石
一
旋風のあった翌日である。
襄陽城の内で、蒯良は、劉表のまえに出て、ひそかに進言していた。
「きのうの天変は凡事ではありません。お気づきになりましたか」
「ムム。あの狂風か」
「昼の狂風も狂風ですが、夜に入って、常には見ない熒星が、西の野に落ちました。按ずるに将星地に墜つの象、まさに、天人が何事かを訓えているものです」
「不吉を申すな」
「いや、味方に取っては、憂うべきことではありません。むしろ、壇を設けて祭ってもいいくらいです。方をはかるに、凶兆は敵孫堅の国土にあります。――機をはずさず、この際、袁紹が方へ人をつかわして、援助を乞われたら、寄手の敵は四散するか、退路を断たれて袋の鼠となるか、二つに一つを選ばねばならなくなるでしょう」
劉表は、うなずいて、
「誰か、城外の囲みを突破して、袁紹のもとへ使いする者はないか」と、家臣の列へ云った。
「参りましょう」
呂公は、進んで命をうけた。蒯良は、彼ならばよかろうと、人を払って、呂公に一策を授けた。
「強い馬と、精猛な兵とを、五百余騎そろえて射手をその中にまじえ、敵の囲みを破ったら、まず峴山へ上るがよい。必ず敵は追撃して来よう。このほうはむしろそれを誘って、山の要所に、岩石や大木を積んで置き、下へかかる敵を見たら一度に磐石の雨を浴びせるのだ。――射手は敵の狼狽をうかがって、四林から矢をそそぎかけろ、――さすれば敵は怯み、道は岩石大木に邪げられ、やすやすと袁紹のところまで行くことができよう」
「なるほど、名案ですな」
呂公は、勇んで、その夜、ひそかに鉄騎五百を従えて、城外へ抜けだした。
馬蹄をしのばせて、蕭殺たる疎林の中を、忍びやかに進んで行った。万樹すべて葉をふるい落し、はや冬めいた梢は白骨を植え並べたように白かった。
細い月が懸かっていた。――と敵の哨兵であろう、疎林の端まで来ると、
「誰だ」と、大喝した。
どっと、先頭の十騎ばかりが、跳びかかって、たちまち五人の歩哨を斬りつくした。
すぐ、そこは、孫堅の陣営だったから、孫堅は、直ちに、馳けだして、
「今、馳け通った馬蹄の音は敵か、味方か」と、大声で訊ねた。
答えはなく、五人の歩哨は、二日月の下に、碧い血にまみれていた。
孫堅は、それを見るなり、
「やっ。さては」と、直覚したので、馬にとび乗るが早いか、味方の陣へ、
「城兵が脱出したぞっ。――われにつづけっ」
と、呼ばわって、自身まっ先に呂公の五百余騎を追いかけて行った。
急なので、孫堅の後からすぐ続いた者は、ようやく、三、四十騎しかなかった。
先の呂公は振りかえって、
「来たぞ、追手が」
かねて計っていたことなので、驚きもせず、疎林の陰へ、射手を隠して、自分らは遮二無二、山上へよじ登って行った。そして敵のかかりそうな断崖の上に、岩石を積みかさねて、待ちかまえていた。
――程なく。
十騎、二十騎、四、五十騎と、敵らしい影が、林の中から山の下あたりへ、わウわウと殺到して、なにか口々に罵っていた。
二
中に、孫堅の声がした。
「敵は、山上に逃げたにちがいない。――なんの、これしきの断崖、馬もろとも、乗り上げろっ」
猛将の下、弱卒はない。
孫堅が、馬を向けると後から後から駈けつづいて来た部下も、どっと、峴山の登りへかかりかけた。
けれど、足もとは暗く、雑草の蔓と、雪崩れやすい土砂に悩まされて、孫堅の馬も、ただいななくのみだった。
断崖の上からうかがっていた呂公は、今ぞと思って、
「それっ、落せっ、射ろ」と、山上山下へ、両手を振って合図をした。
大小の岩石は、一度に、崖の上から落ちてきて、下なる孫堅とその部下三、四十人を埋めてしまうばかりだった。しかも、あわてて遁れようとすれば、四方の木陰から、凄まじい矢うなり疾風が身をつつむ。
「しまった!」
孫堅の眼が、二日月を睨んだ。とたんに、彼の頭の上から、一箇の巨大な磐石が降って来た。
ずしんっ――
地軸の揺れるのを覚えた刹那、孫堅の姿も馬も、その下になっていた。あわれむべし血へどを吐いた首だけが、磐石の下からわずかに出ていた。
孫堅、その時、年三十七歳。
初平三年の辛未、十一月七日の夜だった。巨星は果たして地に墜ちたのだ。夜もすがら万梢悲々と霜風にふるえて、濃き血のにおいとともに夜はあけた。
朝陽を見てから、敵も味方も気づいて、騒ぎ出したことだった。
呂公は、自分の殺した三十余騎の追手中に、敵の大将がいようなどとは、夢にも気がつかなかったのである。
が――疎林の内に残っていた射手の一隊が、夜明けと同時に発見して、
「これこそ孫堅だ」
と、その死体を、狂喜して城内へ奪い去り、呂公は、連珠砲を鳴らして、城内へ異変を告げた。
