義盟

 桃園へ行ってみると、関羽張飛のふたりは、近所の男を雇ってきて、園内の中央に、もう祭壇を作っていた。
 壇の四方には、笹竹を建て、清縄をめぐらして金紙銀箋の華をつらね、土製の白馬を贄にして天を祭り、烏牛を屠ったことにして、地神を祠った。
「やあ、おはよう」
 劉備が声をかけると、
「おお、お目ざめか」
 張飛関羽は、振向いた。
「見事に祭壇ができましたなあ。寝る間はなかったでしょう」
「いや、張飛が、興奮して、寝てから話しかけるので、ちっとも眠る間はありませんでしたよ」
 と、関羽は笑った。
 張飛劉備のそばへきて、
「祭壇だけは立派にできたが、酒はあるだろうか」
 心配して訊ねた。
「いや、母が何とかしてくれるそうです。今日は、一生一度の祝いだといっていますから」
「そうか、それで安心した。しかし劉兄、いいおっ母さんだな。ゆうべからそばで見ていても、羨しくてならない」
「そうです。自分で自分の母を褒めるのもへんですが、子に優しく世に強い母です」
「気品がある、どこか」
「失礼だが、劉兄には、まだ夫人はないようだな」
「ありません」
「はやくひとり娶らないと、母上がなんでもやっている様子だが、あのお年で、お気の毒ではないか」
「…………」
 劉備は、そんなことを訊かれたので、またふと、忘れていた鴻芙蓉の佳麗なすがたを思い出してしまった。
 で、つい答えを忘れて、何となく眼をあげると、眼の前へ、白桃の花びらが、霏々と情あるもののように散ってきた。
劉備や。皆さんも、もうお支度はよろしいのですか」
 厨に見えなかった母が、いつの間にか、三名の後ろにきて告げた。
 三名が、いつでもと答えると、母はまた、いそいそと厨房のほうへ去った。
 近隣の人手を借りてきたのであろう。きのう張飛の姿を見て、きゃっと魂消て逃げた娘も、その娘の恋人の隣家の息子も、ほかの家族も、大勢して手伝いにきた。
 やがて、まず一人では持てないような酒瓶が祭壇の莚へ運ばれてきた。
 それから豚の仔を丸ごと油で煮たのや、山羊の吸物の鍋や、干菜を牛酪で煮つけた物だの、年数のかかった漬物だの――運ばれてくるごとに、三名は、その豪華な珍味の鉢や大皿に眼を奪われた。
 劉備さえ、心のうちで、
「これは一体、どうしたことだろう」と、母の算段を心配していた。
 そのうちにまた、村長の家から、花梨の立派な卓と椅子がかつがれてきた。
「大饗宴だな」
 張飛は、子どものように、歓喜した。
 準備ができると、手伝いの者は皆、母屋へ退がってしまった。
 三名は、
「では」
 と、眼を見合せて、祭壇の前の蓆へ坐った。そして天地の神へ、
「われらの大望を成就させ給え」
 と、祈念しかけると、関羽が、
「ご両所。少し待ってくれ」
 と、なにか改まっていった。

