柑子と牡丹

 呉に年々の貢ぎ物をちかわせて来たことは、遠征魏軍にとって、何はともあれ、赫々たる大戦果といえる。まして、漢中の地が、新たに魏の版図に加えられたので、都府の百官は、曹操を尊んで、「魏王の位に即いていただこうじゃないか」と、寄々、議していた。
 侍中の王粲は、曹操の徳を頌した長詩を賦って、これを侍側の手から彼に見せたりした。
「そう皆がいうなら……」
 と、曹操も王位に昇ろうという色を示していた。ところが諸人の議場で、尚書の崔琰が、
「ご無用になさい。そんなばかなことをおすすめするのは」と、媚態派の人々を諫めた。
 諸官は怒って、
「ばかなこととはなんだ。貴様も丞相から睨まれて、荀彧荀攸みたいな終りを遂げたいのか」
 崔琰も、負けていずに、
「およそ、媚びへつらう輩ほど、主を害するものはない。むかしから君を亡ぼす者は、敵でなくて――」
「何だと」
 大喧嘩になった。
 曹操の耳に聞えた。もちろん媚態派の佞臣からである。曹操は憤怒して、
「舌でも噛め」と、獄へほうり込ませた。
 崔琰は、曳かれながらも、
「漢の天下を奪う逆賊は、ついに曹操ときまった」
 と、大声で罵りちらした。
 それを聞くと曹操は、さっそく廷尉に命じて、
「やかましいから黙らせろ」と、いいつけた。
 崔琰の声はもう聞えなくなった。廷尉が棒をもって獄中で打ち殺してしまったのである。
 建安二十一年五月。もろもろの官吏軍臣は、帝に奏して、詔を仰いだ。

――魏公曹操、功高ク、徳ハ宏大ニシテ、天ヲ極メ、地ヲ際ル。伊尹ノ周公モ及バザルコト遠シ。ヨロシク王位ニススメ、魏王ノ位ヲ賜ワランコトヲ。

 と、いうのである。
 帝はやむなく、鍾繇に詔書の起草を命じ、すなわち曹操を冊立して、魏王に封じ給うた。
 詔に接すると、曹操は固辞して、辞退の意を上書する。帝はまた、かさねて別の一詔をおくだしになる。そこで初めて、
「聖命もだし難ければ」
 と、曹操は王位をうけた。
 十二旒の冠、金銀の乗用車、すべて天子の儀を倣い、出入には警蹕して、ここに彼の満悦なすがたが見られた。
 さっそく、鄴都には、魏王宮が造営された。ここにはすでに玄武池がある。曹操の親衛隊は、ここで船術を練り、弓馬を調練していた。雄大な魏王宮は、玄武池のさざ波に映じて、この世のものと思えなかった。
 曹操には四人の子がある。みな男子だった。曹丕曹彰曹植曹熊の順だ。けれども大妻丁夫人の子ではなかった。側室から出た者ばかりである。
 このうちで、曹操が、(わが世嗣は、彼に)と、ひそかに思っていたのは三番目の曹植だった。曹植は子建と字し、幼少から詩文の才に長け、頭脳はあきらかで、また甚だ上品な風姿をもっている。
 嫡男の曹丕は、
(……怪しからん)と、不満に思った。曹家は自分が嗣ぐべきであるときめているからだ。中大夫の賈詡をそっと招いて、何かと相談した。
「……こうなさいませ」
 賈詡はささやいた。その後、曹操が遠い軍旅に立つ時がきた。三男曹植は、詩を賦して、父との別れを惜しんだ。
 だが曹丕は、賈詡にいわれたとおり、ただ城外まで見送りに立って、涙をふくみ、黙然、父が前を通るとき、眸をこらして見送った。
 曹操は、あとで考えた。
「詩は巧み、玉の字をつらねているが、曹植のその才よりも、曹丕の無言のほうが、もっと大きな真情をもっているのじゃないかな?」
 それから彼の子をみる眼がまたすこし変った。

