石兵八陣
一
全軍ひとたび総崩れに陥ちてからは、七百余里をつらねていた蜀の陣々も、さながら漲る洪水に分離されて浮島のすがたとなった村々と同じようなもので、その機能も連絡も失ってしまい、各個各隊思い思いに、呉の滔々たる濁水の勢いと闘うのほかなかった。
そのため、わずか昨日から今日にかけて討死をとげた蜀の大将は、幾人か知れなかった。
まず傅彤は、呉の丁奉軍に包囲されて、
「勝ち目のない戦いに益なき死力を振うよりは、呉に降参して、長く武門の栄誉を担わんか」
と、敵からすすめられたのに対して、傅彤は、最後の姿を陣頭にあらわして、
「いやしくも我は漢の大将。何ぞ呉の犬に降らんや」
と、大軍の中へ駈け入って、華々しく玉砕を遂げた。
また蜀の祭酒程畿は、身辺わずか十数騎に討ち減らされ、この上は、舟手の味方に合して戦おうと江岸の畔まで走ってきたところが、そこもすでに呉の水軍に占領されていたので、たちまち、進退きわまってしまった。
すると、呉軍の一将が、
「程祭酒、程祭酒。水陸ともにもう蜀の一旗も立っているところはない。馬を降りて降伏せよ」
と、いった。
程畿は髪を風に立てて、
「われ君に従って今日まで、戦いに出て逃ぐるを知らず、敵に会っては敵を打ち砕く以外を知らない」と怒号して答え、四角八面に馬を躍らせて、これまた、自ら首を刎ねて見事な最期を遂げてしまった。
蜀の先鋒張南は、久しく夷陵の城を囲んで、呉の孫桓を攻めたてていたが、味方の趙融が馬を飛ばしてきて、
「中軍が敗れたので、全線崩れ立ち、帝のお行方もわからない」と、告げて来たので、
「すわ」とにわかに囲みを解き、玄徳のあとをたずねて、中軍に纏まろうとしたが、
「時こそ来れ」
と、城中の孫桓が追撃に出て、各所の呉軍とむすびあい、張南、趙融の行く先々をふさいだので、二人も、やがて乱軍の中に、敢えなく戦死してしまった。
こういう蜀軍の幹部が相次いで討たれたのみか、遠く南蛮から援軍に参加していた例の蛮将沙摩柯にいたるまで、呉の周泰軍に捕捉されて、遂にその首をあげられ、さらに、蜀将の杜路、劉寧の輩は、手勢を引いて、呉の本営へ降人となって、余命を託すというあわれな始末だった。
「わが事成る、わが事成れり。いまは蜀帝玄徳を生捕りにする一事あるのみだ」
と、呉の総帥陸遜は、今こそ本来の面目を示し、この大捷を機に、自ら大軍を率いて、敵に息つく間も与えず、玄徳の逃げた方向へ、ひた押しに追いつめて行った。
すでに、魚腹浦のてまえまで迫ってきた。ここに古城の一関がある。陸遜は、野営して兵馬を休め、その夕、関上から前方をながめていたが、
「何事だろう。これは」
彼は非常に愕いた容子で、左右の大将を顧みて云った。
「はるか、山に添い、江に臨んで、一陣の殺気が天を衝くばかりに立ち昇っている。必定、敵の伏兵が、殺を含んで待ち受けているものと察せられる。進むべからず、進むべからず――」
にわかに、十里あまり陣を退いて、入念に行く先をうかがわせた。
ほどなく、物見の兵が次々に帰ってきたが、云い合わしたように、同じような報告ばかりもたらした。
「おりません。敵らしい者は、一兵も見えません」
陸遜は怪しんで、
「はてな?」
ふたたび山へ登って、彼方の天をじっと見ていた。そして唸くようにつぶやきながら降りてきた。
「濛々たる鬼気、凛々たる殺雲。どうして伏兵でない筈があるものか。物見の未熟にちがいない。老練な隠密を選りすぐってさらに入念に見とどけさせろ」
二
日も傾いて、夜に入ったが、陸遜はなお気にかかるとみえ、幾度も陣前に出て、魚腹浦の夜空をながめていた。
