藤花の冠
一
王宮の千客は、みな眼をこすり合った。眼のせいか、気のせいかと、怪しんだのであろう。
ところへ、各人の卓へ、庖人が魚の鱠を供えた。左慈は、一眄して、
「魏王が一代のご馳走といってもいいこの大宴に、名も知れぬ魚の料理とは、貧弱ではないか。大王、なぜ松江の鱸をお取り寄せにならなかったか」
と、人もなげにいった。
曹操は、赤面しながら、
「温州の果実はともかく、鱸といっては生きていなければ値打ちがない。何で千里の松江から活けるまま持ってこられよう」と、客の百官に言い訳した。
「はて、さて、造作もないのに」
「左慈、あまりに、戯れをいって客の興をみだすまいぞ」
「いや、ほんとですよ。釣竿をおかしなさい」
左慈は、一竿を持って、欄の外へ、糸をたれた。玄武池の水は、満々とそよぎ立ち彼の袖がひるがえるたびに、たちまち、大きな鱸が何尾も釣りあげられた。
「大王、何尾ほど、ご入用ですか。松江の鱸は」
「左慈、汝の釣ったのは、みな予が池に放しておいた鱸だ。その鱸ならば、料理番でも釣っておる」
「嘘をおいいなさい。松江の鱸は、かならず腮が四つあります。そのほかの鱸は二つしかありません。見てごらんなさい」
試みに、客が、鱸の腮を調べてみると、どれもこれも、まさしくエラが四枚あった。
曹操も、客も、愕然たらざるはなかったが、なお何かで困らせてくれんものと、
「いにしえから、松江の鱸を鱠にして賞味するときには、かならず紫芽の薑をツマに添えるという。薑はあるか」
「おやすいこと」
左慈は、左の袂へ手を入れた。そして幾つかみもの薑を黄金の盆へ盛ってみせた。
「怪しげな?」と呟きながら、曹操は、近侍の者に、盆をこれへと命じた。近侍が、盆を捧げた。しかるに、いつのまにか、薑は一巻の書物に変っていた。
見ると「孟徳新書」という題簽がついている。曹操は、皮肉を感じて、むッとしたが、いずれは、打ち殺さんという肚があるので、さりげなく、
「左慈。これは誰の書いた書物か」と、空とぼけて訊いてみた。
「は、は、は、は。さて誰の著書でしょうな、どうせ大したものじゃありますまい」
試みに、曹操は手に取ってひらいてみると、自分の書いたものと一字一句も違わないので、いよいよ心中に、この怪士、生かしおくべからずと誓った。
左慈は、側へすすんできて、
「大王に、不老の千載酒をさしあげよう」
と、冠の上の玉を取って、盃の中ほどに一線を描き、その半分をまず自分が飲んで、曹操に献じた。
曹操が、その酒をふくんでみると、まるで水ッぽくて、飲めたものではない。思わず盃を下に置いて、癇癪を破裂させようとした刹那、さっと、左慈は手をのばして、盃を奪い取り、堂の天井へ向ってほうりあげた。
人々は、あッと、眼をあげた。愕くべし、盃は一羽の白鳩と変じ、羽ばたきして殿中を飛びまわっている。或いは、低く降りて、酒をこぼし、花をたおし、客の肩に、顔に、戯れまわって、果てしがない。
あれよ、あれよ、とばかり満座みな怪しみうろたえている間に、左慈のすがたは、いつのまにか消えていた。それと気づいて、曹操が、
「しまった。宮門を閉じろ」
あわただしく、近侍から諸門へ布令させると、何事ぞ、
「青い衣を着、藤の花を冠にさした怪奇な老人は、もう靴を鳴らして、城外の街をうろついている由です」
と、外門の将からいって来た。
「とらえて来い。いかなる犠牲を払っても」
曹操の峻烈な命は、すなわち許褚へ下った。大袈裟にも、許褚は万一を思って、親衛軍中の屈強五百騎をひきいてそれを追いかけた。
左慈のすがたに追いついた。
飄乎として、彼方へ、びっこをひいてゆくのが見える。――にもかかわらず、いかに悍馬に鞭打っても、少しもその後ろ姿に近づくことができなかった。
