狂瀾
一
本来、この席へ招かれていいわけであるが、孔明には、玄徳が来たことすら、聞かされていないのである。
以て、周瑜の心に、何がひそんでいるか、察することができる。
「……?」
帳の外から宴席の模様をうかがっていた孔明の気持は、まさにわが最愛の親か子が、猛獣の檻に入っているのをのぞいているような不安さであった。
――が、玄徳は、いかにも心やすげに、周瑜と話しているふうだった。
――ただ、その背後には、剣を把って、守護神の如く突っ立っている関羽が見える。――孔明はそれを見て、
「関羽があれに侍立しているからは……」
と、少し安心して、そっと屋外へ出ると、飄然、江岸にある自分の仮屋のほうへ立ち去った。
よもや、孔明がついこの席の外にたたずんでいるとも知らない玄徳は、周瑜との雑談の末、軍事に及び、ようやく話も打ち解けてきたので、そばにいた魯粛をかえりみて、
「時に、臣下の孔明が、久しくご陣中に留っておるそうですが、ちょうどよい折、これへ呼んでいただけますまいか」と、いってみた。
すると、周瑜がすぐ返事を奪って、
「それは造作もないことだが、どうせ一戦は目前に迫っておること。曹操を破って後、めでたく祝賀の一会という時に、お会いになったらいいではないか」
と、すぐ話をわきへそらし、ふたたび、曹軍を討つ軍略や手配などを、しきりに重ねて云い出した。
関羽は、主君の袂をひいて、うしろからそっと眼くばせした。――そのことに触れないほうがご賢明ですよ、と注意するのであった。玄徳もすぐさとって、
「そうですな。では今日の御杯も、これくらいでお預けしておきましょう。いずれ、曹操を討ち破った上、あらためて祝賀のお慶びに出直すとして――」
と、うまく席を立つ機をつかんで別れた。
余りにあざやかに立たれてしまったので、周瑜もいささかまごついた形だった。実は、玄徳を酔わせ、関羽にも追々酒をすすめて、この堂中を出ぬまに、刺殺してしまおうと、四方に数十人の剣士力者を忍ばせておいたのであった。
それを、つい、うまく座をはずされてしまったので、合図するいとますらなく、周瑜も倉皇と、轅門の外まで見送りに出て、空しく客礼ばかりほどこしてしまった。
駒に乗って、本陣を去ると、玄徳は、関羽以下二十余人の従者を具して、飛ぶが如く、江岸まで急いできた。
――と、水辺の楊柳の蔭から手をあげて、
「ご主君、おつつがもなく、お帰りでしたか」と、呼ぶ人がある。
見れば、懐かしや、孔明ではないか。玄徳は駒の背から飛び降りて、
「おお、孔明か」と、駈け寄り、相抱いて、互いの無事をよろこんだ。
孔明は、その歓びを止めて、
「私の身はいま、その象においては、虎口の危うき中にいますが、しかし安きこと泰山の如しです。決してご心配くださいますな。――むしろこの先とも、お大事を期していただきたいのは、わが君の行動です。来る十一月の二十日は、まさしく甲子にあたります。お忘れなく、その日は、ご麾下趙雲に命じて、軽舸を出し、江の南岸にあって、私を待つようにお備えください。いまは帰らずとも、孔明は必ず東南の風の吹き起る日には帰ります」
「先生、どうして今から、東南の風の吹く日が分りますか」
「十年、隆中の岡に住んでいた間は、毎年のように、春去り、夏を迎え、秋を送り、冬を待ち、長江の水と空ゆく雲をながめ、朝夕の風を測って暮していたようなものですから、それくらいな観測は、ほぼはずれない程度の予見はつきます。――おお、人目にふれないうちに、君には、お急ぎあって」
