月烏賦

 都門をさること幾千里曹操の胸には、たえず留守の都を憶う不安があった。
 西涼馬超韓遂の徒が、虚をついて、蜂起したと聞いたせつな、彼は一も二もなく
「たれか予に代って、許都へ帰り、都府を守る者はないか。風聞はまだ風聞に過ぎず、事の実否は定かではないが、馳せ遅れては間にあわん。――誰ぞ、すぐにでも打ち立てる面々は名乗って出よ」と、群臣を前にしていった。
「拙者が赴きましょう」
 すすんでその役目を買って出たのは徐庶であった。他の諸将は、この呉を前にしてのこの大戦に臨みながら、都へ帰るのはいさぎよしとしないような面持で誰も黙っていたところである。曹操は快然とうなずいて、
徐庶か。よしっ、行け」と迅速に直命した。
「かしこまりました。身不肖ながら、叛軍いかに気負うとも、散開に斬りふさぎ、要害に守り支え、もし急変があればふたたび速報申しあげます」
 と、頼もしげに云い放ち、即刻三千余騎の精兵をひきいて都へ馳せ上った。
「まず、彼が行けば」
 と曹操は、一応安心して、さらに、呉を打破ることへ思いを急にした。
 時。建安十三年の冬十一月であった。
 風しずかに、波ゆるやかな夜なればとて、曹操は陸の陣地を一巡した後旗艦へ臨んだ。その大船の艫には、「帥」の字を大きく書いた旗を立て、弩千張と黄鉞銀鎗を舷側にたてならべ、彼は将台に坐し、水陸の諸大将すべて一船に集まって、旺なる江上の宴を催した。
 大江の水は、素絹を引いたように、月光にかすんでいた。――南は遠く呉の柴桑山から樊山をのぞみ、北に烏林の峰、西の夏口の入江までが、杯の中にあるような心地だった。
「ああ楽しいかな、男児の業。眸は四遠の地景をほしいままにし、胸には天空の月影を汲む。俯して杯をとれば、滾々湧くところの吟醸あり、起って剣を放てば、すなわち呉の死命を制す……じゃ。呉は江南富饒の土地である。これをわが手に享けるときは、かならず今日予とともに力を尽す諸将にも長くその富貴をわけ与えるであろう。諸員それ善戦せよ。この期をはずして悔いをのこすな」
 曹操は、大杯をかさねながら、こう諸大将を激励し、意気虹の如くであった。
 諸将もみな心地よげに、
「われわれが長き鍛錬を経、また、君のご恩沢に甘んじてきたのも一に今日に会して恥なからんためであります。何で、おくれをとりましょうや」
 と、武者ぶるいしながら、各〻杯の満をひいた。
 酔いが発すると、曹操は、久しく眠っていた彼らしい情感と熱とを、ありありと眸に燃やしながら、
「みな、彼方を見ないか」
 と、呉の国の水天を指さした。
「――あわれむべし、周瑜魯粛も、天の時を知らず、運の尽きるを知らぬ。彼らの陣中からひそかに予に気脈を通じて来おる者すらある。そうしてすでに呉軍の内輪に心腹の病を呈しておるのだ。いかでわが水陸軍の一撃に完膚あらんや」
 曹操は、なおいった。
「これ、天の我を扶くるものである」
 と、もちろん彼は士気を鼓舞激励するつもりでいったのである。
 が、そばにいた荀攸は、酔をさまして、
「丞相丞相。めったに、さようなことは、お口にはしないものです」
 と、そっと袖をひいて諫めた。
 曹操は、呵々と肩をゆすぶって、
「この一船中にあるものは、みな予の股肱の臣たらざるはない。舷外は滔々の水、どこに異端の耳があろうぞ」と、気にとめる風もなかった。

 興は尽きない。曹操の多感多情はうごいて止まないらしい。彼はまた、上流夏口のほうを望みながら云った。
「呉を討った後には、まだもう一方に片づけなければならんちんぴらがおる。玄徳、孔明の鼠輩だ。いや、この大陸大江に拠って生ける者としては、彼らの存在など鼠輩というもおろか、目高のようなものでしかあるまい。いわんやこの曹操の相手としては」
 酒に咽んで、彼は手の杯を下におき、そのまましばし口をつぐんだ。
 皎々の月も更け、夜気はきわだって冷々としてきた。いかに意気のみはなお青年であっても、身にこたえる寒気や、咳には、彼も自己の人間たることをかえりみずにはおられなかったのであろう。ふと声を落して、しみじみと語った。
「予もことしは五十四歳になる。連年戦陣、連年制覇。わが魏もいつか尨大になったが、この身もいつか五十四齢。髪にも時々霜を見る年になったよ。だが諸君、笑ってくれるな。呉に討入るときには、予にも一つの楽しみがある。それはそのむかし予と交わりのあった喬公の二娘を見ることだ」
 こんな述懐を他人にもらしたことは珍しい。こよいの彼はよほどどうかしていたものと思われる。すっかり興にひたって心もくつろぎ、また彼自身の感傷を彼自身の詩情で霧のような酔心につつんで思わず出たことばでもあろう。
 喬家の二女といえば、呉で有名な美人。時来らば江北に迎えんと、曹操はかねて二娘の父なる人にいったことがある。その後、呉の孫策周瑜が二女を室に迎えたとも聞えているが、彼はまだ未練を捨てきれなかった。もし呉を平げたあかつきには、かの漳水の殿楼――銅雀台に二女を迎えて、共に花鳥風月をたのしみながら自分の英雄的生涯の終りを安らかにしたいものだと、今なお心に夢みているのだった。
 諸将は、彼の述懐をきくと、われらの丞相はなお多分に青年なりと、口々に云ってしばしは笑いもやまず、
「加盞加盞」
 と彼の寿と健康を祝した。
 時に帆檣のうえを、一羽の鴉が、月をかすめて飛んだ。曹操は左右に向って、
「いま鴉の声が、南へ飛んで行きながら啼くのを聞いたが、この夜中に、何で啼くのか」
 と、たずねた。
 侍臣のひとりが、
「されば、月のあきらかなるまま、夜が暁けたかと思って啼いたのでしょう」と、早速に答えた。
「そうか」
 と曹操は、もう忘れている。そしてやおら身を起すと、船の舳に立って、江の水に三杯の酒をそそぎ、水神を祭って、剣を撫しながら、諸大将へさらに感慨をもらした。
「予や、この一剣をもって、若年、黄巾の賊をやぶり、呂布をころし、袁術を亡ぼし、さらに袁紹を平げて、深く朔北に軍馬をすすめ、ひるがえって遼東を定む。いま天下に縦横し、ここ江南に臨んで強大の呉を一挙に粉砕せんとし、感慨尽きないものがある。ああ大丈夫の志、満腔、歓喜の涙に濡る。こよいこの絶景に対して回顧の情、望呉の感、抑えがたいものがある。いま予自ら一詩を賦さん。汝らみな、これに和せよ」
 彼は、即興の賦を、吟じ出した。諸将もそれに和して歌った。
 その詩のうちに、

月は明らかに星稀なり
烏鵲南へ飛ぶ
樹を遶ること三匝
枝の依るべきなし

 という詞があった。
 歌い終った後、揚州の刺史劉馥が、その詩句を不吉だといった。曹操は興をさまされて赫怒し、立ちどころに剣を抜いて劉馥を手討ちにしてしまった。酔いがさめてからそれと知った彼はいたく沈痛な顔をしたが、その後悔も及ばず、子の劉煕に死骸を与えて厚く故郷へ葬らせた。

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