西涼ふたたび燃ゆ

 忽然と、蒙古高原にあらわれて、胡夷の猛兵をしたがえ、隴西甘粛省)の州郡をたちまち伐り奪って、日に日に旗を増している一軍があった。
 建安十八年の秋八月である。この蒙古軍の大将は、さきに曹操に破られて、どこへか落ちて行った馬騰将軍の子馬超だった。
「父の仇、曹操を亡くさぬうちは」と、馬超はあれ以来、蒙古族の部落にふかくかくれて、臥薪嘗胆、今日の再興に励んできたのであった。
「何度でも再起する。曹操の首を見るまでは、倒るるもやまじ」
 とする意気があるので、征くところ草を薙ぐように、敵を風靡し、この軍団は、強大になった。
 ところが、ここに冀県の城一つだけが、よく支えて、容易に抜けない。
 城の大将は韋康という者だった。韋康は、長安夏侯淵へ使いをとばし、その援軍を待っていたが、
「中央の曹丞相のおゆるしを待たずには、兵をうごかし難い」
 という夏侯淵の返書に、韋康は落胆して、
「それではとうてい、この小勢でこの城は保ち難い。見ごろしに見ている味方をたのむよりは」
 と、ついに降伏を思った。
 同僚に参軍の楊阜という将校がある。楊阜は反対して、極力諫めた。けれど韋康はついに門をひらいて、寄手の馬超へ膝を屈してしまった。
「よしっ」
 馬超は、降を容れて、城中へなだれこむとともに、韋康以下、その一類四十余人を搦め捕って、数つなぎにその首を刎ねて、
「この時になって、降伏するなどという人間は、義において欠けるし、味方に加えても、どうせ使いものにはならんやつらだ」
 と、悔いも惜しみもしなかった。
 侍臣が、図に乗って云った。
「楊阜はお斬りにならないのですか。彼は韋康を諫めて、降参に反対した曲者ですが」
「それが義だ。弓矢の道だ。楊阜は斬らん」
 馬超は、かえって、楊阜を助けたばかりか、用いて参事となし、冀城の守りをあずけた。
 楊阜は心のうちに深く期すものがあるので、表面は従っていたが、ある時、馬超に告げて、数日の休暇を願った。
「わたくしの妻は、もうふた月も前に、故郷の臨洮で死にましたが、このたびの戦乱で、まだその葬いにも行っておりません。郷土の縁者や朋友のてまえ、一度は行ってこなければ悪いのですが」
 馬超は即座に、
「よしよし。行ってこい」
 楊阜は、帰郷した。しかし目的は、歴城の叔母を訪ねることにあった。この叔母は、近国までも、
「貞賢の名婦」と、聞えているひとだった。
「――面目もありませぬ」
 叔母なる人に会うと、楊阜は床に伏して拝哭した。
「残念です。いま私は、甘んじて敵に飼われています。けれど心まで馬超にゆるしてはいません。今日、これへ来たのは、ほかに心外なことがあるからでした」
「楊阜、なぜそんなに女々しく哭くのかえ。人間は最後に真をあらわせばいいのです。生きているうちの毀誉褒貶など心におかけでない」
「有難うぞんじます。――が、私が哭いたのは、自分の辱をめそめそしたわけではありません。あなたの息子たる者のために、憤慨にたえないのです」
「おや。どうしてだえ?」
「この歴城にありながら、乱賊馬超の蹂躙にまかせ、一州の士大夫ことごとく辱をうけている今日をよそに、何を安閑としているのでしょう。あの若さで。……私はそれを憤りに参ったのです。あれでも貞賢な叔母上の息子かと疑って」
「……たれかいませんか。姜叙をお呼び、姜叙を」
 彼女が、侍女の部屋へ、こう告げると、一方の帳を払って、
「母上。姜叙はこれにおります。お起ちには及びません」
 と、ひとりの青年が入ってきた。これなん歴城の撫夷将軍姜叙だった。

 いうまでもなく姜叙と楊阜とは従兄弟のあいだがらになるし、また、姜叙と韋康とは、主従の関係にある。
