恋の曹操
一
小沛、徐州の二城を、一戦のまに占領した曹操の勢いは、旭日のごときものがあった。
徐州には、玄徳麾下の簡雍、糜竺のふたりが守っていたが、城をすててどこかへ落ち去ってしまい、あとには陳大夫、陳登の父子が残っていて、内から城門をひらき、曹操の軍勢を迎え入れたものであった。
曹操は、陳父子に対して、
「さきにはわが恩爵をうけ、後には玄徳に随身し、今はまた門をひらいて予を迎う。――咎めれば咎める罪状は成り立つが、もし力をつくして、領内の百姓を宣撫するなら、前日の罪はゆるしてやろう」
と、いった。
陳父子は慴伏して、
「違背なく仕りますれば」と、ひたすら彼の寛仁を仰ぎ、その日から力を城内民の鎮撫にそそいで、治安の実績をあらわした。
ふかく玄徳になついていたので、一時は不安にかられてさわいでいた城内民も曹操の政令と宣撫にようやく落着いて、常態に復しかけてきた。
「まず、徐州はこれでいい」
曹操の考えは次の作戦に移っていた。
戦争と政治は、併行する。二本の足を、交互に運ぶようなものである。
「――残るは下邳の一城」
と、彼はもうその地方まで呑んでいる気概であったが、大事をとって一応、事情に明るい陳登に下邳の内情をたずねてみた。
「下邳の城は丞相もご承知の関羽雲長が、守り固めております。――かねて玄徳はかかる場合を案じてか、二夫人と老幼のものを、関羽にあずけ、丞相の軍が発向する前に、疾く下邳のほうへ移していたものであります」
陳登はなお云い足して、
「なぜ玄徳が妻子を下邳へうつしたかといえば、申すまでもなく、かつては猛将呂布がたて籠って、さんざんに丞相の軍をなやましたことのある難攻不落な地ですから、それでこのたびも、特に、関羽をえらんで大事な家族を託したものと思われます」と、語った。
曹操は往年の戦を思い出しながら、
「なにさま、予にとって、下邳は宿縁あさからぬ古戦場だ。――しかし呂布を攻めた時とちがって、このたびは長びくことは禁物である。なぜならば袁紹というものが、すでに大軍を北にうごかしているからだ。――作戦は一に急を要する」
荀彧をかえりみて、急に下邳を陥す名案はないかとたずねた。
荀彧は、しばらく、半眼のまま口をとじていたが、
「関羽を城中においては、百たび攻めても陥ちますまい。策の妙諦は、ただいかにして、関羽を城外へおびきだすかにありましょう」と、いった。
「それには?」と、たたみかけて、曹操が問うとまた、
「押しつめて、わざとゆるみ、敵を驕らせて味方は潰走して見せる。その間、ひそかに大軍をまわし、中道を遮断すれば、関羽は十方に道を失い、孤旗をささえて悲戦の下に立つしかありません」
「なるほど、関羽さえ擒人にすれば、不落の城も、不落ではないからな」
曹操は、荀彧の策をとって、あらまし用兵の方向をさだめ、議が終ると、こう自分の意中をかたわらに告げた。
「実をいうと、予は遠い以前から、関羽の男ぶりに恋しておる。沈剛内勇、まことに寛濶な男で、しかも武芸は三軍に冠たるものがある。……こんどの戦こそ、日頃の恋をとげるにはまたとない好機。なんとかして彼を麾下に加えたいものである。怪我なく生け捕って、許都のみやげに連れもどりたい。――各〻、予が意を酌んで、充分に策をねってくれよ」
二
むずかしい注文である。諸将は顔を見あわせていた。
郭嘉は、曹操の前へすすんで、そのむずかしさを正直にいった。
「関羽の勇は、万夫不当と、天下にかくれもないものです。討ち殺すさえ、容易ではありません。しかるにそれを手捕りにせよとのご命令では、どれほどの兵を犠牲にするやも計られず、また下手をすれば、却って彼に乗じられるおそれがないとも限りませんが」
すると、張遼が、右列を出て、
「お案じあるな。拙者が関羽を説いてお味方へ降らせましょう」と、いった。
程昱、郭嘉、荀彧などの諸将はみな、なかば疑って、
「君はその自信があるのか」と、口をそろえて反問した。
「ある!」
張遼は、ひるみなく答えた。
