神亭廟

 牛渚安徽省)は揚子江に接して後ろには山岳を負い、長江の鉄門といわれる要害の地だった。
「――孫堅の子孫策が、南下して攻めて来る!」
 と、聞え渡ると、劉繇は評議をひらいて、さっそく牛渚の砦へ、兵糧何十万を送りつけ、同時に、張英という大将に大軍を授けて防備に当らせようとした。
 その折、評議の末席にいた太史慈は、進んで、
「どうか、自分を先鋒にやって下さい。不肖ながら必ず敵を撃破して見せます」
 と、希望したが、劉繇はじろりと、一眄したのみで、「そちにはまだ資格はない」と、一言のもとに退けた。
 太史慈は顔を赧らめて沈黙した。彼はまだ三十歳になったばかりの若年だし、劉繇に仕えてから年月も浅い新参でもあったりするので、
「さし出がましい者」という眼で大勢に見られたのを恥じたような態であった。
 張英は、牛渚の要塞にたてこもると、邸閣とよぶ所に兵糧を蓄えて、悠々と、孫策の軍勢を待ちかまえていた。
 それより前に、孫策は、兵船数十艘をととのえて、長江に泛かみ出て、舳艫をつらねて溯江して来た。
「オオ、牛渚だ」
「物々しい敵の備え」
「矢風にひるむな。――あの岸へ一せいに襲せろ」
 孫策を始め、子衡、周瑜などの将は、各〻、わが船楼のうえに上って、指揮しはじめた。
 陸地から飛んで来る矢は、まるで陽も晦くなるくらいだった。
 舷を搏つ白浪。
 岸へせまる鬨の声。
「つづけや、我に」
 とばかり早くも孫策は、舳から陸地へ跳び降りて、むらがる敵のうちへ斬って入る。
「御曹司を討たすな」と、他の船からも、続々と、将兵が降りた。また、馬匹が上げられた。
 味方の死骸をこえて、一尺を占め、また死骸をふみこえて、十間の地を占め――そうして次第に全軍は上陸した。
 中でも、その日、目ざましい働きをしたのは孫策軍のうちの黄蓋だった。
 彼は、敵将張英を見つけて、
「ござんなれ」と、奔馬をよせて斬りかけた。
 張英も豪の者、
「なにを」と、喚きあって、力戦したが、黄蓋にはかなわなかった。馬をめぐらして急に味方の中へ逃げこむと、総軍堤の切れたように敗走しだした。
 ところが。
 牛渚の要塞へと逃げて来ると、城門の内部や兵糧庫のあたりから、いちめんの黒煙があがっていた。
「や、や、何事だ」
 張英が、うろたえていると、要塞の内から、味方の兵が、
「裏切者だっ」
「裏切者が火を放った」と、口々にさけびながら煙と共に吐き出されてきた。
 火焔はもう城壁の高さを越えていた。
 張英は、逃げまどう兵をひいて、ぜひなく山岳のほうへ走った。――振りかえれば、勢いに乗った孫策の軍は、おそろしい迅さで追撃して来る。
「いったい何者が裏切りしたのか。いつの間に、孫策の手が味方の内へまわっていたのだろうか?」
 山深く逃げこんだ張英は、兵をまとめて一息つくと共に、何か、魔に襲われたような疑いにつつまれて、敗戦の原因を考えこんでいた。

 孫策の軍は、大勝を博したが、その日の大勝は、孫策にとっても、思いがけない奇捷であった。
「いったい城中よりの火の手をあげて、われに内応したのは何者か」と、いぶかっていると、搦手の山道からおよそ三百人ほどの手下を従えて、鉦鼓をうち鳴らし、旗をかかげ、
「おーい。箭を放つな。おれ達は孫将軍のお味方だ。敵の劉繇の手下と間違えられては困る」
 呶鳴りながら降りてくる一群の兵があった。
 やがてその中から、大将らしい者が二人。
「孫将軍に会わせてくれ」と、先へ進んできた。
 孫策は、近づけて、その二人を見るに、ひとりは、漆を塗ったような黒面に、太くして偉なる鼻ばしらを備え、髯は黄にして、鋭い犬歯一本、大きな唇をかんでいるという――見るからに猛気にみなぎっている漢だった。
 また、もうひとりのほうは、眼朗らかに、眉濃く、背丈すぐれ、四肢暢びやかな大丈夫で、両名とも、孫策の前につくねんと立ち、
「やあ、お初に」
「あなたが孫将軍で」
 と、礼儀もよくわきまえない野人むきだしな挨拶の仕振りである。
「君たちは、一体、誰かね」
 孫策が、訊ねると、大鼻の黒面漢が、先に答えた。
「おれたち二人は、九江潯陽湖に住んでいる湖賊の頭で、自分は公奕といい、ここにいるのは弟分の幼平という奴です」
「ホ、湖賊?」
「湖に船をうかべて住み、出ては揚子江を往来する旅泊の船を襲い、河と湖水を股にかけて稼いできたんでさ」
「わしは良民の味方で、良民を苦しめる賊はすなわち我が敵だ。白昼公然と、わが前に現れたは何の意か」
「いや、実あ今度お前さんがこの地方へ来ると聞いて、弟分の幼平と相談したんでさ。――いつまで俺たちも湖賊でもあるまいとね。それと、孫堅将軍の子ならきっと一かどの者だろう。征伐されちゃあたまらない。それよりいッそ足を洗って、真人間に返ろうじゃねえかというわけで」
「ふム」
 孫策は、苦笑した。そしてその正直さを愛した。
「――それにしても、手ぶらで兵隊の中へ加えておくんなせえといってでるのも智慧がなさ過ぎる。何か一手柄たててそれを土産に家臣に加えてくれといえば待遇もいいだろう。――よかろう。やろうというわけで、一昨日の晩から、牛渚の砦の裏山へ嶮岨をよじて潜りこみ、きょうの戦で、城内の兵があらかた出たお留守へ飛びこみ、中から火をつけて、残っている奴らをみなごろしに片づけてきたという次第なんで……。へい。どんなもんでしょうか御大将。ひとつ、あっしどもを、旗下に加えて使っておくんなさいませんか」
「はっははは」
 孫策は、手をたたいて、傍らにいる周瑜や謀士の二張をかえりみながら、
「どうだ、愉快な奴どもではないか。――しかし、あまり愉快すぎるところもあるから、貴公らの仲間に入れて、すこし武士らしく仕込んでやるがいい」と、いった。
 随身を許されて、二人は、喜色をたたえながら、いかめしい顔を並べている諸将へ向って、
「へい、どうかまあ、これからひとつ、ご昵懇におねがい申します」
 と、仁義を切るようなお辞儀をした。
 一同もふき出した。けれど、当人は大真面目である。のみならず敵の兵糧倉からは兵糧を奪い取ってくるし、附近の小賊や、無頼漢などを呼び集めてきたので、孫策の軍は、たちまち四千以上の兵力になった。

