南風北春
一
「逃がしては!」と、徐盛は、水夫や帆綱の番を励まして、
「追いつけ。孔明の舟をやるな」と、舷を叩いて励ました。
先へ舟を早めていた孔明は、ふたたび後から追いついて来る呉の船を見た。孔明は、笑っていたが、彼と船中に対坐していた一人の大将が、やおら起って、
「執念ぶかい奴かな。いで、一睨みに」
と、身を現して、舷端に突っ立ち、徐盛の舟へ向って呼ばわった。
「眼あらば見よ、耳あらば聞け。われは常山の子龍趙雲である。劉皇叔のおいいつけをうけて、今日、江辺に舟をつないで待ち、わが軍の軍師をお迎えして夏口に帰るに、汝ら、呉の武将が、何の理由あって阻むか。みだりに追い来って、わが軍師に、何を働かんといたすか」
すると、徐盛も舳に立ち上がって、
「いやいや、何も諸葛亮を害さんためではない。周都督のお旨をうけ、いささか亮先生に告ぐる儀あり。しばらく待ち給えというに、なぜ待たぬか」
「笑止笑止。その物々しい武者どもを乗せて、害意なしなどとは子どもだましの虚言である。汝らこれが見えぬか」と、趙子龍は、手にたずさえている強弓に矢をつがえて示しながら、
「この一矢を以て、汝を射殺すはいとやすいが、わが夏口の勢と呉とは、決して、対曹操のごときものではない。故に、両国の好誼を傷つけんことをおそれて、敢て、最前から放たずにいるのだ。この上、要らざる舌の根をうごかし、みだりに追いかけて来ぬがよいぞ」
と、大音を収めたかと思うと、とたんに、弓をぎりぎりとひきしぼって、徐盛のほうへ、びゅっと放った。
「――あっ」と、徐盛も首をすくめたが、もともとその首を狙って放った矢ではない。矢は、彼のうえを通り越して、うしろに張ってある帆の親綱をぷつんと射きった。
帆は大きく、横になって、水中に浸った。そのため、船はぐると江上に廻り、立ち騒ぐ兵をのせたまま危うく顛覆しそうに見えた。
趙雲は、からからと笑って、弓を捨て、何事もなかったような顔して、ふたたび孔明とむかい合って話していた。
水びたしの帆を張って、徐盛がふたたび追いかけようとした時は、もう遠い煙波の彼方に、孔明の舟は、一鳥のように霞んでいた。
「徐盛。むだだ。やめろやめろ」
江岸から大声して、彼をなだめる者があった。
見れば、味方の丁奉である。
丁奉は、馬にのって、陸地を江岸づたいに急ぎ、やはり孔明の舟を追って来たのであるが、いまの様子を陸から見ていたものと見え、
「とうてい、孔明の神機は、おれ達の及ぶところでない。おまけに、あの迎えの舟には、趙雲が乗っているではないか。常山の趙子龍といえば、万夫不当の勇将だ。長坂坡以来、彼の勇名は音に聞えている。この少ない追手の人数をもって、追いついたところで、犬死するだけのこと。いかに都督の命令でも、犬死しては何もならん。帰ろう、帰ろう、引っ返そう」
手合図して、駒をめぐらし、とことこと岸をあとへ帰って行く。
徐盛もぜひなく、舟をかえした。そして事の仔細を、周瑜へ報告すると、
「また孔明に出し抜かれたか」と、彼は急に、臍をかむように罵った。
「これだから自分は、彼に油断をしなかったのだ。彼は決して、呉のために呉の陣地へ来ていたのではない。――ああ、やはり何としてでも殺しておけばよかった。彼の生きているうちは、夜も安らかに寝られん」
一度は、深く孔明に心服した彼も、その心服の度がこえると、たちまち、将来の恐怖に変った。いっその事、玄徳を先に討ち、孔明を殺してから、曹操と戦わんか。――などと云い出したが、
「小事にとらわれて、大事を棄つる理がありましょうか。しかも眼前に、あらゆる計画はもうできているのに」と、魯粛に諫められて、迂愚ではない彼なので、たちまち、
「それは大きにそうだ!」
と、曹操との大決戦に臨むべく、即刻、手分けを急ぎだした。
底本:「三国志(四)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
1989(平成元)年4月11日第1刷発行
2008(平成20)年12月1日第54刷発行
「三国志(五)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
1989(平成元)年4月11日第1刷発行
2010(平成22)年5月6日第56刷発行
※「輌」と「輛」の混在は底本通りです。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2013年7月11日作成
2015年7月24日修正
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