文武競春

 冀北の強国、袁紹が亡びてから今年九年目、人文すべて革まったが、秋去れば冬、冬去れば春、四季の風物だけは変らなかった。
 そして今し、建安十五年の春。
 鄴城(河北省)の銅雀台は、足かけ八年にわたる大工事の落成を告げていた。
「祝おう。大いに」
 曹操は、許都を発した。
 同時に――造営の事も終りぬれば――とあって、諸州の大将、文武の百官も、祝賀の大宴に招かれて、鄴城の春は車駕金鞍に埋められた。
 そもそも、この漳河のながれに臨む楼台を「銅雀台」と名づけたのは、九年前、曹操が北征してここを占領した時、青銅の雀を地下から掘り出したことに由来する。
 城から望んで左の閣を玉龍台といい、右の高楼を金鳳台という。
 いずれも地上から十余丈の大厦である。そしてその空中には虹のような反り橋を架け、玉龍金鳳を一郭とし、それをめぐる千門万戸も、それぞれ後漢文化の精髄と芸術の粋をこらし、金壁銀砂は目もくらむばかりであり、直欄横檻の玉は日に映じて、
「ここは、この世か。人の住む建築か」と、たたずむ者をして恍惚と疑わしめるほどだった。
「いささか予の心に適うものだ」
 由来、英雄は土木の工を好むという。
 この日、曹操は、七宝の金冠をいただき、緑錦の袍を着、黄金の太刀を玉帯に佩いて、足には、一歩一歩燦爛と光を放つ履をはいていた。
「規模の壮大、輪奐の華麗、結構とも見事とも、言語に絶して、申し上げようもありません」
 文武の大将は彼の台下に侍立した。そして万歳を唱し、全員杯を挙げて祝賀した。
「何かな、この佳い日、興じ遊ぶことはないか」
 曹操は考えているふうであったが、やがて左右に命じて、秘蔵の赤地錦の戦袍を取寄せ、それを広苑の彼方なる高い柳の枝にかけさせた。そして武臣の列に向い、
「各〻の弓を試みん。柳を距つこと百歩。あの戦袍の赤い心当を射たものには、すなわちあの戦袍を褒美にとらすであろう。われと思わん者は出て射よ」と、いった。
「心得て候う」とばかり、自ら選手を希望して出た人々は、二行に列を作って、柳に対した。曹氏の一族はみな紅袍を着し、外様の諸将はすべて緑袍を着ていた。
 選手はみな馬に乗り、手に彫弓をたずさえて、合図を待つ。
 曹操はふたたび告げた。
「もし、射損じたものは、罰として、漳河の水を腹いっぱい呑ますぞ。自信のないものは、今のうちに列から退がれ。そしてこれへ来て罰盃を飲め」
 誰も、退かなかった。
 馬は勇み、人々の意気は躍る。
「よし!」
 と曹操の言下に、合図の鉦鼓が鳴り渡った。とたんに一人、馬を出し、馬上に弓矢をつがえた。
 諸人これを見れば、すなわち曹操の甥で、曹休字は文烈という若武者。一鞭して広苑の芝生を奔らすこと三遭、柳を百歩へだたって駒足をひたと停め、心ゆくばかり弦をひきしぼってちょうッと放った。
 見事。矢は的を射た。
「ああ! 射たり、射たり」
 と、感嘆の声は堂上堂下に湧いてしばし拍手は鳴りやまない。
 その間に、近侍のひとりは、柳の側へ走って、かけてある紅の袍をおろし、それを曹休に与えようとすると、
「待ち給え。丞相の賞は、丞相のご一族で取るなかれ。それがしにこそ与え給え」
 と呼ばわりながら、はや馬をすすめて、馬馴らしに芝生を駈け廻っている一将がある。
 誰かと見れば、すなわち荊州の人文聘、字は仲業であった。