「ここの祭壇の前に坐ると同時に、自分はふと、こんな考えを呼び起されたが、両公の所存はどんなものだろうか」
 関羽は、そう云いだして、劉備張飛へ、こう相談した。
 すべて物事は、体を基とする。体形を整えていないことに成功はあり得ない。
 偶然、自分たち三人は、その精神において、合致を見、きょうを出発として大事をなそうとするものであるが、三つの者が寄り合っただけでは、体をなしていない。
 今は、小なる三人ではあるが、理想は遠大である。三体一心の体を整えおくべきではあるまいか。
 事の中途で、仲間割れなど、よくある例である。そういう結果へ到達させてはならない。神のみ祷り、神のみ祀っても、人事を尽さずして、大望の成就はあり得べくもあるまい。
 関羽の説くところは、道理であったが、さてどういう体を備えるかとなると、張飛にも劉備にもさし当ってなんの考えもなかった。
 関羽は、語をつづけて、
「まだ兵はおろか、兵器も金も一頭の馬すら持たないが、三名でも、ここで義盟を結べば、即座に一つの軍である。軍には将がなければならず、武士には主君がなければならぬ。行動の中心に正義と報国を奉じ、個々の中心に、主君を持たないでは、それは徒党の乱に終り、烏合の衆と化してしまう。――張飛もこの関羽も、今日まで、草田に隠れて時を待っていたのは、実に、その中心たるお人が容易にないためだった。折ふし劉備玄徳という、しかも血統の正しいお方に会ったのが、急速に、今日の義盟の会となったのであるから、今日ただいま、ここで劉備玄徳どのを、自分らの主君と仰ぎたいと思うが、張飛、おまえの考えはどうだ」
 訊くと、張飛も、手を打って、
「いや、それは拙者も考えていたところだ。いかにも、兄のいう通り、きめるならば、今ここで、神に祷るまえに、神へ誓ったほうがよい」
「玄徳様、ふたりの熱望です。ご承知くださるまいか」
 左右から詰めよられて、劉備玄徳は、黙然と考えていたが、
「待って下さい」
 と、二人の意気ごみを抑え、なおややしばらく沈思してから、身を正していった。
「なるほど、自分は漢の宗室のゆかりの者で、そうした系図からいえば、主たる位置に坐るべきでしょうが、生来鈍愚、久しく田舎の裡にひそみ、まだなにも各〻の上に立って主君たるの修養も徳も積んでおりませぬ。どうか今しばらく待って下さい」
「待ってくれと仰っしゃるのは」
「実際に当って、徳を積み、身を修め、果たして主君となるの資才がありや否や、それを自身もあなたたちも見届けてから約束しても、遅くないと思われますから」
「いや。それはもう、われわれが見届けてあるところです」
「左はいえ、私はなお、憚られます。――ではこうしましょう。君臣の誓いは、われわれが一国一城を持った上として、ここでは、三人義兄弟の約束を結んでおくことにして下さい。君臣となって後も、なお三人は、末永く義兄弟であるという約束をむしろ私はしておきたいのですが」
「うむ」
 関羽は、長い髯を持って、自分の顔を引っぱるように大きくうなずいた。
「結構だ。張飛、おぬしは」
「異論はない」
 改めて三名は、祭壇へ向って牛血と酒をそそぎ、ぬかずいて、天地の神祇に黙祷をささげた。

