酔計二花

 周瑜は、呉の先主、孫策と同じ年であった。
 また彼の妻は、策の妃の妹であるから、現在の呉主孫権周瑜とのあいだは、義兄弟に当るわけである。
 彼は、盧江の生れで、字を公瑾といい、孫策に知られてその将となるや、わずか二十四歳で中郎将となったほどな英俊だった。
 だから当時、呉の人はこの年少紅顔の将軍を、軍中の美周郎と呼んだり、周郎周郎と持てはやしたりしたものだった。
 彼が、江夏の太守であったとき、喬公という名家の二女を手に入れた。姉妹とも絶世の美人で、
 ――喬公の二名花
 と、いえば呉で知らない者はなかった。
 孫策は、姉を入れて妃とし、周瑜はその妹を迎えて妻とした。――が間もなく策は世を去ったので、姉は未亡人となっていたが、妹は今も、瑜のまたなき愛妻として、国もとの家を守っていた。
 当時、呉の人々は、
(喬公の二名花は、流離して、つぶさに戦禍を舐めたが、天下第一の聟ふたりを得たのは、また天下第一の幸福というものだ)といって祝福した。
 わけて、青年将軍の周瑜は、音楽に精しく、多感多情の風流子でもあった。だから宴楽の時などでも、楽人の奏でる調節や譜に間違いがあると、どんなに酔っているときでも、きっと奏手の楽人をふりかえって、
(おや。いまのところは、ちょっとおかしいね)
 と、注意するような眼をするのが常だった。
 だから当時、時人のうたう中にも、

曲ニ誤リアリ
周郎、顧ミル

 という歌詞すらあるほどだった。
 こういう周瑜も、今は孫策亡きあとの呉の水軍提督たる重任を負って、鄱陽湖へ来てからは、家にのこしてある愛妻を見る日もなく、好きな音楽に耳を洗ういとまもなく、ひたすら呉の大水軍建設に当っていた。
 しかもその水軍がものいう時機は迫っていた。魏の水陸軍百万乃至八十万というものが南下を取って、

我ニ質子ヲ送リ、
我軍門ニ降ルカ
我ニ兵ヲ送リ、
我粉砕ヲ受ケルカ

 と、すこぶる高圧的に不遜な最後通牒を呉へ突きつけてきているという。
 もとより周瑜がそれを知らないはずはない。しかし、彼の任は政治になく、水軍の建設とその猛練習にある。――今日も彼は、舟手の訓練を閲して、湖畔の官邸へひきあげて来ると、そこへ孫権からの早馬が来て、
「すぐさま柴桑城までお出向きください。国君のお召しです」
 と、権の直書を手渡して帰って行った。
「いずれは……」と、かねて期していたことである。周瑜は、ひと休みすると、すぐ出立の用意をしていた。ところへ、日頃、親密な魯粛がたずねて来て、
「いま、お召しの使いがあったでしょう。実は、その儀について、あらかじめ提督にお告げしておきたいことがあって参ったのです」と、孔明の来ている事情から、国臣の意見が二つに分れている実情などをつぶさに話し、――それに加えて、ここで呉が曹操に降伏したら、すでに地上に呉はないも同様であると、自分の主張をも痛論した。
「よろしい。ともかく、孔明と会ってみよう。――柴桑城へ伺うのは、孔明の肚を訊ねてみてからでも決して遅くはあるまいからともかく彼をつれて来給え。それまで登城をのばして待っているから」
 周瑜のことばに、魯粛は力を得て、欣然、馬をかえして行った。――すると、同日の午過ぎ、またもや、張昭、顧雍、張紘、歩隲などの非戦派が、打ち揃ってここへ訪れ、
魯粛が来たのでしょう。実に怪しからん漢だ。何の故か、彼は孔明のために踊らされて、国を売り、民を塗炭の苦しみに投げこもうと、ひとりで策動しておる。――この危機と岐路に立って、提督はいったいどういうご意見を抱いておられますか」
 と、周瑜を囲んで、論じ立てるのであった。

