白面郎「曹操」
一
曹操はまだ若い人だ。にわかに、彼の存在は近ごろ大きなものとなったが、その年歯風采はなお、白面の一青年でしかない。
年二十で、初めて洛陽の北都尉に任じられてから、数年のうちにその才幹は認められ、朝廷の少壮武官に列して、禁中紛乱、時局多事の中を、よく失脚もせず、いよいよその地歩を占めて、新旧勢力の大官中に伍し、いつのまにか若年ながら錚々たる朝臣の一員となっているところ、早くも凡物でない圭角は現れていた。
竹裏館の秘密会で、王允もいったとおり、彼の家柄は、元来名門であって、高祖覇業を立てて以来の――漢の丞相曹参が末孫だといわれている。
生れは沛国譙郡(安徽省・毫県)の産であるが、その父曹嵩は、宮内官たりし職を辞して、早くから野に下り、今では陳留(河南省・開封の東南)に住んでいて、老齢だがなお健在であった。
その父曹嵩も、
「この子は鳳眼だ」
といって、幼少の時から、大勢の子のうちでも、特に曹操を可愛がっていた。
鳳眼というのは鳳凰の眼のように細くてしかも光があるという意味であった。
少年の頃になると、色は白く、髪は漆黒で、丹唇明眸、中肉の美少年ではあり、しかも学舎の教師も、里人も、「恐いようなお児だ」と、その鬼才に怖れた。
こんなこともあった。
少年の曹操は、学問など一を聞いて十を知るで、書物などにかじりついている日はちっとも見えない。游猟が好きで弓を持って獣を追ったり、早熟で不良を集めて村娘を誘拐したり、そんなことばかりやっていた。
「困った奴だ」
叔父なる人が、将来を案じて、彼の父へひそかに忠告した。
「あまり可愛がり過ぎるからいけない。親の目には、子の良い才ばかり見えて、奸才は見えないからな」
父の曹嵩も、ちらちら良くないことを耳にしていた折なので、早速曹操を呼びつけて、厳しく叱り、一晩中お談義を聞かせた。
翌る日、叔父がやって来た。
すると曹操は、ふいに門前に卒倒して、癲癇の発作に襲われたみたいな苦悶をした。
仮病とは知らず、正直な叔父は驚きあわてて奥の父親へ告げた。
父の曹嵩も、可愛い曹操のことなので、顔色を変えて飛びだして来た。――ところが曹操は門前に遊んでいて、いつもと何も変わったところは見えない。
「曹操、曹操」
「なんです、お父さん」
「なんともないのか。今、叔父御が駆けこんで来て、お前が癲癇を起してひッくり返っている、大変だぞ、直ぐ行ってみろ、といわれて仰天して見にきたのだが」
「ヘエ……。どうしてそんな嘘ッぱちを叔父さんは知らせたんでしょう。私はこの通り何でもありませんのに」
「変な人だな」
「まったく、叔父さんは変な人ですよ。嘘をいって、人が驚いたり困ったりするのを見るのが趣味らしいんです。村の人もいっていますね。――坊っちゃんは、あの叔父さんに何か憎まれてやしませんかッて。なんでも、わたしの事を放蕩息子だの、困り者だの、また癲癇持ちだのって、方々へ行って、しゃべりちらしているらしいんですよ」
曹操は、けろりとした顔で、そういった。彼の父は、そのことがあってからというもの、何事があっても、叔父の言葉は信じなくなってしまった。
「甘いもンだな。親父は」
曹操はいい気になって、いよいよ機謀縦横に悪戯をしたり、放埓な日を送って育った。
二
二十歳まで、これという職業にもつかず、家産はあるし、名門の子だし、叔父の予言どおり困り息子で通ってきた曹操だった。
しかし、人の憎みも多いかわり、一面任侠の風もあるので、
「気の利いた人だ」
とか、また、
「曹操は話せるよ。いざという時は頼みになるからね」
と、彼を取り巻く一種の人気といったようなものもあった。
