母子草

 于禁は四日目に帰ってきた。
 そのあいだ曹操は落着かない容子に見えた。しきりに結果を待ちわびていたらしい。
「ただいま立ち帰りました。遠く追いついて、蔡夫人、劉琮ともに、かくの如く、首にして参りました」
 于禁の報告に接して、初めてほっとした態である。劉表の血族は、これでほぼ絶えたに近い。運の末こそ哀れである。――曹操は一言、
「よし」と、云ったきりであった。
 また彼は、多くの武士を隆中に派して、孔明の妻や弟などの身寄りを詮議させていた。
 曹操孔明を憎むことはひと通りでなかった。
「草の根を分けても、彼の三族を捕えてこい」
 という厳命を発している。命をうけた部将たちは、手下を督励して、かの臥龍岡の旧宅をはじめ近村あまねく捜し求めたが、どうしても知れなかった。すでに孔明はこのことあるを知って、家族を三江の彼方へくらまし、里人も皆、彼の徳になついているので、曹操の捕手にたいして、何の手がかりも与えなかった。
 こんなことに暇どっている一方、曹操は毎日、荊州の治安やら旧臣の処置やら、また賞罰の事、新令発布の事など、限りもない政務に忙殺されていた。
「丞相。――お茶など献じましょうか」と、或る折、侍側の荀攸は、わざと彼の繁忙を妨げて云った。
「茶か。そうだな、一ぷく喫しようか」
「忙裏の小閑は命よりも尊し――とか。こういう時、一喫の茶は、生命をうるおします」
「ときに税務の処理は、片づいたか」
「税務よりは、もっと急がねばならないことがおありでしょう」
「何じゃ、そんなに急を要することとは」
「玄徳以下の者が、ここを逃げ去ってから、もう十日余りとなります。彼らがもし江陵の要害に籠り、そこの金銀兵糧などを手に入れたら如何なさいますか」
「あっ、そうだ!」
 曹操は、突然、卓を打って突っ立ちながら、
「忙におわれ、些末に拘泥しておって、つい大局を見失っていた。荀攸! なぜ其方は、もっと早く予に注意しなかったのだ」
「――でも、当の敵を、お忘れある筈はないと思っていましたから」
「ばかをいえ。こういそがしくては、誰しも、つい忘れることだってある。早く軍馬の用意を命じ玄徳を追撃させい」
「ご命令さえ出れば、決してまだ手おくれではありません。玄徳は数万の窮民を連れているので、一日の行程わずか十里という歩み方です。鉄騎数千、疾風のごとく追わせれば、おそらく二日のうちに捕捉することができましょう」
 荀攸はすぐ諸大将を城の内庭に集めた。令を下すべく曹操が立って見わたすところ、荊州の旧臣中では、ひとり文聘の姿だけが見えなかった。
「なぜ文聘はこれへ来ないか」
 と、呼びにやると、ようやく文聘はあとから来て、列将の端に立った。
「何ゆえの遅参か。申しひらきあらばいえ」
 曹操から譴責されて、文聘は、愁然とそれに答えた。
「理由はありません。ただ恥かしいのです。故劉表に託されて、自分は常に漢川の境を守り、もし、外敵の侵攻あるとも、一歩も敵に主君の地は踏ませじ――と誓っていたのに、事志とたがい、遂に、今日の現実に直面するに至りました。――その愧を思えば、なんで人より先に立って人なかへ出られましょう」
 さしうつ向いて、文聘は涙をたれた。曹操は感動して、
「いまの言葉は、真に国へ報じる忠臣の声である」
 といって、即座に彼の官職をひきあげて、江夏の太守関内侯とした。
 そして、まず、玄徳追撃の道案内として、文聘にそれを命じ、以下の大将に鉄騎五千をさずけて、「すぐ行け!」とばかり急きたてた。