寄手の勢もにわかの大変に、その狼狽や動揺はおおうべくもない。――号泣する者、喪失して茫然たる者、血ばしって弓よ刀よと騒動する者――兵はみだれ、馬はいななき、早くも陣の備えはその態を崩しはじめた。
劉表、蒯良など、城内の者は、手を打ちたたいて、
「孫堅、洛陽に玉璽を盗んで、まだ二年とも経たぬ間に、はやくも天罰にあたって、大将にあるまじき末期を遂げたか。――すわや、この虚をはずすな」
黄祖、蔡瑁、蒯良なんどみな一度に城戸をひらいて、どっと寄手のうちへ衝いて行った。
すでに大将を失った江東の兵は戦うも力はなく、打たるる者数知れなかった。
漢江の岸に、兵船をそろえていた船手方の黄蓋は、逃げくずれてきた味方に、大将の不慮の死を知って、大いに憤り、
「いでや、主君の弔合戦」
とばかり、船から兵をあげて、折りから追撃して来た敵の黄祖軍に当り、入り乱れて戦ったが、怒れる黄蓋は、獅子奮迅して、敵将黄祖を、乱軍のなかに生擒って、いささか鬱憤をはらした。
また。
程普は、孫堅の子、孫策を扶けて襄陽城外から漢江まで無二無三逃げて来たが、それを見かけた呂公が、
「よい獲物」とばかり孫策を狙って、追撃して来たので、程普は、
「讐の片割れ、見捨てては去れぬ」と、引っ返して渡り合い、孫策もまた、槍をすぐって程普を助けたので、呂公はたちまち、馬より斬って落されて、その首を授けてしまった。
三
両軍の戦うおめき声は、暁になって、ようやくやんだ。
何分この夜の激戦は、双方ともなんの作戦も統御もなく、一波が万波をよび、混乱が混乱を招いて、闇夜に入り乱れての乱軍だったので、夜が明けてみると、相互の死傷は驚くべき数にのぼっていた。
劉表の軍勢は、城内にひきあげ、呉軍は漢水方面にひき退いた。
孫堅の長男孫策は漢水に兵をまとめてから、初めて、父の死を確かめた。
ゆうべから父の姿が見えないので、案じぬいてはいたがそれでもまだ、どこからか、ひょっこり現れて、陣地へ帰って来るような気がしてならなかったが、今はその空しいことを知って声をあげて号泣した。
「この上は、せめて父の屍なりとも求めて厚く弔おう」と、その遭難の場所、峴山の麓を探させたが、すでに孫堅の死骸は、敵の手に収められてしまった後だった。
孫策は、悲痛な声して、
「この敗軍をひっさげ、父の屍も敵に奪られたまま、なんでおめおめ生きて故国へ帰られよう」
と、いよいよ、慟哭してやまなかった。
黄蓋は、慰めて、
「いやゆうべ、それがしの手に、敵の一将黄祖という者を生擒ってありますから、生ける黄祖を敵へ返して、大殿の屍を味方へ乞い請けましょう」と、いった。
すると、軍吏桓楷という者があって、劉表とは、以前の交誼があるとのことなので、桓楷を、その使者に立てた。
桓楷は、ただ一人、襄陽城におもむいて、劉表に会い、
「黄祖と、主君の屍とを、交換してもらいたい」
と、使いの旨を告げると、劉表はよろこんで、
「孫堅の死体は、城内に移してある。黄祖を送り返すならば、いつでも屍は渡してやろう」と、快諾し、また、
「この際、これを機会に、停戦を約して、長く両国の境に、ふたたび乱の起らぬような協定を結んでもいい」と、いった。
使者桓楷は、再拝して、
「では、立帰って、早速その運びをして参りましょう」
と、起ちかけると、劉表の側に在った蒯良が、やにわに、
「無用、無用」と、叫んで、主の劉表に向かって諫言した。
「江東の呉軍を破り尽すのは、今この時です。しかるに、孫堅の屍を返して、一時の平和に安んぜんか、呉軍は、今日の雪辱を心に蓄えて、必ず兵気を養い、他日ふたたびわが国へ仇をなすことは火を見るよりも明かなことだ。――よろしく使者桓楷の首を刎ねて、即座に、漢水へ追撃の命をお下しあるように望みます」
劉表は、ややしばらく、黙考していたが、首を振って、
「いやいや、わしと黄祖とは、心腹の交わりある君臣だ。それを見殺しにしては、劉表の面目にかかわる」と、蒯良のことばを退けて、遂に屍を与えて、黄祖の身を、城内へ受取った。
蒯良は、そのことの運ばれる間にも、幾度となく、
「無用の将一人をすてても、万里の土地を獲れば、いかなる志も後には行うことができるではありませんか」と、口を酸くして説いたが、遂に用いられなかったので、
「ああ、大事去る!」と、独り長嘆していた。
一方、呉の兵船は、弔旗をかかげて、国へ帰り、孫策は、父の柩を涙ながら長沙城に奉じて、やがて曲阿の原に、荘厳な葬儀を執り行った。
年十七の初陣に、この体験をなめた孫策は、父の業を継ぎ、賢才を招き集めて、ひたすら国力を養い、心中深く他日を期しているもののようであった。