のら息子

 船が北の岸につくと、また車を陸地に揚げ、簾を垂れて二夫人をかくし、ふたたび蕭々の風と渺々の草原をぬう旅はつづいてゆく。
 そうした幾日目かである。
 彼方からひとりの騎馬の旅客が近づいてきた。見れば何と、汝南で別れたきりの孫乾ではないか。
 互いに奇遇を祝して、まず関羽からたずねた。
「かねての約束、どこかでお迎えがあろうと、ここへ参るまでも案じていたが、さてかく手間どったのはどうしたわけです」
「実は、袁紹の帷幕にいろいろ内紛が起って、そのために、汝南劉辟龔都のむねをおびて河北へ使いしたてまえの計画が、みな喰いちがってしまったのです。――さもなければ、袁紹を説き伏せて劉皇叔汝南に派遣するように仕向け、てまえは途中にご一行を待って、ご対面のことを計るつもりでしたが」
「では、劉皇叔には、ともあれご無事に、いまも袁紹の許においで遊ばすか」
「いや、いや。つい二、三日ほど前、てまえが行って、ひそかに諜しあわせ、河北を脱出あそばして汝南へさして落ちて行かれた」
「して、その後のご安否は」
「まだ知れぬが、――一方、貴殿とのお約束もあり、二夫人のお身の上も心がかりなので、とりあえず、てまえはこの道をいそいできた次第です。――将軍もお車も、このまま何も知らずに河北へ行かれたら、みずから檻の中へはいってゆくようなもの。危険は目前にあります。すぐ道をかえて、汝南へ向けておいそぎ下さい」
「よくぞ知らせてくれた。しからば劉皇叔だにおつつがなくのがれ遊ばせば、汝南において、ご対面がかなうわけだな」
「そうです。玄徳様にも、どれほどお待ちかわかりません。何しろ、河北の陣中におられるうちには、たえず周囲の白眼視をうけ、袁紹には、二度まで斬られようとしたことさえおありだった由ですから」と、なお玄徳のきょうまでの隠忍艱苦のかずかずを物語ると、簾の裡で聞いていた二夫人もすすり泣き、関羽も思わず落涙した。
「そうだ。心せねばならん。汝南はもう近いが、何事も、もう一歩という手まえで、心もゆるみ、思わぬ邪げも起るものだ。――孫乾、道の案内に先へ立ち給え」
 関羽は、自分を戒めるとともに、扈従の人々へも、おしえたのである。
「心得申した」
 急に、道をかえて、汝南の空をのぞんで急ぐ。
 すると、行くことまだ遠くもないうちであった。うしろのほうから馬煙あげて追っかけてくる三百騎ほどな軍隊があった。たちまち追いつかれたので、関羽は、孫乾に車を守らせ、一騎引っ返して待ちかまえた。
 まっ先に躍ってくる馬上の大将を見ると、片眼がつぶれている。さてこそ、曹操の第一の大将夏侯惇よなと、関羽も満身を総毛だてて青龍刀を構え直していた。
「やあ、いるは関羽か」
 夏侯惇から呼ばわると、
「見るが如し」
 と、関羽はうそぶいた。
 虎をみれば龍は怒り、龍を見れば虎はただちに吠える。双方とも間髪をいれない殺気と殺気であった。
「汝みだりに、五関を破り、六将を殺し、しかもわが部下の秦琪まで斬ったと聞く。つつしんで首をわたすか、しからずんば、おれの与える縛をうけよ」
 聞くと、関羽は大笑して、それに答えた。
「その以前、座談のなかではあったが、われ帰らんとする日、もしさえぎるものあれば、一々殺戮して、屍山血河を渉っても帰るであろうと――曹丞相と語ってゆるされたことがある――いまそを履行してあるくのみ。貴公もまた、関羽のために、血の餞別にやってきたか」

