水火
一
魏軍の一部は、次の日も出撃を試みた。その日も若干の戦果を挙げた。
以来、機をうかがっては、出撃を敢行するたびに、諸将それぞれ功を獲た。その多くは、葫芦の口へ兵糧を運んでゆく蜀勢を襲撃したもので、糧米、輸車、そのほかの鹵獲は、魏の陣門に山積され、捕虜は毎日、珠数つなぎになって送られて来た。
「捕虜はみな放して返せ。かかる士卒を殺したところで、戦力を失う敵ではない。むしろ放ち返して、魏の仁慈を蜀軍のうちに云い触らしめたほうがよい」
司馬懿は惜し気なく捕虜を解いて放した。ここ久しく合戦もなく、長陣に倦み、功名に渇していた魏の諸将は、われもわれもと司馬懿のゆるしを仰いで戦場へ飛び出した。そしておのおのの功を競い、またかならず勝って帰った。そういう連戦連勝の日が約二十日余りもつづいた。
「――出て戦えば、勝たぬ日はない」
近頃では、それが魏の将士の通念になっていた。実際、往年のおもかげもないほど蜀兵は弱くなっている。要するに、この原因は多くの兵を農産や土木や撫民に用い過ぎた結果、軍そのものの本質が低下したにちがいない。また陣地移動による兵力分散も、弱体化の因をなしているものであろう――と魏軍では観ていた。
この観測は、いつのまにか、司馬仲達の胸にも、合理化されていた。仲達がこの頃、甚だ心楽しげでいる容子を見ても、それと察せられるのである。
「戦況は有利に展けてきた」
彼は、或る日、捕虜の中に、蜀の一部将がいるのを見て、自身調べた結果、心から左右にそう語っていた。
その虜将の口述によって、孔明のいまいる陣地も明確になった。
葫芦谷の西方十里ばかりの地点にいて、目下、谷の城塞の内へ数年間を支えるに足る大量な食糧を運び込ませているわけであるという。
「量るに、祁山には、孔明以外の諸将が、わずかに守っているに過ぎまい」
彼は遂に戦いの主動性を握って自身奮い起った。祁山総攻撃の電命は久しく閉じたる帷幕から物々しく発せられたのである。
時に息子の司馬師が父の床几へ向って云った。
「なぜ孔明のいる葫芦を攻めずに、祁山を攻めるのですか」
「祁山は蜀勢の根本だ」
「しかし孔明は蜀全体の生命ともいえましょう」
「――だから大挙して祁山を襲い、わしは後陣として続くが、実は、不意に転じて、葫芦谷を急襲し、孔明の陣を蹴やぶり、谷中に蓄えている彼の兵糧を焼き払う考えなのじゃ。兵機は密なる上にも密を要す。余りに問うな」
「さすがはお父上」と、息子達はみな服して、父の計をたたえた。司馬懿はまた張虎、楽綝などを呼んで、
「自分は、後陣としてゆくが、汝らはなお我が後から続いてこい。なお硫黄焔硝を充分に携えて来るように」といいつけた。
孔明は日々、葫芦の谷口に近い一高地に立って、遥かに、渭水と祁山の間を見ていた。約一ヵ月近くも、彼は味方の敗け戦のみを眺めていたわけである。
その危険なる中間地帯を高翔の輸送隊がのべつ往還して、わざわざ敵の好餌となっていたのも、祁山の兵が、戦えば敗れ、戦えば敗れている蜀勢も、もとより彼の意中から出ている現象で、彼の憂暗となるものではなかった。
その日。――かつて見ない大量なる魏の軍馬が、またかつて見ざる陣形を以て一団一団、さらにまた一軍また一軍と、祁山へさして、堂々と前進してゆくのが遠く眺められた。
「おうっ……。仲達が遂に行動しだした」
孔明は思わずさけんだ。声は口のうちであったが語気はその面を微紅に染めた。待ちに待っていたものである。彼は直ちに左右のうちから一将を選んで伝令を命じ、かねて申し含めておいた事どもを怠るな、夢うたがうなかれと、祁山の味方へ急速に云ってやった。
