長坂橋
一
この日、曹操は景山の上から、軍の情勢をながめていたが、ふいに指さして、
「曹洪、曹洪。あれは誰だ。まるで無人の境を行くように、わが陣地を駆け破って通る不敵者は?」
と、早口に訊ねた。
曹洪を始め、そのほか群将もみな手を眉にかざして、誰か彼かと、口々に云い囃していたが、曹操は焦れッたがって、
「早く見届けてこい」と、ふたたび云った。
曹洪は馬をとばして、山を降ると、道の先へ駆けまわって、彼の近づくのを見るや、
「やあ。敵方の戦将。ねがわくば、尊名を聞かせ給え」と、呼ばわった。
声に応じて、
「それがしは、常山の趙子龍。――見事、わが行く道を、立ちふさがんとせられるか」
と、青釭の剣を持ち直しながら趙雲は答えた。
曹洪は、急いで後へ引っ返した。そして曹操へその由を復命すると、曹操は膝を打って、
「さては、かねて聞く趙子龍であったか。敵ながら目ざましい者だ。まさに一世の虎将といえる。もし彼を獲て予の陣に置くことができたら、たとえ天下を掌に握らないでも、愁いとするには足らん。――早々、馬をとばして、陣々に触れ、趙雲が通るとも、矢を放つな、石弩を射るな、ただ一騎の敵、狩猟するように追い包み、生け擒ってこれへ連れてこいと伝えろ!」
鶴の一声である。諸大将は、はっと答えて、部下を呼び立てた。――たちまち見る、十数騎の伝令は、山の中腹から逆落しに駆けくだると、すぐ八方の野へ散って馬けむりをあげて行く。
真の勇士、真の良将を見れば、敵たることも忘れて、それを幕下に加えようとするのは、由来、曹操の病といっていいほどな持ち前である。
彼の場合は、士を愛するというよりも、士に恋するのであった。その情熱は非常な自己主義でもあり、盲目的でもあった。さきに関羽へ傾倒して、あとではかなり深刻に後悔の臍を噛んでいるはずなのに、この日また常山の子龍と聞いて、たちまち持ち前の人材蒐集慾をむらむらと起したものであった。
趙雲にとって、また無心の阿斗にとって、これもまた天佑にかさなる天佑だったといえよう。
行く先々の敵の囲みは、まだ分厚いものだったが、趙雲は甲の胸当の下に、三歳の子をかかえながら、悪戦苦闘、次々の線を駆け破って――敵陣の大旆を切り仆すこと二本、敵の大矛を奪うこと三条、名ある大将を斬り捨てることその数も知れず、しかも身に一矢一石をうけもせず、遂に、さしもの曠野をよぎり抜けて、まずはほっと、山間の小道までたどりついた。
するとここにも、鍾縉、鍾紳と名乗る兄弟が、ふた手に分かれて陣を布いていた。
兄の縉は、大斧をよくつかい、弟の紳は方天戟の妙手として名がある。兄弟しめし合わせて、彼を挟み討ちに、
「のがれぬ所だ。はやく降れ」と喚きかかった。
さらに、張遼の大兵、許褚の猛部隊も、彼を生け擒りにせんものと、大雨のごとく野を掃いて追ってきた。
「――あれに追いつかれては」
と、趙雲も今は、死か生かを、賭するしかなかった。
おそらく彼にしても、この二将を斃したのが最後の頑張りであったろう。前後して縉と紳の二名を斬りすてたものの、気息は奄々とあらく、満顔全身、血と汁にまみれ、彼の馬もまたよろよろに成り果てて、からくも死地を脱することができた。
そしてようやく長坂坡まで来ると、彼方の橋上に、今なおただ一騎で、大矛を横たえている張飛の姿が小さく見えた。
「おおーいっ。張飛っ」
思わず声を振りしぼって彼が手をあげた時である。執念ぶかい敵の一群は、もう戦う力もない趙雲へふたたび後ろから襲いかかった。
二
「救えっ、救えっ張飛。おれを助けろっ――」
さすがの趙雲も、声あげて、橋のほうへ絶叫した。
馬は弱り果てているし、身は綿のように疲れている。しかも今、その図に乗って、強襲してきたのは、曹軍の驍将文聘と麾下の猛兵だった。
長坂橋の上から、小手をかざして見ていた張飛は、月にうそぶいていた猛虎が餌を見て岩頭から跳びおりて来るように、
「ようしっ! 心得た」
そこに姿が消えたかと思うと、はや莫々たる砂塵一陣、駆けつけてくるや否、
「趙雲趙雲。あとは引受けた。貴様はすこしも早く、あの橋を渡れっ」と、吠えた。
たちまち修羅と変るそこの血けむりを後にして、趙雲は、
「たのむ」
と一声、疲れた馬を励まし励まし、長坂橋を渡りこえて、玄徳のやすんでいる森陰までやっと駆けてきた。
「おうっ、これに――」
と、趙雲は、味方の人々を見ると、馬の背からどたっとすべり落ちて、その惨澹たる血みどろな姿を大地にべたと伏せたまま、まるで暴風のような大息を肩でついているばかりだった。