「あな、面憎や。天下、人もなげなる大言を、吐ざきおる奴」
 夏侯惇は、片眼をむいて、すばらしく怒った。
 はやくも彼のくりのばした魚骨鎗は、ひらりと関羽の長髯をかすめた。
 戛然――。関羽の偃月の柄と交叉して、いずれかが折れたかと思われた。逸駿赤兎馬は、主人とともに戦うように、わっと、口をあいて悍気をふるい立てる。
 十合、二十合、彼の鎗と、彼の薙刀とは閃々烈々、火のにおいがするばかり戦った。
 ところへ、彼方から、
「待たれよ! 双方戦いは止めたまえ」
 と、声をからして叫びながらかけてくる一騎の人があった。曹操の急使だったのである。
 来るやいな、馬上のまま、丞相直筆の告文を出して、
「羽将軍の忠義をあわれみ、関所渡口すべてつつがなく通してやれとのおことばでござる。御直書かくの如し」と、早口にいって制したが、夏侯惇はそれを見ようともせず、
「丞相は、関羽が六将を殺し、五関を破った狼藉を知ってのことか」
 と、かえって詰問した。
 告文はそれより前に、相府から下げられたものであると、使者が答えると、
「それ見ろ。ご存じならば、告文など発せられるわけはない。いでこの上は、彼奴を生擒って都へさし立て、そのうえで丞相のお沙汰をうけよう」
 豪気無双な大将だけに、あくまで関羽をこのまま見のがそうとはしなかった。
 なお、人まぜもせず、両雄は闘っていた。すると二度目の早馬が馳けてきて、
「両将軍、武器をおひきなされ。丞相のお旨でござるぞ」
 と、さけんだ。
 夏侯惇は、すこしも鎗の手を休めずに、
「待てとは、生擒れという仰せだろう。分ってる分ってる」と、どなった。
 近づき難いので、早馬の使者は遠くをめぐりながら、
「さにあらず、道中の関々にて、割符を持たねば、通さぬは必定、かならず所々にて、難儀やしつらんと、後にて思い出され、次々と三度までの告文を発せられました」
 大声でいったが、夏侯惇は耳もかさない。関羽も強いて彼の諒解を乞おうとはしない。
 馬もつかれ、さすがに、人もつかれかけた頃である。また一騎、ここへ来るやいな、
夏侯惇! 強情もいいかげんにしろ、丞相のご命令にそむく気か」
 と、叱咤した人がある。
 それも許都からいそぎ下ってきた早馬の一名、張遼であった。
 夏侯惇は、初めて、駒を退き、満面に大汗を、ぽとぽとこぼしながら、
「やあ、君まで来たのか」
「丞相には一方ならぬご心配だ……貴公のごとき強情者もおるから」
「なにが心配?」
「東嶺関の孔秀関羽を阻めて斬られた由を聞かれ、さて、わが失念の罪、もし行く行く同様な事件が起きたら、諸所の太守をあだに死なすであろうと――にわかに告文を発しられ、二度まで早打ちを立てられたが、なおご心配のあまり、それがしを派遣された次第である」
「どうしてさようにご愍情をかけられるのやら」
「君も、関羽のごとく、忠節を励みたまえ」
「やわか、彼ごときに、劣るものか」
 と、負けず嫌いに、唾をはきちらして、なお憤々と云いやまなかった。
関羽に殺された秦琪は、猿臂将軍蔡陽の甥で、特に蔡陽が、おれを見込んで、頼むといってあずけられた部下だ。その部下を討たれて、なんでおれが……」
「まあ待て。その蔡陽へは、それがしから充分にはなしておく。ともあれ、丞相の命を奉じたまえ」
 なだめられて、夏侯惇もついに渋々、軍兵を収めて帰った。

 張遼はあとに残って、関羽へ、
「にわかに道をかえられ、いったいどこへ行くおつもりか」と、解せぬ顔できいた。
 関羽は、あからさまに、
「玄徳の君には、袁紹のもとを脱し、もうそこには居給わぬと途中で聞いたもので」
「おう、そうですか。もしかの君の所在が、どうしても知れなかったら、ふたたび都へかえって、丞相の恩遇をうけられたがいい」
「武人一歩を踏む。なんでまた一歩をかえしましょうや。舌をうごかすのさえ、一言金鉄の如しというではありませんか。――もしご所在の知れぬときは、天下をあまねく巡ってもお会いするつもりでござる」
 張遼は黙々と都へ帰った。別れる折、関羽は言伝てに、曹操の信義を謝し、また大切な部下を殺めたことを詫びた。
 孫乾に守られて、車はもう先へ行っていた。しかし赤兎馬の脚で追いつくことは容易であった。
 さきの車も、あとの彼も、冷たい通り雨にあって濡れた。――
 で、その晩、泊めてもらった民家の炉で、人々は衣類を火にかざし合った。
 ここの主は、郭常という人の良さそうな人物だった。羊を屠って焙り肉にしたり、酒を温めて、一同をなぐさめたりしてくれた。
 田舎家ながら後堂もある。
 二夫人はそこにやすんだ。
 衣服も乾いたので、関羽孫乾は、屋外へ出て、馬に秣を飼ったり、扈従の歩卒たちにも、酒をわけてやったりしていた。
 ――と。この家の塀の外から、狐のような疑い深い眼をした若者が、しきりに覗いていたが、やがて無遠慮に入ってきて、
「なんだい、今夜の厄介者は」と、大声で云い放っていた。
「しっ……。高貴なお客人にたいして、なんたる云いぐさだ。ばか」
 主の郭常はたしなめていたが、あとでその若者のいない折、炉辺を囲みながら、涙をながして、関羽孫乾に愚痴をこぼした。
「さきほどのがさつ者は、実は、伜でございますが、あのとおり明け暮れ狩猟ばかりして、少しも農耕や学問はいたしません。どうも手におえない困り者で」
「なに、そう見限ったものでもないよ。狩猟も武のひとつ、儒学や家事の手伝いも、いまに励みだそうし」
 ふたりが、慰めてやると、
「いえいえ狩猟だけなら、まだようございますが、村のあぶれ者とばくちはするし、酒、女、何でも止めどのない奴ですから。……時には、わが子ながら、あいそが尽きることも、一度や二度ではございません」
 その晩、みな寝しずまってから、一つの事件が起った。
 五、六人の悪党が忍びこんで、厩の赤兎馬を盗みだそうとしたところ、悍気のつよい馬なので、なかの一人が跳ねとばされたらしく、その物音に、みな眼をさまして大騒ぎとなったのだった。
 しかも、孫乾や、車の扈従たちが包囲して捕まえてみると、その中のひとりは宵にちらと見たこの家ののら息子だった。数つなぎに縛りあげて、
「斬ってしまえ」
 と、孫乾が息まいているとき、主の郭常は、関羽のところに慟哭しながら転げこんできた。
「お慈悲です。あんな出来損いではございますが、てまえの老妻には、あれがいなくては、生きがいもないくらい、可愛がっている奴でございます。どうぞお慈悲をもって、あれの一命だけは」
 と、十ぺんも莚へ額をすりつけて詫びた。
 関羽の一言で、泥棒たちは、放された。
 郭常夫婦はわが子の恩人と、あくる朝も、首をならべて百拝した。
「こんな良い親をもちながら、勿体ないことを知らぬ息子だ。これへ呼んでくるがいい、置き土産にそれがしが訓戒を加えてやろう」
 関羽のことばに、老夫婦はよろこんで連れに行ったが、のら息子は、家の中にいなかった。召使いのことばによると、早暁また悪友五、六人と組んで何処へともなく、出かけてしまったということであった。