 数万の窮民を連れ歩きながら、手勢はわずかに二千騎に足らなかった。
 千里の野を、蟻の列が行くような旅だった。道の捗らないことはおびただしい。
江陵の城はまだか」
「まだまだ道は半ばにすぎません」
 襄陽を去ってから、日はもう十幾日ぞ。――こんな状態でいったらいつ江陵へ着くだろうと、玄徳も心ぼそく思った。
「さきに江夏へ援軍をたのみにやった関羽もあれきり沙汰がない。――軍師、ひとつ御身が行ってくれないか」
 玄徳のことばに、孔明は、
「行ってみましょう。どんな事情があるかわかりませんが、この際は、それしか恃む兵力はありませんから」と、承知した。
「ご辺が参って、援軍を乞えば、劉琦君も決して嫌とは申されまい。――ご辺の計らいで、継母蔡夫人の難からのがれたことも覚えておられるだろうから……」
「では、ここでお別れしましょう」
 孔明は兵五百をつれ、途中から道をかえて、江夏へいそいだ。
 孔明と別れてから二日目の昼である。ふと、一陣の狂風に野をふりかえると、塵埃天日をおおい、異様な声が、地殻の底に鳴るような気がされた。
「はて、にわかに馬のいななき躁ぐのは――そも、何の兆だろう」
 玄徳がいぶかると、駒をならべていた糜芳糜竺、簡雍らは、
「これは大凶の兆せです。馬の啼き声も常とはちがう」と呟いて、みな怖れふるえた。
 そして、人々みな、
「はやく、百姓どもの群を捨て先へお急ぎなさらねば、御身の危急」
 と、口を揃えてすすめたが、玄徳は耳にも入れず、
「――前の山は?」と、左右に訊いた。
「前なるは、当陽県の水、うしろなる山は景山といいます」
 ひとりが答えると、さらばそこまでいそげと、婦女老幼の群れには趙雲を守りにつけ、殿軍には張飛をそなえて、さらに落ちのびて行った。
 秋の末――野は撩乱の花と丈長き草におおわれていた。日もすでに暮れかけると、大陸の冷気は星を研き人の骨に沁みてくる。啾々として、夜は肌の毛穴を凍らすばかりの寒さと変る。
 真夜中のころである。
 ふいに、人の哭きさけぶ声が、曠野の闇をあまねく揺るがした。――と思うまに、闇の一角から、喊声枯葉を捲き、殺陣は地を駆って、
「玄徳を逃がすな」
 と、耳を打ってきた。
 あなや! とばかり玄徳は刎ね起きて、左右の兵を一手にまとめ、生命をすてて敵の包囲を突き破った。
「わが君、わが君。――はやく東へ」
 と、教えながら、防ぎ戦っている者がある。見れば、後陣の張飛
「たのむぞ」
 あとを任せて、玄徳は逃げのびたが、やがて南のほう――長坂坡の畔りにいたると、ここに一陣の伏兵あって、
劉予州、待ちたまえ、すでにご運のつきどころ、いさぎよくお首をわたされよ」
 と、道を阻めて、名乗り立った一将がある。
 見れば、荊州の旧臣、文聘であった。彼は、義を知る大将と、かねて知っていた玄徳は、
「おう足下は、荊州武人の師表といわれる文聘ではないか。国難に当るや直ちに国を売り、兵難に及ぶやたちまち矛を逆しまにして敵将に媚び、その走狗となって、きのうの友に咬みかかるとは何事ぞ。その武者振りの浅ましさよ。それでも足下は、荊州文聘なるか」と、罵った。
 ――と、文聘は答えもやらず、面を赤らめながら遠く駆け去ってしまった。次に、曹操の直臣許褚が玄徳へ迫って来たが、その時はすでに張飛があとから追いついていたので、辛くも許褚を追って、一方の血路を切りひらき、無二無三、玄徳を先へ逃がして、なお彼はあとに残って、奮戦していた。

 しかし、張飛の力も、無限ではない。結局、一方の敵軍を、喰い止めているに過ぎない。