 年齢からいえば、関羽がいちばん年上であり、次が劉備、その次が張飛という順になるのであるが、義約のうえの義兄弟だから年順をふむ必要はないとあって、「長兄には、どうか、あなたがなって下さい。それでないと、張飛の我ままにも、おさえが利きませんから」と、関羽がいった。
 張飛も、ともども、
「それは是非、そうありたい。いやだといっても、二人して、長兄長兄と崇めてしまうからいい」
 劉備は強いて拒まなかった。そこで三名は、鼎座して、将来の理想をのべ、刎頸の誓いをかため、やがて壇をさがって桃下の卓を囲んだ。
「では、永く」
「変るまいぞ」
「変らじ」
 と、兄弟の杯を交わし、そして、三人一体、協力して国家に報じ、下万民の塗炭の苦を救うをもって、大丈夫の生涯とせんと申し合った。
 張飛は、すこし酔うてきたとみえて、声を大にし、杯を高く挙げて、
「ああ、こんな吉日はない。実に愉快だ。再び天にいう。われらここにあるの三名。同年同月同日に生まるるを希わず、願わくば同年同月同日に死なん」
 と、呶鳴った。そして、
「飲もう。大いに、きょうは飲もう――ではありませんか」
 などと、劉備の杯へも、やたらに酒をついだ。そうかと思うと、自分の頭を、ひとりで叩きながら、「愉快だ。実に愉快だ」と、子供みたいにさけんだ。
 あまり彼の酒が、上機嫌に発しすぎる傾きが見えたので、関羽は、
「おいおい、張飛。今日のことを、そんなに歓喜してしまっては、先の歓びは、どうするのだ。今日は、われら三名の義盟ができただけで、大事の成功不成功は、これから後のことじゃないか。少し有頂天になるのが早すぎるぞ」と、たしなめた。
 だが、一たん上機嫌に昇ってしまうと、張飛の機嫌は、なかなか水をかけても醒めない。関羽の生真面目を、手を打って笑いながら、
「わはははは、今日かぎり、もう村夫子は廃業したはずじゃないか。お互いに軍人だ。これからは天空海闊に、豪放磊落に、武人らしく交際おうぜ。なあ長兄」
 と、劉備へも、すぐ馴々といって、肩を抱いたりした。
「そうだ。そうだ」と、劉備玄徳は、にこにこ笑って、張飛のなすがままになっていた。
 張飛は、牛の如く飲み、馬のごとく喰ってから、
「そうそう。ここの席に、劉母公がいないという法はない。われわれ三人、兄弟の杯をしたからには、俺にとっても、尊敬すべきおっ母さんだ。――ひとつおっ母さんをこれへ連れてきて、乾杯しなおそう」
 急に、そんなことを云いだすと、張飛はふらふら母屋のほうへ馳けて行った。そしてやがて、劉母公を、無理に、自分の背中へ負って、ひょろひょろ戻ってきた。
「さあ、おっ母さんを、連れてきたぞ。どうだ、俺は親孝行だろう――さあおっ母さん、大いに祝って下さい。われわれ孝行息子が三人も揃いましたからね――いやこれは、独りおっ母さんにとって祝すべき孝行息子であるのみではない。支那の――国家にとってもだ、われわれこう三名は得がたい忠良息子ではあるまいか――そうだ、おっ母さんの孝行息子万歳、国家の忠良息子万歳っ」
 そしてやがて、こう三人の中では、酒に対しても一番の誠実息子たるその張飛が、まっ先に酔いつぶれて、桃花の下に大いびきで寝てしまい、夜露の降りるころまで、眼を醒まさなかった。

 大丈夫の誓いは結ばれた。しかし徒手空拳とはまったくこの三人のことだった。しかも志は天下にある。
「さて、どうしたものか」
 翌日はもう酒を飲んでただ快哉をいっている日ではない。理想から実行へ、第一歩を踏みだす日である。
 朝飯をべると、すぐその卓の上で、いかに実行へかかるかの問題がでた。
「どうかなるよ。男児が、しかも三人一体で、やろうとすれば」
 張飛は、理論家でない。また計画家でもない。遮二無二、実行力に燃える猪突邁進家なのである。
「どうかなるって、ただ貴公のように、力んでばかりいたってどうもならん。まず、一郡の士を持たんとするには、一旗の兵がいる。一旗の兵を持つには、すくなくとも相当の軍費と、兵器と、馬とが必要だな」
 が、関羽は、常識家であった。二人のことばを飽和すると、そこにちょうどよい情熱と常理との推進力が醸されてくる。
 劉備は、そのいずれへも、うなずきを与えて、
「そうです。こう三人の一念をもってすれば、必ず大事を成しうることは目に見えていますが、さし当って、兵隊です。――これをひとつ募りましょう」
「馬も、兵器も、金もなく、募りに応じてくれる者がありましょうか」
 関羽の憂いを、劉備はかろく微笑をもって打消し、
「いささか、自信があります。――というのは、実はこの楼桑村の内にも、平常からそれとなく、私が目にかけた、同憂の志を持っている青年たちが少々あります。――また近郷にわたって、檄を飛ばせば、おそらく今の時勢に、鬱念を感じている者もすくなくはありませんから、きっと、三十人や四十人の兵はすぐできるかと思います」
「なるほど」
「ですから、恐れいるが、関羽どのの筆で、ひとつ檄文を起草して下さい。それを配るのは、私の知っている村の青年にやらせますから」
「いや、手前は、生来悪文の質ですから、ひとつそれは、劉長兄に起草していただこう」
「いいや、あなたは多年塾を持って、子弟を教育していたから、そういう子弟の気持を打つことは、よくお心得のはずだ。どうか書いて下さい」
 すると張飛がそばからいった。
「こら関羽、怪しからんぞ」
「なにが怪しからん」
「長兄劉玄徳のことば、主命の如く反くまいぞ、昨日、約束したばかりじゃないか」
「やあ、これは一本、張飛にやられたな、よし早速書こう」
 飛檄はでき上がった。
 なかなか名文である。荘重なる慷慨の気と、憂国の文字は、読む者を打たずにおかなかった。
 それが近郷へ飛ばされると、やがてのこと、劉玄徳の破れ家の門前には、毎日、七名十名ずつとわれこそ天下の豪傑たらんとする熱血の壮士が集まってきた。
 張飛は、門前へ出て、
「お前達は、われわれの檄を見て、兵隊になろうと望んできたのか」
 と、採用係の試験官になって、いちいち姓名や生国や、また、その志を質問した。
「そうです、大人がたのお名前と、義挙の趣旨に賛同して、旗下に馳せ参じてきた者どもです」
 壮士らは異口同音にいった。
「そうか、どれを見ても、たのもしい面魂、早速、われわれの旗挙げに、加盟をゆるすが、しかしわれらの志は、黄巾賊の輩の如く、野盗掠奪を旨とするのとは違うぞ。天下の塗炭を救い、害賊を討ち、国土に即した公権を確立し、やがては永遠の平和と民福を計るにある。分っておるかそこのところは!」
 張飛は、一場の訓示を垂れて、それからまた、次のように誓わせた。

