関平
一
樊城の包囲は完成した。水も漏らさぬ布陣である。関羽はその中軍に坐し、夜中ひんぴんと報じてくる注進を聞いていた。
曰く、
魏の援軍数万騎と。
曰く、
大将于禁、副将龐徳、さらに魏王直属の七手組七人の大将も、各〻その士馬精鋭をひっさげ、旋風のごとく、進軍中と。
またいう。
先鋒の龐徳は、関羽の首をあげずんば還らずと、白き旗に、「必殺関羽」と書き、軍卒には柩をかつがせ、すでにここから三十里余の地に陣し、螺鼓銅鉦を鳴らして、気勢ものすごきばかりにて候う――と。
この報告を聞くと、関羽は、勃然と面色を変じ、その長い髯に風を呼んで云った。
「匹夫、われを辱めるか、よしその儀なれば、まず龐徳の望みにまかせ、彼を持参の柩に納めてやろう」
直ちに、駒を寄せてまたがり、また養子の関平を呼んで云った。
「父が、龐徳と戦うあいだ、汝は油断なく、樊城を衝け、魏の援軍、城外三十余里のあなたに来れりと知れば、城兵の気はとみに昂まり、油断していると反撃してくるぞ」
関平は、父の乗馬の口輪をつかんだ。そしてその前に立ちふさがり、
「こは父上らしくもないことです。たとえ龐徳がどんな豪語を放とうと、珠を以て雀に抛ち、剣を以て蠅を追うような、もったいないことはなさらないでください。彼が如き鼠輩を追うには、私でたくさんです。私をおつかわし下さい」
「うむ。……まず試みに、おまえが行って当ってみるか」
関羽は子の忠言に、よろこびを示した。父をいさめるようにまで、わが子関平も成人したかと思うのであろう。
「行ってきます。吉左右をお待ち下さい」
若い関平は、たちまち馬上の人となり、部下一隊を白刃でさしまねくと、凛々、先に立って駈けだした。
やがて前方に、雲か霞をひいたように、敵の第一陣線が望まれた。手をかざして見れば、皀い旗には「南安之龐徳」と印し、白い旗には「必殺関羽」と書いてあるのが見える。
関平は、駒をとどめて、
「西羗の匹夫、節操なき職業的武将。これへ出て、真の武将たるものに面接せよ」
と、大音で呼んだ。
遠く眺めていた龐徳は、
「あの青二才は何者か」と、左右にたずねた。
誰も知る者はいなかった。
けれど、云っていることは、一人前以上である。ついに怒気を発したか、
「小僧、一ひねりにしてくれん」
と、陣列を開かせて、颯々、関平の前にあらわれた。
「小輩、小輩、いったい汝はどこのちんぴらなるか」
龐徳がいうと、関平は、
「知らないか。われこそは五虎大将軍の首席関羽の養子、関平という者だ」
「あはははは。道理で乳くさい小せがれと遠目にも見ていたが、関羽の養子関平か。――帰れ帰れ。われはこれ、魏王の命をうけて、汝の父の首を取りにきた者で、汝のようなまだ襁褓のにおいがするような疥癩の小児を、馘りに来たのではない。――われ汝を殺さず、汝この旨を父に伝え、父の卑怯をいさめて、父をこれへ出してこい」
「――なッ、なにを!」
関平は馬もろとも、いきなり龐徳へ跳びかかった。
閃々、刀を舞わし、龐徳に迫って、よく戦ったが、勝負はつかない。
ついに相引きの形で引きわかれたが、さすがに若くて猛気な関平も、肩で大息をつきながら、満身に湯気をたてていた。
関羽は合戦の様子を聞いて、次にはかならず関平が負けると思ったらしく、にわかに、その翌朝、部下の廖化に城攻めの方をあずけ、自分は、関平の陣へ来てしまった。
そして、きょうは自分が、龐徳を誘うから、父の戦いぶりを見物しておれと告げて、愛馬赤兎を、悠々両軍のあいだへ進めた。
二
