藤甲蛮
一
すでに国なく、王宮もなく、行くに的もない孟獲は、悄然として、
「どこに落着いて、再挙を図ろうか」と、周囲の者に諮った。
彼の妻の弟、帯来がいった。
「ここから東南の方、七百里に、一つの国がある。烏戈国といって、国王は兀突骨という者です。五穀を食まず、火食せず、猛獣蛇魚を喰い、身には鱗が生えているとか聞きます。また、彼の手下には、藤甲軍と呼ぶ兵が約三万はおりましょう」
「藤甲軍というのは?」
「烏戈国の山野いたる所、山藤がはびこっているので、その蔓を枯らして後、油に浸し、また陽にさらしては油に漬け、何十遍かこれをくり返して、それで甲を編むのです。この甲を着こんだ兵を名づけて藤甲軍といい、まだこれに勝った四隣の国はありません」
「どうしてだろう」
「藤甲の特徴は、第一水に濡れても透しません。第二は非常に軽いので、身体軽敏です。第三には、江を渡るにも船を用いず、藤甲の兵はみなよく水に身を浮かして自由自在に浮游します。第四には弓も刀も刃が立たないほど強靱なんです」
「なるほど、それでは無敵だろう。ひとつ兀突骨に会ってこの急場を頼んでみよう」
自身、一族敗兵を従えて、烏戈国へ頼って行った。
議にも及ばず、兀突骨は「よろしい」と大きくうなずいた。即座に三万の部下は藤甲を着こんで、洞市に集まった。
孟獲の残兵もおいおい寄って、合せて十万余、烏戈国を発して、桃葉江に陣した。
この江は、水あくまで碧く、両岸には桃の樹が多く茂っている。年経れば葉は河水に落ちて、一種の毒水を醸し、その水を旅人が呑めば甚だしく下痢を病む。が烏戈国の土人には、かえって精力を加える薬水になると云い伝えられている。
孔明は、銀坑の蛮都に入ってから、これを治めて掠めず、これを威服せしめて殺戮せず、克くただ徳を布き、さらに軍をととのえて、王征を拡大して来た途にあった。
「魏延、一手を引いて、桃葉の渡口を見てこい。ただ一当てして、彼の勢いを測ってくればよいぞ」
孔明の旨をうけた魏延は、すぐ先発して、桃江へおもむいた。途中すでに、烏戈国の兵と孟獲の聯合軍にぶつかった。蛮軍は気負うこと満々、大胆にも、江を渡って攻勢を取ってきたものである。
彼は新手の大軍、魏延の隊は小勢でもあったが、蛮軍は喊声をあげ、その猛威は、完全に昨日の気勢を盛り返していた。
のみならず、序戦まず驚いたのは、蜀軍の射る矢が一つも功を奏さないことだった。あたってもあたっても矢は敵兵の体からはね返ってしまう。
白兵戦となっても、彼の五体には、刀がとおらない。その自信もあるので藤甲軍の士気は猛烈で、噛みつくように蛮刀を揮ってくる。
蜀兵はたちまち斬り立てられ追い立てられて、総潰乱を起した。
「ひとまず退け」
角笛を吹き鳴らして、兀突骨は悠々兵を引きあげた。孟獲よりも兵法を知る者だった。
その帰るや、江を渡って行くのに、藤甲の兵はみな流れに身を浮かせて、あたかも水馬の群れが泳ぐようにやすやすと対岸へ上がって行った。
中には暑いので、藤蔓の甲を脱ぎ、水に浮かせて、その上に坐って渡ってゆく兵などもある。
魏延は見て愕いた。ありのままを孔明に伝え、
「不思議な異蛮です」
と語ると、孔明も首をかしげていたが、やがて呂凱を呼び、
「どこの蛮国か」と訊ねた。
呂凱は地図を按じて後、
「さては烏戈国の藤甲軍でしょう。とても人倫をもって律せられない野蛮の兵です。加うるに桃花水の毒は蛮外の人間には汲むべからざるものです。もはやこの辺でお引揚げになっては、どうです。あんな半獣半人の軍を敵にしていた日にはたまりません」と極力、引揚げをすすめた。
二