 曹丕はその後も、父曹操の近習たちへ、特に目をかけて、金銀を与えたり、徳を施したり、歓心を得ることにぬかりなく努めたので、
「ご嫡男にはもう仁君の徳を自然に備えておいで遊ばされる」
 と、もっぱら彼の評判はよかった。
 曹操もやがて、すでに魏王の位にも昇ると世嗣のことが、彼の意中にさし迫る問題となっていた。そこである時、思いあまって、賈詡を召した。
「――曹丕をあとに立てるべきだろうか。それとも曹植がよかろうか」
 賈詡は、黙然たるままで、敢て明答を欲しないような顔色だった。が、再三、曹操から問われるに及んで、ただこう答えた。
「それは、私にお質しあるよりは、さきに亡んだ袁紹だの劉表などがよいお手本ではありませんか」
 劉表袁紹も、世子問題では、大きな内政の癌を作っている。いずれも正統の嫡男を立てていない。曹操は大いに笑い、
「いや、そうか。人間というものは、案外、分りきっていることに分別を迷うものだ。はははは、よし、よし」
 心は決したのである。その後間もなく、
 ――嫡子曹丕ヲ以テ我ガ王世子ト定ム
 と、発表した。
 冬十月。魏王宮の大土木も竣工した。その完成を祝う祝宴のため、府から諸州へ人を派して、
「各州、おのおの、特色ある土産の名物菓木珍味を、何くれとなく献上して、賀を表し候え」
 と布達した。
 呉の福建は、茘枝と龍眼の優品を産し、温州は柑子(蜜柑)の美味天下に有名である。魏王の令旨とあって、呉では温州柑子四十荷を、はるばる人夫に担わせて都へ送った。
 舟行馬背、また人の背、四十荷の柑子は、ようやく、鄴都の途中まできた。そしてある山中で、その人夫の一隊が荷をおろして休んでいると、そこへ忽然と、片目は眇、片足はびっこという奇異な老人がやってきて話しかけた。
「ご苦労さまだな。みな疲れたろうに」
 片輪の老人は、白い藤の花を冠にさし、青い色の衣を着ていた。
 人夫のひとりが冗談にいった。
「爺さん。助けてくれ。これからまだ千里もあるんだ」
「よしよし」
 老人は本気になって、一人の人夫の荷を担った。そして数百人のほかの仲間へ、
「おぬしらの荷は、みなわしが担ってやるぞ。わしのおる限り空身も同様じゃ。さあ続いてこい」
 風のように先へ走りだした。
 一荷でも失っては大変と、あとの者は、あわてて続いた。ところが、老人のいったとおり、荷を担いでも、ほんとうに身軽のようで、少しも重さを感じないので、疑い怪しまぬ者はなかった。
 別れ際に、人夫の宰領が、老人に素性をたずねた。老人は、答えていう。
「わしは、魏王曹操とは、同郷の友で、左慈、字を玄放といい、道号は、烏角先生とも呼ばれておる。曹操に会ったら、話してごらん。覚えているかもしれないから」
 やがて鄴都の魏王宮に着いた。温州柑子が届いたと聞いて、曹操は久しくその甘味を忘れていたので、歓んで早速、大いなる一箇を盆から取って割った。ところが、柑子の実は空だった。怪しみながら三つ四つ取って裂いてみたが、どれもみな殻ばかりで空しい。
「呉の奉行を質してみろ。これは何故かと」
 奉行は調べられてもただ慄くばかりで、その何故かを知らなかった。ただ思い当ることとして、途中、左慈という奇異な老人に出会ったことを語った。曹操は聞いて、
「はてな?」と、首を傾けている。同郷の友といえば少年時代のことだ。あまりに渺として思い出すに骨が折れるらしい。
 ところへ、王宮の門へ、
「大王にお目にかかりたい」
 といってきた一老人があるという。召し入れて見れば、その左慈だった。曹操は、彼を見るや否や、柑子の科を責めた。すると、左慈は一、二本しかない前歯を出して笑いながら、
「そんな筈はない。どれどれ」
 と、自身で柑子を取って割ってみせた。芳香の高い果肉は彼の掌から甘い雫をこぼした。

