大権転々

 西涼甘粛省・蘭州)の地方におびただしい敗兵が流れこんだ。
 郿塢の城から敗走した大軍だった。
 董卓の旧臣で、その四大将といわれる李傕張済郭汜樊稠などは、連名して、使者を長安に上せ、
「伏して、赦を乞う」
 と、恭順を示した。
 ところが、王允は、
「断じて赦せない」
 と、使いを追い返し、即日、討伐令を発した。
 西涼の敗兵は、大いに恐れた。
 すると、謀士の聞えある賈詡が云った。
「動揺してはいけない。団結を解いてはならん。もし諸君が、一人一人に分離すれば、田舎の小役人の力でも召捕ることができる。よろしく集結を固め、その上に、陝西の地方民をも糾合しして、長安へ殺到すべしである。――うまくゆけば、董卓の仇を報じて、朝廷をわれらの手に奉じ、失敗したらその時逃げても遅くない」
「なるほど」
 四将は、その説に従った。
 すると、西涼一帯に、いろいろな謡言が流布されて、州民は、恐慌を起した。
長安王允が、大兵を向けて、地方民まで、みなごろしにすると号している」と、いう噂だ。
 その人心へつけ入って、
「坐して死を待つより、われわれの軍と共に、抗戦せよ!」と、四将は煽動した。
 集まった雑軍を入れて、十四万という大軍になった。
 気勢をあげて、押し進むと、途中で董卓の女婿の中郎将牛輔も、残兵五千をつれて、合流した。
 いよいよ意気は昂った。
 だが、やがて敵と近づいて対峙すると、
「これはいかん」と、四将の軍は、たちまち意気沮喪してしまった。
 それは、有名な呂布が向って来たと分ったからである。
呂布にはかなわない」と戦わぬうちから観念したからであった。
 で、一度は退いたが、謀士の賈詡が、夜襲しろといったので、夜半、ふいに戻って敵陣をついた。
 ところが、敵は案外もろかった。
 その陣の大将は呂布でなく、董卓誅殺の時、郿塢の城へ偽勅使となって来た李粛だった。
 油断していた李粛は、兵の大半を討たれ、三十里も敗走するという醜態だった。
 後陣の呂布は、
「何たるざまだ」と、激怒して、「戦の第一に、全軍の鋭気をくじいた罪は浅くない」と、李粛を斬ってしまった。
 李粛の首を、軍門に梟けるや、彼は自身、陣頭に立ち、またたくまに牛輔の軍を撃破した。
 牛輔は、逃げ退いて、腹心の胡赤児という者へ、蒼くなってささやいた。
呂布に出て来られては、とても勝てるものではない。いっそのこと、金銀をさらって、逃亡しようと思うが」
「そのことです。足もとの明るいうちだと、私も考えていたところで」
 四、五名の従者だけをつれて、未明の陣地から脱走した。
 だが、この主君の下にこの家来ありで、胡赤児は、途中の河べりまで来ると、川を渉りかけた牛輔を、不意に後ろから斬って、その首を掻き落してしまった。
 そして、呂布の陣へ走り、
「牛輔の首を献じますから、私を取立てて下さい」と、降伏して出た。
 だが、仲間の一人が、胡赤児が牛輔を殺したのは、金銀に目がくれて、それを奪おうためであると、陰へ廻って自白したので、呂布は、
「牛輔の首だけでは取立ててやるには不足だ。その首も出せ」
 と、胡赤児を叱咤し、その場ですぐ彼をも馘ってしまった。

