桶をになったり、鼻毛をのばしていたかです。――丞相ほどな熒眼が、どうして玄徳だけにはそうお甘いのでしょうか」
「では彼が、予の軍勢を借りて、予のために袁術を敗らんといったのは嘘だろうか」
「まんざら、嘘でもありますまい。けれど丞相のためなどと自惚れておいでになったら大間違いですぞ。彼の行動はあくまで彼のためでしかありません」
「しまった……」
曹操は足ずりして、悔いをくちびるに噛み、これわが生涯の過ち、あの雷怯子めにしてやられたり矣――と長嘆した。
時に帳外に声あって、
「丞相。何をか悔い給うぞ。それがしが一鞭に追いかけ、彼奴めをこれへ生捕って参り候わん」
と、いう者がある。
諸人、これを見れば、虎賁校尉許褚である。
「許褚か。いしくも申したり。急げ!」
軽騎の猛者五百をすぐって、許褚は疾風のごとく玄徳を追いかけた。
馳け飛ぶこと四日目、追いついて、許褚、玄徳の双方は、各〻の兵をうしろにひかえて馬上のまま会見した。
玄徳はいう。
「校尉。なにとて、ここへは来給える?」
許褚は答えて、
「丞相の命である。兵をそれがしに渡し、直ちに都へ引っ返されい」
「こは思いがけぬこと。われは天子にまみえて詔詞を賜い、また親しく丞相の命をも受けて、堂々と都を立って来たものである。しかるに今、後よりご辺をさし向けて兵を返せとは。ははあ、わかった。さては汝も、郭嘉、程昱などの輩と同腹のいやしき物乞いの仲間か」
「なに、物乞いの徒だと」
「さなり! 怒りをなす前に、まず自身を質せ。われ出発の前、郭嘉、程昱の両名が、しきりと賄賂をもとめたが、相手にもせず拒んだゆえ、その腹いせに、丞相へ讒言して、ご辺をして追わしめたものと思わるる……あら笑止、物乞いの舌さきにおどらせられて、由々しげに使いして来た人の正直さよ」
玄徳は、呵々と笑って、
「それとも、腕ずくでも、われを引き戻さんとなれば、われに関羽、張飛あり、ご挨拶させてもよろしい。しかし、丞相のお使いを、首にして返すもしのびぬ心地がする。――ご辺もよくよく賢慮あって、右の趣を、よく相府に伝え給え」
云いすてると、玄徳は、大勢の中へ姿をかくし、その軍勢はすぐ歩旗整々、先へ行ってしまった。
許褚は、ほどこす手もなく、むなしく都へ引っ返して、ありのままを曹操へ復命した。
曹操は憤って、すぐ郭嘉をよびつけ、賄賂のことを厳問した。
郭嘉は、色をなして、
「何たることです。手前のいうそばから、また玄徳めに欺かれて、手前までを邪視なされるとは」
すると曹操もすぐ覚ったらしく、快然と笑って、郭嘉の顔いろをなだめた。
「今のは一場の戯れだよ。月日は呼べどかえらず、過失は追うも旧にもどらず。もう君臣の仲で愚痴はやめにしよう。……愚かだ、愚かだ。むしろ一杯を挙げて新に備え、後日、きょうのわが失策を百倍にして玄徳に思い知らせてくれん。郭嘉、楼へのぼって酒を酌もうではないか」