鉄鎖の陣

 数日の後。
 水軍の総大将毛玠、于禁のふたりが、曹操の前へ来て、謹んで告げた。
「江湾の兵船は、すべて五十艘六十艘とことごとく鎖をもって連ね、ご命令どおり連環の排列を成し終りましたれば、いつご戦端をおひらきあるとも、万端の手筈に狂いはございません」
「よし」
 すなわち曹操は、旗艦に上がって水軍を閲兵し、手分けを定めた。
 中央の船隊はすべて黄旗をひるがえし、毛玠、于禁のいる中軍の目印とする。
 前列の船団は、すべて紅旗を檣頭に掲げ、この一手の大将には、徐晃が選ばれる。
 黒旗の船列は、呂虔の陣。
 左備えには、翩々と青旗が並んで見える。これは楽進のひきいる一船隊である。
 反対の右側へは、すべて白旗を植え並べていた。その手の大将は夏侯淵。
 また。
 水陸の救応軍には、夏侯惇、曹洪の二陣がひかえ、交通守護軍、監戦使には、許褚張遼などの宗徒の輩が、さながら岸々の岩を重ねて大山をなすがごとく、水上から高地へかけて、固めに固めていた。
 曹操は小手をかざして、
「今日まで、自分もずいぶん大戦に臨んだが、まだその規模の大、軍備の充溢、これほどまで入念にかかった例しはない」
 われながら旺なる哉と思い、意中すでに呉を呑んでいた。
「時は来た」と、彼は、三軍に令した。
 即日、この大艦隊は、呉へ向って迫ることになった。
 三通の鼓を合図に、水寨の門は三面にひらかれ、船列は一糸みだれず大江の中流へ出た。
 この日、風浪天にしぶき、三江の船路は暴れ気味だったが、連環の船と船とは、鎖のために、動揺の度が少なかったので、士気は甚だふるい、曹操も、
龐統の献言はさすがであった」と、歓びをもらしていた。
 だが、風浪がやまないので、全艦艇は江を下ることわずか数十里の烏林の湾口に碇泊した。この辺までも陸地は要塞たることもちろんである。そしてここまで来ると、呉の本営である南の岸は、すでに晴天の日なら指さし得るほどな彼方にあった。
「丞相。また不吉なりと、お気にさわるやも知れませんが、ふと、この烈風を見て、心にかかりだしたことがありますが」
 程昱がこう彼に云い出したのである。
「何が不安か」
 と、曹操が聞くと、
「なるほど、鎖をもって、船の首尾を相繋げばこういう日にも、船の揺れは少なく、士卒の間に船暈も出ず、至極名案のようですが、万一敵に火攻めの計を謀られたら、これは一大事を惹起するのではありますまいか」
「はははは。案ずるをやめよ。時いま十一月。西北の風はふく季節だが、東南の風は吹くことはない。わが陣は、北岸にあり、呉は南にある。敵がもし火攻めなど行えば自ら火をかぶるようなものではないか。――呉に人なしといえ、まさかそれほど気象や兵理にくらいものばかりでもあるまい」
「あ。なるほど」
 諸将は、曹操の智慮にみな感服した。何といっても、彼に従う麾下の将士は、その大部分が、青州冀州徐州、燕州などの生れで、水軍に不馴れな者ばかりだったから、この連環の計に不賛成をとなえるものは少なかった。
 かくて、風浪のやや鎮まるのを待つうちに、もと袁紹の大将で、いまは曹操に仕えている燕の人、焦触、張南のふたりが、
「不肖、幼少から水には馴れている者どもです。ねがわくはわれわれに二十艘の船をかし給え、序戦の先陣を仰せつけ下されたい」と、自身から名乗って出た。

「そちたちは皆、北国の生れではないか。船二十艘を持って、何をやるというのだ。児戯に類した真似をして、敵味方に笑われるな」
 と、叱っただけで、曹操は二人の乞いをゆるさなかった。
 焦触、張南は大いに叫んで、
「これは心外な仰せです。われらは長江のほとりに育ち、舟を操ること、水を潜ること、平地も異なりません。万一、打ち負けて帰ったら軍法に糺して下さい」
「意気は賞めてつかわすが、何もそう逸って生命を軽んじないでもいい。――それに大船、闘艦はすべて鎖をもってつなぎ、走舸、蒙衝のほかは自由に行動できぬ」
「もとより大船や闘艦を拝借しようとは申しません。蒙衝五、六隻、走舸十数艘、あわせて二十もあればよいのです」
「それで何とする気か」
「張南と二手にわかれて、敵の岸辺へ突入し、呉の気勢をくじいて、このたびの大戦の真先に立ちたいのです」
 焦触は熱望してやまない。それほどにいうならばと、ついに曹操も彼の乞いを容れた。
「しかし、二十艘では危ない」
 と、大事をとって、別に文聘に三十艘の兵船をさずけ、兵五百をそれに附した。
 ここで一応、当時の船艦の種別や装備をあらまし知っておくのも無駄であるまい。大略、説明を加えておく。

闘艦=これは最も巨きくまた堅固にできている。艦の首尾には砲を備えつけ、舷側には鉄柵が結いまわしてある。また楼には弩弓を懸連ね、螺手鼓手が立って全員に指揮合図を下す。ちょうど今日の戦闘艦にあたるものである。
大船=と呼ぶふつう兵船型のものは、現今の巡洋艦のような役割をもつ。兵力軍需の江上運輸から戦闘の場合には闘艦の補助的な戦力も発揮する。
蒙衝=船腹を総体に強靱な牛の皮で外装した快速の中型船。もっぱら敵の大船隊の中を駆逐し、また奇襲戦に用いる。兵六、七十人は乗る。
走舸=これは小型の闘艦というようなもの、積載力二十人あまり、江上一面にうんかの如く散らかって、大船闘艦へ肉薄、投火、挺身、あらゆる方法で敵を苦しませる。