「諸氏は関羽の勇だけをおもんぱかっておられるようだが、拙者のもっとも至難と考えるところは、彼が人いちばい、忠節と信義にあつい点である。しかし幸いにも、拙者と彼とは、――形の交わりはないが、つねに戦場の好敵手として、相見るたび、心契の誼みに似たものを感じ合っている。おそらく彼も拙者のことを記憶しておるにちがいないと思う」
「よかろう。張遼にひとつ、説かせようではないか」
曹操は、かれの乞いを容れようとした。英雄、英雄を知る。張遼と関羽のあいだに心契があるということは、いかにもあり得べきことと同感をもったからである。
だがなお、程昱、郭嘉などは、うなずかなかった。勧降の使いとして、説客を向けてみるもいいがもし効がなければ、敵の決意をよけい強固にさせるだけで、速戦即決をとらんとする方針にはむしろ害を生じる可能性のほうが多いのではあるまいか――と。
「いや、その儀なら拙者に、いま陣中にある徐州の捕虜二百ほどをおあずけ下されば、違算なく下邳の城を奪い、荀彧どのが先に申されたとおり関羽を野外におびきだして、まず彼の位置を孤立させてお目にかける」
張遼の自信は相当つよい。
玄徳を離れた徐州の捕虜を用いて一体どうするのかと、その計を問うと、
「わざと、捕虜を放して、下邳の城へ追いこむのです。もとより味方と味方とが合流すること、関羽も当然、城へ入れるであろう。――つまり風の吹く日まで火ダネをそこへ埋けこんでおくような計略であるが」と、説明した。
曹操は手を打って、
「それぞ、敵土埋兵の巧妙なる一手だ。まず、張遼にやらせてみよう」
参謀部の方策はきまる。
降参人二百ばかり、利をさとされて、陣地から潰乱して走りだした。もちろん夜が選ばれた。
夜明けから朝にかけて、彼らは下邳の城へまぎれこんだ。正真正銘の味方にちがいないので、関羽以下の部将もみななんの疑いも抱かなかった。
「徐州へは、曹操の直属軍がかかってきたので、ひとたまりもなく落城しましたが、曹操とその中軍は、勝ち誇って、そこに止まっています。われわれを追いかけてきたのは夏侯惇、夏侯淵の一部隊にすぎません。それも長途の急行軍でつかれぬいていますから、城を出て、逆寄せをくわせれば、それを平野に捕捉して、殲滅を与え得ることは、間違いなしと、保証していえます」
そんな声が、城内にまきちらされた。関羽は、雑兵たちのことばなので、すぐは受けとらなかったが、次々の物見の報らせにも、
「敵は存外、少数です」
「下邳へ向ってきた兵力は、敵全軍の五分の一にも過ぎません」
と、あるので、遂に城門をひらかせて、英姿颯爽と、一軍をひきいて、蒼空青野の戦場へ出て行った。
三
手をかざして望むと夏侯惇、夏侯淵の二軍は、鳥雲の陣をしいて旌旗しずかに野に沈んでいた。
――と見るうち、甲盔さんらんたる隻眼の大将が、馬をすすめて関羽のまえに躍りかけ、
「やあ、髯長の村夫子、なんじ何とて柄にもなき威容を作り、武門のちまたに横行なすか。すでに不逞の頭目玄徳も無頼漢の張飛もわが丞相の威風に気をうしない、風をくらって退散したのに、なんじまだ便々と下邳にたて籠って何んするものぞ。――早々故郷へ立ち帰って、村童の鼻汁をふいておるか、髯の虱でも取っておれ」と、舌をふるって悪罵した。
関羽は、沈勇そのものの眉に口を緘し、爛たる眼を向けていたが、
「おのれ、そういう者は曹操の部下夏侯惇であるな」
やはり彼にも感情はあった。心では烈火のごとく怒っていたものとみえる。――そのすがたにぶんと風を生じたかと思うと、漆艶の黒鹿毛と、陽にきらめく偃月の青龍刀は、
「うごくな! 片眼」
と、ひと声吼えておどりかかって来た。
もとより計る気の夏侯惇、善戦はしながらも、逃げては奔り、返しては罵りちらした。
関羽は大いに怒って部下三千を叱咤し、自分も二十里ばかり追いかけた。
しかし彼の獅子奮迅ぶりに、味方もつづききれなかった。
関羽は気がついて、
「ちと、深入り」
急に引っ返しかけたが、それと共に、左に敵の徐晃、右には許褚の伏軍がいちどに起って、彼の退路をふさいだ。
蝗の飛ぶような唸りは百張の弩が弦を切って放ったのであった。
さすがの関羽も、その矢道は通りきれない。道をかえんと駒を返すとそこからもわっと伏兵の旋風が立つ。