 四名の客を見くらべながら周瑜はいった。
「各〻のご意見はみな、不戦論に一致しているわけかな?」
「もちろん吾々の議決はそこに一致しています」
 顧雍の答を聞いて、周瑜は大きくうなずきながら、
「同感だな。実は自分も疾くから、ここは戦うべきに非ず、曹操に降って和を乞うのが呉のためだと考えていたところだ。明日は柴桑城にのぼって、呉君にも申しのべよう。きょうはひとまずお帰りあるがいい」と、いった。
 四名は喜んで立ち帰った。しばらくするとまた、一群れの訪客が押しかけてきた。黄蓋、韓当、程普などという錚々たる武将連である。
 客間に通されるやいな、程普黄蓋などこもごもに口をひらきだした。
「われわれは先君破虜将軍にしたがって呉の国を興して以来、ひとえに一命はこの国に捧げ、万代鎮護の白骨となれば、願いは足る者どもです。然るにいま、呉君におかれては、碌々一身の安穏のみを計る文官たちの弱音にひかれて、遂に、曹操へ降伏せんかの御気色にうかがわれる。実に残念とも何ともいいようがありません」
「たとえ吾々の身が、ずたずたにされようとも、この屈辱には忍び得ない。誓って、曹操の前に、この膝は屈せぬつもりです。――提督はそも、この事態にたいし、いかなるご決心を抱いておらるるか。きょうはそれを伺いに来たわけですが」と、周瑜を囲んでつめ寄った。
 周瑜は、反問して、
「では、この座にある方々は、すべて一戦の覚悟を固めておるのか」
 黄蓋は主の言下に自分の首すじへ丁と手を当てて見せながら、
「この首が落ちるまでも、断じて、曹操に屈伏せぬ心底です」と、いった。
 ほかの武将も、異口同音に、誓いを訴え、即時開戦の急を、激越な口調で論じた。
「よしよし、この周瑜も、もとより曹操如きに降る気はない。しかし、きょうの所はひとまず静かに引揚げたがいい。事は明日決するから」と、なだめて帰した。
 夕方に迫って、また客が来た。刺を通じて、
「――これは闞沢、呂範、朱治、諸葛瑾などの輩ですが、折入って、提督にお目にかかりたい」
 なお附け加えて、
「国家の一大事について」と申し入れた。
 この人々は、いわゆる中立派であった。主戦、非戦、いずれとも考えがつかないために来たのである。
 周瑜は、その中にある諸葛瑾を見て、まず問うた。
「あなたはどう考えているのですか。あなたの弟諸葛亮は、玄徳のむねをうけて、呉との軍事同盟をはかり、共に曹操に当らんという使命をもって来ておる由だが」
「それ故に、てまえの立場は、非常に困っております。私は孔明の兄だとみられておりますから。――で、実は、わざと商議にも関わらず、心ならずも局外に立って、この紛論をながめているわけです」
「それは、どうかと思うな」と周瑜は唇もとをゆがめて、
「ご辺の立場は分るが、兄であるとか弟であるとか、そんなことは私事だ。家庭の問題とはちがう。孔明はすでに他国の臣。ご辺は呉の重臣。おのずから事理明白ではないか。呉臣として、貴公の信ずるところは、戦いにあるのか降伏にあるのか」
 瑾は、沈黙していたが、
「降参は安く、戦は危うし。呉の安全を考えるときは、戦わぬに限ると思います」
 と、やがて答えた。
 周瑜はゆがめていた唇もとから一笑を放って、
「では、弟の孔明とは、反対なお考えだな。なるほどご苦衷だろう。――ともあれ大事一決の議は、明日、それがしが君前に伺った後にする。今日は帰り給え」
 かくてまた、夜に入ると、呂蒙だの、甘寧だのという名だたる将軍や文官たちが、入れ代り立ちかわり、ここの門へ入ってはたちまち出て行った。それは実におびただしい往来だった。