二
渭水の流れも堰かれるほど、魏の軍馬はいちどに浅瀬へ馳け入った。一ヵ所や二ヵ所ではない。蜀軍はもちろん逆茂木を引き、要所要所は防寨で固めている。しかし、敵の上陸はそれを避けて行われる。一部を防げば、一部から馳せ上って来る。またたくうちに、渭水一帯の水煙はことごとく陸地に移り、蜀兵は算を乱して、祁山の裾からまたその山ふところの陣営へ潰走してゆく。
「多年、患いをなした蜀の根を断つは、今日にあるぞ」
司馬懿の指揮も常の彼とは、別人のようであった。天魔鬼神も何かあらんのすがただった。
ために魏軍の士気は、実に旺盛をきわめた。鼓角は天地を震わせ、千万の刃影は草木を伏せしめた。この日、風は強く、河水は霧となって舞い、その霧は迅い雲となって、祁山の山腹へぶっつかって行き、喚声雷呼のうちに、はやくも、血を呼び、屍を求めまわる。
蜀軍は祁山に拠って以来の猛攻撃につつまれた。到る所、屍に屍を積むの激戦が行われた。魏は当然大量な犠牲も覚悟のうえの総がかりなので、馬の蹄も血しおですべるような難攻の道を、踏み越え踏み越え中核へ肉薄した。
「今だ。続いて来い」
こういう乱軍を予想して、司馬仲達は中軍のうしろから突然方向を変えて葫芦谷のほうへ急いだ。仲達の目標は初めからここではない。彼の跡を慕って張虎、楽綝の二隊がつづいた。また彼の周囲には、中軍の精鋭約二百ばかりと、司馬師、司馬昭のふたりの息子がかたく父に寄り添っていた。
祁山の蜀兵は、目に余る魏軍に肉薄されて、その防ぎに忙殺され、かくとは少しも気づかぬもののようであったから、司馬父子とその奇襲部隊は、
「作戦は思うつぼに運んだぞ」と、疾風の如く目的の方角へ馳け向っていた。その途中幾回となく、蜀兵が阻めた。しかし何の備えもなく狼狽のまま立ち向って来るに過ぎなかった。二、三百の小隊もあり七、八百の中部隊もあった。もとよりその程度のものでは、鎧袖一触の値すらない。
蹂躙、また蹂躙。司馬父子の前には、柵もなく兵もなく矢風もない。ここは敵地かと疑われるくらいである。まさに、無人の境を行くが如き迅さと烈しさであった。
すると、やや強力な圧力が、南方から感じられた。鼓躁、喊声、相当手ごたえのありそうな一軍だ。果たして、
「おのれ、何処へ」
と、雷喝しながら、前方に立ちはだかった大将と一軍を見れば、蜀中に猛将の名ある魏延であった。
「望むところの敵よ」と司馬懿の二子と、旗本の精鋭は、一団となって、彼の出鼻へ跳びかかって行った。司馬懿も、龍槍をしごいて、魏延の足もとへ喚き進んだ。
魏延は奮戦した。さすがにこれは強い。一進一退がくり返されるかと見えた。けれど、司馬懿のうしろにはなお楽綝、張虎の二軍がつづいている。その重厚と、すさまじい戦意に圧されて、たちまち逃げ出した。
「追えや、遁すな」
この日ほど、司馬懿が積極的に出たことは稀である。彼も、ここぞと、必勝の戦機を見さだめれば決して保守一点張りの怯将でないことはこれを見てもあきらかである。
はや葫芦谷の特徴ある峨々たる峰々も間近に見えた。魏延は敗走する兵を立て直すと、ふたたび鼓躁を盛り返して抗戦して来た。そしてその度に、若干の損害を捨てては逃げた。無念無念と、追いつめられてゆく姿だった。
けれどこれも孔明の命に依ることであることはいうまでもない。遂に彼は、甲盔まで捨てて谷の内へ逃げこんだ。そして、かねて孔明からいわれていたところの、
(昼は、七星の旗、夜は七盞の燈火の見えるほうへ――)
という指令の目印に従って奔った。
「待て。――ここの地形はいぶかしい」
