白門楼始末
一
曹操は、侍者に起されて、暁の寒い眠りをさました。夜はまだ明けたばかりの頃である。
「何か」と、帳を払って出ると、
「城中より侯成という大将が降を乞うて出で、丞相に謁を賜りたいと陣門にひかえております」
と、侍者はいう。
侯成といえば、敵方でも一方の雄将と知っている。曹操はすぐ幕営に引かせて彼に会った。
侯成は脱出を決意した次第を話して、呂布の厩から盗んできた赤兎馬を献じた。
「なに、赤兎馬を」
曹操のよろこび方は甚だしかった。彼自身の立場こそ、実は進退きわまっていたところである。
窮すれば通ず。彼にとっては、天来の福音だった。で、曹操は特に、侯成をいたわって、いろいろと糺した。
侯成はなお告げた。
「同僚の魏続、宋憲のふたりも、城中にあって、内応する手筈になっております。丞相にしてお疑いなく一挙に攻め給うならば、二人は城中に白旗を掲げ、直ちに、東の門をひらいてお迎え申しましょう」
曹操は、限りなく喜悦して、さらばとばかり、直ちに、檄文を認めて、城中へ矢文を射させた。
その文には、
今、明詔ヲ奉ジテ呂布ヲ征ス、モシ大軍ヲ抗拒スル者アラバ満門悉ク誅滅セン
モシ城内ノ上ハ将校ヨリ庶民ニ至ル迄ノ者、呂布ガ首ヲ献ゼバ、重ク官賞ヲ加エン
大将軍曹・押字
朝焼けの雲は紅々と城東の空にながれていた。同文の矢文が何十本となく射込まれたのを合図に、金鼓の響き、喊の声は、地を震わし、十数万の寄手は、いちどに城へ攻めかかった。
呂布は愕いて、早暁から各所の攻め口を駆けまわり、自身、督戦に当ったり、戟をふるって、城壁に近づく敵を撃退していた。
ところへ、厩の者が、
「昨夜、赤兎馬が、忽然と姿を消しました」と、訴えてきた。
呂布は眉をひそめたが、
「番人の怠っているすきに手綱を断って、搦手の山へのぼって草でも食っているのだろう。早く探してつないでおけ」と、罵った。
前面の防ぎに、叱っているいとまもなかったのである。それほどこの日の攻撃は烈しかった。
敵は、次々と、筏を組んで、濁水を越え、打ち払っても打ち退けてもひるまずによじ登ってくる。午の刻を過ぎる頃には、両軍の水つく屍に壁は泥血に染まり、濁水の濠も埋まるばかりに見えた。
ようやく、陽も西に傾く頃、寄手は攻めあぐねて、やや遠く退いた。早朝から一滴の水ものまず、食物もとらず奮戦をつづけていた呂布は、
「ああ。……まずこれまで」
と、ほっと、一息つくと共に、綿のように疲れた体を、一室の榻に倚せて、居眠るともなく、うつらうつらとしていた。
――と、彼の息をうかがって、音もなく床を這い寄って来た一人の将校がある。魏続であった。
呂布のもたれている戟の柄が榻の下に見える。――魏続は手をのばして榻の下からその柄を強く引っ張った。居眠っていた呂布は、不意に支えをはずされたので、
「――あっ」
と、半身を前へのめらせた。
「しめたっ」
魏続が、奪った戟を後ろへほうるとそれを合図に、一方から宋憲が躍りだして、呂布の背をつきとばした。
「何をするっ」
猛虎は、床に倒れながら、両脚で二人を蹴上げたが、とたんに魏続、宋憲の部下の兵が、どやどやと室に満ちて、吠える呂布へ折重なって、やがて鞠の如く、縛り上げてしまった。
二
「捕ったっ」
「呂布を縛めた!」
諸声あげて、反軍の将士が、そこでどよめきをあげた頃――城頭のやぐらでは、一味の者が、白旗を振って、
「東門は開けり」と、寄手へ向って、かねての合図を送っていた。
それっ――と曹操の大軍は、いちどに東の関門から城中へなだれ入ったが、用心深い夏侯淵は、
「もしや敵の詭計ではないか」
と、疑って、容易に軍をうごかさなかった。
宋憲は、それと見て、
「ご疑念あるな」と、城壁から彼の陣へ、大きな戟を投げてきた。
見るとそれは呂布が多年戦場で用いていた画桿の大戟だった。
「城中の分裂、今はまぎれもなし」
と、夏侯惇も、つづいて関内へ駸入し、その余の大将も、続々入城する。
城内はまだ鼎のわくがごとき混乱を呈していた。
「呂将軍が捕われた」と伝わったので、城兵の狼狽は無理もなかった。去就に迷って殲滅の憂き目に会う者や、いち早く、武器を捨て、投降する者や、右往左往一瞬はさながら地獄の底だった。
中にも。
高順、張遼の二将は、変を知るとすぐ、部隊をまとめて、西の門から脱出を試みたが、洪水の泥流深く、進退極まって、ことごとく生虜られた。