二
やがて、山の麓へ来た。
とうてい、追いつくべくも見えないので、許褚は、部下の五百騎に、
「射止めろ。弓で」と、大汗で励ました。
五百弓の弦がいちどに鳴った。ところが、彼方の左慈の姿は矢のさきに消えて、悠々と、地上に遊んでいる白雲の如き羊の群れだけがあった。
「てッきり、この中にいる」と、許褚は、そこへ来るや否、数百の羊を、一匹のこらず打ち殺した。
そして、引っ返してくるとその途中、おいおいと泣いている一人の童子に会った。
「こら、子供。何を悲しむか」
許褚が訊ねると、童子は恨めしそうに、
「おらの飼っている羊を、自分の手下にみな殺させておきながら、何を悲しむかもないもんだ。ばかやろう」
童子は、罵って、逃げだした。一人の部下は、あれも怪しいと、矢をつがえて、うしろから放った。
いくら射っても、矢はヘロヘロと地に落ちてしまった。その間に、童子はわが家へとびこんで、もっと大きな声して泣きぬいていた。
翌る日、童子の親が、王宮へ謝まりにきた。――きのう家の腕白が、お城の大将にむかって、羊を殺されたいまいましさの余り、悪口をたたいて逃げたそうですが、今朝起きてみると、一夜のうちに、死んだ羊がみな生きかえって、いつものように牧場で群れ遊んでいる。ふしぎでたまりませんが、事実なので、何はともあれ、小せがれの罪をおわびに参りました――というのである。
今朝、許褚の報告を聞いていたところへ、またこの奇怪な訴えだった。曹操は、悪寒がしてきた。
「どうあっても探しだせ。どうあっても打ち殺してしまわねばならん」
王宮の画工を招いて、左慈の肖像を画かせた。その人相書を原本として、各地へわたり、数千の同じ図を配布した。
「召し捕りました」
「捉えました」
三日もするうちに、各県郡から四、五百人も同じ左慈を差し立ててきた。王宮の獄は、左慈だらけになってしまった。なぜならば、そのどれを見てもびっこで、眇目である。そして藤の花を冠にさし、青い衣を着ている。
「よいよい。いちいち調べるのもわずらわしい」
曹操は命じて、城南の練兵場に、破邪の祭壇をしつらえさせた。そして羊や猪の血をそそぎ、四、五百人の左慈を珠数つなぎにひいて来て、一斉に、首を刎ねてしまった。
すると、屍の山から一道の青気がのぼって、空中に、霧の如く、ひとりの左慈が姿を見せた。左慈はそのとき、白い鶴に乗っていた。そして魏王宮の上を、悠々と飛翔しながら、やがて掌を打ちたたき、
――玉鼠金虎ニ随ッテ、奸雄一旦ニ休マン。
と、宇宙から呼ばわった。
曹操は、諸将に下知して、雲も裂けよと、弓鉄砲を撃ちかけた。すると、たちまち狂風吹き起って、沙を飛ばし、石を奔らせ、人々は地に面をおおい、天に眼をふさいだ。
この日、太陽は妙に白っぽく、雲は酔人の眼のように、赤い無数の虹を帯びていた。市人も、耕田の農夫も、
「これはいったい何の兆しだろう?」と、おそれ怪しみながら、茫然、天地を仰いでいたが、そのあいだに、城南の練兵場から、黄いろい砂塵が漠々と走って、王宮の門を入って行ったのを見た者があるという。
あとで聞けば。
練兵場に積みあげられた四、五百の屍が、またたく間に、みなむくむく起きだして、それが一かたまりの濛気となり、王宮の内へ流れ入ると、やがて池畔の演武堂にはしり上がり、四、五百体の左慈そのままな姿をもった妖人が、あやしげな声を張り、奇なる手ぶり足ぶりをして、約一刻のあいだも、舞い狂っていたということだった。
さしも豪胆な魏の諸大将も、これにはみな慄えあがり、曹操もまた、諸人に扶けられて、後閣に狂風を避けたが、その夜から彼は、近侍の者に、
「何となく悪寒がする」だの、
「風邪気味のせいか、物の味がわるい」
などと云い始めていた。