虎牢関
一
――華雄討たれたり
――華雄軍崩れたり
敗報の早馬は、洛陽をおどろかせた。李粛は、仰天して、董相国に急を告げた。董卓も、色を失っていた。
「味方は、どう崩れたのだ」
「汜水関に逃げ帰っています」
「関を出るなと命じろ」
「取りあえず、援軍の行くまで、そうしておれと命令しておきました」
「どうして、あの華雄ほどな勇将が、むざむざ討たれたのだろう」
「なんといっても、袁紹には、地方的な勢力も徳望もありますから」
「袁紹の叔父、袁隗は、まだ洛陽の府内にいたな」
「太傅の官にあります」
「物騒千万だ。この上、もし内応でもされたら、洛陽はたちまち壊乱する」
「てまえも案じていますが」
「由々しいものを見のがしておった。すぐ除いてしまえ」
太傅袁隗のやしきへ、すぐ丞相府の兵千余騎が向けられた。
表裏から火を放って、逃げだしてくる男女の召使いも武士も、みな殺しにしてしまった。もちろん、袁隗も逃がさなかった。
即日、二十万の大兵は、洛陽を発した。
その一手は、李傕、郭汜の二大将に引率され五万余騎、汜水関の救護に向った。
また、別の一手は。
これは十五万と算えられ、董卓自身が率いて、虎牢関の固めにおもむいたのである。
董卓を守る旗本の諸将には、李儒、呂布をはじめとして、張済、樊稠などという錚々たる人々がいた。虎牢関の関は、洛陽をへだたること南へ五十余里、ここの天嶮に、十万の兵を鎮すれば、天下の諸侯は通路を失うといわれる要害だった。
董卓は、そこに本陣を定めると、股肱の呂布をよんで、
「そちは関外に陣取れ」
と、三万の精兵を授けた。
この要害に、董卓自ら守りに当って、十二万の兵を鎮し、さらに三万の精兵を前衛に立てて、万夫不当といわれる呂布をその先手に置いたのであるから、まさに金城鉄壁の文字どおりな偉観であった。
かく、十州の通路を断たれて、諸侯が各〻その本国との連絡を脅かされてきたので、寄手の陣には、動揺の兆しがあらわれた。
「由々しいこととなった。今のうちに、謀を議して、方針を示しておこう」
袁紹は、曹操へ耳打ちした。
曹操も、同感であるとて、さっそく評議をひらき、軍の方針を明らかにした。
敵が、二手となって、南下して来たので、当然、こちらの兵力も二手とした。
で、一部を汜水関に残し、あとの軍勢は挙げて、虎牢関に向うこととなった。総兵力は八ヵ国といわれ、その八諸侯は、王匡、鮑信、喬瑁、袁遺、孔融、張楊、陶謙、公孫瓚などであった。
曹操は、遊軍として臨んだ。味方の崩れや弱みを見たら、随意に、そこへ加勢すべく、遊兵の一陣を擁して、控えていた。
「……来たな」と、北軍の呂布は、例の名馬赤兎にまたがり、虎牢関の前衛軍のうちから、悠々、寄手の備えをながめていた。
呂布、その日のいでたちは。
朱地錦の百花戦袍を着たうえに、連環の鎧を着かさね、髪は三叉に束ね、紫金冠をいただき、獅子皮の帯に弓箭をかけ、手に大きな方天戟をひっさげて、赤兎馬も小さく見えるばかり踏みまたがった容子は――寄手の大軍を圧して、
「あれこそ、呂布か」と、眼をみはらせるばかりだった。
二
そのうちに寄手の陣頭から、河内の太守王匡、その部下の猛将方悦と共に、
「呂布を討って取れ」
と、呼ばわりながら、河内の強兵をすぐって、呂布の軍へ迫った。
敵が打鳴らす鼓の轟きを耳にしながら、
「動くな。近づけろ」
呂布は、味方を制しながら、落着き払っていたが、やがて敵味方、百歩の間に近づいたと見るや、
「それっ、みな殺しにしてしまえ」
と号令一下、呂布自身も、またがれる赤兎馬に鉄鞭一打ちくれて、むらがる河内兵の中へ突入して行った。
「わッしょっ」
呂布の懸け声だ。