 文聘は鐙に立った。弓手は眉を横に引きしぼる。
 矢はひょうッと飛んだ。
 とたんに、鉦鼓は鳴り轟き、諸人の感称もわっとあがった。
「あたった、あたった。柳にかけたる紅の袍は、快くそれがしに渡し給え」
 大音あげて、文聘がいうと、
「何者ぞや、花盗人は。袍はすでに、先に小将軍が射られたり。わが手並を見てから広言を払え」
 と、また一騎、駈け出た。
 曹操の従弟、曹洪であった。
 握り太な彫弓の満を引いて、びゅッと弦を切って放つ。その矢も見事、彼方の袍の心当を射抜いた。
 陣々の銅鑼、陣々の鼓、打ち囃し、賞め囃し、観る者も、射る者も、今や熱狂した。
 すると、また一人、
「笑うべし、文聘の児戯」と、馬おどらせて、あたりに威風を払って見せた大将がある。諸人これを見れば夏侯淵であった。馬を走らすこと雷光の如く、首を回して、後ろ矢を射た。しかもその矢は三人が射立てた矢の真ん中をぴったり射あてた。
 夏侯淵は矢を追いかけて、柳の下へ駈け出した。そして、
「この袍は有難く、それがしが拝領つかまつる」
 と、馬上から袍へ、手を伸ばそうとすると、遠くから、
「待った! 曲者」と、大声に叱って、彼方から一矢、羽うなり強く、射てきた者がある。
 これなん徐晃の放った矢であった。
「――あっ」
 と、諸人は胆をつぶした。彼の矢は、あまりにも見事に、柳の枝を射切っていたからである。柳葉繽紛と散りしだき、紅錦の袍は、ひらひらと地に落ちてきた。
 同時に、徐晃は駈け寄りざま、馬袍をすくい取って、自分の背なかに打ちかけ、馬をとばして直ぐ馳せ戻り、楼の台上を仰いで、
「丞相の賜物、謹んで拝謝し奉る」
 と、呶鳴った。
「ひどいやつだ」と、諸人みな、呆れ顔して騒然と囃していると、台下に立っていた群将の中から駈け出した許褚が、物もいわず徐晃の弓を握って、いきなり馬の上から彼を引きずり下ろした。
「やっ。狼藉な」
「何の。まだ丞相のおゆるしはなし。その袍の受領者は、いずれに行くか、腕のうちにありだ」
「無法無法」
「渡せ。いで渡せ」
 とうとう、二人は引っ組んで、四つになり、諸仆れになり、さんざん肉闘して、肝腎な錦の袍もために、ズタズタに引裂いてしまった。
「分けろ、引分けろ」
 曹操は台上から苦笑して命じた。
 物々しく、退鉦打たせて、曹操はその二人をはじめ、弓に鍛えをあらわした諸将を一列に招き呼んで、
「いや、いずれ劣らぬ紅や緑。日頃のたしなみ、武芸の励み、見とどけたぞ。――なんで汝らの精励に対して、一裲の衣を惜しもうか」
 と、大機嫌で、一人一人の者へ蜀江錦一匹ずつ頒け与え、
「さあ、位階に従って席に着け。さらに杯の満を引こう」と、促した。

 その時、楽部の伶人たちは、一斉に音楽を奏し、天には雲を闢き、地には漳河の水も答えるかと思われた。
 水陸の珍味は、列座のあいだに配され、酒はあふれて、台上台下の千杯万杯に、尽きることなき春を盛った。
「武府の諸将は、みな弓を競って、日頃の能をあらわした。江湖の博学、文部の多識も、何か、佳章を賦して、きょうの盛会を記念せずばなるまい」
 酒たけなわの頃、曹操がいった。
 万雷のような拍手が轟く。王朗、字は景興、文官の一席から起って、
「鈞命に従って、銅雀台の一詩を賦しました。つつしんで賀唱いたします――」

銅雀台高ウシテ帝畿壮ナリ
水明ラカニ山秀イデ光輝ヲ競ウ
三千ノ剣佩黄道ヲ趨リ
百万ノ貔貅ハ紫微ニ現ズ

 と朗々吟じた。
 曹操は、大いに興じて、特に秘愛の杯に酒をつぎ、
「杯ぐるみ飲め」
 と、王朗に与えた。
 王朗は、酒を乾して、杯は袂に入れて退がった。文官と武官と湧くごとく歓呼した。
 すると、また一人、雲箋に詩を記して立った者がある。東武亭侯侍中尚書、鍾繇、字は元常であった。
 この人は、当代に於て、隷書を書かせては、第一の名人という評がある。すなわち七言八絶を賦って――

銅雀台ハ高ウシテ上天ニ接ス
眸ヲ凝セバ遍ス旧山川
欄干ハ屈曲シテ明月ヲ留メ
窓戸ハ玲瓏トシテ紫烟ヲ圧ス
漢祖ノ歌風ハ空シク筑ヲ撃チ
定王ノ戯馬謾ニ鞭ヲ加ウ
主人ノ盛徳ヤ尭舜ニ斉シ
願ワクハ昇平万々年ヲ楽シマ