「オッ、趙雲ではないか。――して、そのふところに抱えているのは何か」
「阿斗公子です……」
「なに、わが子か」
「おゆるし下さい。……面目次第もありません」
「何を詫びるぞ。さては、阿斗は途中で息が絶えたか」
「いや……。公子のお身はおつつがありません。初めのほどは火のつくように泣き叫んでおられましたが、もう泣くお力もなくなったものとみえまする。……ただ残念なのは糜夫人のご最期です。身に深傷を負うて、お歩きもできないので、それがしの馬をおすすめ申しましたが、否とよ、和子を護ってたもれと、ひと声、仰せられながら、古井戸に身を投げてお果て遊ばしました」
「ああ、阿斗に代って、糜は死んだか」
「井には、枯れ草や墻を投げ入れて、ご死骸を隠して参りました。その母の御霊が公子を護って下されたのでしょう、それがしただ一騎、公子をふところに抱き参らせ、敵の重囲を駆け破って帰りましたが、これこのとおりに……」
と、甲の胸当を解いて示すと、阿斗は無心に寝入っていて、趙雲の手から父玄徳の両手へ渡されたのも知らずにいた。
玄徳は思わず頬ずりした。あわれよくもこの珠の如きものに矢瘡ひとつ受けずにと……われを忘れて見入りかけたが、何思ったか、
「ええ、誰なと拾え」
と云いながら、阿斗の体を、毱のように草むらへほうり投げた。
「あっ、何故に?」
と、趙雲も諸大将も、玄徳のこころをはかりかねて、泣きさけぶ公子を、大地からあわてて抱き取った。
「うるさい、あっちへ連れて行け」
玄徳は云った。
さらにまた云った。
「思うに、趙雲のごとき股肱の臣は、またとこの世で得られるものではない。それをこの一小児のために、危うく戦死させるところであった。一子はまた生むも得られるが、良き国将はまたと得がたい。……それにここは戦場である。凡児の泣き声はなおさら凡父の気を弱めていかん。故にほうり捨てたまでのことだ。諸将よ、わしの心を怪しんでくれるな」
「…………」
趙雲は、地に額をすりつけた。越えてきた百難の苦も忘れて、この君のためには死んでもいいと胸に誓い直した。原書三国志の辞句を借りれば、この勇将が涙をながして、
(肝脳地にまみるとも、このご恩は報じ難し)
と、再拝して諸人の中へ退がったと誌してある。
三
曹操は景山を降りた。
旗や馬幟の激流は、雲が谿間を出るように、銅鑼金鼓に脚を早め、たちまち野へ展がった。
そのほか。
曹仁、李典、夏侯惇、楽進、張遼、許褚、――などの陣々騎歩もすべてその方向を一にして、長坂坡へ迫って来た。
「趙雲の逃げて行った方角こそ、すなわち玄徳のいる所にちがいない」と、それに向って、最後の殲滅を加え、存分な戦果を捕捉すべく、ここに全軍の力点が集中されたものらしい。
すると彼方から文聘とその手勢が、さんざんな態になって逃げ乱れてきた。仔細を問うと、
「長坂橋の畔まで、趙雲を追いかけて行ったところ、敵の張飛という者が、ただ一騎で加勢に駆けつけ、丈八の蛇矛をもって、八面六臂にふせぎ立て、ついに趙雲をとり逃がしたばかりか、味方の勢もかくの如き有様――」
と、いう文聘の話に、許褚、楽進などみな歯がみをして、
「さりとは腑がいなき味方の弱腰。いかに張飛に天魔鬼神の勇があろうと、この大軍と丞相の威光を負いながら、追い崩されて帰るとは何事だ。いで、われこそ彼奴を――」
と、諸将は争って、橋のこなたまで殺到した。
そこの一橋こそ、河をへだてた敗敵にとっては、恃みの一線である。いかにここを防がんかと、さだめしひしめき合っているであろうと予想してきてみると――こは抑いかに、楊柳は風もなく垂れ、水は淙々と奏で、陽ざしもいとうららかな長橋の上に、ただ一騎の人影が、ぽつねんと、そこを守っているきりだった。
「……はてな?」
疑いながら、諸将は駒脚をなだめて、徐々と橋口へ近づいて行った。――見れば、丈八の矛を横たえ、盔を脱いで鞍にかけ、馬足をしっかと踏み揃えた大武者が、物もいわず、動きもせず、くわっと、睨みつけていた。
「あっ、張飛だ」
「張飛」
思わず口々をもれる声に――馬は怖れをなしたか、たじたじと、蹄を立てて後ろへ退がった。
「…………」
張飛はなお一語も発しない。双の眼は百錬の鏡というもおろかである。怒れる鬼髯は左右にわかれ、歯は大きな唇を噛み、眉、眦、髪のさき、すべて逆しまに立って、天も衝かん形相である。