谷の口まで来ると、司馬懿は急に馬を止めて、逸る旗本どもや二人の子をうしろに制した。
そして、左右の者に、
「誰ぞ二、三騎で、谷のうちを見とどけて来い」と急に命じた。
三
旗本数騎、すぐ谷の口へ馳け入った。大勢が馬首を並べては通れないような隘路である。
「見て参りました」
すぐ戻ってきた面々は、司馬懿にむかって、こう状況を告げた。
「谷のうちを見わたすに諸所に柵あり壕あり、また新しき寨門や糧倉などは見えますが、守備の兵はことごとく南山の一峰へ逃げ退いているようです。はるか其処には、七星の旗も見えますから、おそらくは孔明も、いち早く谷外の本陣を彼方へ移したものと思われます」
聞くと司馬懿は、鞍つぼを打ちたたいて、こう命令した。
「敵の兵糧を焼き尽すは今だ」
蜀軍の致命はただ糧にある。孔明が久しく蓄えたここの穀穴だに焼き尽くせば、蜀軍数十万を殺すに何の刃を要そうや。
「――馳け入って存分に火を放ち、直ちに疾風の如く引っ返せ」
二子の司馬師、司馬昭も、父の叱咤を聞き、この英姿を見るや、
勇躍して、
「それっ、続け」
と一道の隘路を混み合って続々谷のうちへ突進した。
「や、や。なおあれに、魏延が刀を横たえて控えておる。しばらく進むな」
仲達はうしろに続く面々へ再び馬上から手を振って制した。
彼方に魏延の一軍が見えたことも懸念になったし、なお彼をたじろがせたものは、近の穀倉や寨門に添うておびただしく枯れ柴の積んであることだった。
本来ならば蜀軍自身、「火気厳禁」の制を布いていなければならない倉庫の附近に、燃えやすい枯れ柴などが山となって見えるのは何故だろうか。さきに見届けに入った旗本たちにはその不審がすぐ不審と感じられなかったのは是非もないが、司馬懿の活眼はそれを見遁しできなかった。
「何の怖るる敵でもなし、われわれが当って、魏延を蹴ちらす間に、お父上は軍勢を督して、谷中へ火を放ち、すぐ外へお引き上げ下さい」
司馬師と昭の兄弟が逸り切るのを仲達はなお抑えて、
「いや待て。いま通ってきた隘路こそ危ない。谷のうちで動いておるうちに、万一、蜀の一手が、あの谷口をふさぎ止めたら我は出るにも出られない破滅に墜ち入ろう――。過った。師よ、昭よ、早く外へ引っ返せ」
「えっ、空しく?」
「早く戻れ。あれあれ、なお多くの兵が争うて続いてくる。大声あげて、返れと呼ばわれ。戻れと号令しろ」
そして司馬懿自身も、声かぎり、後へ返せ、もとの道へと、鞭振りあげて制したが、とうてい、勢いづいて雪崩れこんで来る後続部隊までには、容易に指令が届かない。
その混雑のうちに、何とはなく、急に異臭がつよく鼻をついてきた。
眼にも沁む。喉にも咽せる。
「やや。何の煙だ?」
「火を放つな。火を放ってはならぬぞ」
しかし――火を放った者は魏軍のうちにはいない。それどころか、命令の混乱で、馳け込んでくる者、引っ返そうとする者、谷口の一道で渦巻いている騒ぎである。
時こそあれ、一発の轟音が谷のうちにこだました。――と思うと、隘路の壁をなしている断崖の上から、驚くべき巨大な岩石が山を震わして幾つも落ちてきた。あわれや馬も人もその下になった者は悲鳴すら揚げ得ずに圧し潰がれてしまう。そしてたちまち、その口は、累々たる大石に大石を重ねて封鎖されてしまった。
いやその程度はまだ小部分の一事変でしかない。四方の山から飛んできた火矢は、いつのまにか、谷中を火の海となし、火におわれて逃げまわる司馬懿仲達以下、魏軍の馳け狂うところ、たちまち、地を裂いて、爆雷は天に冲し、木という木、草という草、燃え出さないものはなかった。
四
