名医

 ひとまず、江東も平定した。
 軍勢は日ましに増強するばかりだし、威風は遠近をなびかせて、孫策の統業は、ここにその一段階を上がったといってよい。
「ここが大事だ。ここで自分はなにをなすべきだろうか?」
 孫策は自問自答して、
「そうだ、母を呼ぼう」という答えを得た。
 彼の老母や一族は、柱とたのむ故孫堅の没後、永らく曲阿の片田舎にひきこもって、あらゆる迫害をうけていた。
 簾の輿、錦蓋の美車。
 加うるに、数多の大将や護衛の兵を送って、彼は曲阿の地から老母とその一族をむかえてきた。
 孫策は、久方ぶりに、母の手を取って、宣城に奉じ、
「もう、安心して、余生をここでお楽しみください。――孫策も大人になりましたから」
 といった。
 もう白髪となった老母は、ただおろおろしていた。歓びのあまり、
「そなたの亡夫がいたらのう」と、かえって泣いてばかりいる。
 孫策は弟の孫権に、
「おまえに大将周泰をつけておくから、宣城を守り、わしに代って母に孝養をしてあげてくれ」
 そう云い残して、彼はふたたび南方の制覇におもむいた。
 彼は、戦い取った地には、すぐ治安を布いて、民心を得ることを第一義とした。
 法をただし貧民を救い、産業を扶ける一方、悪質な違反者には、寸毫もゆるさぬ厳罰を加えた。
 ――孫郎来る!
 という声だけでも、良民はあわてて道をひらいて路傍に拝し、不良民は胆をひやして影をかくした。
 それまで、州や県の役所や城をすてて、山野へ逃げこんでいた多くの官吏も、
孫郎は民を愛し、信義の士をよく用うる将軍らしい」
 と、分ると、ぞくぞく郷へ帰ってきて仕官を願い出てくるものが絶えなかった。
 孫策は、それらの文吏をも採用してよく能才を用い、平和の復興に努めさせた。
 そしてなお後図の治安は治安として、自身は征馬を南へすすめていたのである。
 その頃、呉郡(浙江省)には、
 東呉の徳王
 と、自ら称している厳白虎が威を揮っていたが、孫策の襲来が、ようやく南へ進路をとってくる様子と聞いて、
「すわこそ!」
 と、どよめき立ち、厳白虎の弟厳与は、楓橋江蘇省・蘇州附近)まで兵を出して防寨に拠った。
 この際、孫策は、
「たかのしれた小城
 と、自身、前線へ立って、一もみに、突破しようとしたが、張紘にたしなめられた。
「大将の一身は、三軍の生命です。もうあなたは、中軍にあって、天授のお姿を、自重していなければいけません」
「そうか」
 孫策は、諫めをきいて、大将韓当に先鋒をいいつけた。
 陳武、蒋欽の二将は、小舟にのって、楓橋のうしろへ廻り、敵を挟撃したので、厳与は支えきれず、呉城へ後退してしまった。
 息もつかせず、呉城へ迫った孫策は、濠ばたに馬を立てて、攻め競う味方を指揮していた。
 すると、呉城の高矢倉の窓から半身のり出して、左の手を梁にかけ、右の手で孫策を指さしながら、何か、口汚く罵っている大将らしい漢がある。
「憎き奴かな」
 と、孫策がうしろを見ると、味方の太史慈も、目をとめて、弓をひきしぼっていた。――太史慈の指が、弦を切って、ぶうんと、一矢放つと、矢はねらいたがわず、高矢倉の梁に突き立った。
 しかも、敵の大将らしい漢の手を、梁へ射つけてしまったので、孫策が、
「見事!」と、鞍を叩いて賞めると、全軍みな、彼の手ぎわに感じて快哉をさけび合い、その声からしてすでに呉城を圧していた。

 太史慈のあざやかな一矢に、高矢倉の梁に掌を射とめられた大将は、
「誰か、この矢をはやく抜き取ってくれ」と、悲鳴をあげて、もがいていたが、そのうちに、馳け寄ってきた兵が、矢を抜いて、どこかへ扶けて行った。
 その大将は、よい物笑いとなった。太史慈の名は、「近ごろの名射手よ」と、聞え渡った。多年、浙江の一地方にいて、みずから「東呉の徳王」などと称していた厳白虎も、
「これは侮れんぞ」と、年来の自負心に、すこし動揺をおぼえだした。
 寄手を見ると、総帥の孫策をはじめ、旗下の将星は、みな驚くほど年が若い。
 新しい時代が生みだした新進の英雄群が、旺な闘志をもって、轡をそろえているような盛観だ。