画桿の方天戟を、馬上から右に左に。
「えおオッ! ……」
と振るたびに、敵兵の首、手足、胴など血けむりといっしょに、吹き飛んでゆくかと見えた。
「やあ、口ほどもないぞ、寄手の奴輩、呂布これにあり。呂布に当らんとする者はないのか」
傲語を放ちながら、縦横無尽な疾駆ぶりであった。
無人の境を行くが如しとは、まさに、彼の姿だった。何百という雑兵が波を打ってその前をさえぎっても、鎧袖一触にも値しないのである。
馬は無双の名馬赤兎。その迅さ、強靱さ、逞しさ。赤兎の蹄に踏みつぶされる兵だけでも、何十か何百か知れなかった。
洛陽童子でも、それは唄にまで謡っている――
牧場に駒は多けれど
馬中の一は
赤兎馬よ
洛陽人は多けれど
勇士の一は
呂布奉先
従って、かねて聞く五原郡の呂布を討ち取った者こそ、こんどの大戦第一の勲功となろうとは――寄手もひとしく思い目がけているところだった。
河内の猛将方悦は、
「われこそ」
と、呂布へ槍を突っかけたが、二、三合とも戦わぬうちに、呂布の方天戟の下に、馬もろとも、斬り下げられた。
太守王匡は、またなき愛臣を討たれて、
「おのれ、匹夫」
と、みずから半月槍を揮って、呂布へ駒を寄せ合わせたが、「太守危うし」と、加勢にむらがる味方がばたばたと左右に噴血をまいて討死するのを見て、色を失い、あわてて駒を引返した。
「王匡、恥を忘れたな」
呂布がうしろから笑った。しかし、王匡の耳には入らなかった。
もっともその時。味方の危機と見て、喬瑁軍と袁遺軍の二手の勢が、呂布の兵を両翼から押し狭めて、
うわッっ……
うわあ……っッ
と、鼓を鳴らし、矢を射、砂煙をあげて、牽制して来たのだった。
赤兎馬は、怯まない。たちまち、その一方に没したかと見ると、そこを蹂躙しつくして、またたちまち一方の敵を蹴ちらすという奮戦ぶりだった。
上党の太守張楊の旗下に、穆順という聞えた名槍家があった。その穆順の槍も、呂布と戦っては、苦もなく真二つにされてしまった。
北海の太守孔融の身内で、武安国という大力者があったが、それも、呂布の前に立つと、嬰児のように扱われ、重さ五十斤という鉄の槌も、いたずらに空を打つのみで、片腕を斬り落され、ほうほうの態で味方のうちへ逃げこんでしまった。
三
呂布にはもう敵がなかった。
無敵な彼のすがたは、ちょうど万朶の雲を蹴ちらす日輪のようだった。
彼の行くところ八州の勇猛も顔色なく、彼が馳駆するところ八鎮の太守も駒をめぐらして逃げまどった。
袁紹も、策を失って、「どうしたものか」と、曹操へ計った。
曹操も腕をこまぬいて、
「呂布のごとき武勇は、何百年にひとり出るか出ないかといってもよい人中の鬼神だ。おそらく尋常に戦っては、天下に当る者はあるまい。――この上は、十八ヵ国の諸侯を一手として、遠巻きに攻め縮め、彼の疲れを待って、一斉に打ちかかり、生擒りにでもするしか策はありますまい」
「自分もそう思う」
と、袁紹はすぐ軍令を認めて、汜水関の方面に抑えとしてある十ヵ国の諸侯へ向け、にわかに、伝令の騎士を矢つぎ早に発した。
すると。
その伝令が十騎と出ない間に、
「呂布だっ」
「呂布来る」
と、耳を突き抜くような声がしはじめた。
さながら怒濤に押されて来る芥のように、味方の軍勢が、どっと、味方の本陣へ逃げくずれて来た。
「すわ」
とばかり袁紹のまわりには、旗本の面々が、鉄桶の如く集まって、これを守り固めるやら、
「退くなッ」と、督戦するやら、
「かかれ、かかれっ」
「呂布、何者」
「総がかりして討取れ」
などと、口々には励ましたが、誰あって、生命を捨てに出る者はない。ただ陣中は混乱をきわめ、阿鼻叫喚、奔馬狼兵、ただ濛々の悽気が渦まくばかりであった。