 牛輔の死が伝えられた。また、それを殺した胡赤児も、呂布に斬られたという噂が聞えた。
「この上は、死か生か、決戦あるのみだ」と、敵の四将も臍をかためたらしい。
 四将の一人、李傕は、「呂布には、正面からぶつかったのでは、所詮、勝ち目はない」と、呂布が勇のみで、智謀に長けないのをつけ目として、わざと敗れては逃げ、戦っては敗走して、呂布の軍を、山間に誘いこみ、決戦を長びかせて、彼をして進退両難におちいらしめた。
 その間――
 張済樊稠の二将は、道を迂回して、長安へ進んでしまった。
長安が危ない。はやく引返して防げ」と、王允から幾たびも急使が来たが、呂布は動きがつかなかった。
 山峡の隘地を出て、軍を返そうとすれば、たちまち、李傕郭汜の兵が、沢や峰や渓谷の陰から、所きらわず出て来て戦を挑むからだった。
 好まない戦だが、応戦しなければ潰滅するし、応戦していれば果てしがない。
 結局、空しく、進退を失ったまま、幾日かを過ごしていた。
 一方。
 長安へ向って、殺到した張済樊稠の軍は、行くほどに、勢いをまして、
董卓の仇をとれ」
「朝廷をわが手に奉ぜよ」と、潮の決するような勢いで、城下へ肉薄して行った。
 しかし、そこには、鉄壁の外城がある。いかなる大軍も、そこでは喰い止められるものと人々は考えていたところ、なんぞ計らん、長安の市中に潜伏して生命を保っていた無数の旧董卓派の残党が、
「時こそ来れ」と、ばかり白日の下におどり出して、各城門を内部からみな開けてしまった。
「天われに与す」と、西涼軍は、雀躍りして、城内へなだれこんだ。それはまるで、堤を切った濁流のようだった。
 雑軍の多い暴兵である。ひとたび長安の巷におどると、狼藉いたらざるなしの態たらくであった。
 ついこの間、酒壺をたたき、平和来を謳って、戸ごとに踊り祝っていた民家は、ふたたび暴兵の洪水に浸され、渦まく剣光を阿鼻叫喚に逃げまどった。
 どこまで呪われた民衆であろうか。
 無情な天は、そこからあがる黒煙に、陽を潜め、月を隠し、ただ暗々瞑々、地上を酸鼻にまかせているのみであった。
 変を聞いて。
 呂布は、一大事とばかり、ようやく山間の小競り合いをすてて引返して来た。
 だが、時すでに遅し――
 彼が、城外十数里のところまで駆けつけて来てみると、長安の彼方、夜空いちめん真赤だった。
 天に冲する火焔は、もうその下に充満している敵兵の絶対的な勢力を思わせた。
「……しまった!」
 呂布は呻いた。
 茫然と、火光の空を、眺めたまましばらく自失していた。
 やんぬる哉。さすがの呂布も、今はいかんともする術もなかった。手も足も出ない形とはなった。
「そうだ、ひとまず、袁術の許へ身を寄せて後図を計ろう」
 そう考えて、軍を解き、わずか百余騎だけを残し、にわかに道をかえて、夜と共に悄然と落ちて行った。
 前には、恋の貂蝉を亡い、今また争覇の地を失って、呂布のうしろ影には、いつもの凜々たる勇姿もなかった。
 好漢惜しむらくは思慮が足らない。また、道徳に欠けるところが多い。――天はこの稀世の勇猛児の末路を、そも、何処に運ぼうとするのであろうか。

 騒乱の物音が遠くする。
 夜も陰々と。
 昼間も轟々と。
 宮中の奥ふかき所――献帝はじいっと蒼ざめた顔をしておられた。
 長安街上に躍る火の魔、血の魔がそのお眸には見えるような心地であられたろう。
「皇宮の危機が迫りました」
 侍従が云って来た。
 しばらくするとまた、
西涼軍が、潮のごとく、禁門の下へ押して参りました」と、侍臣が奏上した。
 ――こんどは朝廷へ襲ってくるな、とはや、観念されたように、献帝は眼をふさいだまま、
「ウム。……むむ」
 うなずかれただけだった。
 事実、朝臣すべても、この際、どうしたらいいか、為すことを知らなかった。
 すると侍従の一人が、
「彼らも、帝座の重きことはわきまえておりましょう。この上は、帝ご自身、宣平門の楼台に上がられて、乱をご制止あそばしたら、鎮まるだろうと思います」と奏請した。
 献帝は、玉歩を運んで宣平門へ上がった。血に酔って、沸いていた城下の狂軍は、禁門の楼台に瑤々と翳された天子の黄蓋にやがて気づいて、
「天子だ」
「ご出御だ」
 と、その下へ、わいわいと集まった。
 李傕郭汜の二将は、
「しずまれっ。鎮まれっ」
 と、にわかに味方を抑え、必死に暴兵を鎮圧して、自分らも、宣平門の下へ来た。
 献帝は門上から、
「汝ら、何ゆえに、朕がゆるしも待たず、ほしいままに長安へ乱入したか」と、大声で詰問された。
 すると、李傕は、
「陛下っ。亡き董太師は、陛下の股肱であり、社稷の功臣でした。しかるに、ゆえなくして、王允らの一味に謀殺され、その死骸は、街路に辱められました。――それ故に、われわれ董卓恩顧の旧臣が、復讐を計ったのであります。謀叛では断じてありません。――今、陛下のお袖の陰にかくれている憎ッくき王允の身を、われらにおさげ下さるなら、われらは、即時禁門から撤兵します!」と、宙を指さして叫んだ。
 その声を聞くと、全軍、わあっと雷同して、献帝の答えいかにと要求を迫る色を示した。
 献帝は、ご自身の横を見た。
 そこには王允が侍している。
 王允は、蒼ざめた唇をかんで、眼下の大軍を睨んでいたが、献帝の眸が自分のもとにそそがれたと知ると、やにわに起って、
「一身何かあらん」と、門楼のうえから身をなげうって飛び降りた。
 犇々と林立していた戟や槍の上へ、彼の体は落ちて来た。
 なんで堪ろう。
「おうっ、こいつだ」
「巨魁っ」
「主の讐め」
 寄りたかった剣槍は、たちまち、王允の体をずたずたにしてしまった。
 兇暴な彼らは、要求が容れられても、まだ退かなかった。この際、天子を弑し、一挙に大事を謀らんなど、区々な暴議をそこで計っている様子だった。
「だが、そんな無茶をしても、恐らく民衆が服従しないだろう。おもむろに、天子の勢力を削いで、それからの仕事をしたほうが賢明だろう」
 樊稠や、張済の意見に、軍はようやく鎮まった気ぶりだが、なお退かないので帝は、
「はや、軍馬を返せ」と、ふたたび諭された。
 すると壁下の暴将兵は、
「いや、王室へ功をいたしたわれわれ臣下にまだ勲爵の沙汰がないので、待っているわけです」
 と、官職の要求をした。