 夜が更けても、客の来訪はやまない。そして、
「即時開戦せよ」
 という者があるし、
「いや、和を乞うに如かず」
 と、唱えるものがあるし、何十組となく客の顔が変っても、依然、いっていることは、その二つのことをくり返しているに過ぎなかった。
 ところへ、取次ぎの者が、そっと主の周瑜に耳打ちした。
魯粛どのが、仰せに従って、ただ今、孔明をつれて戻って見えられましたが」
 周瑜も小声でいいつけた。
「そうか。では、ほかの客にはそっと、べつな部屋へ通しておけ、奥の水亭の一室がよかろう」
 それから周瑜は、大勢の雑客に向って、
「もう議論は無用にしてくれ。すべては明日君前で一決する。各〻は立ち帰って明日のために熟睡しておくべきだろう。そのほうがどんなに意義があるかしれん」と、燭を剪って、
「わしも今宵はもう眠るから」と、追い返すように告げて別れた。
 詮方なく一同が帰ってゆくと、周瑜は衣をかえて、魯粛と、孔明とを待たせてある水閣の一欄へ歩を運んできた。――どんな人物であろう?
 これは主客双方で想像していたことであろう。周瑜のすがたを見ると、孔明は起って礼をほどこし、周瑜は、辞を低うして、初対面のあいさつを交わした。
 鄱陽湖の水面は夜を抱いて眠っていた。ひそかな波音が欄下をうつ。雲をかすめて渡る鳥の羽音すら燭にゆれるかのようである。恍惚――寂寞のなかに主客はややしばし唇をつぐみ合っていた。
 楚々――いとも楚々として嫋やかな佳嬪が列をなしてきた。おのおの、酒瓶肉盤をささげている。酒宴となった。哄笑、談笑、放笑、微笑。孔明周瑜とはさながら十年の知己のように和やかな会話をやりとりした。
 そのあいだに、
 孔明周瑜をどう観たか。
 周瑜孔明の腹をどう察したか。
 傍人には知る限りでない。
 やがて、座をめぐる佳人もみな退いて、主客三人だけとなったのを見すまして、魯粛は単刀直入に彼の胸をたたいてみた。
「提督のお肚はもう決まっておりましょうな。最後の断が」
「決まっておる」
「戦いますか。いよいよ」
「……いや」
「では、和を乞うおつもりなので?」
 と、魯粛は眼をかがやかして、周瑜の面を見まもった。
「やむを得まい! どう考えてみたところで」
「えっ、然らば、提督までが、すでに曹操へ降参するお覚悟でおられるのですか」
「そういえば、はなはだ屈辱のようだが、国を保つためには、最善な策じゃないかな」
「こは、思いがけないことを、あなたのお口から承るものだ。そもそも、呉の国業は、破虜将軍以来、ここに三代の基をかため、いまや完き強大を成しておる。この富強は、われわれ臣下の子孫をして、懦弱安穏をぬすむために、築かれてきたものではありますまい。一世堅君のご創業の苦心、二世策君の血みどろなご生涯。それによって建国されたこの呉の土を、むざむざ敵将操の手にまかしていいものでしょうか。汲々、一身の安全ばかり考えていていいでしょうか。それがしは思うだに髪の毛が逆立ちます」
「――が、百姓のため、また、呉のためであるなら仕方がないではないか。そうした三世にわたるわれわれの主家孫一門のご安泰を計ればどうしても」
「いやいやそれは、懦弱な輩のすぐ口にする口実です。長江の嶮に拠って、ひとたび恥を知り恩を知る呉の精猛が、一体となって、必死の防ぎに当れば、曹軍何者ぞや、寸土も呉の土を踏ませることではありません」
 さっきから黙って傍らに聞いていた孔明は、ふたりが激越に云い争うのを見て、手を袖に入れ、何がおかしいのか、しきりと笑いこけていた。