「われわれの旗下に加盟するからには、即ち、われわれの奉じる軍律に服さねばならん。今、それを読み聞かすゆえ、謹んで承れ」
 張飛は、志願してきた壮士たちへいって、うやうやしく、懐中から一通を取出して、声高く読んだ。

一 卒たる者は、将たる者に、絶大の服従と礼節を守る。
一 目前の利に惑わず、大志を遠大に備う。
一 一身を浅く思い、一世を深く思う。
一 掠奪断首。
一 虐民極刑。
一 軍紀を紊る行為一切死罪。

「わかったかっ」
 あまり厳粛なので、壮士たちも、しばらく黙っていたが、やがて、
「分りました」と、異口同音にいった。
「よし、しからば、今よりそれがしの部下として用いてやる。ただし、当分の間は給料もつかわさんぞ。また、物その他も、お互いにある物を分けて喰い、いっさい不平を申すことならん」
 それでも、募りに応じてきた若者輩は、元気に兵隊となって、劉備関羽らの命に服した。
 四、五日のうちに、約七、八十人も集まった。望外な成功だと、関羽はいった。
 けれど、すぐ困りだしたのは糧であった。ゆえに、一刻もはやく、戦争をしなければならない。
 黄匪の害に泣いている地方はたくさんある。まずその地方へ行って、黄巾賊を追っぱらうことだ。その後には、正しい税と物とが収穫される。それは掠奪でない。天禄だ。
 するとある日。
「張将軍、張将軍。馬がたくさん通りますぞ、馬が」
 と、一人の部下が、ここの本陣へ馳せてきて注進した。
 何者か知らないが、何十頭という馬を数つなぎにひいて、この先の峠を越えてくる者があるという報告なのだ。
 馬と聞くと、張飛は、「そいつは何とか欲しいものだなあ」と正直にうなった。
 実際いま、喉から手の出るほど欲しい物は馬と金と兵器だった。だが、義挙の軍律というものを立てて部下にも示してあるので、「掠奪して来い」とは、命じられなかった。
 張飛は、奥へ行って、
関羽、こういう報告があるが、なんとか、手に入れる工夫はあるまいか。実に天の与えだと思うのだが」と、相談した。
 関羽は聞くと、
「よし、それでは、自分が行って、掛合ってみよう」と、部下数名をつれて、峠へ急いで行った。麓の近くで、その一行とぶつかった。物見の兵の注進に過りなく、成程、四、五十頭もの馬匹をひいて、一隊の者がこっちへ下ってくる。近づいて見ると皆、商人ていの男なので、これならなんとか、話合いがつくと、関羽は得意の雄弁をふるうつもりで待ち構えていた。
 ここへきた馬商人の一隊の頭は、中山の豪商でひとりは蘇双、ひとりは張世平という者だった。
 関羽は、それに着くと、自分ら三人が義軍を興すに至った、愛国の衷情をもって、切々訴えた。今にして、誰か、この覇業を建て、人天の正明をたださなければ、この世は永遠の闇黒であろうといった。支那大陸は、ついに、胡北の武民に征服され終るであろうと嘆いた。
 張世平と蘇双の両人は、なにか小声で相談していたが、やがて、
「よく分りました。この五十頭の馬が、そういうことでお役に立てば満足です。差上げますからどうぞ曳いて行って下さい」と、意外にも、いさぎよく云った。

