母と妻と友

 呂布は、呂布らしい爪牙をあらわした。猛獣はついに飼主の手を咬んだのである。
 けれど彼は元来、深慮遠謀な計画のもとにそれをやり得るような悪人型ではない。猛獣の発作のごとく至って単純なのである。欲望を達した後は、ひそかに気の小さい良心にさえ咎められているふうさえ見える。
 それかあらぬか、彼は、徐州城を占領すると、即日城門の往来や町の辻に、次のような高札など建てて、自身の心に言い訳をしていた。

  公布
われ久しく玄徳が恩遇を享く。今、かくのごとしといえども、忘恩無情の挙にあらず、城中の私闘を鎮め、利敵の徒を追い、征後の禍根を除きたるまでなり。
それ軍民ともに速やかに平日の務めに帰し、予が治下に安んぜよ。

 呂布はまた、自身、城の後閣へ臨んで、
「婦女子の捕虜を手荒にいたすな」と、兵士たちを戒めた。
 後閣には、玄徳の家族たちが住んでいた。しかし、落城と共に、召使いの婦女子を除いて、その余の主なる人々はみな逃げ落ちたことであろうと思っていたところ、意外にも、奥まったほの暗い一室に、どこか気品のある老母と若い美婦人と幼な児たちが、一かたまりになって、じっと、たたずんでいるのを見出した。
「お……おん身らは、劉玄徳の家族たちか」
 呂布は、すぐ察した。
 ひとりは玄徳の母。
 その傍らにあるのは夫人。
 手をひいている幼な児たちは玄徳の子であろう。
「…………」
 老母は、なにもいわない。
 夫人もうつろな眼をしている。
 ただ、白い涙のすじが、その頬をながれていた。そして、――どうなることか?
 と、恐怖しているものの如く、無言のうちに、微かなおののきを、その青白い顔、髪の毛、唇などに見せていた。
「ははは、あははは」
 呂布は突然笑った。
 わざと、笑いを見せるために笑ったのであった。
「夫人。ご母堂。――安心するがよい。わしは御身らのごとき婦女子を殺すような無慈悲な者ではない。……それにしても、主君の家族らを捨てて、逃げ落ちた不忠な奴輩は、どの面さげて、玄徳にまみえるつもりか、いかに狼狽したとはいえ、見さげ果てた者どもではある」
 呂布は、傲然と、そう呟きながら、部将を呼んで、いいつけた。
「玄徳の老母や妻子を、士卒百人で守らせておけ、みだりにこの室へ人を入れたりなどしてはならんぞ。また、護衛の者どもも、無慈悲なことのないようにいたせよ」
 呂布はまた、そう云いわたしてから、夫人と老母の姿を見直した。こんどは安心しているかと思ったからである。
 ――が、玄徳の母も、夫人の面も、のように、血の気もなく、また、何の表情も示さなかった。
 涙のすじは、止めどなく、二つの面にながれている。そして物をいうことを忘れたように、唇をむすんでいた。
「安心せい。これで、安心したであろう」
 呂布は恩を押売りするようにいったけれど、夫人も老母もその頭を下げもしなかった。歓びや感謝の念とは似ても似つかない恨みのこもった眼の光が、涙の底から針のように、呂布の面を、じっと射ていた。
「そうだ。これから俺はいそがしい身だ。――こらっ番士、きっと、護衛を申しつけたぞ」
 呂布は、自分を誤魔化すように、そう云いちらして立ち去った。