と、孔明は、主君を船へせきたてると、自分も忽然と、呉の陣営のうちに、姿をかくしてしまった。
二
孔明に別れて、船へ移ると、玄徳はすぐ満帆を張らせて、江をさかのぼって行った。
進むこと五十里ほど、彼方に一群の船団が江上に陣をなしている。近づいて見れば、自分の安否を気づかって迎えにきた張飛と船手の者どもだった。
「おおよくぞ、おつつがなく」
一同は、無事を祝しながら、主君の船を囲んで、夏口へ引揚げた。
玄徳の立ち帰った後――呉の陣中では、周瑜が、掌中の珠を落したような顔をしていた。
魯粛は、意地わるく、わざと彼にこういった。
「どうして都督には、今日の機会を、みすみす逸して、玄徳を生かして帰してしまわれたのですか」
周瑜は自分の不機嫌を、どうしようもない――といったように、
「始終、関羽が玄徳のうしろに立って、此方が杯へやる手にも、眼を離さず睨んでおる。下手をすれば、玄徳を殺さないうちに、こっちが関羽に殺されるだろう。何にしても、あんな猛犬が番についていたんでは、手が出せんさ」
噛んで吐き出すような返事であった。魯粛はむしろ呉のために、彼の計画の失敗したことを歓んでいた。
この事あってからまだ幾日も経たないうちのことである。
「魏の曹操から書簡をたずさえて、江岸まで使者の船が来ましたが?」とのしらせに、
「通せ。――しかし曹操の直書か否か、その書簡から先に示せといえ」
と、周瑜は、帷幕にあって、それを待っていた。
やがて、取次ぎの大将の手から、うやうやしく彼の前へ一書が捧げられた。書簡は皮革をもって封じられ、まぎれもない曹操の親書ではあった。
――けれど周瑜は、一読するや否、面に激色をあらわして、
「使者を逃がすな」と、まず武士に云いつけ、書簡を引き裂いて、立ち上がった。
魯粛が、驚いて、
「都督、なんとされたのです」
と、訊くと、周瑜は、足もとへ破り捨てた書簡の断片を、足でさしながら罵った。
「それを見るがいい。曹賊め、自分のことを、漢大丞相と署名し、周都督に付するなどと、まるで此方を臣下あつかいに認めておる」
「すでに充分、敵性を明らかにしている曹操が、どう無礼をなそうと、怒るには足らないでしょう」
「だから此方も、使者の首を刎ねて、それに答えてやろうというのだ」
「しかし、国と国とが争っても、相互の使いは斬らないというのが、古来の法ではありませんか」
「なんの、戦争に入るに、法があろうか。敵使の首を刎ねて、味方の士気をふるい、敵に威を示すは、むしろ戦陣の慣いだ」
云いすてて帳外へ濶歩して行った。周瑜は、そこへ使者を引き出させて、何か大声で罵っていたが、たちまち剣鳴一戛、首を打ち落して、
「従者。使いの従者。この首はくれてやるから、立ち帰って、曹操に見せろ」と、供の者を追い返した。
そして、直ちに、
「戦備にかかれ」と、水、陸軍へわたって号令した。
甘寧を先手に、蒋欽、韓当を左右の両翼に、夜の四更に兵糧をつかい、五更に船陣を押しすすめ、弩弓、石砲を懸連ねて、「いざ、来れ」と、待ちかまえていた。
果たせるかな曹操は、使者の首を持って逃げ帰ってきた随員の口々から、云々と周瑜の態度を聞きとって、「今は」と、最後の臍をかため、水軍大都督の蔡瑁、張允を召し出して、
「まず、周瑜の陣を破れ、しかる後に、呉の全土を席巻せん」と、いいつけた。
江上は風もなく、四更の波も静かだった。時、建安十三年十一月。荊州降参の大将を船手の先鋒として、魏の大船団は、三江をさして、徐々南下を開始していた。