「厳与。――ここはひとつ考えるところだな」
 彼は、弟をかえりみながら、大きく腕をくんで云った。
「どう考えるんです」
「どうって、まあ、一時の辱はしのんでも深傷を負わぬうちに、和睦するんだな」
「降服するんですか」
「彼に、名を与えて、実権を取ればいいさ。彼らは若いから、戦争には強いが、深慮遠謀はあるまい。和睦した後で、こちらには、打つ手がある」
 兄に代って、厳与は早速、講和の使者として、孫策の軍中へおもむいた。
 孫策は、対面して、
「君が、東呉の徳王の弟か。なるほど……」と、無遠慮に、顔をながめていたが、すぐ酒宴をもうけさせて、「まあ、飲んで話そう」と、酒をすすめた。
 厳与は、心のうちで、
「さすが、江東小覇王とかいわれるだけあって、颯爽たるものだが、まだ乳くさいところは脱けないな。理想主義の書生が、ふと時を得て、兵馬を持ち、有頂天になったというところだろう」
 と、観察していた。そして相手の若さを甘く見て、しきりとまず、おだて上げていた。
 すると、酒半酣のころ、孫策はふいに、
「君は、こうしても、平然としておられるかね」と、何かわけの分らないことを質問しだした。
「こうしてもとは?」
 厳与が、訊きかえすと、孫策は突然、剣を抜いて、
「こうしてもだッ」
 と、彼の腰かけている椅子の脚を斬った。
 厳与は仰向けにひッくり返った。孫策は、腹をかかえて笑いながら、
「だから断っておるのに」
 と、転がったほうが悪いように云いながら、剣をおさめて、おどろいたまま蒼ざめている厳与に、手を伸ばして、
「さあ、起き給え。酒のうえの戯れだ。――時に、東呉の徳王がお使者、ご辺の兄上には、いったいこの孫策へ向って、いかなる条件で、和睦を求めらるるのか。ご意向を承ろう」
「兄が申すには……」と、厳与は腰のいたみをこらえながら、威儀をつくろい直していった。
「つまりその、……益なき戦をして兵を損ぜんよりは、長く将軍と和をむすんで、江東の地を平等に分け合おうではありませんか。兄の意はそこにあるんですが」
「平等に?」
 孫策は、眦をあげて、
「汝らの如き軽輩が、われわれと同格の気で、国を分け取りにせんなどとは、身の程を知らぬも甚だしい。帰れッ」と、罵った。
 和睦不調と見て、厳与が、黙然と帰りかける後ろへ、とびかかった孫策は、一刀にその首を刎ね落して、血ぶるいした。

 孫策は、剣を拭って、片隅にふるえている厳与の従者たちに向い、
「――拾って行け」と、床の上にころがっている厳与の首を指さしながら、重ねて云った。
「当方の返辞は、その首だ。立ち帰って、厳白虎に、ありのまま、告げるがいい」
 従者は、主人の首を抱えて、逃げ帰った。
 厳白虎は弟が首になって帰ったのを見ると、復讐を思うよりはかえって孫策のすさまじい挑戦ぶりにふるえあがって、
「単独で戦うのは危険だ」と、考えた。
 ひとまず会稽浙江省・紹興)へ退いて、浙江省の諸雄をたのみ、策を立て直そうと、ひどく弱気になって、烏城を捨て、夜中にわかに逃げだしてしまった。
 寄手の太史慈や黄蓋などはそれを追いまくって、存分な勝ちを収めた。
 きのうまでの、「東呉の徳王」も、見る影もなくなってしまった。到るところで追手の軍に打ちのめされ、途中、民家をおびやかしてからくも糧にありついたり、山野にかくれたりしてようやく会稽へたどり着いた。
 その時、会稽の太守は、王朗という者だった。王朗は厳白虎を助けて、大軍をくり出し、孫策の侵略に当ろうとした。
 すると、臣下のうちに、虞翻、字は仲翔という者があって、
「時が来ました。時に逆らう盲動は、自分を亡ぼすのみです。この戦はお避けなさい」
 と、諫言した。
「時とは何だ?」
 王朗がと問うと、
「時代の波です」と、仲翔は言下に答えた。
「――では、外敵の侵略にまかせて、手をこまねいていろというのか」
「厳白虎を捕えて、孫策に献じ、彼と誼みをむすんで、国の安全をおはかりなさい。――それが時代の方向に沿うというものです」
「ばかを申せ。孫策ずれに、会稽王朗が見っともない媚びを呈せられようか。それこそ世の物笑いだ」