 いずれ易々とは承知しまい。最悪な場合までを関羽は考えていたのである。それが案外な返辞に、
「ほ。……いや忝けない。早速の快諾に、申しては失礼だが、利に敏い商人たるお身らが、どうしてそう一言のもとに、多くの馬匹を無料でそれがしへ引渡すといわれたか」
 掛合いにきた目的は達しているのに、こう先方へ要らざる念を押すのも妙なはなしだと思ったが、あまり不審なので、関羽はこう訊ねてみた。
 すると、張世平はいった。
「はははは。あまりさっぱりお渡しするといったので、かえってお疑いとみえますな。いやごもっともです。けれど手前は、第一にまず大人が悪人でないことを認めました。第二に、ご計画の義兵を挙げることは、すこぶる時宜をえておると存じます。第三は、あなた方のお力をもって、自分らの恨みをはらしていただきたいと思ったからです」
「恨みとは」
黄巾賊の大将張角一門の暴政に対する恨みでございます。手前も以前は中山で一といって二と下らない豪商といわれた者ですが、かの地方もご承知の通り黄匪の蹂躙にあって秩序は破壊され、財産は掠奪され、町に少女の影を見ず、家苑の小禽すら啼かなくなってしまいました。――手前の店なども一物もなく没収され、あげくの果てに、妻も娘も、暴兵にさらわれてしまったのです」
「むむ。なるほど」
「で、甥の蘇双と二人して、馬商人に身を落し、市から馬匹を購入して、北国へ売りに行こうとしたのですが、途中まで参ると、北辺の山岳にも、黄賊が道をふさいで、旅人の持物を奪い、虐殺をほしいままにしておるとのことに、むなしくまた、この群馬をひいて立ち帰ってきたわけです。南へ行くも賊国、北へおもむくも賊国、こうして馬とともに漂泊しているうちには、ついに賊に生命まで共に奪われてしまうのは知れきっています。恨みのある賊の手に武力となる馬匹を与えるよりも、貴下の如きお志を抱く人に、進上申したほうが、はるかに意味のあることなんです。よろこんで手前がお渡しする気持というのは、そんなわけでございます」
「やあ、そうか」
 関羽の疑問も氷解して、
「では、楼桑村まで、馬をひいて一緒に来てくれないか。われわれの盟主と仰ぐ劉玄徳と仰っしゃる人にひきあわせよう」
「おねがい致します。手前も根からの商人ですから、以上申上げたような理由でもって、無料で馬匹を進上しましても、やはりそこはまだ正直、利益のことを考えておりますからな」
「いや、玄徳様へお目にかかっても、ただ今のところ、代金はお下げになるわけにはゆかぬぞ」
「そんな目先のことではありません。遠い将来でよろしいので。……はい。もしあなたがたが大事を成しとげて、一国を取り、十州二十州を平らげ、あわよくば天下に号令なさろうという筋書きのとおりに行ったらば、私へも充分に、利をつけて、今日の馬代金を払っていただきたいのでございます。私は、あなたの計画を聞いて、これがあなたがたの夢ではなく、わたしども民衆が待っていたものであるという点から、きっと成功するものと信じております。ですから、今日この処分に困っている馬を使っていただくのは、商人として、手前にも遠大な利殖の方法を見つけたわけで、まったくこんなよろこばしいことはありません」
 張世平は、そういって、甥の蘇双と共に、関羽に案内されてついて行ったが、その途中でも、関羽へ対して、こう意見を述べた。
「事を計るうえは、人物はお揃いでございましょうし、馬もこれで整いました。これで一体、あなた方のご計画の内輪には、よく経済を切りまわして糧兵費の内助の役目をする算数の達識が控えているのでございますか。算盤というものも、充分お考えのうえでこのお仕事にかかっておいででございますか?」