 周瑜は、孔明の無礼を咎めるような眼をして、敢てこう詰問った。
「先生。あなたは何がおかしくて先刻からそうお笑いなさるのか」
「いや何も提督に対して笑ったわけではありません。余りといえば、魯粛どのが時務にうといので、つい笑いを忍び得なかったのです」
 傍らの魯粛は、眼をみはって、
「や、何をもって、この魯粛が時務にくらいと仰っしゃるか。近頃、意を得ないおことばだ」
 と、色をなして、共に、孔明の唇をみまもった。
 孔明はいった。
「でも、考えてもご覧なさい。曹操が兵を用いる巧みさは、古の孫子呉子にも勝りましょう。誰が何といったところで、当今、彼に匹敵するものはありません。――ただ独りわが主君劉予州は、大義あって、私意なく、その強敵と雌雄を争い、いま流亡して江夏に籠っておりますが、将来のことはまだ未知数です。――然るに、ひるがえって、この国の諸大将を見るに、どれもこれも一身一家の安穏にのみとらわれていて、名を恥じず、大義を知らず、国の滅亡も、ほとんど成り行きにまかせているとしか観られない。……そういう呉将の中にあって、粛兄ただ一名のみ、呶々、烈々、主義を主張してやまず、今も提督にむかって、無駄口をくり返しておらるるから、ついおかしくなったまでのことです」
 周瑜はいよいよ苦りきるし、魯粛もまた甚だしく不快な顔をして見せた。孔明のいっていることは、まるで反戦的だからである。折角、周瑜へ紹介の労をとっているのに、まるでその目的も自分の好意も裏切っているような口吻に、憤りを覚えずにいられなかった。
「では、先生には、呉の君臣をして、逆賊操に膝を屈せしめ、万代に笑いをのこせと、敢ていわないばかりにおすすめあるわけですか」
「いやいや決して、自分は何も呉の不幸を祈っているわけではない。むしろ呉の名誉も存立も、事なく並び立つように、いささか一策をえがいて、その成功を念じておるものです」
「戦にもならず、呉の名誉も立派に立ち、国土も難なく保てるようになんて――そんな妙計があるものだろうか」
 魯粛が、案外な顔をして、孔明の心をはかりかねていると、周瑜もともに、その言に釣りこまれて、膝をすすめた。
「もし、そんな妙計があるなら、これは呉の驚異です。願わくは、初対面のそれがしのために、その内容を、得心の参るよう、つぶさにお聴かせ下さらんか」
「いと易いことです。――それはただ一艘の小舟と、ふたりの人間の贈物をすれば足ることですから」
「はて? ……先生のいうことは何だか戯れのように聞えるが」
「いや、実行してご覧あれば、その効果の覿面なのに、かならず驚かれましょう」
「二人の人間とは? ……いったい誰と誰を贈物にせよといわれるのか」
「女性です」
「女性?」
「星の数ほどある呉国の女のうちから、わずか二名をそれに用いることは、たとえば大樹の茂みから二葉の葉を落すよりやさしく、百千の倉廩から二粒の米を減らすより些少な犠牲でしょう。しかもそれによって、曹軍の鋭鋒を一転北方へかえすことができれば、こんな快事はないでしょう」
「ふたりの女性とは、そも、何処の何ものをさすのか、はやくそれを云ってみたまえ」
「まだ自分が隆中に閑居していた頃のことですが――当時、曹軍の北伐にあたって、戦乱の地から移ってきた知人のはなしに、曹操河北の平定後、漳河のほとりに楼台を築いて、これを銅雀台と名づけ、造営落工までの費え千余日、まことに前代未聞の壮観であるといっておりましたが……」
 孔明は容易に話の中心に触れなかったが、しかも何か聴き人の心をつかんでいた。

