新野を捨てて
一
百万の軍旅は、いま河南の宛城(南陽)まで来て、近県の糧米や軍需品を徴発し、いよいよ進撃に移るべく、再整備をしていた。
そこへ、荊州から降参の使いとして、宋忠の一行が着いた。
宋忠は、宛城の中で、曹操に謁して、降参の書を奉呈した。
「劉琮の輔佐には、賢明な臣がたくさんいるとみえる」
曹操は大満足である。
こう使いを賞めて、「劉琮を忠烈侯に封じて、長く荊州の太守たる保証を与えてやろう。やがてわが軍は、荊州に入るであろうから、その時には、城を出て、曹操の迎えに見えるがいい。――劉琮に会って、その折、なお親しく語ることもあろう」と、いった。
宋忠は、衣服鞍馬を拝領して、首尾よく荊州へ帰って行った。
その途中である。
江を渡って、渡船場から上がってくると、一隊の人馬が馳けてきた。
「何者だっ、止れっ」
と、誰何されて、馬上の将を見ると、この辺の守りをしていた関羽である。
「しまった」
と思ったが、逃げるにも逃げきれない。宋忠は彼の訊問にありのままを答えるしかなかった。
「何。降参の書をたずさえて、曹操の陣へ使いした帰りだと申すか?」
関羽は、初耳なので、驚きに打たれた。
「これは、自分だけが、聞き流しにしているわけには参らぬ」
有無をいわせず、後は、宋忠を引ッさげて、新野へ馳けた。
新野の内部でも、この政治的な事実は、いま初めて知ったことなので、驚愕はいうまでもない。
わけて、玄徳は、
「何たることか!」
と、悲涙にむせんで、昏絶せんばかりだった。
激しやすい張飛のごときは、
「宋忠の首を刎ねて血祭りとなし、ただちに兵をもって荊州を攻め取ってしまえ。さすれば無言のうちに、曹操へやった降参の書は抹殺され、無効になってしまう」
と、わめきちらして、いやが上にも、諸人を動揺させた。
宋忠は生きた心地もなく、おどおどして、城中にみなぎる悲憤の光景をながめていたが、
「今となって、汝の首を刎ねたところで、何の役に立つわけもない。そちは逃げろ」
と、玄徳は彼をゆるして、城外へ放ってやった。
ところへ、荊州の幕賓、伊籍がたずねてきた。宋忠を放った後で、玄徳は、孔明そのほかを集めて評議中であったが、ほかならぬ人なのでその席へ招じ、日頃の疎遠を謝した。
伊籍は、蔡夫人や蔡瑁が、劉琦をさしおいて、弟の劉琮を国主に立てたことを痛憤して、その鬱懐を、玄徳へ訴えに来たのであった。
「その憂いを抱くものは、あなたばかりでありません」と、玄徳はなだめて後、
「――しかも、まだまだあなたの憂いはかろい。あなたのご存じなのは、それだけであろうが、もっと痛心に耐えないことが起っている」
「何です? これ以上、痛心にたえないこととは」
「故太守が亡くなられて、まだ墳墓の土も乾かないうち、この荊州九郡をそっくり挙げて、曹操へ降参の書を呈したという一事です」
「えっ、ほんとですか」
「偽りはありません」
「それが事実なら、なぜ貴君には、直ちに、喪を弔うと号して、襄陽に行き、あざむいて幼主劉琮をこちらへ、奪い取り、蔡瑁、蔡夫人などの奸党閥族を一掃してしまわれないのですか」
日頃、温厚な伊籍すら、色をなして、玄徳をそう詰問るのであった。
二
孔明も共にすすめた。
「伊籍のことばに、私も同意します。今こそご決断の時でしょう」
しかし玄徳は、ただ涙を垂るるのみで、やがてそれにこう答えた。
「いやいや臨終の折に、あのように孤子の将来を案じて、自分に後を託した劉表のことばを思えば、その信頼に背くようなことはできない」
孔明は、舌打ちして、
「いまにして、荊州も取り給わず遅疑逡巡、曹操の来攻を、拱手してここに見ているおつもりですか」と、ほとんど、玄徳の戦意を疑うばかりな語気で詰問った。
「ぜひもない……」と、玄徳は独りでそこに考えをきめてしまっているもののように――
「この上は新野を捨てて、樊城へ避けるしかあるまい」と、いった。
ところへ、早馬が来て、城内へ告げた。曹操の大軍百万の先鋒はすでに博望坡まで迫ってきたというのである。
伊籍は倉皇と帰ってゆく。城中はすでにただならぬ非常時色に塗りつぶされた。
「とまれ、孔明あるからには、御心をやすんじ給え」
玄徳をなぐさめて、孔明はただちに、諸将へ指令した。
「まず、防戦の第一着手に、城下の四門に高札をかかげ――百姓商人老幼男女、領下のものことごとく避難にかかれ、領主に従って難を避けよ、遅るる者は曹操のためかならずみなごろしにならん――としるして布令なす事」と、手配の順に従って、なお、次のように云いわたした。