「あれか、燕人張飛とは」
「知れたもの。いかに張飛であろうと」
「敵は一騎だ」
「それっ」
と、諸将は互いに励ましあって、あわやどっと、その馬蹄を踏み揃えて橋板へかかろうとしたとき、
「待てっ」と、うしろで止めた者がある。一人の声ではない。李典、曹仁、夏侯惇など、ことごとく軍勢の中にもまれて、その中に雄姿を見せていた。
「丞相のご命令だ。待てっ。はやまるなっ――」
続いて後ろのほうに聞える。諸将はさっと橋畔の左右へ道を開いた。どうどうと押し流れてくる軍馬も旗もみな橋口をあまして河の岸を埋めた。
やがて、中央の一軍団は林のような旄旗と五彩幡をすすめてきた。中にも白旄黄鉞の燦々たる親衛兵にかこまれている白馬金鞍の大将こそ、すなわち曹操その人であろう、青羅の傘蓋は珠玉の冠のうえに高々と揺らいで、威風天地の色を奪うばかりだった。
「うかと、孔明の計にのるな、橋上の匹夫は敵の囮だ。対岸の林には兵がかくしてあるぞ」
と、曹操はまず、はやりたつ諸将を制してから、くわっと、張飛をねめつけた。
四
張飛は動じる態もなかった。
かえって、全身に焔々の闘志を燃やし、炬の如き眼を爛と射向けて、
「それへ来たものは、敵の総帥たる曹操ではないか。われこそは、劉皇叔の義弟、燕人張飛である。すみやかに寄って、いさぎよく勝負を決しろ」
と、呼ばわった。
声は長坂の水に谺し、殺気は落ちかかる雷のようであった。そのすさまじさに、曹操の周囲を守っていた者どもは、思わず傘蓋を取り落したり、白旄黄鉞などの儀容を崩して、あッとふるえおののいた。
いや、その雷圧は、曹軍数万の上にも見られた。濤のような恐怖のうねりが動いたあと全軍ことごとく色を失ったかのようであった。
さわぎ立つ諸将をかえりみながら曹操は云った。
「今思い出した。そのむかし関羽がわれにいった言葉を。――自分の義弟に張飛というものがある。張飛にくらべれば自分の如きはいうにたらん。彼がひとたび怒って百万の軍中に駆け入るときは、大将の首を取ることも嚢の中の物をさぐって取り出すようなものだ――予にそういったことがある。さだめし汝らも張飛の名は聞いていたろう。いや怖ろしい猛者ではある!」
そういって、驚嘆している傍らから、突然、夏侯覇という一大将が、
「何をばさように恐れ給うか。曹軍の麾下にも張飛以上の者あることを、今ぞ確とご覧あれ」
と喚きながら、馬の蹄をあげて、だだだだっと、橋板を踏み鳴らして、張飛のそばへ迫りかけた。張飛はくわっと口をあいて、
「孺子っ。来たかっ」
蛇矛横にふるって一颯の雷光を宙にえがいた。
夏侯覇は、とたんに胆魂を消しとばして、馬上からころげ落ちた。その有様を見ると、数十万の兵はなお動揺した。曹操も士気の乱れを察し、にわかに諸軍へ、
「退けっ」
と、令して引っ返した。
退け――と聞くや軍兵はみな山の崩れるように先を争い合った。ふしぎな心理がいやが上にも味方同士を混乱に突きおとしてゆく。誰の背後にも張飛の形相が追い駆けてくるような気がしていた。鉾を捨て、鎗を投げ、或いは馬に踏みつぶされ、阿鼻叫喚が阿鼻叫喚を作ってゆく。
そうなると、実際、収拾はつかないものとみえる。曹操自身すら、その渦中に巻きこまれ、馬は狂いに狂うし、冠の釵は飛ばすし、髪はみだれ、旗下どもは後先になり、いやもうさんざんな態であった。
ようやく、追いついてきた張遼が、彼の馬の口輪をつかみ止めて、
「これは一体、どうしたということです。たかがただ一人の敵にこれほどまで、狼狽なさる必要はありますまいに」と、歯がみをしながらいった。
曹操は初めて、夢のさめたような顔して、全軍の立て直しを命じた。そしてやや間が悪そうに、
「予が怖れたのは決して一人の張飛ではない。橋の彼方の林中に敵の埋兵がたえず騒めいていたので、また何か孔明が策を設けているのではないかと、きょうは大事を取って退却を命じたまでだ」
と、いった。
その時、彼のてれ隠しを救うにちょうどよい煙が揚った。敵は長坂橋を焼き払って退いたというのである。そう聞くと曹操は、
「橋を焼いて逃げるようでは、やはり大した兵力は残っていないに相違ない。しまった、すぐ三ヵ所に橋を架け、玄徳を追いつめろ」と、号令をあらためた。
玄徳主従とその残兵は、初め江陵へさして落ちてきたのであるが、こんな事情でその方角へはとうてい出られなくなったので、にわかに道を変更して、沔陽から漢津へ出ようと、夜も昼も逃げつづけていた。