 翌日の道は、山岳にはいった。
 ひとつの峠へきた時である。百人ばかりの手下をつれた山賊の大将が、馬上から、
「おれは黄巾の残党、大方裴元紹というものだ。この山中を無事に越えたいと思うなら、その赤兎馬をくれてゆけ」
 と、道のまん中をふさいで名乗った。おかしさに、関羽は自分の髯を左の手ににぎって見せ、
「これを知らぬか」と、ただ云った。
 すると、裴元紹は、はっとした容子で、
「髯長く、面赤く、眼の切れのびやかな大将こそ、関羽というなりとは、噂だけに聞いていたが……もしやその関羽は?」
「そちの眼のまえにいる者だ」
「あっ、さては」
 驚いて馬から跳び下りたと思うと、裴元紹は、ふいに後ろの手下の中から、ひとりの若者を引きずりだして、その髻をつかむやいな、大地へねじ伏せた。
 関羽には、何をするのか、彼の意志がわからなかった。
「羽将軍、この青二才にお見覚えありませんか、麓に住む郭常のせがれで……」
「おお、あののら息子か」
「実は、てまえの山寨へきて、きょう峠へかかる旅客は天下無双の名馬、赤兎馬というのにまたがっている。金も持っている。女もつれている。そう告げにきて、儲けの分け前を求めました。……こういっては、賊のくせに、口ぎれいなことをと、おわらいでしょうが、金銀や女などに、そう目をくれる自分ではありません。しかし天下の名駿と聞いては見のがせない気がしました。羽将軍とは思いもよらなかったために……」
「それで読めた。その息子は、昨夜から此方の馬を狙っていたのだ。だが、力が足らないので、そちの山寨へケシかけに行ったものと見える」
「太え奴」と、裴元紹は、のど首を締めつけて、いきなり短剣でその首を掻き落そうとした。
「あ。待て、待て、その息子を、殺してはならん」
「なぜですか。せっかく、こいつの首を献じて、お詫びを申そうとするのに」
「放してやってくれい。そののら息子には、老いたる両親がある。またその両親には二夫人以下われわれどもが、一夜の恩をこうむっておれば……」
「ああ、あなた様は、やはり噂に聞いていた通りの羽将軍でした」
 そういうと、裴元紹は、のら息子の襟がみをつかんで、道ばたへほうり出した、のら息子は、生命からがら、谷底へ逃げこんだ。
 関羽は、山賊の将たる彼が、いちいち自分に推服の声をもらしているので、どうして自分を知っているかと問いただした。
 裴元紹は、答えて、
「ここから二十里ほど先の臥牛山河南省・開封附近)に、関西の周倉という人物が棲んでいます。板肋虬髯、左右の手によく千斤をあぐ――という豪傑ですが、この者が、将軍をお慕いしていることは、ひと通りではありません」
「いかなる素姓の人か」
「もと黄巾の張宝に従っていましたが、いまは山林にかくれて、ただ将軍の威名を慕い、いつかは拝姿の日もあろうにと、常々、その周倉からてまえもお噂を聞かされていたのです」
「山林のなかにも、そんな人物がおるか。そちも周倉に昵懇なれば、邪を抑え、正をふるい、明らかな人道を大歩して生きたらどうだ」
 裴元紹は、つつしんで、改心をちかった。そして山中の道案内をつとめて、およそ十数里すすむと、かなたの地上、黒々と坐して拝跪している一団の人間がある。
 近づいてみると、中にも一人の大将は、路傍にうずくまって、関羽孫乾、車のわだちへ、拝礼を施していた。
 裴元紹は、馬をとどめて、
「羽将軍、そこにお迎えしておるのが、関西の周倉です。どうかお声をかけてあげて下さい」
 と、彼の注意を求めた。

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