曹操ほどな英傑も、やはり人間は遂に人間的な弱点におち入りやすいものとみえます。銅雀台――。銅雀台のごとき大土木をおのれ一個の奢りのために起したということこそ、はや彼の増長慢のあらわれと哀れむべきではありませんか」
「先生。それよりは、何が故に、ここにふたりの女性さえ彼に送れば、魏の曹軍百万が、呉を侵すことなく、たちまち北方へかえるなどという予断が下せるのか。その本題について、はやくお話を触れていただきたいものだが」
 周瑜は二度も催促した。魯粛の聞きたいところもそこの要点だけだ。何を今さら、銅雀台の奢りぶりなどを、ここで審さに聞く必要があろうか――といわんばかりな顔つきである。
「いや、北国の知人の話は、もっと詳しいものでしたが、では大略して、要をかいつまんで申しましょう。――その曹操は、銅雀台の贅に飽かず、なおもう一つ大きな痴夢を抱いているというのです。それは呉の国外にまで聞えている喬家の二女を銅雀台において、花の晨、月の夕べ、そばにおいて眺めたいという野心です。聞説、喬家の二名花とは、姉を大喬といい、妹を小喬と呼ぶそうで、その傾国の美は、夙にわれわれも耳にしているものです。――思うに、古来英雄の半面には、こうした痴気凡情の例も、ままあるのが慣いですから、この際早速、提督には、人を派して、喬家の門へ黄金を積み、二女を求めて、曹操へお送りあれば、立ちどころに彼の攻撃は緩和され、衂らずして国土の難を救うことができましょう。――これすなわち范蠡美姫西施を送って強猛な夫差を亡ぼしたのと同じ計になるではありませんか」
 周瑜は顔色を変じて、孔明のことばが終るや否、
「それは巷の俗説だろう。先生には、何か確たる根拠でもあって、そんな巷説を真にうけておられるのか」
「もとより確証なきことはいわん」
「ではその証拠をお見せなさい」
曹操の第二子に、曹子建というものがある。父の操に似てよく詩文を作るので文人間に知られています。この子建に向って、父の操が、銅雀台の賦を作らせていますが、その賦を見るに、われ帝王とならばかならず二喬を迎えて楼台の花とせんという操の野望を暗に歌っています。それがあたかも英雄の情操として美しい理想なるかの如く――」
「先生にはその賦を覚えておられるか」
「文章の流麗なるを愛して、いつとなく暗誦じていますが」
「ねがわくはそれを一吟し給え。静聴しよう」
「ちょうど微酔の気はあり、夜は更けて静か。そぞろ私も何か低吟をそそられています。――どうかご両所とも盞をかさねながら、座興としてお聴きください」
 孔明は、睫毛をとじた。
 細い眸を燈にひらく。そして、静かに吟じ出した。抑揚はゆるく声は澄んで、朗々、聴く者をして飽かしめないものがある。

明后ニ従ッテ嬉遊し層台ニ登ッテ情ヲタノシム
中天ニ華観ヲ立テ飛閣ヲ西城ニ連ヌ
漳水ノ長流ニ臨ンデ園果ノ滋栄ヲ望ミ
双台ヲ左右ニ列シテ玉龍ト金鳳トアリ
二喬ヲ東南ニ挟ンデ長空ノ※蝀ノ如ク
皇都ノ宏麗ニ俯シ
雲霞ノ浮動ヲ瞰ル
群材ノ来リアツマルヲ欣ンデ
飛熊ノ吉夢ニカナイ
春風ノ和穆ヲ仰ギテ百鳥ノ悲鳴ヲ聴ク……。