 さて、玄徳のほうでは、留守の徐州にそんな異変が起ったとは知るはずもなく、敵の紀霊を追って、その日、淮陰の河畔へ陣をすすめていた。
 黄昏ごろ――
 関羽は部下を従えて、一巡り前線の陣地を見廻って戻ってきた。
 すると、歩哨の兵が、
「敵か」
「敵らしいぞ」と、野末のほうへ、小手をかざしてさわぎ合っている。
 見ると、なるほど、舂きかけた曠野の果てから、夕陽を負ってとぼとぼとこっちへ向って来る一群れの人馬がある。
 関羽も、いぶかしげに見まもっていたが、そのうちに、こちらからたしかめるべく馳けて行った兵が、
「張大将だ。張飛どのと、ほか十八騎の味方がやって来られるのだ」と、大声で伝えてきた。
「何。……張飛が来た?」
 関羽はいよいよ怪しんだ。ここへ来るわけのない彼が来たとすればこれは、――吉事でないに決っている。
「何事が起ったのか?」
 顔を曇らして待っていた。
 程なく、張飛と、十七、八騎の者は、落武者の姿もみじめに、それへ来て駒を下りた。
 関羽は、彼の姿を見たとたんに、胸へずきと不吉な直感をうけた。いつもの張飛とは別人のようだからである。元気もない。ニコともしない。――あの豪放磊落な男がしおれ返って、自分の前に頭を下げているではないか。
「おい、どうしたんだ」
 肩を打つと、張飛は、
「面目ない、生きてお身や家兄に合わせる顔もないんだが、……ともかく罪を謝すために、恥をしのんでこれまでやって来た。どうか、家兄に取次いでくれい」と、力なく云った。
 兎も角と、関羽張飛をともなって玄徳の幕舎へ来た。玄徳も、
「え。張飛が見えたと?」
 驚きの目で彼を迎えた。
「申しわけございません」
 張飛は平蜘蛛のようにそれへ平伏して、徐州城を奪われた不始末を報告した。――あれほど誓った禁酒の約を破って、大酔したことも、正直に申し立てて面も上げず詫び入った。
「…………」
 玄徳は黙然としていたが、やがて訊ねた。
「ぜひもない。だが母上はどうしたか。わが妻子は無事か。母や妻子さえ無事ならば、一城を失うも時、国を奪わるるも時、武運だにあらばまたわれにかえる時節もあろう」
「…………」
張飛。なぜ答えぬか」
「……はい」
 張飛らしくもない蚊の啼くような声だ。彼は鼻をすすって泣きながら云った。
「愧死しても足りません。大酔していたため、ついその……後閣へ馳って、城外へお扶けするいとまもなく」
 聞くや否、関羽は急きこんで、
「では、ご母堂も、ご夫人も、お子様たちも、呂布の手にゆだねたまま、汝れひとり落ちてきたのかっ」
 と赫となった。
「ああっ、この俺はどうしてこんな愚物に生れてきたか、家兄おゆるし下さい。――関羽、嘲ってくれい」
 張飛は、泣きながら、そう叫んで、二つ三つ自分の頭を自分の拳で撲りつけたが、それでもまだ「愚鈍なる我」に対して腹が癒えないとみえて、やにわに剣を抜いて、自ら自分の首を刎ね落そうとした。

 突然、剣を抜いて、張飛が自刃しようとする様子に、玄徳は、びっくりして、
関羽。止めよっ」と、叫んだ。
 あっと、関羽は、張飛の剣を奪り上げて、
「何をするっ。莫迦なっ」と、叱りつけた。
 張飛は、身もだえして、
「武士の情けに、その剣で、この頭を刎ね落してくれ。なんの面目あって生きていられようか」
 と、慟哭した。
 玄徳は、張飛のそばへ歩み寄って、病人をいたわるような言葉でいった。
張飛よ。落着くがいい。いつまで返らぬ繰り言をいうのではない」
 優しくいわれて、張飛はなおさら苦しげだった。むしろ笞で打ッて打ッて打ちすえてほしかった。
 玄徳は膝を折って彼の手を握り取り、しかと、手に力をこめて、
「古人のいった言葉に――兄弟ハ手足ノ如ク、妻子ハ衣服ノ如シ――とある。衣服はほころぶもこれを縫えばまだまとうに足る。けれど、手足はもしこれを断って五体から離したならいつの時かふたたび満足に一体となることができよう。――忘れたか張飛。われら三人は、桃園に義を結んで、兄弟の杯をかため、同年同日に生るるを求めず、同年同日に死なんと――誓い合った仲ではなかったか」
「……はっ。……はあ」
 張飛は大きく嗚咽しながらうなずいた。
「われら兄弟三名は、各〻がみな至らない所のある人間だ。その欠点や不足をお互いに補い合ってこそ始めて真の手足であり一体の兄弟といえるのではないか。そちも神ではない。玄徳も凡夫である。凡夫のわしが、何を以て、そちに神の如き万全を求めようか。――呂布のために、城を奪われたのも是非のないことだ。またいかに呂布でも、なんの力もない我が母や妻子まで殺すような酷いこともまさか致しはすまい。そう嘆かずと、玄徳と共に、この後とも計をめぐらして、我が力になってくれよ。……張飛、得心が参ったか」
「……はい。……はい。……はい」
 張飛は、鼻柱から、ぽとぽとと涙を垂らして、いつまでも、大地に両手をついていた。
 玄徳のことばに、関羽も涙をながし、そのほかの将も、感に打たれぬはなかった。
 その夜、張飛はただ一人、淮陰の河べりへ出て、なお、哭き足らないように月を仰いでいた。
愚哉! 愚哉! ……おれはどこまでも愚物だろう。死のうとしたのも愚だ。死んだら詫びがすむと考えたのも、実に愚だ。――よしっ、誓って生きよう。そして家兄玄徳のために、粉骨砕身する。それこそ今日の罪を詫び、今日の辱をそそぐものだ」
 大きな声で、独り言を洩らしていた。その顔を、ほとりにいた馬が、不思議そうにながめていた。
 馬は月に遊んでいた。河の水に戯れ、草を喰んで、明日の英気を養っているかに見える。
 ――その夜、合戦はなかった。
 次の日も、これというほどな戦いもない。前線の兵は、敵もうごかず味方も動かずであった。時おり、矢と矢が交わされる程度で、なお、幾日かを対陣していた。
 ところが。
 その間に、早くも、袁術のほうでは、手をまわし徐州呂布へ、外交的に働きかけていた。
「もし足下が、玄徳の後ろを攻めて、わが南陽軍に利を示すならば、予は戦後君に対して、糧米五万、駿馬五百匹、金銀一万両、緞子千匹を贈るであろう」
 という好餌をもって、呂布を抱きこみにかかったのである。