 鉄壁と信じていた防禦線の一の砦が、わずか半日のまに破られたと聞いて、劉繇は、
「一体味方の勢はいたのか、いないのか」と愕然、色を失った。
 そこへ張英が、敗走の兵と共に、霊陵城へ逃げこんで来たから、彼の憤怒はなおさらであった。
「なんの顔容あって、おめおめ生き返ってきたか。手討ちにして、衆人の見せしめにせん」
 とまで息まいたが、諸臣のなだめに、張英はようやく一命を助けられた。
 動揺は甚だしい。
 そこでにわかに霊陵城の守りをかため直し、劉繇みずから陣中に加わって、神亭山の南に司令部をすすめた。
 孫策の兵四千余も、その前日、神亭の山の北がわへ移動していた。
 そこに駐軍してから数日後のこと、孫策は土地の百姓の長をよんで訊ねていた。
「この山には、後漢光武帝の御霊廟があるとか、かねて聞いていたが、今でもその廟はあるのかね」
「へい、御霊廟は残っておりますが、誰も祭る者はございませぬので、いやもうひどく荒れておりまする」
「嶺の上か。そこは」
「頂上よりは下った中腹で、そこへ登りますると、鄱陽湖から揚子江のながれは目の下で、江南江北も一目に見わたされまする」
「明日、われをそこへ案内せい。自身参って、廟を掃い、いささか心ばかりの祭をいたすであろう」
「かしこまりました」
 里長が帰って行った後で、張昭は、彼に諫めた。
「廟の祭をなさるのも結構ですが、戦終った後でなされてもいいでしょう」
「いや、急になにか、詣でたくなった。行かないと気がすまない」
「それはまた、なぜですか」
「ゆうべ夢を見た」
「夢を?」
光武帝がわが枕元に立たれて、招くかと思えば、松籟颯々と、神亭の嶺に、虹のごとき光を曳いて見えなくなった」
「……でも今、山の南には、劉繇が本陣をすすめております。途中もし伏勢にでもお遇い遊ばしたら」
「いやいや、われには神明の加護がある。神の招きによって、神の祭に詣ずるのだ。なんの怖れやあろう」
 次の日。――約束の里長を案内者として、彼は騎馬で山道へ向った。
 随従の輩には、
 程普黄蓋、韓当、蒋欽、周泰などの十三将がつづいた。おのおの槍をさげ戟を横たえ、追々と登りつめて行くほどに、十方の視野はひらけ、雲から雲まで、続く大陸を、長江千里の水は、初めもなく果てもなく、ただ蜿蜒と悠久な姿を見せている。
 それはまた、沿岸いたる所にある無数の湖や沼とどこかでつながっていた。黄土の大陸の十分の一は巨大な水溜りばかりだった。――そのまた土壌の何億分の一くらいな割合に、鳥の糞をこぼしたような部落があった。それの少し多く集まっているのが町である。城内である。
「オオ、此処か」
 廟を仰ぐと、人々は馬を降り、辺りの落葉を掃って、供え物を捧げた。
 孫策は香を焚いて、廟前にぬかずくと、詞をもって、こう祈念した。
「尊神よ。願わくは、わたくしに亡父の遺業を継がせて下さい。不日、江東の地を平定いたしましたら、かならず御廟を再興して、四時怠らず祭をしましょう」
 そして、そこを去ると、彼は、嶺の道を、もとのほうへは戻らずに、南へ向って降りて行こうとするので諸将は驚きあわてて、
「ちがいます。道がちがう。そう参っては、敵地へ降りてしまいますぞ」と、注意した。

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