三
夜は白みかけたが、濃霧のために水路の視野もさえぎられて、魏の艨艟も、呉の大船陣も、互いに、すぐ目前に迫りあうまで、その接近を知り得なかった。
「おうっ、敵の船だっ」
「かかれっ」
突如として、魏の兵船は、押太鼓を打ち鳴らしながら、白波をあげて、呉船の陣列を割ってきた。
時に、呉の旗艦らしい一艘の舳に立って、海龍の盔をいただいた一名の大将が、大音をあげて魏船の操縦のまずさを嘲った。
「荊州の蛙、北国の鼬どもが、人真似して軍船に乗りたる図こそ笑止なれ。水上の戦とは、こうするものだぞ。冥土の土産にわが働きを見て行くがいい」
と、まず船楼に懸け並べた弩弓の弦を一斉に切って放った。
曹軍の都督蔡瑁は、人もなげな敵の豪語に、烈火のごとく怒って自ら舳に行こうとすると、すでに弟の蔡薫が、そこに立って、敵へ云い返していた。
「龍頭の漁夫、名はないのか。われは大都督の舎弟蔡薫だ。遠吠えをやめて、船を寄せてこい。一太刀に斬り落して、魚腹へ葬ってくれるから」
すると、遠くで、
「甘寧を知らないのは、いよいよ水軍の潜りたる証拠だ。腰抜けな荊州蛙の一匹だろう。大江の水は、井の中とはちがうぞ」
罵るやいな、甘寧は自身、石弩の弦を引きしぼって、ぶんと放った。
数箇の石弾は、うなりを立てて飛んで行ったが、その一弾が、蔡薫の面をつぶした。あっと、両手で顔をおおったとき、また一本の矢が、蔡薫の首すじに突っ立ち、姿は真逆さまに、舳を噛む狂瀾の中に呑まれていた。
まだ舷々相摩しもせぬ戦の真先に、弟を討たれて、蔡瑁は心頭に怒気を燃やし、一気に呉の船列を粉砕せよと声をからして、将楼から号令した。
靄はようやくはれて、両軍数千の船は、陣々入り乱れながらも、一艘もあまさず見ることができる。真赤に昇り出ずる陽と反対に、大江の水は逆巻き、咬みあう黒波白浪、さけびあう疾風飛沫、物すさまじい狂濤石矢の大血戦はここに展開された。
蔡瑁を乗せている旗艦を中心として、一隊の縦隊船列は、深く呉軍の中へ進んで行ったが、これは水戦にくらい魏軍の主力を、巧みに呉の甘寧が、味方の包囲形のうちに誘い入れたものであった。
頃を計ると――
たちまち、左岸から韓当の一船隊、右岸から蒋欽の一船群、ふた手に、白い水脈をひきながら、敵の主力を捕捉し、ほとんど、前後左右から、鉄箭石弾の烈風を見舞った。
蕭々、帆は破れ、船は傾き、魏の船団は一つ一つ崩れだした。船上いっぱい、朱となって、船が人力を離れて、波のまにまに漂いだすのを見ると、
「それっ、あれへ」
と、呉の船は、その鋭角を、敵の横腹へぶつけて、たちまち木ッ端微塵とするか、或いは飛び移って、皆殺しとなし、それを焼き払った。
こうして、主力が叩かれたため、後陣の船は、まったく個々にわかれて、岸へ乗りあげてしまうもあるし、拿捕されて旗を降ろすもあるし、そのほかは、帆を逆しまに逃げ出して、さんざんな敗戦に終ってしまった。
甘寧は、鐘鼓を鳴らして、船歌高く引きあげたが、戦がやんでも、黄濁な大江の水には、破船の旗やら、焼けた舵やら、無数の死屍などが、洪水のあとのように流れていた。
そのたくさんな戦死者は、ほとんど魏の将士であった――かくとその日の戦況を耳にした曹操の顔色には、すこぶる穏やかならぬものがあった。
「蔡瑁を呼べ。副都督の張允も呼んでこい」
大喝、何が降るかと、召し呼ばれた二人のみか、侍側の諸将もはらはらしていた。