魏の兵は大半焼け死んだ。火に狂う奔馬に踏まれて死ぬ者もおびただしかった。火焔と黒煙の谷の底から、阿鼻叫喚が空にまでこだました。
この有様を見て、
「計略は図にあたった。さあ、立ち退こう」
と、心地よげに、谷口へ向って行ったのは、司馬懿軍をここへ誘い入れた魏延だった。ところが、すでに谷口はふさがれていたので、その魏延までも、逃げる道を失ってしまった。
「これはひどい。俺が出た合図も見ぬうちに、谷口をふさぐとは何事か」
魏延はあわてた。彼の部下も火におわれて、次々に仆れた。彼の甲にも火がついてきた。
「さては、孔明の奴、日頃の事を根に持って、俺までを、司馬懿と共に殺そうと計ったにちがいない。無念、ここで死のうとは」
彼は、髪逆だてて、罵りやまなかった。
その頃、当然、谷中は熱風に満ちて、はや生ける人の叫びすら少なくなっていたが、司馬懿父子は三人ひとつ壕の中に抱き合って、
「ああ、われら父子もついに、ここで非命の死をうけるのか」となげきかなしんでいたが、なおこの父子の天運が強かったものだろうか、時しも沛然として大驟雨が降ってきた。
ために、谷中の大火もいちどに消えてしまった。そして、濛々たる黒霧がたちこめ、霧を吹き捲く狂風に駆られて、ふたたび紅い火が諸所からチロチロ立ち始めると、また、驚くべき雨量が地表も流すばかり降りぬいてくる。
「父上。父上」
「おお昭よ。師よ。夢か」
「夢ではありません。天佑です。私達は生きています」
「やれ。助かったか」
父子三人は壕の中から這いあがった。そして、何処をどう歩いたか、ほとんど、意識もなく、死の谷間から外へ出た。
馬岱の小勢がそれを見つけ、まさか司馬懿父子とも思わず追いかけて行ったが、そのうちに魏の一部隊が来たので、つまらぬ者を追っても無用と引き返してしまった。かくて司馬懿父子は完全に命びろいをした。彼の出会った味方の部隊の中に張虎、楽綝の二将も救われていた。
渭水の本陣に帰ってみると、ここにも異変があって、東部の一陣地は蜀兵に占領されている。それを撃退せんものと、魏の郭淮、孫礼などの一軍が、浮橋を中心に、激戦の最中であった。
しかし司馬懿を擁した一軍が、一方からこれへ帰ってきたので、蜀軍は、「うしろを取られては」と、にわかに退却して、遠く渭水の南に陣をさげた。司馬懿は、
「浮橋を焼き払って、敵の進路を断て」
と命じ、直ちに、両軍間の交戦路を焼き落してしまった。もとよりこの浮橋は河流の他の地点にも幾条となくあるので、祁山へ向った味方が引揚げに困るようなことはない。
その方面から続々と帰ってくる魏軍もすべて敗北の姿を負っていた。魏陣は夜どおし篝を焚いて、味方の負傷者や敗走者を北岸に収容するに努めた。そして、
「この虚に乗って、蜀軍が下流を越え、わが本陣のうしろへ迂回するおそれもある」
と、仲達はその方面にも心をつかって、かなりな兵力を後方にも向けていた。
この日、魏が失った損害というものは、物的にも精神的にも、開戦以来、最大なものといえる程だった。――しかし、この戦果を見てもなお、蜀軍のうちには、ただ一人、
「――事ヲ謀ルハ人ニアリ。事ヲ成スハ天ニアリ、ついに長蛇を逸せり矣。ああ、ぜひもない哉」
と、天を仰いで、痛涙に暮れていた人がいる。いうまでもなく、孔明その人である。
彼が、司馬懿父子を捕捉して、きょうこそと、必殺を期していた計も、心なき大雨のために、万谷の火は一瞬に消え、まったく水泡に帰してしまった。孔明のうらみは如何ばかりであったろう。真に、事ヲ謀ルハ人、事ヲ成スハ天。――ぜひもないと独り涙をのみ独り遺憾をなぐさめているしかなかったに違いない。