 当然、歴城の兵をひきいて、韋康を赴援すべきであったが、その滅亡の早かったため、兵をととのえて馳けつけるに間に合わなかったものである。
「さきほどから帳の蔭でおはなしを伺っていると、阜兄はこの姜叙が安閑としているのを、ひどくご憤慨のようですが、そういうあなたこそ、一戦にも及ばず馬超に降伏して、冀城を渡してしまったではありませんか。それをいまとなって、世上のことは何も知らぬ私の母などへ、私の怠慢か卑怯みたいに誹られるのは、自分のことを棚へ上げて、人のあらをさがす下司の根性というものではありませんか」
 若い姜叙は、母の前もわすれて、客の従兄弟を罵倒した。
 すると楊阜はかえってその意気を歓び、自分の降伏は、一時の辱をしのんで、主君の仇を打たんがためであると説明し、
「もし叙君が、郷党の兵をひきいて、冀城へ攻めてこられるなら、自分は城中から内応しよう。何をかくそう、郷里の妻の葬いと偽って、馬超から暇をもらい、これへ君を訪ねて来たのは、そのためにほかならないのだ」と、いった。
 姜叙、もとより多感な青年である。義のためには一身を亡ぼすも惜しみはないと、ここに義盟を結び、ひそかに兵備にかかった。
 歴城のうちに、姜叙が信頼している二名の士官がいる。統兵校尉の尹奉と趙昂とであった。
 趙昂の子の趙月は、冀城落城このかた、馬超のそば近くに小姓として仕えている。趙昂は家に帰ると、妻へ嘆いた。
「きょう姜叙の君から命をうけて、馬超を討つ兵備をせよと命じられたが、いかにせん、わが子は敵の城に在る。もしその父が姜叙に味方していると知れたら、たちまち、趙月は殺されてしまうだろう。いったいどうしたらよいか。そなたに何か名案はないか」
 趙昂の妻は、聞くと涙をうかべたが、その涙をみずから叱るように、声を励まして、良人へいった。
「ひとりの子を顧みて、主命を過ち、郷党を裏切りなどしたらあなたの武士が立たないのみか、ご先祖をけがし、子孫に生き恥をさらさせるものではありませんか。何を迷っていらっしゃるのですか。もしあなたが大義をすてて不義へ走るようなことがあったら、わたくしとて生きてはおりません」
 多年連れ添ってきた妻ながら、彼女の良人は、自分の妻の立派なことばに今さらの如く驚いた。
「よし。もう惑わぬ」
 姜叙、楊阜は歴城に屯し、尹奉と趙昂は、郷党の兵をひきいて、祁山へ進出した。
 すると、趙昂の妻は衣服や髪飾りを、のこらず売り払って、祁山の陣へ行き、
「門出の心祝いです。どうかこれを収めて、士卒のはしにいたるまで、一盞ずつわけてあげて下さい」と、途中、酒賈から購ってきた酒壺をたくさんに陣中へ運ばせた。
「これは、昂校尉の奥さんが髪かざりや衣服を売り払って、われわれの餞別に持ってきて下すったお酒だぞ」
 そういい聞かされて、兵隊たちへ酒をわかつと、みな感激して、涙とともに飲み、士気は慨然とふるい昂った。
 一方、このことはすぐ冀城に聞えたので、馬超の怒りはいうまでもない。
「趙昂の子、趙月の首を刎ねて、血まつりにしろ」
 一令、全軍を血ぶるいさせた。
 龐徳馬岱はすぐ発向した。馬超ももちろん猶予していない。殺気地を捲いて歴城へかけてきた。
 するとあたかも白鷺の大群のような真白な軍隊が道を阻めて待っていた。見れば、姜叙、楊阜以下、すべて白い戦袍に白い旗をかかげて、
「亡主の仇馬超を討ち、もって泉下の霊をなぐさめん」
 と、弔い合戦を決意した郷兵軍が、悲壮な陣を布いていたものであった。
「洒落くさい匹夫らめが」
 馬超は一笑して、雪を蹴立つがごと、白色軍を蹴ちらし始めた。

