陳大夫
一
酒宴のうちに、曹操は、陳登の人間を量り、陳登は、曹操の心をさぐっていた。
陳登は、曹操にささやいた。
「呂布は元来、豺狼のような性質で、武勇こそ立ち優っていますが、真実の提携はできない人物です。――こういったら丞相は呂布の使いにきた私の心をお疑いになりましょうが、私の父陳珪も、徐州城下に住んでいるため、やむなく呂布の客臣となっていますが、内実、愛想をつかしておるのです」
「いや、同感だ」
果たして、曹操の腹にも二重の考えが、ひそんでいたのである。陳登が、口を切ったので、彼もまた、本心をもらした。
「君のいう通り、呂布の信じ難い人間だということは予も知っている。しかし、それさえ腹に承知して交際っているぶんには、彼が豺狼の如き漢であろうと、何であろうと、後に悔いるようなことは、予も招かぬつもりだ」
「そうです。その腹構えさえお持ちでしたら、安心ですが」
「幸い、君と知己になったからには、今後とも、予のために、蔭ながら尽力してもらいたい。……君の厳父陳大夫の名声は、予も夙に知っておる。帰国したらよろしく伝えてくれ」
「承知しました。他日、丞相がもし何かの非常手段でもおとりになろうという場合は、必ず、徐州にあって、われわれ父子、内応してお手伝いしましょう」
「たのむ。……今夜の宴は、計らずも有意義な一夜だった。今のことばを忘れないように」
と曹操と陳登は、盞をあげて、誓いの眸を交わした。
曹操は、その後、朝廷に奏し、陳登を広陵の太守に任じ、父の陳珪にも老後の扶持として禄二千石を給した。
その頃。
淮南の袁術のほうへは、早くも使臣の韓胤が、許都の辻で馘られたという取沙汰がやかましく伝えられていた。
「言語道断!」
袁術は、呂布の仕方に対して、すさまじく怒った。
「礼儀を尽したわが婚姻の使者を捕えて、曹操の刑吏にまかせたのみか、先の縁談は破棄し、この袁術に拭うべからざる恥辱をも与えた」
即座に、二十余万の大軍は動員され、七隊に分れて、徐州へ迫った。
呂布の前衛は、木の葉の如く蹴ちらされ、怒濤の如く一隊は小沛に侵入し、そのほか、各処の先鋒戦で、徐州兵はことごとく潰滅され、刻々、敗兵が城下に満ちた。
呂布は事態の悪化に、あわて出して、にわかに重臣を呼びあつめた。
「誰でもよい。今日は忌憚なく意見を吐け。それがこの徐州城の危急を救う策ならば、何なりとおれは肯こう」と、いった。
席上、陳宮がいった。
「今にして、お気がつかれたでしょう。かかる大事を招いたのは、まったく陳珪父子のなせる業です。――その証拠には、あなたは陳珪父子をご信用あって、許都への使いもお命じになりましたが、どうです。彼らは朝廷や曹操にばかり媚びて、巧みに自身の爵禄と前途の安泰を計り、今日この禍いが迫っても、顔を見せないではありませんか」
「然り! 然り!」と、誰か手を打って、陳宮の説を支持する者があった。
陳宮は、なお激語をつづけて、
「――ですから、当然な報酬として、陳珪父子の首を斬り、それを持って、袁術へ献じたら、袁術も怒りを解いて、兵を退くでしょう。悪因悪果、彼らに与えるものと、徐州を救う方法は、それしかありません」
呂布は、たちどころにその気になった。すぐ使いをやって陳珪父子を城中に呼びつけ、罪を責めて、首を斬ろうとした。
すると、陳大夫は、からからと高笑いして、
「病にも死なず、さりとて、花も咲かず、枯木の如く老衰したわしの首など、梅の実一つの値打ちもありません。伜の首も御用とあればさしあげましょう。……しかしまあ、あなたは何という臆病者だろう。アハハハハ、天子に対して恥かしくはありませんか」
と、なおも笑いこけた。
二
「なにを笑う」
呂布は、くわっと、眼をいからせて、陳珪父子を睨めつけた。
「われを臆病者とは、云いも云ったり。さほど大言を吐くからには、汝に、敵を破る自信でもあるのか」
「なくてどうしましょう」
陳大夫は澄ましたものである。
呂布はせきこんで、
「あらば申してみよ。もし、確乎たる良策が立つなら、汝の死罪はゆるしてくれよう」
「計りごとはありますが、用いると用いざるとは、あなたの胸一つでしょう。いかなる良策でも、用いなければ空想を語るに過ぎません」
「ともかく申してみい」
「聞説、淮南の大兵二十余万とかいっています。しかし、烏合の衆でしょう。なぜならば、袁術はここにわかに、帝位につかんという野心から、急激にその軍容を膨脹させました。ご覧なさい、第六軍の将たる韓暹は、以前、陝西の山寨にいた追剥の頭目ではありませんか。また、第七軍を率いている楊奉は、叛賊李傕の家来でしたが、李傕を離れて、曹操にも追われ、居る所なきまま袁術についている輩です」
「ウム。なるほど」