「そうではありません。孫策は、義を尊び、仁政を布き、近来、赫々たる民望をはやくも負っています。それにひきかえ厳白虎は、奢侈、悪政、善いことは、何一つしてきませんでした。しかも頭の古い旧時代の人間です。あなたが手をださなくても、もう時代と共に亡び去る物のひとつです」
「いや、厳白虎とわしとは、旧交も深い。孫策如きは、われわれの平和をみだす外敵だ。こんな時こそ聯携して、侵略の賊を打たねばならん」
「ああ。あなたも、次の時代に用のないお方だ」
 仲翔が長嘆すると、王朗は、激怒して、
「こやつめ、わしの滅亡を希っておるな。目通りはならん。去れっ」と、追放を命じた。
 仲翔は甘んじて、国外へ去った。
 邸を追われる時、彼はもとより一物も持って出なかったが、平常、籠に飼っていた雲雀だけは、
「おまえも心なき人には飼われたくないだろう」と呟いて、籠のまま抱えて立ち退いた。
 彼が王朗に説いたいわゆる時代の風浪は、山野にかくれていた賢人をひろい上げてもゆくが、また、官衙や武府の旧勢力のうちにもいる多くの賢人をたちまち、山林へ追いこんでしまう作用もした。
 仲翔もその一人だった。
 彼は、黙々と、野を歩いて、これから隠れすむ草廬の地をさがした。
 そして、名もない田舎の山にかかると、ほっとしたように、
「おまえも故郷に帰れ」と、籠の小禽を青空へ放した。
 仲翔は、ほほ笑みながら、青空へ溶け入る小禽の影を見送っていた――これから生きる自分のすがたと同じものにそれが見えたからであろう。

 仲翔が放してやった籠の小禽が、大空へ飛んでいた頃、もう下界では、会稽の城と、潮のような寄手のあいだに、連日、激戦がくり返されていた。
 会稽の太守王朗は、その日、城門をひらいて、自身、戦塵のうちを馳けまわり、
「黄口児孫策、わが前に出でよ」と、呼ばわった。
孫策は、これにあり」
 と声に応じて、鵯のような若い将軍は、鏘々と剣甲をひびかせて、彼の眼前にあらわれた。
「おう、汝が、浙江の平和を騒がす不良青年の頭か」
 聞きもあえず、孫策は、
「この老猪め、なにをいうか。良民の膏血をなめ喰って脂ぶとりとなっている惰眠の賊を、栄耀の巣窟から追い出しにきた我が軍勢である。――眼をさまして、疾く古城を献じてしまえ」
 と、云い返した。
 王朗は、怒って、
「虫のいいことをいうな」とばかり、打ってかかった。
 孫策も、直ちに戟を交えようとすると、
「将軍、豚を斬るには、王剣を要しません」
 と、後ろからさっと一人の旗下が躍って孫策に代って王朗へ槍をつけた。
 これなん太史慈である。
 すわ――と王朗の旗下からも周昕が馬をとばして、太史慈へぶつかってくる。
王朗を逃がすな!」
「太史慈を打ちとれ!」
「周昕をつつめ」
孫策を生け捕れッ」
 双方の喚きは入りみだれ、ここにすさまじい混戦となったが、孫軍のうちから周瑜程普の二将が、いつのまにか後ろへまわって退路をふさぐ形をとったので、会稽城の兵は全軍にわたって乱れだした。
 王朗は、命からがら城へひきあげたが、その損害は相当手痛いものだったので、以来、栄螺のように城門をかたく閉めて、「うかつに出るな」と、もっぱら防禦に兵力を集中してうごかなかった。
 城内には、東呉から逃げて来た厳白虎もひそんでいた。厳白虎も、
「寄手は、長途の兵、このまま一ヵ月もたてば兵糧に困ってきます。――長期戦こそ、彼らの苦手ですから、守備さえかためていれば、自然、孫策は窮してくるにきまっている」
 と、一方の守備をうけ持って、いよいよ築土を高くし、あらゆる防備を講じていた。
 果たして、孫策のほうは、それには弱っていた。いくら挑戦しても、城兵は出てこない。
「まだ、麦は熟さず、運輸には道が遠い。良民の蓄えを奪い上げて、兵糧にあててもたちまち尽きるであろうし、第一われらの大義が立たなくなる。――如何いたしたものだろう」
孫策よ。わしに思案があるが」
「おお、叔父上ですか。あなたのご思案と仰っしゃるのは?」
 孫策の叔父孫静は、彼の問いに答えて、
会稽の金銀兵糧は、会稽の城にはないことを御身は知っているか」
「存じませんでした」