その間に、
「呂布なり、呂布なり。――曹操に会おう。敵将袁紹に見参せん。――曹操は何処にありや」
と、明らかに、呂布の声が聞えたが、袁紹はいち早く雑兵の群れへまぎれこんでいたので、遂に彼の眼に止まらず、呂布の赤兎馬は、暴風のごとく、陣の一角を突破して、さらに、次の敵陣を蹴ちらしにかかった。
それこそは、劉備玄徳の従軍していた公孫瓚の陣地だったのである。
呂布は、直ちに、林立する幡旗を目がけて、
「公孫瓚、出合えっ」
と、猪突して行った。
数十旒の営旗は、風に伏す草の如く、たちまち、赤兎馬に蹴ちらされて、戟は飛び、槍は折れ、鉄弓も鉄鎚も、まるで用をなさなかった。
「おのれ、よくも」
公孫瓚は、歯がみをして、秘蔵の戟を舞わし、近づいて戦わんとしたが、
「いたかっ」
と、赤兎馬を向けて、驀進してくる呂布の眼光を見ると、胆を冷やして、ひと支えもなし得ず、逃げ走ってしまった。
「口ほどにもない奴、その首を置いてゆけ」
千里を走るという駒の蹄から砂塵をあげて追いかけにかかると、その時、横合いから突として、
「待てっ、呂布。燕人張飛ここにあり。その首から先に貰った」
と、一丈余りの蛇矛を舞わして、りゅうりゅうと打ってかかった男があった。
四
「何ッ」
呂布は、赤兎馬を止めて、きっと振返った。
見れば、威風すさまじき一個の丈夫だ。虎髯を逆立て、牡丹の如き口を開け、丈八の大矛を真横に抱えて、近づきざま打ってかかろうとして来る容子。――いかにも凜々たるものであったが、その鉄甲や馬装を見れば、甚だ貧弱で、敵の一歩弓手にすぎないと思われたから、
「下郎っ。退がれッ」
と、呂布はただ大喝を一つ与えたのみで、相手に取るに足らん――とばかりそのまままた進みかけた。
張飛は、その前へ迫って、駒を躍らせ、
「呂布。走るを止めよ。――劉備玄徳のもとに、かくいう張飛のあることを知らないか」
早くも、彼の大矛は、横薙ぎに赤兎馬のたてがみをさっとかすめた。
呂布は、眦をあげて、
「この足軽め」
方天戟をふりかぶって、真二つと迫ったが、張飛はすばやく、鞍横へ馳け迫って、
「おうっッ」
吠え合わせながら、矛に風を巻いて、りゅうりゅう斬ってかかる。
意外に手ごわい。
「こいつ莫迦にできぬぞ」
呂布は、真剣になった。もとより張飛も必死である。
貧しい郷軍を興して、無位無官をさげすまれながら、流戦幾年、そのあげくはまた僻地に埋もれて、髀肉を嘆じていたこと実に久しかった彼である。
今、天下の諸侯と大兵が、こぞって集まっているこの晴れの戦場で、天下の雄と鳴り響いた呂布を相手にまわしたことは、張飛としてけだし千載の一遇といおうか、優曇華の花といおうか、なにしろ志を立てて以来初めて巡り合った機会といわねばなるまい。
とはいえ、呂布は名だたる豪雄である。やすやすと討てるわけはない。
両雄は実に火華をちらして戦った。丈八の蛇矛と、画桿の方天戟は、一上一下、人まぜもせず、秘術の限りを尽し合っている。
さしもの張飛も、
「こんな豪傑がいるものか」
と、心中に舌を巻き、呂布も心のうちで、
「どうしてこんなすばらしい漢が歩弓手などになっているのだろう」
と、おどろいた。
幾度か、張飛の蛇矛は、呂布の紫金冠や連環の鎧をかすめ、呂布の方天戟は、しばしば、張飛の眉前や籠手をかすって、今にもいずれかが危うく見えながら、しかも両雄は互いにいつまでも喚き合い叫び合い、かえってその乗馬のほうが、汗もしとどとなって轡を噛み、馬は疲れるとも、馬上の戦いは疲れて止むことを知らなかった。
あまりの目ざましさに、両軍の将兵は、
「あれよ、張飛が」