「それらの人間の素姓は、あなたもよくご存じのはずですのに、何を理由に、袁術の勢を怖れますか。――まず、利を以て、彼らを抱きこみ、内応の約をむすぶことです。そして寄手を攪乱せしめ、使いを派して、こちらは劉玄徳と結託します。玄徳は温良高潔の士、必ず今でも、あなたの苦境は見捨てますまい」
陳大夫のさわやかな弁に呂布は酔えるが如く聞き入っていたが、
「いや、おれは決して、彼らを恐れてはいない。ただ大事をとって、諸臣の意見を徴してみたまでだ」と、負け惜しみをいって、陳父子の罪は、そのまま不問に附してしまった。
そのかわり陳珪、陳登のふたりは謀略を施して、敵の中から内応を起させる手段をとるべし――と任務の責めを負わされて、一時、帰宅をゆるされた。
「伜。あぶない所だったな」
「父上も、思いきったことをおっしゃいましたな。今日ばかりは、どうなることかと、ひやひやしておりましたよ」
「わしも観念したな」
「ところで、よいご思案があるんですか」
「いや、何もないよ」
「どうなさるので?」
「明日は明日の風が吹こう」
陳大夫は、私邸の寝所へはいると、また、老衰の病人に返ってしまった。
一方、袁術のほうでは。
婚約を破棄した呂布に対し、報復の大兵を送るに当って、三軍を閲し、同時に、(これ見よ)といわぬばかりに、ここに、多年の野望を公然とうたって、皇帝の位につく旨を自らふれだした。
小人珠を抱いて罪あり、例の孫策が預けておいた伝国の玉璽があったため、とうとうこんな大それた人間が出てしまったのである。
「むかし、漢の高祖は、泗上の一亭長から、身を興し、四百年の帝業を創てた。しかし、漢室の末、すでに天数尽き、天下は治まらない。わが家は、四世三公を経、百姓に帰服され、予が代にいたって、今や衆望沸き、力備わり、天応命順の理に促され、今日、九五の位に即くこととなった。爾らもろもろの臣、朕を輔けて、政事に忠良なれ」
彼はすっかり帝王になりすましてから群臣に告げ、号を仲氏と立て、台省官府の制を布き、龍鳳の輦にのって南北の郊を祭り、馮氏のむすめを皇后とし、後宮の美姫数百人にはみな綺羅錦繍を粧わせ、嫡子をたてて東宮と僭称した。
三
慢心した暴王に対しては、命がけで正論を吐いて諫める臣下もなかったが、ただひとり、主簿の閻象という者が折をうかがって云った。
「由来、天道に反いて、栄えた者はありません。むかし周公は、后稜から文王におよぶまで、功を積み徳をかさねましたが、なお天下の一部をもち、殷の紂王にすら仕えていました。いかにご当家が累代盛んでも、周の盛代には及ぶべくもありません。また漢室の末が衰微しても、紂王のような悪逆もしておりません」
袁術は聞いているうちにもう甚だしく顔いろを損じて、皆までいわせず、
「だから、どうだというのか」と、怖ろしい声を出した。
「……ですから」
閻象はふるえ上がって、後のことばも出なくなった。
「だまれッ。学者ぶって、小賢しいやつだ。――われに伝国の玉璽が授かったのは偶然ではない。いわゆる天道だ。もし、自分が帝位に即かなければかえって天道に反く。――貴さまの如き者は書物の紙魚と共に日なたで欠伸でもしておればよろしい。退れっ」
袁術は、臣下の中から、二度とこんなことをいわせないために、
「以後、何者たりと、わが帝業に対して、論議いするやつは、即座に断罪だぞ」と、布令させた。
そこで彼は、すでに告発した大軍の後から、さらに、督軍親衛軍の二軍団を催して、自身、徐州攻略におもむいた。
その出陣にあたって、兗州の刺史金尚へ、
「兵糧の奉行にあたれ」と、任命したところ、何のゆえか、金尚がその命令にグズグズいったというかどで、彼は、たちまち親衛兵を向け、金尚を搦めてくると、
「これ見よ」とばかり首を刎ねて、血祭りとした。
督軍、親衛の二軍団がうしろにひかえると、前線二十万の兵も、
「いよいよ、合戦は本腰」と、気をひきしめた。
七手にわかれた七将は、徐州へ向って、七つの路から攻め進み、行く行く郡県の民家を焼き、田畑をあらし、財を掠めていた。
第一将軍張勲は、徐州大路へ。
第二将軍橋甤は、小沛路へ。
第三陳紀は、沂都路へ。
第四雷薄は、瑯琊へ。
第五陳闌の一軍は碣石へ。
第六軍たる韓暹は、下邳へ。
第七軍の楊奉は峻山へ。
――この陣容を見ては、事実呂布がふるえあがったのも、あながち無理ではない。
呂布は、陳大夫が、やがて「内応の計」の効果をあげてくるのを心待ちにしていたが、陳父子はあれきり城へ顔も出さない。
「如何したのか!」と、侍臣をやって、彼の私邸をうかがわせてみると、陳大夫は長閑な病室で、ぽかんと、陽なたぼッこしながら、いかにも老いを養っているという暢気さであるという。
短気な呂布、しかも今は、陳大夫の方策ひとつにたのみきっていた彼。
何で穏やかに済もう。すぐ召捕ッてこいという呶鳴り方だ。先には、彼の舌にまどわされてゆるしたが、今度は顔を見たとたんに、あの白髪首をぶち落してくれねばならん!