「孫乾は西河の岸に舟をそろえて避難民を渡してやるがよい。糜竺はその百姓たちを導いて、樊城へ入れしめよ。また関羽は千余騎をひきいて、白河上流に埋伏して、土嚢を築いて、流れをせき止めにかかれ」
孔明は、諸将の顔を見わたしながら、ここでちょっと、ことばを休め、関羽の面にその眸をとどめて云い足した。
「――明日の夜三更の頃、白河の下流にあたって、馬のいななきや兵のさけびの、もの騒がしゅう聞えたときは、すなわち曹軍の潰乱なりと思うがよい。上流にある関羽の手勢は、ただちに土嚢の堰を切って落し、一斉に、激水とともに攻めかかれ。――さらに、張飛は千余騎をひっさげて、白河の渡口に兵を伏せ、関羽と一手になって曹操の中軍を完膚なきまで討ちのめすこと」
孔明のひとみは、関羽から張飛の面へ移って云いつける。張飛はらんとした眼をかがやかして、大きくそれへうなずく。
「趙雲やある!」
孔明が、名を呼んだ。
諸将のあいだから、趙雲は、おうっと答えながら、一歩前へ出た。
「ご辺には、兵三千を授ける」
孔明はおごそかにいって、
「――乾燥した、柴、蘆、茅など充分に用意されよ。硫黄焔硝をつつみ、新野城の楼上へ積みおくがよい。明日の気象を考えるに、おそらく暮れ方から大風が吹くであろう。勝ちおごった曹操の軍は、風とともに、易々と、陣を城中にうつすは必然である。――時にご辺は、兵を三方にわけて、西門北門南門の三手から、火矢、鉄砲、油礫などを投げかけ、城頭一面火焔と化すとき、一斉に、兵なき東の門へ馳け迫れ。――城内の兵は周章狼狽、ことごとくこの門から逃げあふれて来るであろう。その混乱を存分に討って、よしと見たらすぐ兵を引っ返せ。白河の渡口へきて関羽、張飛の手勢と合すればよい。――そして樊城をさして急ぎに急げ」
あらましの指令は終った。命をうけた諸将は勇躍して立ち去ったが、なお糜芳、劉封などが残っていた。
「二人には、これを」と孔明は、特に近く呼んで、糜芳へは紅の旗を与え、劉封には青い旗を渡した。いかなる計を授けられたか、その二将もやがておのおの千余騎をしたがえて、――新野をさること約三十里、鵲尾坡の方面へ急いで行った。
三
曹操はなおその総軍司令部を宛城において、情勢を大観していたが、曹仁、曹洪を大将とする先鋒の第一軍十万の兵は、許褚の精兵三千を加えて、その日すでに、新野の郊外まで殺到していた。
一応、そこで兵馬を休ませたのが、午の頃であった。
案内者を呼びつけて、
「これから新野まで何里か」と、訊くと、
「三十余里です」と、いう。
「土地の名は」と、いえば、
「鵲尾坡――」と、答えた。
そのうちに、偵察に行った数十騎が、引返してきていうには、
「これからやや少し先へ行くと、山に拠り、峰に沿って陣を取っている敵があります。われわれの影を見るや、一方の山では、青い旗を打ち振り、一方の峰では、紅の旗をもってそれに答え、呼応の形を示す有様、何やら充分、備えている態がうかがわれます。どうもその兵力のほどは察しきれませんが……」
許褚は、その報を、受けるやいな、自身、当って見ると称して、手勢三千を率いて、深々と前進してみた。
鬱蒼とした峰々、岩々たる山やその尾根、地形は複雑で、容易に敵の態を見とどけることができない。しかし、たちまち一つの峰で、颯々と、紅の旗がうごいた。
「あ。あれだな」
凝視していると、また、後ろの山の肩で、しきりに青い旗を打ち振っているのが見える。何さま信号でも交わしている様子である。許褚は迷った。
山気は森として、鳴りをしずめている敵の陣容の深さを想わせる。――これはうかつにかかるべきでないと考えたので、許褚は、味方の者に、
「決して手出しするな」と、かたく戒め、ひとり駒を引返して、曹仁に告げ、指令を仰いだ。
曹仁は一笑に付して、
「きょうの進撃は、このたびの序戦ゆえ、誰も大事を取るであろうが、それにしても、常の貴公らしくもない二の足ではないか。兵に虚実あり、実と見せて虚、虚と見せて実。いま聞く紅旗青旗のことなども、見よがしに、敵の打ち振るのは、すなわち、我をして疑わしめんがためにちがいない。何のためらうことがあろう」と、いった。
許褚は、ふたたび鵲尾坡から取って返し、兵に下知して、進軍をつづけたが、一人の敵も出てこない。
「今に。……やがて?」と、一歩一歩、敵の伏兵を警戒しながら、緊張をつづけて進んだが、防ぎに出る敵も支えに立つ敵も現れなかった。
こうなると、張合いのないよりは一層、無気味な気抜けに襲われた。陽はいつか西山に沈み、山ふところは暗く、東の峰の一方が夕月にほの明るかった。