そういう友達の中でも、橋玄とか、何顒とかいう人々は、むしろ彼の縦横な策略の才を異なりとして、
「今に、天下は乱れるだろう。一朝、乱麻となったが最後、これを収拾するのは、よほどな人物でなければできん。或いは後に、天下を安んずべき人間は、ああいったふうな漢かも知れんな」
と、青年たちの集まった場所で、真面目にいったこともある。
その橋玄が、ある折、曹操へ向っていった。
「君は、まだ無名だが、僕は君を有為の青年と見ているのだ。折があったら、許子将という人と交わるがいい」
「子将とは、どんな人物かね」
曹操が問うと、
「非常に人物の鑑識に長けている。学者でもあるし」
「つまり人相観だね」
「あんないい加減なものじゃない。もっと炯眼な人物批評家だよ」
「おもしろい。一度訪うてみよう」
曹操は一日、その許子将を訪れた。座中、弟子や客らしいのが大勢いた。曹操は名乗って、彼の忌憚ない「曹操評」を聞かしてもらおうと思ったが、子将は、冷たい眼で一眄したのみで、卑しんでろくに答えてくれない。
「ふふん……」
曹操も、持前の皮肉がつい鼻先へ出て、こう揶揄した。
「――先生、池の魚は毎度鑑ておいでらしいが、まだ大海の巨鯨は、この部屋で鑑たことがありませんね」
すると、許子将は、学究らしい薄べったくて、黒ずんだ唇から、抜けた歯をあらわして、
「豎子、何をいう! お前なんぞは、治世の能臣、乱世の姦雄だ」
と、初めて答えた。
聞くと、曹操は、
「乱世の姦雄だと。――結構だ」
彼は、満足して去った。
間もなく。
年二十で、初めて北都尉の職についた。
任は皇宮の警吏である。彼は就任早々、掟を厳守し、犯す者は高官でも、ビシビシ罰した。時めく十常侍の蹇碩の身寄りの者でも、禁を破って、夜、帯刀で禁門の附近を歩いていたというので、曹操に棒で殴りつけられたことがあったりした程である。
「あの弱冠の警吏は、犯すと仮借しないぞ」
彼の名はかえって高まった。
わずかな間に、騎都尉に昇進し、そして黄巾賊の乱が地方に起ると共に、征討軍に編入され、潁川その他の地方に転戦して、いつも紅の旗、紅の鞍、紅の鎧という人目立つ備え立てで征野を疾駆していたことは、かつて、張梁、張宝の賊軍を潁川の草原に火攻めにした折、――そこで行き会った劉玄徳とその旗下の関羽、張飛たちも、
(そも、何者?)
と、目を見はったことのあるとおりである。
そうした彼。
そうした人となりの驍騎校尉曹操であった。
王允の家に伝わる七宝の名刀を譲りうけて、董相国を刺すと誓って帰った曹操は、その夜、剣を抱いて床に横たわり、果たしてどんな夢を描いていたろうか。
三
その翌日である。
曹操は、いつものように丞相府へ出仕した。
「相国はどちらにおいでか」
と、小役人に訊ねると、
「ただ今、小閣へ入られて、書院でご休息になっている」
とのことなので、彼は直ちにそこへ行って、挨拶をした。董相国は、牀の上に身を投げだして、茶をのんでいる様子。側には、屹と、呂布が侍立していた。
「出仕が遅いじゃないか」
曹操の顔を見るや否や、董卓はそういって咎めた。
実際、陽はすでに三竿、丞相府の各庁でも、みなひと仕事すまして午の休息をしている時分だった。
「恐れいります。なにぶん、私の持ち馬は痩せおとろえた老馬で道が遅いものですから」
「良い馬を持たぬのか」
「はい。薄給の身ですから、良馬は望んでもなかなか購えません」
「呂布」と、董卓は振り向いて、
「わしの厩から、どれか手ごろなのを一頭選んできて、曹操につかわせ」
「はっ」
呂布は、閣の外へ出て行った。
曹操は、彼が去ったので、
――しめた!