 宮門に軍馬をならべて、官職を与えよと、強請する暴臣のさけびに、帝も浅ましく思われたに違いないが、その際、帝としても、如何とする術もなかった。
 彼らの要求は認められた。
 で――李傕は車騎将軍に、郭汜は後将軍に、樊稠は右将軍に任ぜられた。
 また、張済は驃騎将軍となった。
 匹夫みな衣冠して、一躍、廟堂に並列したのである。――実に、一個の董卓の掌から、天下の大権は、転々と騒乱のうちにもてあそばれ、こうしてまたたちまち、四人の掌に移ったのであった。
 猜疑心は、成りあがり者の持前である。彼らは、献帝のそばにまで、密偵を立たせておいた。
 こういう政府が、長く人民に平和と秩序を布いてゆけるわけはない。
 果たして。
 それから程なく、西涼の太守馬騰と、并州の刺史韓遂のふたりは、十余万の大軍をあわせて、「朝廟の賊を掃討せん」と号して長安へ押しよせて来た。
 李傕たちの四将は、「どうしたものか」と、謀士賈詡に計った。
 賈詡は、一策を立てて、消極戦術をすすめた。
 長安の周囲の外城をかため、塁の上に塁を築き、溝はさらに掘って溝を深くし、いくら寄手が喚いて来ても、「相手にするな」と、ただ守り固めていた。
 百日も経つと、寄手の軍は、すっかり意気を沮喪させてしまった。糧草の欠乏やら、長期の滞陣に士気は倦み、あげくの果てに、雨期をこえてからおびただしい病人が出たりして来たのである。
 機をうかがっていた長安の兵は、一度に四門をひらいて寄手を蹴ちらした。大敗した西涼軍は、ちりぢりになって逃げ走った。
 すると、その乱軍の中で、并州韓遂は、右将軍の樊稠に追いつかれて、すでに一命も危うかった。
 韓遂は、苦しまぎれに、以前の友誼を思い出してさけんだ。
樊稠樊稠っ。貴公とわしとは同郷の人間ではないか」
「ここは戦場だ。国乱をしずめるためには、個々の誼みも情も持てない」
「とはいえ、おれが戦いに来たのも、国家のためだ。貴公が国士なら、国士の心もちは分るだろう。おれは君に討たれてもよいが、全軍の追撃をゆるめてくれ給え」
 樊稠は、彼のさけびに、つい人情にとらわれて、軍を返してしまった。
 翌日、長安の城内で勝軍の大宴がひらかれたが、その席上、四将の一人李傕は、樊稠のうしろへ廻って、
「裏切者っ」と、突然、首を刎ねた。
 同僚の張済は驚きのあまり床へ坐って、慄えおののいてしまった。李傕は、彼を扶け起して、
「君にはなんの科もない。樊稠はきのう戦場で、敵の韓遂を故意に助けたから誅罰したのだ」といった。
 樊稠のことを叔父に密告したのは李傕の甥の李別という者だった。李別は、叔父に代って、
「諸君、こういうわけだ」と、樊稠の罪を、席上の将士へ、大声で演舌した。
 最後に、李傕はまた、張済の肩をたたいて、
「今も甥がいったようなわけで樊稠は刑罰に附したが、しかし、貴公はおれの腹心だから、おれは貴公になんの疑いも抱いてはおらんよ。安心し給え」
 と、樊稠隊の統率を、みな張済の手に移した。

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