 その間に、なおも、玄徳を目がけて、
「遁さじ」
「やらじ」
 と、駆け追い、駆け争って来る敵は、際限もなかった。逃げ落ちて行く先々を、伏兵には待たれ、矢風は氷雨と道を横ぎり、玄徳はまったく昏迷に疲れた。睫毛も汗に濡れて、陽も晦い心地がした。
「ああ。――もう息もつけぬ」
 われを忘れて、彼は敢て馬からすべり降りた。五体は綿のごとく知覚もない。
「……おお」
 見まわせば、つき従う者どもも、百余騎しかいなかった。彼の妻子、老少を始め、糜竺糜芳趙雲、簡雍そのほかの将士はみな何処で別れてしまったか、ことごとく散々になっていたのである。
「百姓たちはどうしたか。妻子従者の輩も、一人も見えぬは如何にせしぞ。たとい木の木偶なりと、これが悲しまずにおられようか」
 玄徳はそういって、涙を流し、果ては声をはなって泣いた。
 ――ところへ……糜芳が満身朱にまみれて、追いついてきた。身に立っている矢も抜かず、玄徳の前に膝まずいて、
「無念です。趙雲子龍までが心がわりして、曹操の軍門に降りました」
 と、悲涙をたたえて訴えた。
「なに、趙雲が変心したと?」玄徳は、鸚鵡返しに叫んだが、すぐ語気をかえて、糜芳を叱った。
「ばかなことを! 趙雲とわしとは、艱難を共にして来た仲である。彼の志操は清きこと雪の如く、その血は鉄血のような武人だ。わしは信じる。なんで彼が富貴に眼をくらまされて、その志操と名を捨てよう!」
「いえいえ、事実、彼が味方の群れを抜けて、まっしぐらに、曹軍のほうへ行くのを、この眼で見届けました。確かに見ました」
 すると、横合いから、
「さてこそ。ほかにもそれを、見たという声が多い」
 と、呶鳴って、糜芳のことばを、支持したものがある。
 殿軍を果たして、今ここへ、追いついてきた張飛だった。
 気の立ッている張飛は、眦を裂いていう。
「よしっ。もう一度引っ返して、事実とあれば、趙雲を一鎗に刺し殺してくれねばならん。君にはどこぞへ身をかくして、しばしお体をやすめていて下さい」
「否々。それには及ばぬ、趙雲は決してこの玄徳を捨てるような者ではない。やよ張飛、はやまったこと致すまいぞ」
「何の! 知れたものではない」
 張飛はついにきかなかった。
 二十騎ばかりの部下をひきつれ、再びあとへ駆けだして行く。すると一河の水に、頑丈な木橋が架かっていた。
 長坂橋――とある。
 橋東の岸に密林があった。張飛は部下に何かささやいて、二十騎を林にかくした。部下は彼の策に従って、おのおの馬の尾に木の枝を結いつけ、がさがさと林の中をのべつ往来していた。
「どうだ、この計りごとは。まさか二十騎とは思うまい。四、五百騎にも見えようが」
 ほくそ笑みして、彼はただ一人、長坂橋の上に馬を立てた。そして大矛を小脇に横たえ、西のほうを望んでいた。
 ――ところで、噂の趙雲は、どうしたかというに。
 彼は襄陽を立つときから、主君の眷属二十余人とその従者や――わけても甘夫人だの、糜夫人だの、また幼主阿斗などの守護をいいつけられていたので、その責任の重大を深く感じていた。
 ところが、前夜の合戦と、それからの潰走中に、幼主阿斗、二夫人を始め、足弱な老幼は、あらかた闇に見失ってしまったのである。
 趙雲たるもの、何で、そのまま先を急がれよう、彼は、血眼となって、
「君にお合せする顔はない」
 と、夜来、敵味方の中を、差別なく駈けまわって、その方々の行方をさがしていたのだった。

 面目――面目――何の面目あってこのまま主君にまみえん?