こうして彼は次第に、気の長い猛獣狩りの土蛮が豹を柵へ追いこむように追いつめられて、ついに曹操の大軍のうちに完封された。
日もはや暮れて野は暗い。彼が逃げあがったのはひくい小山の上だった。夜に入ると、下邳のほうに、焔々たる猛火が空をこがし始めた。
さきに城内へまぎれこんだ反間の埋兵が内から火を放って夏侯惇の人数を入れ、苦もなく、さしもの難攻不落、下邳の城を曹操の手へ渡してしまったものであった。
「計られたり、計られたり。このうえは、なんの面目あって主君にまみえようぞ。そうだ……夜明けと共に」
彼は、討死を決心した。
そして、明日をさいごの働きに、せめては少し身を休めておこう。馬にも草を喰わせておこう――そう心しずかに用意して、あわてもせず、夜の白むのを待っていた。
――朝露がしっとりと降りる。東雲は紅をみなぎらしてきた。手をかざして小山のふもとを見れば、長蛇が山を巻いたように、無数の陣地陣地をつないで霞も黒いばかりな大軍。
「ものものしや……」
関羽は苦笑した。
山上の一石に、ゆったり腰をすえ、甲よろいの革紐などを締め、草の葉露をなめてやおら立ちかけた。
すると、そこへ。
麓のほうから誰か登ってきた。
関羽はひとみを向けた。
自分の名を呼びかけてくるのである。
「……何者?」と、疑わしげに待ちかまえていると、やがて近く寄ってきたのは口に鞭をくわえ頬に微笑をたたえた張遼であった。
四
ふたりは旧知の仲である。
平常の交わりはないが、戦場往来のあいだに、敵ながら何となくお互いに敬慕していた。
士は士を知るというものであろう。
「おう、張遼か」
「やあ、関羽どの」
ふたりは、胸と胸を接するばかり相寄って、ひとみに万感をこめた。
「ご辺はこれへ、何しに参られたか。――察するに曹操から、この関羽の首を携えてこいと命ぜられ、やむなくこれへ参られたか」
「いや、ちがう。平常の情を思い、貴公の最期を惜しむのあまり……」
「しからば、この関羽に、降伏をすすめにこられた次第か」
「さにもあらず。以前、それがしが貴公に救われたこともある。なんで今日、君の悲運をよそにながめておられようか」
張遼は石を指して、
「まず、それへかけ給え。拙者も腰をおろそう」と、ゆったり構え、「……すでにお覚りであろうが、玄徳も張飛も、共に敗れ去って行方もしれない。ただ玄徳の妻子は、下邳城の奥にいるが、そこも昨夜わが軍の手に陥ちてしまったから、二夫人以下の生殺与奪は、まったく曹丞相のお手にあるものといわねばならぬ」
「……無念だ。……この関羽をお見込みあって、ご主君よりお預け給わったご家族をむなしく敵の手にまかすとは」
関羽は、首をたれて、長大息した。――自分の死は、眼前の朝露を見るごとくだったが無力な女性方や、幼い主君の遺子などを思うと、さしもの英豪も、涙なきを得なかった。
「……が、関羽どの。そのことについてなら、いささかご安心あるがよい。曹丞相は、下邳の陥落とともに、ご入城になったが、第一に玄徳の妻子を、べつな閣に移して、門外には番兵を立たせ、一歩でもみだりに入る者はたちどころに誅殺せよとまで――きびしく保護なされておる」
「おう、そうか」
「実は、その儀をお伝えしたいと思って、曹丞相のおゆるしのもとにこれへ参ったわけでござる」
聞くと関羽は、屹と眼光をあらためて、
「さてはやはり、恩を売りつけて、われに降参をすすめんとする意中であろう。笑うべし、笑うべし。曹操もまた、英雄の心を知らぬとみえる。……たとい今、この絶地に孤命を抱くとも、死は帰するにひとし、露ほども、生命の惜しい心地はせぬ。――この関羽に降伏をすすめにくるなど、ご辺もちとどうかしておる。はやはや山を降り給え。後刻、快く戦おう」
苦々しげに云い反く関羽の横顔をながめて張遼は、わざと大きくあざ笑った。
「それを英雄の心事と、自負されるに至っては、貴公もちと小さいな。……あはははは、貴公のいう通りに終ったら、千載のもの笑いだ」
「忠義をまっとうして討死いたすのが、なんで笑いぐさになるか」
「されば、ここで貴公が討死いたせば、三つの罪があとで、数えられよう。忠義も潔いも、その罪と相殺になる」