「あれよ、呂布が――」
と、しばし陣をひらいて見とれていたが、呂布の勢いは、戦えば戦うほど、精悍の気を加えた。それに反して、張飛の蛇矛は、やや乱れ気味と見えたので、遥かに眺めていた曹操、袁紹をはじめ十八ヵ国の諸侯も、今は、内心あやぶむかのような顔色を呈していたが、折しも、突風のようにそこへ馳けつけて行った二騎の味方がある。
一方は、関羽だった。
「義弟、怯むな」
と、加勢にかかれば、また一方の側から、
「われは劉備玄徳なり、呂布とやらいう敵の勇士よ、そこ動くな」
と、名乗りかけ、乗り寄せて、玄徳は左右の手に大小の二剣をひらめかし、関羽は八十二斤の青龍刀に気をこめて、義兄弟三人三方から、呂布をつつんで必死の風を巻いた。
五
いくら呂布でも、今はのがれる術はあるまい。たちまち、斬って落されるだろう。
そう見えたが、
「なにをっ」
と、猛風一吼して、
「束になって来い」
と呂布はまだ嘲笑う余裕さえあった。関羽、張飛、玄徳の三名を物ともせず、右に当り左に薙ぎ、閃々の光、鏘々の響き、十州の戦野の耳目は、今やここに集められたの観があった。
両軍の陣々にあった国々の諸侯も、みな酒に酔ったように、遥かにこれを眺めていた。そのうちに呂布の一撃が、あわや玄徳の面を突こうとした刹那、
「えおうッ」
「うわうッ」
双龍の水を蹴って、一つの珠を争うごとく、張飛、関羽のふたりが、呂布の駒を挟んだ。
呂布の鞍と、関羽の鞍とが、打つかり合ったほどだった。
ダダダダ――と赤兎馬は、蹄を後ろへ退いた。とたんに、
「こは敵わじ」
と思ったか、呂布は、
「後日再戦」
と三名の敵へ云いすて、いっさんに馬首をかえして、わが陣地のほうへ引返した。
――ここで彼を逸しては。
とばかり玄徳、関羽、張飛の三騎も駒をそろえて追いかけた。
「あす知れぬ士同士だぞ。戦場の出合いに後日はない、返せっ呂布ッ」
と玄徳がさけぶと、
――ぴゅッん
と呂布から一矢飛んできた。
呂布は、駒を走らせ走らせ、振返って、獅子皮の帯の弓箭を引抜き、
「悪しければ、おれの陣まで送って来い」
とまた、一矢放った。
三本まで射た。
そして、またたく間に、虎牢関の内へ逃げこんでしまった。
「残念っ」
張飛も関羽も、歯がみをしたがどうしようもない。
それもその筈、一日千里を走る赤兎馬である。張飛、関羽らの乗っている凡馬とは、ほんとに走るだんになると較べものにはならなかった。
しかし。
呂布が逃げたので、一時はさんざんな態だった味方は、果然、意気を改めた。国々の諸侯は総がかりを号令し、喊の声は大いに奮った。
敵軍は、呂布につづいて、虎牢関へ引き退いたが、その大半は、関門へ逃げ入れないうちに討たれてしまった。
潮のごとく、寄手は関へ迫った。関門の鉄扉かたく閉ざされて敗北のうめきを内にひそめていた。
関羽、張飛は関門のすぐ真下まで来て、踏み破らんと焦ったが、天下の嶮といわれる鉄壁。如何とも手がつけられない。
――時に、ふと。
関上遥けき一天を望むと、錦繍の大旆やら無数の旗幟が、颯々とひるがえっている所に、青羅の傘蓋が揺々と風に従って雲か虹のように見えた。
張飛は、くわっと口をあいて、思わず大声をあげ、
「おうっ、おうっ。――あれに見える者こそまさしく敵の総帥董卓だ。彼奴の姿を目前に見て、空しくおられようか。続けや者ども」
と、真先に、城壁へすがりついて、よじ登ろうとしたが、たちまち櫓の上から巨木岩石が雨の如く落ちてきたので、関羽は、地だんだ踏んで口惜しがる張飛を諫めて、ようやく、そこの下から百歩ほど退かせた。
この日の激戦は、かくて引き別れとなった。世に伝えて、これを虎牢関の三戦という。