 と、高吟した。
「佳作、佳作」
 曹操は激賞しておかなかった。そして彼には、一面の硯を賞として与えた。拍手、奏楽、礼讃の声、台上台下にみちあふれた。
「ああ、人臣の富貴、いま極まる」
 曹操は左右の者に述懐した。彼はこういう中でも反省した。
「――とはいえ、もしこの曹操が出なかったら、国々の反乱はなお熄まず、かの袁術の如く、帝王を僭称するものが幾人も輩出したろう。幸いに、自分は袁紹劉表を討平し、身は宰相の重きにあるといえ、或いは疑いを抱いて、曹操も天下を纂奪する野心があるのでないかなどという者があるかもしれぬが、われ少年の日、楽毅之伝を読むに――趙王が兵を起して燕国を討とうとしたとき、楽毅は地に拝伏し、その昔日、臣は燕王に仕えり、燕を去るも燕王を思うこと、なお今日、あなたに仕える真心と少しも変りはない。むしろ死すとも、不義の戦はすまじと哭いて云ったという。――楽毅伝のあの一章は少年の日、頭にふかくしみこんで今日になっても、この曹操はそれを忘れることができない。自分が四隣の乱をしずめ、府にあっては宰相の権をにぎり、出ては兵馬を司るのも、こうしなければ、四方の暴賊はみな私権を張り、人民はいつまで戦禍の苦しみから救われず、秩序は乱れるばかりで、遂には無政府状態におち入り、当然、漢朝の天下も亡びるに至ることを憂えたからにほかならない。――わが文武の諸将は、みなよく曹操の旨を諒せよ」
 彼は、侍坐の重臣に、そう語り終ると、また数杯をかたむけて、面色大いに薫酔を発した。
「筆と硯をこれへ」
 彼もまた、雲箋を展べて、即興の詩句を書いた。そしてそれへ、

吾レ高台ニ独歩シテ兮
俯シテ万里ノ山河ヲ観ル

 という二句まで書きかけたところへ、たちまち、一騎の早打ちが、何事かこれへ報らせに飛んできた。

 大宴満酔の折も折、席も席であったが、
「時務は怠れない」と、曹操は、早打ちの者を、すぐ階下によびよせて、
「何事やある?」と、許都からの報らせを訊いた。
「まず、相府の書を」と、使いは、官庁からのそれを曹操へ捧じてから、あとを口上で告げた。
湖北へお出ましの後、江南の情報が、しきりと変を伝えてきました。それによると、呉の孫権は華欽というものを使者に立て、玄徳を荊州の太守に推薦し、一方、天子に表をたてまつって、おゆるしを仰いでいます。それも、事後承諾のかたちです。――のみならずまた彼孫権は、どうしたのか旧怨を捨て、自分の妹を玄徳の夫人として嫁がせ、その婚姻の引出物に、荊州九郡の大半も、玄徳に属すものと成り終ったということです。要するに玄、孫、二者の結合は、当然、わが魏へ向って、何事か大きな影響を及ぼさずにはいないものと――許都の府においても、みな心痛のまま、かくは早打ちをもって、お耳にまで達しに参りました」
「なに。呉侯の妹が、玄徳へ嫁いだ……?」
 曹操は思わず、手に持っていた筆を取落した。
 その愕きが、いかに大きく、彼の心をうったかは、とたんに手脚を張って、茫然と、空の雲へ向けていた放心的な眼にも明らかであった。
 程昱が、筆を拾って、
「丞相、どう遊ばしました。敵軍の重囲におち給うて、矢にあたりに打たれても、なお顛倒されたことのない丞相が……?」
程昱、これが驚かずにいられるか。玄徳は人中の龍だ。彼、平生に水を得ず、伸びんとして遂に伸び得ず、深く淵にいたものが、いま荊州を獲たとあっては、これ龍が水に会うて大海へ出たようなもの……豈、驚かずにいられよう」
「まことに、晴天一朶の雲です。けれど、彼の計を、さらに計るの策はありませぬか」
「水と龍と、相結んだものを、断り離つのは難しいだろう」
程昱はさほどまでには思いません。なぜならば、元来、孫権と玄徳とは、水龍二つの如く、性の合ったものではありません。むしろ孫権としては、玄徳を憎むこと強く、これを謀ろう謀ろうとしている気振りが見える。およそこんどの婚儀も、何か底に底ある事情からでしょう。――ゆえに、水龍相搏たせ、二者をして、争い闘わせる手段が、絶無とはいえません」
「聞こう。――その計は」
「愚存を申しますれば、なんといっても孫権がたのみとしているのは、周瑜です。また、重臣の雄なるは程普でしょう。……ですから丞相には早速許都へお帰りあって、まず呉の使いの華欽にお会い遊ばし、華欽を当分、呉へ帰さないことです」
「そして」
「別に勅を仰いで、周瑜南郡の太守に封じます。また程普江夏の太守とします。――江夏南郡ともに今なお玄徳の領有している所ですから、これを呉使華欽に伝えてもおそらくお受けしますまい。ですから華欽にはさらに官職を与えてしばし朝廷にとどめおき、別に勅使を下して、これを呉の周瑜程普に伝えます。かならず拝受感激いたすに違いありません」
「……むむ。そうか」
 曹操は、程昱が考えたところのものを、もう結果まで読みとっていた。
 その夕、彼は、銅雀台の遊楽も半ばに、漳河の春にも心を残しながら、にわかに車駕をととのえて許昌の都へ帰って行った。
 そして、呉使華欽に、大理寺少卿という官爵を与え、彼を都へとどめておく一方、勅命を乞うて、程昱の献策どおり、勅使を呉の国へ馳せ下した。

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