また。――南門にいた陳宮は、「南門を、死場所に」と、防戦に努めていたが、曹操麾下の勇将徐晃に出会って、彼もまた、捕虜の一人となってしまった。
こうして、さしもの下邳城も、日没と共に、まったく曹操の掌中に収められ、一夜明けると、城頭楼門の東西には、曹軍の旗が満々と、曙光の空にひるがえっていた。
曹操は、主閣白門楼の楼台に立って、即日、軍政を布き人民を安んじ、また、玄徳を請じて、傍らに座を与え、
「いざ。降人を見よう」
と、軍事裁判の法廷をひらいた。
まず第一に、呂布が引立てられて来た。呂布は身長七尺ゆたかな偉大漢なので、団々と、巨大な鞠の如く縄をかけられたため、いかにも苦しげであった。
白門楼下の石畳の上にひきすえられると、彼は、階上の曹操を見上げて、
「かくまで、辱めなくてもよかろう。曹操、おれの縄目を、もう少しゆるめるように、吏へ命じてくれ」と、いった。
曹操は苦笑をたたえて、
「虎を縛るに、人情をかけてはおられまい。――しかし、口がきけないでも困る。武士ども、もうすこし手頸の縄をゆるめてやれ」
すると、主簿の王必があわてて、遮った。
「滅相もない。呂布の猛勇は尋常な者とはちがいます。滅多に憐愍をかけてはなりません」
呂布は、はったと王必を睨めつけて、
「おのれ、要らざる差し出口を」
と、牙をむいて咬みつきそうな顔をした。
そしてまた、眼を階下に並居る諸将に向けた。そこには魏続や侯成や宋憲など、きのうまで自分を主君とあがめていた者が、曹操の下に甘んじて居並んでいる。――呂布は、眼をいからして、その人々の顔を睨めまわし、
「汝らは、どの面さげて、この呂布に会えた義理か。わが恩を忘れたか」
侯成は、あざ笑って、
「その愚痴は、日頃、将軍が愛されていた秘院の女房や寵妾へおっしゃったらいいでしょう。われわれ武臣は、将軍から百杖の罰や苛酷な束縛は頂戴したおぼえはあるが、将軍の愛する婦女子ほどの恩遇もうけたためしはありません」と云い返した。
呂布は、黙然と、うなだれてしまった。
三
運命は皮肉を極む。時の経過に従って起るその皮肉な結果を、俳優自身も知らずに演じているのが、人生の舞台である。
陳宮と曹操のあいだなども、その一例といえよう。そもそも、陳宮の今日の運命は、そのむかし、彼が中牟の県令として関門を守っていた時、捕えた曹操を救けたことから発足している。
当時、曹操は、まだ白面の一志士であって、洛陽の中央政府の一小吏に過ぎなかったが、董卓を暗殺しようとして果たさず、都を脱出して、天下に身の置き所もなかったお尋ね者の境遇だった。
それが、今は。
かつての董卓をもしのぐ位置に登って大将軍曹丞相と敬われ、階下にひかれてきた敗将の陳宮を、冷然と見くだしているのであった。
「…………」
陳宮は、立ったまま、じっと曹操の面を、しばらく見つめていた。
(――もし、曹操を、そのむかし中牟の関門で助けなどしなかったら、今日の俺も、こんな運命にはなるまいに)と、その眼は、過去の悔みと恨みを、ありありと語っていた。
「坐らぬかっ」
縄尻を持った武士に腰を蹴られて、陳宮は折れるが如く身を崩した。
曹操は、階の上から、冷ややかに見て、
「陳宮か。ご辺とは実に久しぶりの対面だ。その後は、恙ないか」
「見た通りである。――恙なきや、との訊ねは、自己の優越感を満足させるために、此方を嘲弄することばと受取れる。相変らず、冷酷な小人ではある。嗤うにたえぬことだ」
「小人とは、そちの如き者をいう。理智の小さな眼の孔からばかり人間を観るので、予の如き大きな人物を見損うのだ。――そのために、遂に、こういうことになったが何よりの実証ではないか」
「いや、たとい今日、かかる辱をうけても、心根の正しくない汝についているよりはましだった。奸雄曹操ごとき者を見捨てたのは、自身、以て先見の明を誇るところで、寸毫、後悔などはしておらん」
「予を、不義の人物といいながら、しからばなぜ、呂布のような、暴逆の臣を扶けて、その禄を喰んできたか。君は、すこぶる愛嬌のある口頭正義派の旗持ちとみえる。口先だけの正義家で衣食の道はべつだというまことにご都合のいい主義だ。いや笑止笑止」
「だまれ」
陳宮は胸をそらして、
「いかにも呂布は暗愚で粗暴の大将にちがいない。しかし彼には汝よりも多分に善性がある。正直さがある。すくなくも、汝のごとく、酷薄で詐言が多く、自己の才謀に慢じて、遂には、上をも犯すような奸雄では絶対にない」