 張世平に、そう指摘されてみると、関羽は、自分らの仲間に、大きな欠陥のあるのを見いだした。
 経営ということであった。
 自分はもとより、張飛にも、劉玄徳にも、経済的な観念は至ってない。武人銭を愛さずといったような思想がはなはだ古くから頭の隅にある。経済といえばむしろ卑しみ、銭といえば横を向くをもって清廉の士とする風が高い。一個の人格にはそれも高風と仰ぎうるが、国家の大計となればそれでは不具を意味する。
 一軍を持てばすでに経営を思わねばならぬ。武力ばかりでふくらもうとする軍は暴軍に化しやすい。古来、理想はあっても、そのため、暴軍と堕し、乱賊と終った者、史上決してすくなくない。
「いや、いいことを聞かしてくれた。劉玄徳様にも、大いにそのへんのことをはなして貰いたいものだ」
 関羽は、正直、教えられた気がしたのである。一商人のことばといえども、これは将来の大切な問題だと考えついた。
 やがて、楼桑村に着く。
 関羽はすぐ張世平と蘇双のふたりを、劉玄徳の前につれて来た。もちろん、玄徳も張飛も、張の好意を聞いて非常によろこんだ。
 張は五十頭の馬匹を、無償で提供するばかりでなく、玄徳に会ってから玄徳の人物をさらに見込んで、それに加うるに、駿馬に積んでいた鉄一千斤と、百反の獣皮織物と、金銀五百両を挙げてみな、「どうか、軍用の費に」と、献上した。
 その際も、張はいった。
「最前も、みちみち、申しました通り、手前はどこまでも、利を道とする商人です。武人に武道あり、聖賢に文道あるごとく、商人にも利道があります。ご献納申しても、手前はこれをもって、義心とは誇りません。その代り、今日さし上げた馬匹金銀が、十年後、三十年後には、莫大な利を生むことを望みます。――ただその利は、自分一個で飽慾しようとは致しません。困苦の底にいる万民にお頒ちください。それが私の希望であり、また私の商魂と申すものでございます」
 玄徳や関羽は、彼の言を聞いて大いに感じ、どうかしてこの人物を自分らの仲間へ留めおきたいと考えたが、張は、
「いやどうも私は臆病者で、とても戦争なさるあなた方の中にいる勇気はございません。なにかまた、お役に立つ時には出てきますから」といって、倉皇、何処ともなく立ち去ってしまった。
 千斤の鉄、百反の織皮、五百両の金銀、思いがけない軍費を獲て、玄徳以下三人は、
「これぞ天のご援助」
 と、いやが上にも、心は奮い立った。
 早速、近郷の鍛冶工をよんできて、張飛は、一丈何尺という蛇矛を鍛ってくれと注文し、関羽は重さ何十斤という偃月刀を鍛えさせた。
 雑兵の鉄甲、盔、槍、刀などもあわせて誂え、それも日ならずしてできてきた。

日月の旗幟。
飛龍の幡。
鞍、鏃。

 軍装はまず整った。
 その頃ようやく人数も二百人ばかりになった。
 もとより天下に臨むには足りない急仕立ての一小軍でしかなかったが、張飛の教練と、関羽の軍律と、劉玄徳の徳望とは、一卒にまでよく行きわたって、あたかも一箇の体のように、二百の兵は挙手踏足、一音に動いた。
「では。――おっ母さん。行って参ります」
 劉玄徳は、ある日、武装して母にこう暇を告げた。
 兵馬は、粛々、彼の郷土から立って行った。劉玄徳の母は、それを桑の木の下からいつまでも見送っていた。泣くまいとしている眼が湯の泉のようになっていた。

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