戦場の微風は、関羽の髯をそよそよとなでていた。
「龐徳はなきか」
と一声敵陣へ向って、彼が呼ばわると、はるかに、月を望んで谷底から吼える虎のように、
「おうっ」
という答えが聞え、それを機に、わあっという喊声、そして陣鼓戦鉦など、一時に喧しく、鳴り騒いだ。
渦巻く味方の物々しい声援に送られて、ただ一騎、龐徳はこなたへ馬を向けてきた。その姿が関羽の前にぴたと止ると、魏の陣も蜀の陣も、水を打ったようにひそまり返ってしまった。
まず龐徳が大音をあげた。
「われはこれ、天子の詔をうけ、魏の直命を奉じて、汝を征伐に来た者である。汝、わが威を恐れてか、卑劣にも、養子の弱輩を出して、部下の非難をのがれんとするも、天道豈この期になって、兇乱の罪をゆるすべきか、それほど命が惜しくば、馬を下って、降人となるがいい」
関羽は苦笑してそれに答えた。
「西羗の鼠賊が、権者の鎧甲を借りて、人に似たる言葉を吐くものかな。われはただ今日を嘆く。いかなれば汝のごとき北辺の胡族の血を、わが年来の晃刀に汚さねばならぬか――と。やよ龐徳、はや棺桶をここへ運ばせずや」
「なにをっ」
馬蹄の下からぱっと黄塵が煙った。旋風のなかに龐徳の得物と関羽の打ち振る偃月刀とが閃々と光の襷を交わしている。両雄の阿呍ばかりでなくその馬と馬とも相闘う如く、いななき合い躍り合い、いつ勝負がつくとも見えなかった。
戦えば戦うほど、両雄とも精気を加えるほどなので、双方の陣営にある将士はみな酔えるが如く手に汗をにぎっていたが、猛戦百余合をかぞえた頃、突然、蜀の陣で金鼓を鳴らすと、それを機に、魏のほうでも引揚げの鼓を叩き、龐徳も関羽も、同時に矛を収めて、各〻の営所へ引き退いた。
これは養子の関平が、いかに英豪でも年とった父のこと、長戦になっては万一の事もあろうか――と急に退き鉦を打たせたのであった。
関羽は、本陣へ引いて、休息をすると、諸将や関平に向って、話していた。
「なるほど龐徳という者は、相当な豪傑だ。彼の武芸力量は尋常なものではない。わが相手として決して恥かしくない敵だ」
「父上。諺にも、犢はかえって虎を恐れずとか申します。あなたが夷国の小卒を斬ったところでご名誉にはなりません。反対にもし怪我でもあったら漢中王の御心を傷ましめましょう。もう一騎打ちには出ないで下さい」
関平は諫めたが、関羽は笑っているのみである。彼もはや老齢にちがいないが、自身では年齢を忘れている。
一方の龐徳も、魏の味方のうちへ帰ると、口を極めて、関羽の勇を正直にたたえていた。
「今日までは、人がみな関羽と聞くと、怯じ怖れるのを、何故かと嗤っていたが、真に、彼こそ稀代の英傑であろう。人のことばは、実にもと、つくづく感じ入った。死すにせよ、生きるにせよ、思えばおれは武門の果報者、この世にまたとない好い敵に出会ったものだ」
于禁が陣中見舞に来て、そのはなしを聞き、とうてい、関羽に勝つことは尋常では難しい、生命を粗末にし給うな、と諫めた。
けれど、龐徳は、
「これほどの敵に会って、晴れの決戦を避けるくらいなら、初めから、武人にならないほうがましだ。明日こそ、さらにこころよく一戦して、いずれが勝つか斃れるか、生死を一決するから見物していたまえ」と、耳にもかけなかった。
あくる日、龐徳はふたたび、中原へ馬を乗りだして、
「関羽、出でよ」
と、敵へ挑みかけた。
三
きょうは龐徳から先に出て呼ばわっている。もとより関羽も待ちかまえていた所だ。直ちに駒をすすめ、賊将うごくなかれと喚きながら駈け合せた。