「ははは。理窟はどうにでもつく。だが、今日の事実をどう思うか。縄目にかけられた敗軍の将の感想を訊きたいものだが」
「勝敗は、時の運だ。ただ、そこに在る人が、それがしの言を用いなかったために、この憂き目を見たに過ぎない」と、傍にうつ向いたままである呂布のすがたを、顔で指して、
「さもなければ、やわか、汝ごときに敗れ去る陳宮ではない」と、傲然、云い放った。
曹操は、苦笑して、
「時に、ご辺は今、自分の身をどうしようと思うか」と、訊ねた。
陳宮は、さすがに、さっと顔いろに、感情をうごかして、
「ただ、死あるのみ。早く首を打ち給え」と、いった。
「なるほど、臣として忠ならず、子として孝ならず、死以外に、途はあるまい。しかしご辺には老母がある筈。――老母はいかにするつもりか」
そういわれると、陳宮はにわかにうつ向いて、さんさんと落涙した。
四
やがて、陳宮は、面をあげて、曹操の人情へ、訴うる如くいった。
「人の道として、幼少からわれも聴く。さだめし、足下も学びつらん。――天下ヲ治ムル者ハ人ノ親ヲ殺サズ――と。老母の存亡は、ただ足下の胸にあること。いかようともなし給え」
「老母のほかに、ご辺には妻子もあろう。死後、妻子の行く末はいかに思うか」
「思うても、是非ないこと、何も思わぬ。――が、我聞く、天下ニ仁政ヲ施スモノハ人ノ祭祀ヲ絶タズ――と」
「…………」
曹操は、何とかして、陳宮を助けたいと思っていた。
――というよりは、殺すに忍びなかったのである。
留恋の私情と、裁く者の法人的な意思とが今、しきりと彼の心のうちで闘っていた。――陳宮はその顔いろを察して、
「無用な問いはもう止め給え。願わくは、速やかに軍法にてらして、陳宮に誅刀を加えられよ。――これ以上、生くるは辱のみだ」
云い捨てて、決然とそこから起ち上がった。そして、階下の一方にうずくまっている捕虜の呂布へ、冷然と一眄を与えると、自身、白門楼の長い石段を降って、――下なる首の座に坐った。
その後ろ姿に、
「ああ――」
と、曹操は、階上の廊に立ち上がって、しきりと涙をながしていた。諸人もみな伸び上がって、白門楼下の刑場を見まもった。
陳宮は、死の莚にすわって、黙然と首をのべていたが、ふと、薄曇りの空を啼き渡る二、三羽の鴻の影に面をあげて、静かに、刑吏の戟を振り向き、
「もう、よろしいか」と、あべこべに促した。
一閃の刑刀は下った。
頸骨が戛と鳴って、噴血の下、首は四尺も飛んだ。
曹操は、さっと酒の醒めたように、
「次は、呂布の番だ。呂布を成敗しろ!」と命を下した。すると呂布は急に、大声でわめきだした。
「丞相、曹丞相。もう閣下の患とする呂布はかくの如く、降伏して、除かれているではないか。この上は、われを助けて、騎将とし、天下の事に用いれば、四方を定める力ともなろうに。――ああ、なんで無用に、殺そうとするか。助け給え。呂布はすでに、心から服している」
曹操は、横を向いて、
「劉備どの。彼の哀訴を、聞き届けてやったものだろうか、それとも、断罪にしたものだろうか」
と、小声で訊いた。
玄徳は、是とも非ともいわなかった。ただこう答えた。
「さあ。その儀は、如何したものでしょうか。ここ今日、思い起されるのは、彼がむかし、養父の丁原を殺害して、董卓に降って行きながら、またその董卓を裏切って、洛陽にあの大乱をかもしたことなどですが……」
呂布は、小耳にはさむと、土気色に顔を変じて、
「だまれっ。兎耳児の悪人め。いつか俺が、轅門の戟を射て助けた恩を忘れたかっ」
と、睨みつけた。
「刑吏ども。早その首を縊てしまえ」
曹操の一令に、執行の役人たちは、縄を持って、呂布のそばへ寄った。呂布は暴れて、容易に彼らの手にかからなかったが、遂に、遮二無二抑えつけられたまま、その場で縊殺されてしまった。
張遼にも、当然、斬られる番が迫ってきたが、玄徳は、突如立って、
「張遼は、下邳城中、ただ一人の心正しき者です。願わくは、ゆるしたまえ」
と曹操を拝した。
曹操は、玄徳の乞いをいれて、彼を助命したが、張遼は辱じて、自ら剣を奪って死のうとした。
「大丈夫たる者が、こんな穢らわしい場所で、犬死する奴があるか」
と、彼の剣を奪って止めたのは、かねて彼を知る関羽だった。
曹操は、平定の事終ると、陳宮の老母と妻子を探し求め、師を収めて、許都へ還った。