 勿論、呂布はよろこんで袁術から申し出た密盟に応じた。
 すぐ、部下の高順に、三万の兵をさずけて、
「玄徳の後ろを襲え」と、盱眙へ急がせた。
 盱眙の陣にあった玄徳は、早くもその情報を耳にして、
「如何にしたものか」を、幕僚に謀った。
 張飛関羽は口をそろえて、
「たとえ前後に敵をうけて、不利な地に立つとも、紀霊高順の徒、何ほどのことかあらん」
 と、悲壮な臍をかためて、乾坤一擲の決戦をうながしたが、玄徳は、
「いや、いや。ここは熟慮すべき大事なところだろう。どうもこの度の出陣は、何かと物事が順調でなかった。運命の波長が逆に逆にとぶつかってくる。思うに今、玄徳の運命は順風にたすけられず、逆浪にもてあそばれる象である。――天命に従順になろう。強いて破船を風浪へ向けて自滅を急ぐは愚である」と、説いて、自重することを主張した。
「わが君に戦意がないものを、どうしようもあるまい」
 と、ほかの幕将たちは、張飛関羽をなだめて、評議は、逃げ落ちることに一決した。
 大雨の夜だった。
 淮陰河口は大水があふれて、紀霊軍も追撃することはできなかった。その暴風雨の闇にまぎれて、玄徳は、盱眙の陣をひきはらい、広陵の地方へ落ちて行った。
 高順の三万騎が、ここへ着いたのは翌る日だった。みれば、草はみな風雨に伏し、木は折れ、河はあふれて、人馬の影はおろか、陣地の跡に一塊の馬糞もなかった。
「敵は、高順の名を聞いただけで逃げ落ちてしまったぞ、なんと笑止なことではないか」
 高順は早速、紀霊の陣へ出向いて、紀霊と会見の後で、
「約束のごとく、玄徳の軍を追い落したから、ついては、条件の金銀粮米、馬匹、絹布などの品々を頂戴したい」と、申し出た。
 すると紀霊は、
「やあ、それは主人袁術と、ご辺の主君呂布との間で結ばれた条件であろうが、このほうはまだ聞いていない。また聞いていたところで、そんな多額な財貨をそれがし一存でどうしようもない。いずれ帰国の上、主人袁術へ申しあげておくから、尊公もひとまずお帰りあって、何ぶんの返答をお待ちあるがよかろう」と、答えた。
 無理もない話なので、高順は、徐州へ立ち帰って、そのとおりに呂布へ復命しておいた。
 ところが、その後、袁術から来た書簡をひらいて見ると、