 ――このほかにもなお、雑多な船型や、大小の種類もあるが、総じて船首の飾りや船楼は濃厚な色彩で塗りたて、それに旌旗や刀槍のきらめきが満載されているので、その壮大華麗は水天に映じ、言語を絶するばかりである。
 さて――。
 呉の陣営のほうでも、決戦の用意おさおさ怠りなかった。駈けちがい駈けちがい軽舸のもたらしてくる情報はひきもきらない。
 また、附近の山のうえには、昼夜、物見の兵が江上に眼を光らし、芥の流れるのも見のがすまいとしていた。
 今。――そこに監視していた部将と兵の一団が、突然、
「来たっ」
「おうっ、敵の船が」
 と、大きく叫んだかと思うと、だだっと駈け降りて来て、周都督の本陣のうちで呶鳴っていた。
「二列、二手にわかれた敵の蒙衝と走舸が、波をついて、こなたへ襲せてきます。敵です! 敵です!」
 それと共に、山の上からは、物見のあげた狼煙のひびきが、全軍へわたって、急を報らせていた。
「すわ」
 周瑜もすぐ轅門に姿をあらわしたが、ひしめく諸将に向って、
「立ちさわぐには及ばん。たかの知れた小船隊だ。たれか進んで、江上に打砕き、序戦の祝いに手柄を立ててみる者はないか」といった。
 韓当、周泰のふたりが、
「仰せ、承りました」
 と、すぐ江岸から十数艘の牛革船を解き放ち、左右から鼓を鳴らして敵船へ迫って行った。

 周瑜は陣後の山へ駈けのぼって行った。望戦台から手をかざして見る。江上の接戦はもう飛沫の中に開かれている。
 快速の舟艇ばかり三、四十が入り乱れて矢を射交わしている様子。魏の焦触、張南のふたりは、遮二無二、岸へ向って突進をこころみ、
「第一に陸地を踏んだ者には、曹丞相に申しあげて、軍功帳の筆頭に推すぞ。怯むな面々」
 と、声をからして奮戦を励ました。
 呉の大将韓当は、それを防ぎ防ぎ自身、長槍を持って一艇の舳に立ち現れ、
「御座んなれ、みな好餌だ」と、横ざまに艇をぶつけて行った。
 焦触は、何をとばかり、矛をふるって両々譲らず十数合ほど戦ったが、風浪が激しいため、舟と舟は揉みに揉みあい、勝負はいつ果てるとも見えない。
 ところへ、呉の周泰がまた、船を漕ぎよせて、
「韓当韓当。いつまでそんな敵に手間どるのだ」
 と、励ましながら、手の一槍を風に乗って、ぶうんと投げた。
 敵の焦触は、見事、投げ槍に串刺しにされて、水中へ落ちた。彼の副将張南は、それと見るや、
「おのれっ」と、弩を張って、周泰の舟へ近づきながら、雨あられと矢を向けてきた。
 周泰は舷の陰にひたと身を伏せたまま、矢面をくぐって敵艇へ寄せて行ったが、どんと、船腹と船腹のあいだに勢いよく水煙があがったせつなに、おうっと一吼して、相手の船中へ躍りこみ、張南をただ一刀に斬りすてたのみか、その艇を分捕ってしまった。
 かくて水上の序戦は、魏の完敗に終り、首将ふたりまで打たれてしまったので、魏の船はみだれみだれて風波の中を逃げちらかった。
「――おう、おうっ、味方の大捷だ。江上戦は有利に展開したぞ」
 望戦台の丘に立ってこれを見ていた周瑜の喜色はたいへんなものである。――が、戦況の変はたちまち一喜一憂だ。やがて彼のその顔も暗澹として、毛穴もそそけ立つばかり不安な色を呈して来た。というのは、敗報をうけた曹操が、小癪なる呉の舟艇、一気に江底の藻屑にせん、と怒り立って、そのおびただしい闘艦、大船の艨艟をまっ黒に押し展き、天も晦うし、水の面もかくれんばかり、呉岸へ向って動き出してくる様子なのである。
「ああ、さすがは魏。偉なるかな、その大船陣。われ水軍を督すること十年なれど、まだこんな偉容を水上に見たことはない。いかにしてこれを破るべきか」
 眼に見ただけで、周瑜はすでに気をのまれたかたちだった。懊悩戦慄、ほどこすべき術も知らなかった。
 すると突然、江上の波は怒り、狂風吹き捲いて、ここかしこ数丈の水煙が立った。そして曹操の乗っている旗艦の「帥」字の旗竿が折れた。
「――あれよ」と、立ち騒ぐ江上の狼狽ぶりが眼に見えるようだった。臨戦第一日のことだ。これは誰しも忌む大不吉にちがいない。間もなく連環の艨艟はことごとく帆をめぐらし舵を曲げて、烏林の湾口ふかく引っ返してしまった。
「天の佑けだ。天冥の加護わが軍にあり」
 と、周瑜は手をたたいて狂喜した。しかるに、江水を吹き捲いた龍巻は、たちまち一天をかき曇らせ、南岸一帯からこの山へも、大粒の雨を先駆として、もの凄まじく暴れまわって来た。
「あッ」
 と、周瑜が絶叫したので、まわりにいた諸大将が仰天して駈けよってみると、周瑜のかたわらに立ててあった大きな司令旗の旗竿が狂風のため二つに折れて、彼の体はその下に圧しつぶされていたのだった。
「おおっ、血を吐かれた」
 諸人は驚いて、彼の体をかかえ上げ、山の下へ運んで行ったが、周瑜は気を失ってしまったものらしく途中も声すら出さなかった。

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