 馬超の勇は万夫不当だ。当然のように歴城の兵はふみつぶされてしまった。姜叙、楊阜もその敵ではなく、さんざんに敗れてひき退く。
 しかし、祁山に陣していた尹奉と趙昂とは、
「このためにわれここにあり」
 と、いわんばかり、突如、鼓をならして、馬超の側面へかかった。
 姜叙、楊阜は急に取って返して、
馬超、罠に落つ」
 と、郷兵の士気をはげましつつ側面へ出た味方と呼応して挟撃のかたちをとった。
 馬超の軍勢も一時は苦境に立った。けれど、装備の悪い地方郷党軍と、完全な装備を持った胡北の猛兵とは、とうてい、比較にならなかった。
 たちまち馬超軍は、その陣形の不利をもり返して、反撃に出てきた。またも、姜叙の歴城軍は、算をみだし、死屍を積み、いまや潰滅に瀕していた。
 ところへ、思わざる新手の大軍が、山をこえて、馬超軍のうしろからひた押しに攻めてきた。これなん長安夏侯淵であって、
「今や、曹丞相のお下知によって乱賊馬軍の征伐に下る。生命を保ちたいと願うならば、中央政府の旗幟のもとに拝跪せよ」と、諸将の口をもって、陣頭に呼ばわらせた。
 もとよりこの手勢は訓練もあり装備もすぐれている中央軍なので、さしもの馬超軍もさわぎ乱れ、
「よし、その分ならば出直して――」と大将馬超も逃げるしかなくなった。
 馬超は冀城まで引揚げてきた。ところが城へ近づくと、味方であるはずの城中から雨あられと矢を射てくる。
「ばか者っ。うろたえるな。よく眼をあいて我を見ろ」
 叱りながらなお城門の前へかかると、壁上から彼の眼のまえへ、いくつもの亡骸をほうり投げてきた。
「や。やっ?」
 見ればその一つは、わが妻の楊氏であった。また、ほかの三つは馬超の三人の子であった。
 なお、限りなく、城の上から死骸をほうり落してくる。そのすべてが、馬超の縁につながる肉親や一族たちであった。
「ううむっ……」
 胸ふさがって、さすがの馬超も馬から転げ落ちんとした。そこへ、馬岱龐徳が追いついてきて、
「城中の梁寛、趙衢のふたりが、留守を奇貨として、反旗をかかげ、夏侯淵に内応したものと思われます。ここにいてはご一身も危ないでしょう。いざ疾くほかへ」
 と、促して途々むらがる敵を払いながら、終夜、馳けとおした。
 忽然と、朝霧の中に、一城の門が見えた。馬超は大いに恐れて、
「ここはどこか」
 すると龐徳が云った。
「敵の歴城ですよ」
「えっ、歴城?」
 馬超はたじろいだ。つき従う味方の兵は、零々落々、わずか五、六十騎。いかに励んでも勝算はないと思ったからである。
 こういう窮極の壁を突破することによって、龐徳は一つの打開をつかむ機智をもっていたらしい。馬超馬岱を励まして、自ら先に立ち、
「姜叙の旗本である」と、怒鳴りながらどんどん城門内に入ってしまった。
 夜来、続々、勝ち戦の報を聞いて誇りぬいていた城兵は、突然、自分たちの懐の内から、大混乱が起ったので、上を下へと騒動した。
 城中へ入った馬超の一党は、姜叙の住居を襲って、その母を殺した。
 また尹奉、趙昂の邸を包囲し、その妻子召使いまで、みなごろしにしてしまった。ただ、かの貞節な趙昂の妻だけは、祁山の陣へ行っていたので、その難をのがれた。
 手薄な城兵も、みな逃げるか討たれるかして、歴城はわずか五、六十名の馬超軍によって占領されたが、しかし、それはたった一夜の安眠でしかなかった。
 あくる日になると、夏侯淵、姜叙、楊阜の軍が攻めてきて、たちまちこれを奪回し、馬超は乱軍のなかをよく戦いつつ、一族の馬岱龐徳などと共に、国外遠く、何処ともなく逃げ落ちて行った。

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