「ふしぎや、夜に入れば、昼よりもなお、殺気陰々たるものがある。そも、彼処の伏兵は、いかなる神変の兵であろうか」
さしもの陸遜も、懐疑逡巡して、夜もすがら心の平静を得なかったようである。
未明の頃ようやく、老練な物見の上手が、
「見届けて来ました」と、立ち帰ってきて話した。
「いくら仔細に探っても、彼処に敵兵がいないことは確実です。けれど江岸の磯から山と山の隘路にわたって、大小数千の石が、あたかも石人のように積んであります。そこに立つと蕭殺たる風を生じ、鬼気肌に迫るものが覚えられまする」
陸遜はついに意を決して、自身十数騎をつれて、まだ暁闇の頃を、魚腹浦へ向って、彼方此方、視察して歩いた。
四、五名の漁夫がいたので、陸遜は駒をとめて、
「これこれ。土地の者。おまえ達なら知っているだろう。この辺の磯から山に沿って、諸所にうずたかく石の積んであるのはどういうわけだ。何か由謂があるのか」と、たずねた。
中でも年老った漁夫が答えて、
「先年、この土地へ、諸葛孔明という人が、蜀の国に入る途中船を寄せて、多くの兵をおろし、幾日も合戦の調練や陣組をしておりましたが、やがて船に乗って帰ったあとを見ると、いつのまにか、この附近一帯に、石の門やら石の塔やら、人間に見えるような石組がおびただしく出来上っておりました。それ以来、江の水も、妙な所へ流れ込み、時々、旋風が起ったりするので、誰もあの石陣の内には立ち入らないようになってしまいました」
陸遜は、これを聞いて、
「さては、孔明の悪戯か」と、ふたたび馬を打って、坡の上へ馳け上がってみた。
高きにのぼって見渡すと、一見乱立岸々たる石陣にも自ら整々たる布石の相があり、道に従って四方八面に門戸があった。
「擬兵、偽陣。これはただ人を惑わす詐術に過ぎない。こんなものに昨日からいらざる惑いを抱いていたことの恥かしさよ」
陸遜は、呵々と大笑して、やがて水に沿い、山に沿い、石陣の中を一遊して帰ろうとした。
「はてな。ここも行き止りか」
「いや、こちらでしょう」
「いかん、いかん、こう来てはまたもとの道へ出てしまう」
主従十数騎は、狐に憑ままれたように、彼方此方迷い歩いた。どうしても、乱石の八陣から出られなくなってしまったのである。
そのうちに、陽はかげって、狂風砂を飛ばし、白波乱岸を搏って、天地は須史のまに、険しい兇相をあらわして来た。
「や、や。軍鼓の音ではないか」
「いや、波の音です。雲の叫び声です」
「過てり。われ擬兵と侮って、ついに孔明の計に陥つ。夜に入っていよいよ風波が加われば、空しくここに水漬く屍となり終ろうも知れぬ」
「日の暮れぬうちに、どこか出口を」
人々の眼は、しだいに血走ってきた。しかしなお石陣の外へは出られなかった。
すると、一人の白髪の翁が、ふと前に立って、にやにや笑った。何者かと訊けば、
「自分は諸葛亮の舅黄承彦の友で、久しくこの先の山に住んでいる者なり」という。
陸遜が礼を篤うして道を問うと、
「多分、お迷いになっているものであろうと思い、山を降りてこれへ来ました。さあこうお出でなさい」
杖をひいて、老翁は先に立った。
苦もなく陸遜とその部下は八陣の外へ出た。
「さようなら。――てまえが八陣の内からあなた方を出してあげたことは、誰にもいわないで下さい。孔明の舅にあたる黄承彦にわるうございますからね」
白髪の翁は、そういうと、飄々杖を風にまかせて、暮靄の山へ帰ってしまった。
「獲物を追う猟師山を見ず、陸遜たる者が、これまで深入りして来たのは大なる過ちであった。そうだ、わが軍はこれ以上進むべきではない」
どう考えたか、陸遜は急に、全軍へ令して、飛ぶが如く、呉へ引き揚げてしまった。