玄徳、今、広陵にひそむ
速やかに彼が首を挙げ、
先に約せる財宝を購え。
価を払わずして、
何ぞ、求むるのみを知るや。

「なんたる無礼な奴だろう。おれを臣下とでも思っているのか、自分のほうから提示した条件なのに、欲しければ、玄徳の首を値に持ってこいと、人を釣るようなこの文言は何事か」
 呂布は、忿怒した。
 われを欺いた罪を鳴らし、兵を向けて、袁術を打ち破らんとまで云いだした。
 例によって、彼の怒りをなだめる役は、いつも陳宮であった。
「袁一門には、袁紹という大物がいることを忘れてはいけません。袁術とても、あの寿春城に拠って、今河南第一の勢いです。――それよりは、落ちた玄徳を招いて、巧みに用い、玄徳を小沛の県城に住まわせて、時節をうかがうことです。――時到らば兵を起し、玄徳を先手とし、袁術を破り、次いで、袁閥の長者たる袁紹をも亡ぼしてしまうのです。さもあれば天下の事、もう半ばは、あなたの掌にあるではありませんか」

 翌日。呂布の使いは、広陵江蘇省・楊州)へ立った。
 玄徳は、その後、わずかな腹心と共に、広陵の山寺にかくれていた。
 乱世の慣いとはいえ、一歩踏みはずすと、その顛落は実に早い。三日大名、一夜乞ということは当時の興亡浮沈にただよわされていた無数の英雄門閥の諸侯にそのまま当てはまっている言葉だった。
 玄徳といえども、その風雲の外にはいられなかった。あれから袁一門の部族からこもごも奇襲をうけて、敗亡また敗亡の非運をつづけていた。――糧と財がなければ、兵はみな馬や武器を盗んで、
「今が見限り時」とばかり、陣を脱して逃亡してしまうのも、当り前のようにしている彼らの乱世生活であった。
 山深く、廃寺の奥にひそんで、玄徳が身辺を見まわした時は、関羽張飛、そのほか十数名の直臣と、数十騎の兵しか残っていなかった。
 そこへ、呂布の使いが来た。
「また、何か詐わりを構えて来たのだな」
 関羽は、その内容の如何を問わず反対した。張飛もまた、
「家兄、行ってはなりませんぞ」と、止めた。
「否とよ」
 が、玄徳は、彼らをなだめて、呂布の招きに応じようとした。その理由は、
「すでに、彼も善心を起して、自分へ情けを寄せてきたのだ。人の美徳を辱めるのは、人間の良心へ唾することになろう。この暗澹たる濁世にも、なお、人間の社会が獣にまで堕落しないのは、天性いかなる人間にも、一片の良心は持って生れてきているからである。――だから人の良心と美徳は尊ばねばならぬ」と、いうのであった。
 張飛は、蔭で舌打ちした。
「すこし兄貴は孔子にかぶれておる。武将と孔子とは、天職がちがう。――関羽、貴様もよくないぜ」
「なぜ俺が悪い?」
「閑があると、おぬしは自分の趣味で、兄貴へ学問のはなしをしたり、書物をすすめたりするからいけないんだ。――なにしろおぬしも根は童学草舎の先生だからな」
「ばかをいえ、じゃあ、武ばかりで文がなかったら、どんな人物ができると思う。ここにいる漢みたいな人間ができはせんか」
 と関羽は指で張飛の鼻をそっと突いた。張飛は、ぐっと詰って、鼻をへこましてしまった。
 日を改めて、玄徳は、徐州の境までおもむいた。
 呂布は、玄徳の疑いを解くために、まず途中まで彼の母堂、夫人などの家族を送って対面させた。
 玄徳は、母と妻とを、両の手に迎え入れ、わが子にまつわられながら、
「オオ、有難いことよ」と、皆の無事を、天に謝した。
 夫人の甘氏と糜氏は、
呂布は、わたし達の門を守らせて、時おり、物を贈って、よく見舞ってくれました」と、告げた。
 やがてまた、呂布自身、玄徳を城門に出迎えて、
「自分は決して、この国を奪うたのではない。城内に私闘が起って、自壊の兆しがみえたから、未然に防いで、暫時守備の任に当っていたまでである」と、言い訳した。
「いや、私は初めから、この徐州は、将軍に譲ろうと思っていたくらいですから、むしろ適当な城主を得たとよろこんでいる程です。どうか、国を隆盛にし、民を愛して下さい」
 呂布は、心とは反対に、再三辞退したが、玄徳は、彼の野望を満足さすべく、身を退いて、小沛の田舎城にひき籠ってしまった。そしてしきりと憤慨する左右の者をなだめて、こういった。
「身を屈して、分を守り、天の時を待つ。――蛟龍の淵にひそむは昇らんがためである」

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