呂凱の諫めは諒としたが、孔明は面を振って、左右の者にもいった。
「事を成しかけて終始を全うしないほど大なる罪はない。その兵の無駄は幾何か。幾万の霊に何と謝すべきか。――ましてこの蛮界に王風を布くに、一隅の闇をも余して引揚げてはすべてを無意味にする」
次の日、彼は自ら四輪車を進ませて、桃葉江岸を一巡し、附近の地勢を視て廻った。
さらに、車をおりて、徒歩、北方の一山へ登って、嶮しきを探り按じ、黙々陣地へ帰ってくると、すぐ馬岱を招いて、
「先頃用いた木獣車のほかに、なお黒い櫃を載せた十余輛の戦車があるであろう。汝はそれを曳いて、一軍の兵と共に、桃葉江の北にある盤蛇谷の内に潜め。――そして戦車をこう用いるがよい」と、何事か小声で綿密なる秘策をさずけた。
よほど秘密裡に行う必要があるとみえ、孔明は、いつになく厳として、
「もし事洩れて内より敗れたときは、軍法に問うて罰するぞ。抜かりあるな」と、戒めた。
馬岱の軍は、十余輛の戦車とともに、その日の夜中から忽然影を消していた。
翌朝、孔明はまた趙雲を呼び、一軍を授けて、
「ご辺は、盤蛇谷の裏から三江へわたる大路へ出で、かくかくの用意をなせ。必ず日限を誤るな」
と、云い渡した。
また、次には魏延が呼び出されて、
「御身は、精鋭を率い、敵の真正面に出で、桃江の岸に陣を構えろ。兵は望むままの数を連れてゆくがいい」と孔明からいわれたので、魏延は、我こそ先鋒の最前線を承る者なり、と大いに歓んでいると、
「だが――」と、孔明は、語を継いで彼の勇躍を押えるようにいった。
「くれぐれも勝ってはならんぞ。もし敵が江を渡って強襲して来たら程よく戦っては退け。陣屋も捨てて逃げろ。――その逃げる先には白旗を立てておく。敵がまた、そこへ襲せてきたら、さらに潰走して、次の白旗の立っている陣まで奔れ。いよいよ、敵は勝ちに乗るだろう。汝は、さらに第四の白旗の見ゆる地、第五の白旗の見ゆる地と、次々陣屋を放棄して、醜く逃げ続けよ」
魏延は面をふくらませた。
「いったい、何処まで逃げろと、仰せられるのですか」
「およそ十五日の内に、十五度の戦いに負けて、七ヵ所の陣地を捨て、ただ身をもって、白旗の見える所へのがれればよいのだ」
「ははあ、さようで」
軍令なので否めないが、魏延は怏々と楽しまない顔をして退がった。
そのほか張翼、張嶷、馬忠なども、それぞれ命をうけて部署に赴き、
「このたびこそは蛮土の敵性を抜き尽すぞ」とある孔明の言明に、各〻、手具脛ひいて、戦機を測っていた。
ときに兀突骨と孟獲は、いちど江南に退いて、大いに驕りながらも、お互いに軽挙を戒め合っていた。
「何しても、孔明という奴、詐術に富んで、何をやるか知れない。どうか突骨大王にも、そこをよく気をつけて、林の内、山の陰、およそ兵を隠す所があったら、よくご注意ねがいたい」
「なあに孟獲。そのへんは、心得ておるよ。おぬしこそ、とかく逸り気だから気をつけろ」
見張りの蛮兵が、報告に来た。
「ゆうべから北岸に、蜀兵が陣屋を作りだしています。だいぶ沢山な軍勢です」
「どれ、どれ」
二蛮王は、岸へ出て、手をかざした。
「あの要所に、堅固な陣屋を作られては、ちとうるさい。今のうちに揉みつぶせ」
命令一下、藤甲の蛮勢は、たちまち水を渡って、そこを襲撃した。
戦い戦い魏延は逃げた。
ところが、蛮軍は懲りている。深くは追ってこないのだ。勝ちを収めると、あざやかに水を渡って、もとの対岸へ引揚げてしまう。
魏延もまた、前の岸へ帰って、陣屋を構築しだした。孔明から新手の兵が追加された。それを見ると蛮軍もまた人数を増して、攻撃を再開してきた。