捕吏が馳け向った後でも、呂布はひとり忿憤とつぶやきながら待ちかまえていた。
――ちょうど黄昏どき。
陳大夫の邸では、門を閉じて、老父の陳大夫を中心に、息子の陳登も加わって、家族たちは夕餉の卓をかこんでいた。
「オヤ、何だろう」
門のこわれる音、屋鳴り、召使いのわめき声。つづいてそこへどかどかと捕吏や武士など大勢、土足のままはいって来た。
四
否応もない。陳大夫父子は、その場から拉致されて行った。
待ちかまえていた呂布は、父子が面前に引きすえられると、くわっと睨めつけ、
「この老ぼれ。よくもわれをうまうまとあざむいたな。きょうこそは断罪だ」
と、直ちに、武士に命じて、その白髪首を打ち落せ――と猛った。
陳大夫は相かわらず、にやにや手応えのない笑い方をしていたが、それでも、少し身をうごかして両手をあげ、
「ご短気、ご短気」
と、煽ぐようにいった。
呂布はなおさら烈火の如くになって、殿閣の梁も震動するかとばかり吼えた。
「おのれ、まだわれを揶揄するか。その素っ首の落ちかけているのも知らずに」
「待たしゃれ。落ちかけているとは、わしが首か。あなたのお首か」
「今、眼に見せてやる」
呂布が、自身の剣へ手をかけると、陳大夫は、天を仰ぐように、
「ああ、ご運の末か。一代の名将も、こう眼が曇っては救われぬ。みすみすご自身の剣で、ご自身の首を刎ねようとなさるわ」
「何を、ばかな!」と、いったが、呂布も多少気味が悪くなった。
その顔いろの隙へ、陳大夫の舌鋒はするどく切りこむように云った。
「確か、先日も申しあげてあるはずです。いかなる良策も、お用いなければ、空想を語るに等しいと。――この老ぼれの首を落したら、誰かその良策を施して、徐州の危急を救いましょうか。――ですからその剣をお抜きになれば、ご自身の命を自ら断つも同じではございませんか」
「汝の詭弁は聞き飽いた。一時のがれの上手をいって、邸に帰れば、暢気に寝ておるというではないか。――策を用いぬのは、われではなく汝という古狸だ」
「ゆえに、ご短気じゃというのでござる。陳大夫は早ひそかに、策に着手しています。即ち近日のうちに、敵の第六軍の将韓暹と、某所で密会する手筈にまでなっておるので」
「えっ。ほんとか」
「何で虚言を吐きましょう」
「しからば何で、私邸の門を閉じて、この戦乱のなかを、安閑と過しているのか」
「真の策士はいたずらに動かず――という言葉をご存じありませんか」
「巧言をもって、われを欺き、他国へ逃げんとする支度であろう」
「大将軍たる者が、小人のような邪推をまわしてはいけません。それがしの妻子眷族は、みな将軍の掌の内にあります。それらの者を捨てて、この老人が身一つ長らえて何国へ逃げ行きましょうや」
「では、直ちに、韓暹に行き会い、初めに其方が申した通り、わが為に、最善の計ごとを施す気か、どうだ?」
「それがしはもとよりその気でいるのですが、肝腎なあなたはどうなんです」
「ウーム。……おれの考えか。おれもそれを希っているが、ただ悠長にだらだらと日を過しているのは嫌いだ。やるなら早くいたせ」
「それよりも、内心この陳大夫をお疑いなのでしょう。よろしい。しからばこうしましょう。せがれ陳登は質子として、ご城中に止めておき、てまえ一人で行ってきます」
「でも、敵地へ行くのには、部下がなければなるまい」
「つれてゆく部下には、ちと望みがございます」
「何十名いるか。また、部将には誰をつれて行きたいか」
「部将などいりません。供もただ一匹で結構です」
「一匹とは」
「お城の牧場から一頭の牝羊をお下げ渡してください。韓暹の陣地は、下邳の山中と聞く。――道々、木の実を糧とし、羊の乳をのんで病躯を力づけ、山中の陣を訪れて、きっと韓暹を説きつけてみせます。ですから、あなたのほうでも、おぬかりなく、劉玄徳へ使いを立て、万端、お手配をしておかれますように」
陳大夫はその日、一頭の羊をひいて、城の南門から、飄然と出て行った。