「大王。まあこの柑子を一つ、召上がってごらんなさい。いま木からもいだように水々としていますから」
 曹操は、驚いたが、油断ならずと思ったか、左慈に向って、
「まず、毒味をせよ」と、いった。
 左慈は笑って、
「柑子の美味を満喫するなら、てまえは一山の柑子の樹の実を、みな喰べなければおさまりません。ねがわくは、酒と肉をいただきたいもので、柑子は口直しに後でいただきます」と、答えた。
 酒五斗に、大きな羊を、丸焼きのまま銀盤に供えて喰わせた。左慈は、ぺろんと平げて、まだ物足らない顔していた。
「これは凡人でない」
 と思ったか、曹操も、やや辞をやわらげて、ご辺は、仙術でも得た者ではないかとたずねた。
 左慈は、答えて、
「郷を出てから、西川嘉陵へさまよい、峨眉山中に入って、道を学ぶこと三十年。いささか雲体風身の術を悟り、身を変じ、剣を飛ばし、人の首を獲ることなど今はいと易きまでになり得ました。ところで、大王の今日を見るに、はや人臣の最高をきわめ、これ以上の人慾は、人間の地上では望むこともないでしょう。――どうじゃな、ここでひとつ、一転して身を官途から退き、この左慈の弟子となって、ともに峨眉山に入って、無限に生きる修行をなさらんか」
「……ふむ。それも一理ある言だな。しかし、まだ天下はほんとに治まっていないし、朝廷におかれても、この曹操にかわって、扶翼し奉る人がおらぬ。朝野の安危を見とどけずに、身ひとつ閑地に楽しむのは、曹操の心にそむくことだ」
「その辺は、ご心配ないでしょう。劉玄徳は、天子の宗親。彼にまかせれば、大王がおられるよりも、万民は安んじ、朝廷もご安心になろう」
 見る見るうちに曹操の顔は激色に焦きただれた。老来、これほど露骨に青すじを立てたことは珍しい。
「よく吐ざいた左慈。果たして汝は劉玄徳の廻し者であったことよ」
 有無をいわせず、武士たちは左慈を縛めて、獄へほうりこんだ。数十名の獄卒は、かわるがわるに左慈を拷問した。酷烈な拷問のたび獄庭に聞えるのは、左慈の笑い声だった。
「この上は眠らせるな」
 鉄の枷で、首をはめて両の足首を鎖で縛り、そして牢屋の柱に立縛りに立たせておいた。
 ところが、すこし時経つと、すぐこころよげな高鼾が洩れてくる。怪しんで覗いてみると、鎖も鉄の枷もこなごなに解きすて、左慈は、悠々と身を横にしていた。
 曹操は、聞いて、
水を与えるな」と、一切の摂り物を禁じた。しかし七日たっても十日経っても、左慈の血色は衰えるどころか、かえって日々元気になってゆく。
「いったい、汝は魔か人間か」
 ついに、獄から出して、曹操がたずねると、左慈は、呵々と哄笑して、
「一日に千疋の羊をべても飽くことは知らないし、十年喰わずにいても飢えることは決してない。そういう人間をつかまえて、大王のしていることは、まったく天に向って唾するようなものですよ」
 魏王宮落成の大宴の日が来た。国々の美味、山海の珍味、調わざるなく、参来の武人百官は、雲か虹のごとく、魏王宮の一殿を埋めた。
 ときに、高い木履をはいて、藤の花を冠にさした乞のような老人が、場所もあろうに、宴の中へ突忽として立ち、
「やあ、お揃いだね」
 と、なれなれしく諸官を見まわした。
 曹操は、きょうこそこの曲者を、困らしてやろうと考え、また客の座興にもしてやろうと、
「こら、招かざる客。汝は、きょうの賀に、何を献じたか」
 と、いった。左慈は、直ちに、
「されば、季節は冬、百味の珍饌あるも、一花の薫色もないのは、淋しくありませんか。左慈は、卓の花を献じようと思います」
「花なら牡丹が欲しい。即座に、そこの大花瓶に、牡丹を咲かせてみよ」
「てまえも、そう思っていました」
 左慈は、ぷっと、唇から水を噴いた。嬋娟たる牡丹の大輪が、とたんに花瓶の口にゆらゆら咲いた。

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