戦い五十余合に至って、龐徳は急に馬をめぐらして逃げかけた。関羽はそれを偽計と察しながら、
「偽って、刀を引くは、大将らしからぬ戦いではないか。羗奴! かえせっ」
と、追いすがった。
すると不意に、陣地の内から馬を飛ばして駈け出してきた関平が、
「父上っ、彼の罠にかかり給うな。――あっ、龐徳が弓を引きますぞ」
父の危機と見てうしろから注意した。
とたんに早くも龐徳の放った矢が、びゅっと、関羽の顔を狙って飛んできた。関羽は左の臂を曲げてこれを受けた。矢は臂に立って、面部はそのはねた血にまみれたに過ぎなかった。
「父上っ」
関平は馬を寄せて父を抱いた。そして父を救うて戻ろうとしたが、かく見るや、龐徳はまた、弓を投げ、刀を舞わして躍りかかって来た。
すわとばかり蜀の陣は鼓を打って動揺した。魏の陣も突貫してきた。双方はたちまち乱軍状態になる。そのあいだをくぐって、関平は無二無三に、父を扶けて味方のうちへ駈け込んだ。
そのとき魏の中軍では、さかんに退き鉦を打ち叩いていた。龐徳は意外に思ったが、何か後方に異変でも起ったのではないかと、ともかくあわてて軍を収め、中軍司令の于禁に向って、
「どうしたのです。何が起ったのであるか」と、訊ねた。
ところが于禁の答えは、彼にとって実に心外きわまるものだった。彼はいう。
「いや別に何が起ったというわけではないが、都を立つ時、特に魏王から戒めのお使を派せられ、関羽は智勇の将、尋常の敵と思うて侮るなと、くれぐれ念を押されたことであった。ゆえに、万一彼の奸計におち入ってはと存じ、部下の者の深入りを止めたまでのことである」
龐徳は歯ぎしりを噛んでいた。于禁のため今日の勝機を逸しなければ、関羽の首を挙げ得たものをと、くり返して止まなかった。
また一部の将の間には、それは于禁が自分の功を龐徳に奪われんことを怖れて、急に退き鉦を鳴らさせたものだと、穿った説をなす者もあった。
ともあれこの一日に、関羽は一箭の傷をうけたわけであるから、
「次には、われの一刀を、龐徳に酬いずにおかん」と、臂の治療に手を尽していた。
傷口は浅いようだったが、薬の効めはなかなか顕れない。関平や幕僚たちは、努めて彼をなだめ、関羽が短慮に逸らないように、陣外の矢たけびなども、なるべく耳に知れないように、注意していた。
それをよいことにして、敵は毎日のように襲せてきた。龐徳の下知によるものらしい。龐徳はなんとかして関羽を誘いださんものと、日々兵をして敵を罵り辱めた。
「どうしても誘いに乗らん。このうえは策を変えて、わが先鋒の中軍は一手となり、彼の陣を突破して、一挙に樊城の味方と連絡をとげてはどんなものでしょう」
龐徳から于禁へこう献策をしてみたが、于禁はそれに対しても、魏王の訓戒をくり返して、
「関羽ほどの者が、正面から敵に突破されるような陣構えをしているわけはない。足下の言は策というものではなく、ただ自己の勇に信念がお強いというだけのものだ。ところが戦争そのものは、一人の勇よりも万夫の結束と、それを用いる智によって勝敗のわかれるものだからな。まずまずおもむろに機を待つとしよう」と、容易に龐徳のすすめに賛成する気色もない。のみならず、その後、例の七手組の諸将を樊城の北十里の地点に移し、于禁自身は、中軍をもって、正面の大路に進撃を構え、龐徳の手勢は、しごく出足のわるい山のうしろへ廻してしまった。――こういう指令を出した点から考えると、やはり彼の内心には、龐徳ひとりに功をとられてしまうことを、ひどく警戒しているものと思われる。