「やっ? ……あの音は」
三千余騎の跫音がはたと止まったのである。耳を澄まして人々はその明るい天の一方を仰いだ。
月は見えないが水のように空は澄みきっていた。突兀と聳えている山の絶頂に、ひとりの敵が立って大擂を吹いている。……ぼ――うっ……ぼうううっ……と何を呼ぶのか、大擂の音は長い尾をひいて、陰々と四山にこだましてゆく。
「はてな?」
怪しんでなおよく見ると、峰の頂上に、やや平らな所があり、そこに一群の旌旗を立て、傘蓋を開いて対座している人影がある。ようやく月ののぼるに従って、その姿はいよいよ明らかに見ることができた。一方は大将玄徳、一方は軍師孔明、相対して、月を賞し、酒を酌んでいるのであった。
「やあ、憎ッくき敵の応対かな。おのれひと揉みに」
許褚は愚弄されたと感じてひどく怒った。彼の激しい下知に励まされて、兵は狼群の吠えかかるが如く、山の絶壁へ取りすがったが、たちまちその上へ、巨岩大木の雨が幕を切って落すようになだれてきた。
四
一塊の大石や、一箇の木材で、幾十か知れない人馬が傷つけられた。
許褚も、これはたまらないと、あわてて兵を退いた。そして、ほかの攻め口を尋ねた。
彼方の峰、こなたの山、大擂の音や金鼓のひびきが答え合って聞えるのである。
「背後を断たれては」と、許褚はいたずらに、敵の所在を考え迷った。
そのうちに曹仁、曹洪などの本軍もこれへ来た。曹仁は叱咤して、
「児戯に類する敵の作戦だ。麻酔にかけられてはならん。前進ただ前進あるのみ」
と、遮二無二、猛進をつづけ、ついに新野の街まで押し入ってしまった。
「どうだ、この街の態は。これで敵の手のうちは見えたろう」
曹仁は、自分の達見を誇った。城下にも街にも敵影は見あたらない。のみならず百姓も商家もすべての家はガラ空きである。老幼男女はもとより嬰児の声一つしない死の街だった。
「いかさま、百計尽きて、玄徳と孔明は将士や領民を引きつれて、いち早く逃げのびてしまったものと思われる。――さてさて逃げ足のきれいさよ」と曹洪や許褚も笑った。
「追いかけて、殲滅戦にかかろう」という者もあったが、人馬もつかれているし、宵の兵糧もまだつかっていない。こよいは一宿して、早暁、追撃にかかっても遅くはあるまいと、
「やすめ」の令を、全軍につたえた。
その頃から風がつのりだして、暗黒の街中は沙塵がひどく舞った。曹仁、曹洪らの首脳は城に入って、帷幕のうちで酒など酌んでいた。
すると、番の軍卒が、
「火事、火事」
と、外で騒ぎ立ててきた。部将たちが、杯をおいて、あわてかけるのを、曹仁は押し止めて、
「兵卒どもが、飯を炊ぐ間に、あやまって火を出したのだろう。帷幕であわてなどすると、すぐ全軍に影響する。さわぐに及ばん」と、余裕を示していた。
ところが、外の騒ぎは、いつまでもやまない。西、北、南の三門はすでにことごとく火の海だという。追々、炎の音、人馬の跫音など、ただならぬものが身近に迫ってきた。
「あっ、敵だっ」
「敵の火攻めだっ」
部将のさけびに曹洪、曹仁も胆を冷やして、すわとばかり出て見たときは、もう遅かった。
城中はもうもうと黒煙につつまれている。馬よ、甲よ、矛よ、とうろたえ廻る間にも、煙は眼をふさぎ鼻をつく。
さらに、火は風をよび、風は火をよび、四方八面、炎と化したかと思うと、城頭にそびえている三層の殿楼やそれにつらなる高閣など、一度に轟然と自爆して、宙天には火の柱を噴き、大地へは火の簾を降らした。
わあっと、声をあげて、西門へ逃げれば西門も火。南門へ走れば南門も火。こはたまらじと、北門へなだれを打ってゆけば、そこも大地まで燃えさかっている。
「東の門には、火がないぞ」
誰いうとなく喚きあって、幾万という人馬がわれ勝ちに一方へ押し流れてきた。互いに手脚を踏み折られ、頭上からは火の雨を浴び、焼け死ぬ者、幾千人か知れなかった。
曹仁、曹洪らは、辛くも火中を脱したが、道に待っていた趙雲にはばまれて、さんざんに打ちのめされ、あわてて後へ戻ると、劉封、糜芳が一軍をひきいて、前を立ちふさいだ。
「これは?」と仰天して、白河のあたりまで逃げ去り、ほっと一息つきながら、馬にも水を飼い、将士も争って、河の水を口へすくいかけていたが、――かねて上流に埋伏していた関羽の一隊は、その時、遠く兵馬のいななきを耳にして、
「今だ!」
と、孔明の計を奉じて、土嚢の堰を一斉にきった。さながら洪水のような濁浪は、闇夜の底を吠えて、曹軍数万の兵を雑魚のように呑み消した。