 ――ふいに、卓の下で、がちゃんと、何か砕ける音がした。周瑜が手の酒盞を落したのである。そればかりか彼の髪の毛はそそり立ち、面はのごとく硬ばっていた。

「あ。お酒盞が砕けました」
 孔明が、吟をやめて、注意すると、周瑜は憤然、酔面に怒気を燃やして、
「一箇の杯もまた天地の前兆と見ることができる。これはやがて魏の曹軍が地に捨て去る残骸のすがただ。先生、べつな酒盞をとって、それがしに酌し給え」
「何か提督には、お気にさわったことでもあるのですか」
「操父子の作った銅雀台の賦なるものは、先生の吟によって今夜初めて耳にしたが、辞句の驕慢はともかく、詩中にほのめかしてある喬家の二女に対する彼の野望は見のがし難い辱めだ。断じて、曹賊のあくなき野望を懲らしめねばならん」
 一盞また一盞、みずから酒をそそいで、彼の激色は火のような忿懣を加えるばかりである。孔明はわざと冷静に、そしてさもいぶかしげな眉をして問い返した。
「むかし匈奴の勢いがさかんな頃、しばしば中国を侵略して、時の漢朝も悩まされていた時代があります。当時天子は御涙をのんで、愛しき御女の君をもって、胡族の主に娶わせたまい、一時の和親を保って臥薪嘗胆、その間に弓馬をみがいたという例もあります。また元帝が王昭君を胡地へ送ったはなしも有名なものではありませんか。――なんで提督には、今この国家の危殆にのぞみながら、民間の二女を送るぐらいなことを、そう惜しんだり怒ったりされるのですか」
「先生はまだ知らぬのか」
「まだ知らぬかとは……?」
「喬家の二女は、養われて民間にあったことは事実だが、姉の大喬は疾くより先君策の室にむかえられ、妹の小喬は、かくいう周瑜の妻となっておる。いまのわが妻はその小喬なのだ」
「えっ、ではすでに、喬家の門を出ていたので。これは知らなんだ。惶恐、惶恐。知らぬこととは申せ、先ほどからの失礼、どうかおゆるし下さい。誤って、みだりに無用な舌の根をうごかし、罪、死にあたいします」
 と、孔明は打ち慄えて見せながら平あやまりに詫び入った。周瑜は、かさねて、
「いや、先生に罪はない。先生のいう巷の風説だけならまだ信じないかも知れぬが、銅雀台の賦にまで歌っている以上、曹操もそれを公然と揚言しているのであろう。いかで彼の野望に先君の後室や、わが妻を贄に供されよう。破邪の旗、膺懲の剣、われに百千の水軍あり、強兵肥馬あり、誓って、彼を撃砕せずにはおかん」
「――が、提督、古人もいっております。事を行うには三度よく思えと」
「いやいや、三度はおろか、きょうは終日、戦わんか、忍ばんか、幾十度、沈思黙考をかさねていたかしれないのだ。――自分の決意はもううごかない。思うに、身不肖ながら、先君の遺言と大託をうけ、今日、呉の水軍総都督たり。今日までの修練研磨も何のためか。断じて、曹操ごときに、身を屈めて降伏することはできない」
「しかし、ここから柴桑へ帰った諸官の者は、口を揃えて、周提督は、すでに和平の肚ぐみなりと、諸人のあいだに唱えていますが」
「彼ら、懦弱な輩に、何で本心を打明けよう。仔細は輿論のうごきを察しるためにほかならない。或る者へは開戦といい、或る者へは降伏といい、味方の士気と異論の者の顔ぶれをながめていたのである」
「ああさすがは」
 と、孔明は、胸をそらして、称揚するような姿態をした。周瑜はなお云いつづけて、
「いま、鄱陽湖の軍船を、いちどに大江へ吐き出せば、江水の濤もたちまち逆しまに躍り、未熟な曹軍の船列を粉砕することもまたたく間である。ただ陸戦においては、やや彼に遜色を感じるものがないでもない。ねがわくは先生にも一臂の力をそえられい」
「そのご決意さえ固ければ、もとより犬馬の労も惜しむものではありません。けれど呉君を始め、重臣たちのご意志のほども」
「いやいや、明日、府中へ参ったら、呉君には自分からおすすめする。諸臣の異論など問題とするにはあたらない。号令一下。開戦の大号令一下あるのみだ」

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