「こころみに訊こう。三つの罪とは何か」
「死後、玄徳がまだ生きておられたら如何? 孤主にそむき、桃園のちかいを破ることに相なろう。――第二には、主君の妻子一族を託されながら、その先途をも見とどけず、ひとり勇潔にはやること、これ短慮不信なりといわれても、ぜひあるまい。もう一条は、天子を思い奉り、天下の将来を憂えぬことである。一身の処決を急ぎ、生きて祖宗のあやうきを扶翼し奉らんとはせず、みだりに血気の勇を示そうとするは――けだし真の忠節とは申されまい。……貴公は、武勇のみでなく学識もある士とうけたまわっておるが、このへんの儀は、どう解いておられるか。関羽どの、あらためてそちらへ伺いたいものだが」
五
関羽は頭をたれたまま、やや久しく、考えこんでいた。
張遼の言には、友を思う真情がこもっていた。また、道理がつくされている。
理と情の両面から責められては、関羽も悶えずにいられなかったとみえる。
張遼は、ことばを重ねて、
「ここで捨てるお命を、しばし長らえる気で、劉玄徳の消息をさぐり、ふたつには、玄徳から託された妻子の安全をまもり、義を完うなされたらどうですか。……もしそのお心ならば、不肖悪いようには計らいませんが」と、説いた。
関羽は、好意を謝して、
「かたじけない。もしご辺の注意がなければ、関羽はこの一丘の草むらに、匹夫の墓をのこしたでござろう。思えば浅慮な至りであった。――しかし、なにを申すも敗軍の孤将、ほかに善処する道も思案もなかったが、いまご辺の申されたように、義に生きられるものならば、どんな苦衷や恥を忍ぼうとも、それに越したことはないが」
「そのためには、一時、曹丞相へ降服の礼をとり給え。そして堂々貴公からも条件を願い出られては如何?」
「望みを申そうなら三つある。――そのむかし桃園の義会に、劉皇叔と盟をむすんだ初めから、漢の中興を第一義と約したことゆえ、たとい剣甲を解いて、この山をくだるとしても、断じて曹操に降服はせん。漢朝に降服はいたすが、――曹操には降らん! これが第一」
「して、あとの二つの条件は」
「劉皇叔の二夫人、御嫡子、そのほか奴婢どもにいたるまで、かならずその生命と生活の安全を確約していただきたいことでござる。しかも鄭重なる礼と俸禄とをもって」
「その儀も、承りおきます。次に、さいごの一条は」
「いまは劉皇叔の消息も知れぬが、一朝お行方の知れた時は、関羽は一日とて、曹操のもとに晏如と留まっておるものではござらん。千里万里もおろか、お暇も告げず、直ちに、故主のもとへ立ち帰り申すであろう。……以上、三つの事、しかとお約束くださるならば、おことばに任せて山を降ろう。――さもなければ、百世末代、愚鈍の名をのこすとも、斬り死にして、今日を最期といたすのみでござる」
「心得ました。即刻、丞相にお旨をつたえて、ふたたびこれへ参るとします。――暫時のご猶予を」
張遼は、山を駆け下りて行った。至情な友の後ろすがたに、関羽は瞼を熱くした。
馬にとびのると、張遼は一鞭あてて、下邳へ急いだ。――そしてすぐ曹操の面前にありのままな次第を虚飾なく復命した。
もちろん関羽の希望する三条件も、そのまま告げた。剛腹な曹操も、この条件の重さに、おどろいた顔色であったが、
「さすがは関羽、果たして、予の眼鑑にたがわぬ義人である。――漢に降るとも、曹操には降らぬというのも気に入った。――われも漢の丞相、漢すなわち我だ。――また二夫人の扶養などはいと易いこと。……ただ、玄徳の消息が分り次第、いつでも立ち去るというのは困るが」
と、その一箇条には、初め難色があったが、張遼がここぞと熱意をもって、
「いや、関羽が、ふかく玄徳を慕うのも、玄徳がよく関羽の心をつかんだので、もし丞相が親しく彼をそばへ置いて、玄徳以上に、目をおかけになれば、――長いうちには必ず彼も遂に丞相の恩義に服するようになりましょう。士はおのれを知るものの為に死す――そこは丞相がいかに良将をお用いになるかの腕次第ではございませぬか」
と、説いたので、曹操も遂に、三つの乞いをゆるし、すぐ関羽を迎えてこいと、恋人を待つように彼を待ちぬいたのであった。