と、心は躍りはやったが、董卓とても、武勇はあり大力の持主である。
(仕損じては――)
となお、大事をとって、彼の隙をうかがっていると、董卓はひどく肥満しているので、少し長くその体を牀に正していると、すぐくたびれてしまうらしい。
ごろりと、背を向けて、牀の上へ横になった。
(今だ! 天の与え)
曹操は、心にさけびながら、七宝剣の柄に手をかけ、さっと抜くなり刃を背へまわして、牀の下へ近づきかけた。
すると、名刀の光鋩が、董卓の側なる壁の鏡に、陽炎の如くピカリと映った。
むくりと、起き上がって、
「曹操、今の光は何だ?」
と、鋭い眼をそそいだ。
曹操は、刃を納めるいとまもなく、ぎょッとしたが、さあらぬ顔して、
「はっ、近頃それがしが、稀代の名刀を手に入れましたので、お気に召したら、献上したいと思って、佩いて参りました。尊覧に入れる前に、そっと拭っておりましたので、その光鋩が室にみちたのでございましょう」
と騒ぐ色もなく、剣を差出した。
「ふウむ。……どれ見せい」
手に取って見ているところへ、呂布が戻ってきた。
董卓は、気に入ったらしく、
「なるほど、名剣だ。どうだこの刀は」
と、呂布へ見せた。
曹操は、すかさず、
「鞘はこれです。七宝の篏飾、なんと見事ではありませんか」
と、呂布のほうへ、鞘をも渡した。
呂布は無言のまま、刃を鞘におさめて手に預かった。そして、
「馬を見給え」と促すと、曹操は、
「はっ、有難く拝領いたします」
と、急いで庭上へ出て、呂布がひいて来た駿馬の鬣をなでながら、
「あ。これは逸物らしい。願わくば相国の御前で、ひと当て試し乗りに乗ってみたいものですな」
という言葉に、董卓もつい、図に乗せられて、
「よかろう。試してみい」
とゆるすと、曹操はハッとばかり鞍へ飛び移り、にわかにひと鞭あてるや否や、丞相府の門外へ馳けだして、それなり帰ってこなかった。
四
「まだ戻らんか」
董卓は、不審を起して、
「試し乗りだといいながら、いったい何処まで馳けて行ったのだ――曹操のやつは」
と、何度も呟いた。
呂布は初めて、口を開いた。
「丞相、彼はおそらく、もう此処に帰りますまい」
「どうして?」
「最前、あなたへ名刀を献じた時の挙動からして、どうも腑に落ちない点があります」
「ム。あの時の彼奴の素振りは、わしも少し変だと思ったが」
「お馬を賜わり、これ幸いと、風を喰らって逃げ去ったのかも知れませんぞ」
「――とすれば、捨ておけん曲者だが。李儒を呼べ。とにかく、李儒を!」
と、急に甲高くいって、巨きな躯を牀からおろした。
李儒は来て、つぶさに仔細を聞くと、
「それは、しまったことをした。豹を檻から出したも同じです。彼の妻子は都の外にありますから、てッきり相国のお命を狙っていたに違いありません」
「憎ッくい奴め。李儒、どうしたものだろう」
「一刻も早く、お召しといって、彼の住居へ人をやってごらんなさい。二心なければ参りましょうが、おそらくもうその家にもおりますまい」
念のためと、直ちに、使い番の兵六、七騎をやってみたが、果たして李儒の言葉どおりであった。
そしてなお、使い番から告げることには――
「つい今しがた、その曹操は、黄毛の駿馬にまたがって、飛ぶが如く東門を乗打ちして行ったので、番兵がまた馬でそれを追いかけ、ようやく城外へ出る関門でとらえて詰問したところ、曹操がいうには――我は丞相の急命を帯びてにわかに使いに立つなり。汝ら、我をはばめて大事の急用を遅滞さすからには、後に董相国よりいかなるお咎めがあらんも知れぬぞ――とのことなので、誰も疑う者なく、曹操はそのまま鞭を上げて関門を越え、行方のほども相知れぬ由にござります」
とのことであった。
「さてこそ」と、董卓は、怒気のみなぎった顔に、朱をそそいで云った。
「小才のきく奴と、日頃、恩をほどこして、目をかけてやった予の寵愛につけ上がり、予にそむくとは八ツ裂きにしても飽きたらん匹夫だ。李儒っ――」
「はっ」
「彼の人相服装を画かせ、諸国へ写しを配布して、厳重に布令をまわせ」
「承知しました」
「もし、曹操を生擒ってきた者あらば、万戸侯に封じ、その首を丞相府に献じくる者には、千金の賞を与えるであろうと」
「すぐ手配しましょう」
李儒が退がりかけると、
「待て。それから」と早口に、董卓はなお、言葉をつけ加えた。
「この細工は、思うに、白面郎の曹操一人だけの仕事ではなかろう。きっとほかにも、同謀の与類があるに相違ない」
「もちろんでしょう」
「なおもって、重大事だ。曹操への手配や追手にばかり気を取られずに一方、都下の与類を虱つぶしに詮議して、引っ捕えたら拷問にかけろ」
「はっ、その辺も、抜かりなく急速に手を廻しましょう」
李儒は大股に去って、捕囚庁の吏人を呼びあつめ、物々しい活動の指令を発していった。
底本:「三国志(一)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
1989(平成元)年4月11日第1刷発行
2009(平成21)年2月2日第62刷発行
※副題には底本では、「桃園の巻」とルビがついています。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2013年7月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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