「ここから数十里先の査涜にかくしてあるんじゃよ。だから急に、査涜を攻めれば、王朗はだまって見ておられまい」
「ごもっともです」
 孫策は、叔父の説をいれた。その夜、陣所陣所にたくさんな篝を焚かせ、おびただしい旗を立てつらね、さも今にも会稽城へ攻めかかりそうな擬兵の計をしておいて、その実、査涜へ向って、疾風の如く兵を転じていた。

 擬兵の計を知らず、寄手のさかんな篝火に城兵は、「ぬかるな! 襲って来るぞ」と、眠らずに、防備の部署についたが、夜が白んで、城下の篝火が消えて見ると、城下の敵は一兵も見えなかった。
「査涜が襲われている!」
 こう聞いた王朗は、仰天して城を出た。そして査涜へ駆けつける途中、またも孫策の伏兵にかかって、ついに王朗の兵は完膚なきまでに殲滅された。
 王朗は、ようやく身をもって死地をのがれ、海隅(浙江省・南隅)へ逃げ落ちて行ったが、厳白虎は余杭(浙江省・杭州)へさして奔ってゆく途中、元代という男に酒を飲まされて、熟睡しているところを、首を斬られてしまった。
 元代は、その首を孫策へ献じて、恩賞にあずかった。
 こうして、会稽の城も、孫策の手に落ち、南方の地方はほとんど彼の統治下になびいたので、叔父、孫静を、会稽の城主に、腹心の君理を、呉郡の太守に任じた。
 すると、その頃、宣城から早馬が来て、彼の家庭に、小さな一騒動があったことを報らせてきた。
「或る夜、近郷の山中に住む山賊と、諸州の敗残兵とが、一つになって、ふいに宣城へ襲せてきました。弟様の孫権、大将周泰のおふた方で、防ぎに努めましたが、その折、賊のなかへ斬って出られたご舎弟孫権様をたすけるため、周泰どのには、甲も着ず、真ッ裸で、大勢を相手に戦ったため、槍刀創を、体じゅうに十二ヵ所も受けられ、瀕死の容態でございます」
 使いのはなしを聞くと、孫策は急いで宣城へ帰った。なによりも、案じられていた母の身は、つつがなかったが、周泰は、想像以上、ひどい重傷で、日夜苦しがっていた。
「なんとかして、助けてやりたいが、よい名薬はないか」
 と、家臣へ、知識を求めると、先に厳白虎の首を献じて、臣下の一員となっていた元代が、
「もう七年も前ですが、海賊に襲われて、手前がひどい矢疵を受けた時、会稽虞翻という者が自分の友だちに、名医があるといって紹介してくれまして、その医者の手当で、わずか十日で全治したことがありましたが」
 と、話した。
虞翻とは、仲翔のことではないか」
「よくご存じで」と、元代は、孫策のことばに眼をみはった。
「いや、その仲翔は、王朗の臣下だったが、探しだして用うべき人物だと、わしは張昭から薦められていたところだ。――さっそく、仲翔をさがしだし、同時に、その名医も、つれて来てもらいたいが」
 孫策の命に、
「仲翔は今、どこにいるか」と、諸郡の吏に、捜索の令が行き渡った。
 仲翔は、つい先ごろ、野にかくれたばかりだが、またすぐに見出されて孫策の命を聞くと、
「人ひとりの命を助けるためとあれば」
 と、友人の医者を伴い、さっそく宣城へやってきた。
 仲翔の親友というだけであって、その医者も変っていた。
 白髪童顔の老人で、いかにも清々と俗気のない姿だ。
 野茨かなにか、白い花を一輪持って、たえず嗅ぎながら歩いている。あんまり人間くさい中へ来たので、野のにおいが恋しいといったような顔つきだ。
 孫策が、会って名を問うと、
「華陀」と、答えた。
 沛国譙郡の生れで、字を元化という。素姓はあるが、よけいなことは云いたがらないのである。
 すぐ病人を診て、
「まず、ひと月かな」と、つぶやいた。
 果たして、一月の中に、周泰の瘡は、拭ったように全治した。
 孫策は、非常によろこんで、
「まことに、君は名医だ」と、いうと華陀は、
「あなたもまた、国を治す名医じゃ。ちと、療治は荒いが」
 と、笑った。
「なにか、褒美に望みはないか」
 と、孫策がきくと、
「なにもない。仲翔を用いて下されば、有難い」
 と、答えた。

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