「生命のある限りは」
 と、趙雲は、わずか三十余騎に討ちへらされた部下と共に、幾たびか敵の中へ取って返し、
「二夫人は何処? 幼君はいずれにおわすぞ」
 と、狂気のごとく、尋ねまわっていた。
 そうして、四方八面、敵味方の境もなく、馳けめぐっている野にはまた、数万の百姓が、右往左往、或いは矢にあたり、に打たれ、または馬に蹴られ、窪に転び落ちなど、さながら地獄図のような光景を描いていた。親は子を求め、子は親を呼び、女は悲鳴をあげて夫を追い、夫は狂奔して一家をさがし廻るなどと、その声は野に満ち、天をおおうばかりである。
「――やっ? 誰か」
 草の根に血は溝をなして流れている。趙雲はふと見たものに、はっとして駒を下りた。
 うっ伏している武者がある。近づいて抱き起してみると、味方の大将、簡雍であった。
「傷は浅いぞ、おうッいッ、簡雍っ――」
 簡雍は、その声に、意識づいて、急にあたりを見廻した。
「あっ、趙雲か」
「どうした? しっかりせい」
「二夫人は? ……。幼主、阿斗の君は、どう遊ばされたか?」
「それは、俺から聞きたいところだ。簡雍、おぬしはここまでお供してきたのか」
「むむ、これまで来ると、一彪の敵軍につつまれ、俺は敵の一将を討ち取って、お車の側へすぐ引っ返してきたが、時すでに遅しで」
「や。生擒りとなられたか」
「いや二夫人には、阿斗の君を抱き参らせて、お車を捨て、乱軍の中を、逃げ走って行かれたと――部下のことばに、すわご危急と、おあとを追って行こうとした刹那、流れ矢にあたったものか、後ろから斬りつけられたのか……その後は何もわからない、思うに、気を失っていたとみえる」
「こうしてはおられぬ。――簡雍、おぬしは君のおあとを慕って急げ」
 と、趙雲は彼を扶けて、駒の背に掻い上げ、部下を付けて先へ送らせた。
 そして、彼自身は、
「たとえ、天を翔け、地に入るとも、ご眷族の方々を探し当てぬうちは、やわか再び、君のご馬前にひざまずこうぞ」と、いよいよ、鉄の如き一心をかためて、長坂坡のほうへ馬を飛ばしていた。
 一隊の兵がうろうろしていた。手をあげて、
「趙将軍。趙将軍」と、彼を見かけて呼ぶ。
 それは、車をおす役目の歩卒たちである。趙雲は、振り向きざま、
「夫人のお行方を知らぬか」と、たずねた。
 車兵はみな指を南へさして、
「二夫人には、お髪をふりさばき、跣足のままで、百姓どもの群れにまじり、南へ南へ、人浪にもまれながら逃れておいでになりました」と、悲しげに訴えた。
「さては」と趙雲は、なおも馬を飛ばすこと宙を行くが如く、百姓の群れを見るごとに、
「二夫人はおわさぬか。幼君はおいでないか」と、声を嗄らしながら馳けて行った。
 するとまた、数百人の百姓老幼の一群に会った。趙雲が馬上から同じことばを声かぎりくり返すとわっと泣き放ちながら、馬蹄の前に転び伏した人がある。
 甘夫人であった。
 趙雲は、あなやと驚いて、鎗を脇に挟んで鞍から飛びおりざま、夫人を扶け起して詫びた。
「かかる難儀な目にお遭わせ申しましたのも、まったく臣の不つつかが致したこと、何とぞお怺えくださいまし。してしてまた、糜夫人と阿斗の君のお二方には、何処においで遊ばしますか」
「若君や糜夫人とも、初めはひとつに逃げのびていたが、やがて一手の敵兵に駈け散らされ、いつかはぐれてしもうたまま……」
 涙ながら甘夫人が告げているまに、辺りの百姓たちはまた、騒然と群れを崩して、蜘蛛の子のように逃げ出した。

前の章 赤壁の巻 第9章 次の章
Last updated 1 day ago